未来の設計図

 今日は朝から彼女が家に来ている。

 勿論、アポ無しで。

 朝からインターホンと着信音のお世辞にも美しいと言えないハーモニーを聴き、渋々彼女を家にあげると1番に冷蔵庫を漁り始め、後で食べようと思って買っておいたハーゲンダッツを食べられた。

 おかげで気分は朝から駄々下がりだ。

 彼女じゃなくて男友達だったならぶん殴っていた。

 ハーゲンダッツ高いんだぞ。

 バイトで月収18万円くらいの人間の贅沢モノなんだぞ!

 でもいくら嘆いても僕のものだったハーゲンダッツは彼女のお腹の中だ。

 さらに彼女のことだ。

 もしもそんなことを言ったなら、吐き戻しかねない。

 それは面倒だ。

 掃除をしなくてはいけなくなるし、300円くらいの僕からすれば高級品のハーゲンダッツが完全に無駄になってしまう。

 心の中でぼやきながら、僕のベッドを占領して眠ってしまった彼女を眺める。

 相変わらず顔は可愛い。

 それにしても体は細いなぁ。

 まるで線だ。

 あぁ、決して邪なことを考えていたわけではない。

 こんなに細いのに僕より腕力が強いのは何故なのか考えていただけだ。

 彼女と腕相撲をしたことは何度かあるのだが、一度も勝ったことがない。

 勝つどころか一度も彼女の手をスタート位置よりも向こう側に押し込んだこともない。

 恐らく僕が異常に弱いのだろうけど、ここまで弱いと最早凄い。

 彼女は「天然記念物だー」とかなんとか言っていたが、褒め言葉として受け取っておいた。

 とは言ったが、全く邪な考えがなかったかというと、ほんの少しだけあった。

 しかし、不可抗力だろう。

 考えてみて欲しい。

 目の前で恋人が無防備な寝姿を晒しているのだぞ。

 襲いたくなるのも仕方のないことではないのか?

 ちなみに僕は襲わないし、邪な考えは今捨てた。

 え、ここで襲った方が話の展開的に面白いって?

 メタいこと言うなよな。

 誰がなんと言おうと襲いません。

 今から彼女が起きるまで撮り溜めた映画を見て行くのです。

 1人で謎の思考回路を回した後、撮っておいた海外のアクション映画を見る。

 暫くして、主役のトム・クルーズが天井から降りてきたあたりで彼女は目を覚ました。


「んぁ? おはよぅ……ここどこ?」


「ここは僕の家だよ。寝ぼけたこと言ってないで顔洗っておいで。あと、寝癖酷いよ。それも直しておいで」


 彼女は大きく伸びをした後


「んんー、そうするー」


 と告げて洗面台へ向かっていった。

 さて、今日は何をしようかな。


 ***


 30分ほどして彼女は出てきた。


「ごめんねー寝ちゃって。親が勉強しろって五月蝿うるさくてさー。今日は朝一で逃げてきちゃった。親は私に医者を継いで欲しいみたいなんだけどね……」


 彼女の一家は先祖代々医者という凄い家系なのだが、正直彼女からは医者の威厳というか、落ち着きが全くみられない。

 まぁ僕はそこが好きなのだけれども、彼女としては少し気になることなのかもしれない。


「華は医者になりたいの?」


「うーんあんまりかなぁ。医者になると病院から出られなくなっちゃうでしょ? 私は自由に生きていたいの」


「なら無理にならなくてもいいと思うけどなぁ。これと言った将来の設計図がなくても、自由に生きたいっていう目標があるなら、それを達成すべく走っていくのが人生の意味だと思うしね」


「そうだよね」


 彼女がこんな風に将来のことを悩んでいることは少し意外だった。

 そして同時に、僕は何がしたいのか分からないことに気付いた。

 僕は何がしたいのだろう。

 彼女と一緒に居続けたいのは勿論だが、それで無職では話にならない。

 いい機会だ、少し考えてみるとするか。


 ***


 昔から僕は将来の夢や、なりたい職業などを持っていなかった。

 成り行きに任せて生きていたし、それでいいと思っていたから。

 短い人生なんて、あっという間に終焉を迎える。

 どれだけ生きながらえても、100年すればみんな死んでる。

 彼女と出逢い、そして疎遠になるまではそんな事考えたことなかったのだが、彼女と別れ、独りで過ごすようになって気付いた。

 人間は弱いし脆い。

 免疫がなければ1人でいるだけで人格が崩れてしまう。

 幸い僕にはその免疫があったから1人でいても大丈夫だったけれど、虐めだとかそういうもので孤立して死んでいく人なんて、幾らでもいる。

 孤独は薬でも、毒でもある。

 そう気付いてから僕は、何が起こるか全く検討もつかない将来を、生きているのかさえも分からない明日を、考えることをやめた。

 そして僕は、過去に囚われるようになった。

 あの時ああしていれば、その時そうしていれば。

 意味のない後悔に苛まれ続け、未来を嫌った。

 そんなある時、並行世界の存在を知った。

 フィクション上の事象でしかないが、とても面白い考えだと思った。

 ならもしもあの時ああしていた世界では、僕はどんな生活を送っているのだろう。

 幸せだといいな。

 そう考えていくと、心は軽くなっていった。

 そして同時に、今生きていることがとても奇蹟的な事だと思った。

 もしあの時そう動いてしまっていたら、僕は今頃死んでいた。

 無数に存在する並行世界で、僕は何人生き残っているだろう。

 そしてこの世界の僕はいつまで生きていられるだろう。

 その時から少しでも長く、少しでも多くの僕が生きられるように過ごしたいと願ってきた。

 そうして前向きになれた僕の背中を押すように、彼女との関係が復活した。

 そこからはとんとん拍子でことが進んだ。

 そして今に至るわけだが、思い出話をしたかったのではなかったな……

 将来何がしたいかだった。

 正直僕は何もしたくない。

 唯一願いがあるとするならそれはやはり、彼女の隣に居続けたいということだろう。

 なら僕がしたい職業は一つ。

 彼女と同じ道を歩むことだろう。

 そうと決まれば一人で悩むだけ無駄だ。

 彼女の将来を考える手助けをしよう。


 ***


「ねぇ思ったの。こんなに急ぐ必要ってないよね。私は私のしたい事をしたい時にするっ! それで十分楽しいよ。君がいてくれればもっと楽しい。これからも仲良くしてねっ」


 手助けをしようなんて烏滸おこがましかったようだ。

 彼女は彼女なりに結論を出せたらしい。

 それに僕の存在を望んでくれている訳だし、こちらの願いも叶うわけだ。


「あぁ。これからも仲良くするよ。どれだけ華の奔放さに振り回されても、もう離したりしないよ」


 なかなかに歯痒い台詞を吐いて視線を逸らす僕には彼女は、そっと口付けをした。

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