うなぎが食べたい彼女の話

羽月

うなぎが食べたい彼女の話


今日は七月二十日。週始まりの月曜日。明日はそう、うなぎの日。……土用の丑の日!


私は明日を待ち望んでる。なけなしの薄給をつぎ込んで大好きなうなぎを堂々と食べたとしても、だぁれも文句を言わないから。だって、明日は土用の丑の日! うなぎを食べるべき日なんだもの!


――でも、これほど待ち望んでいる明日を、私はもうずうっと迎えられないでいる。

今日の夜、私は死ぬの。何をどうやっても、死んでしまう。道を歩かなくても、電車に乗らなくても、家から出なくても、絶対に死ぬ。私の寿命は今日で尽きる。そういう風にできているみたい。




……でも、うなぎを食べないでなんて死ねないの! きつい一年を、この日のために生きてきてるのに!




だから、うなぎのために、私は何度だって時を越えてきた。ああ、あの甘辛いかば焼きの味。こってりとかかったタレに輝く茶色い外見とは裏腹に、ふっくらと白く柔らかい身。のどにささる小骨まで愛おしい。透き通った汁に浮かぶ肝のふにょっとした感触と味もまた格別で……ああ、食べたい! うなぎが食べたい!


うなぎのためなら私は何度だって時を巻き戻してみせる。今日を越えるためなら、何回だってコンティニューしてやる。死が私の運命だとしても関係ない。たとえ運命だって、食らってやるんだから!







何度も何度も巻き戻してわかったのは、何回やっても明日まで生きていられないということ。神様、意地悪すぎる。私はうなぎが食べたいだけなのに。うなぎさえ食べられたら、すぐにでも死んだって文句は言わないのに。


……仕事はきついし、給料は安いし、友達はさっさと結婚して子どもができちゃうし。あーあ、私、何で頑張ってるんだろう? 明日、大好きなうなぎを食べられたら、もういつ死んでもいいやって思ってたのに。うなぎ一つ食べられないなんて、どうしてこんなに人生ってままならないんだろう。


ああ、つらいなあ……と思ったら、涙が流れてきた。もう何時間も前に閉店して真っ暗になっちゃったうなぎ屋さんの前で、しゃがみこんでしくしく泣く。このまま明日を迎えられたら、朝イチにでもあの美味しいものが食べられるのに。朝うなぎなんて、なんて贅沢なんだろう! ああ、食べたい!


「うなぎ食べたいよぉ……」


ぐすぐす泣いていたら、がらっとお店の裏口が開いた。そして、お疲れっしたー! という元気な声とともに青年が一人出てきて、私を見て、一拍後にうおっと叫んだ。


「ど、どうしたんっすか! なんで泣いてるんですかっ?」


こ、転んだとか、え、それとも酔っ払い? なんで店の前で? おろおろと混乱しつつも隣に膝をつく青年に、私は酒は入っていないけど酔っ払いのごとくしがみついた。限界だった。食べたすぎて。


「う、う、う……」

「え、何……う?」

「う、うなぎ、食べたい。食べたいよぉ」


わあっと堰を切ったように泣きだせば、青年は狼狽しながらも、私のことを、受け止めてくれた。よしよしと背中を撫でながら。……大きくてあったかい。泣きじゃくる私を困惑しながらもしっかりと抱きとめてくれる。ああ安心する。ひとの体温。全然意味がわからないだろうに、突き放すこともなく私を慰めてくれる手。


「何がなんだかわかんないっすけど……とりあえず、中入りましょ。話聞きますよ、ね。おやっさーん!」

「ああ? 何だ、忘れ物か? ……あん?」

「忘れ物じゃねえけど、店の前で女のひと拾いました!」

「……犬猫じゃねえんだから、言い方よぉ」







それからぐすぐすと泣きながら語ったのは、聞くも涙、話すも涙、涙涙の私の話。今日を何度もやり直してる、なんて荒唐無稽な話を彼らは黙って聞いてくれた。途中からおじさんはいなくなってしまったけど、青年はずっとついていてくれた。


「ああ、もうすぐ十二時……また私は死んじゃうんだ。うなぎも食べられないでさあ」


話し終わってちらっと時計を見た私は、泣き止んでいたのにまた泣き出してしまう。始終泣き続ける私に青年はもう慣れたような様子でティッシュを差し出し、えーと、と頬をかく。


「とりあえず、あんたはうなぎが食べたい。うなぎを食べたら満足できる?」

「うん……」

「満足したら、どうするんすか? 結局死ぬんすか?」

「……満足したら、もう死んでもいいかなって」

「死ぬのが運命なら、その運命だって食らってやるって言ったじゃないすか。なら満足したからって簡単に死を受け入れちゃダメっすよ。そんなんじゃうなぎ食べさせられません」

「やだ……うなぎ食べたいっ」

「なら、食べても死なないって言ってください。死ぬっていう運命も一緒に食べてやる! ってぐらいの気持ちで強くいてください。……どうしてもつらくて仕方ない時は、俺がいつでも話を聞いてやるっすから」


と、店の奥から、おじさんが歩いてくる。その手にあるのは……あれはうな重!


「まあ、これでも食えや。今日はおごりにしてやるから。その代わり、八月二日にはちゃんと金払って食ってけよ」


目の前で蓋が開かれる。赤い塗りの容器の中には、夢にまでみたうなぎが、粒の立った白米の山の上に、焼き立ての湯気をまとってどんと横たわっている!


「まあ、色々大変だよなあ。でもなあ、死んじまったうちのうなぎは二度と食えねえ。自慢じゃねえが、一回で満足できるような味じゃねえぞ、うちのうなぎは」


二回、三回、十回、百回……死ぬまで食いたい味だぜ。おじさんはにやりと笑った。


「……あ! ほら、時計!」


箸を手に持ってそら食べよう、と思った瞬間、青年が大声を上げた。思わず時計を見やる。時刻は……ああ!




――私はようやく、今日を越えられたのだ。

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