ペンギンショー

 ピクニックからおよそ1ヶ月。

 予定を合わせたり、計画を練ったりで時間は経ってしまったが、今日は水族館に行く予定だ。

 僕も彼女も初めてペンギンショーとやらを観に行くのだが、正直何が面白いのか分かっていない。

 ただ、彼女は予想通り……


「ペンギンショー⁉︎ 観たい観たい!」


 との事なので、渋々と言った気分だがそれは隠しておく。

 待ち合わせ時間は開館時間の30分前だが、彼女は遅れてくるだろうな。

 予想は5分遅れだ。

 そう思って待ち合わせ時間5分前に集合場所に行ったのだが、意外なことが起こっていた。

 彼女が待っていた。

 それも、男2人に囲まれて。

 彼女の怯えた表情を見る限り、知り合いではないようだ。

 さてどうしたものか。

 恐らくは軟派なんぱというやつだろう。

 しかし彼等、危ない船に乗るものだな。

 あんな美人に彼氏がいないわけがないのに。

 ただ、このまま冴えない僕が出たところで、状況が悪化するようにしか思えない。

 なら、電話でこっちに来てもらうまでだ。

 電話を取り出し、彼女の番号に掛ける。

 ワンコールで、というか半コールですぐに繋がった。


「もしもし? あーうん分かってる。大丈夫。今僕が出て行っても逆効果だよ。うん。僕は今華から見て左45度の方向にいるから、そっちに歩いてきて。うん。自然な感じで合流するから。うん。ごめんね。もう少しの辛抱だよ。うん。分かった。彼等を難破させてやろう。え? 面白いって? 今はそんなこと言ってる場合じゃないでしょうが。感想は後で聞かせてもらうよ。うん。じゃあ、作戦決行だ」


 彼女は彼等に何か説明した後、あろうことか駆け出した。

 そして僕を見つけるとすぐにこっちに向かって走ってきた。


「あっ! 見つけたっ! ほら、追いかけてきてるからっ! 早く逃げるよっ!」


「う、うん!」


 二人並んで暫く走り回って、なんとか彼等を撒くことができたのだが、僕の体力は限界に達していた。

 息切れが酷いし、爆発するんじゃないかと思うくらいに心臓がバクバク鳴っている。


「……っはぁ……なんで……走ったのさ……歩いてきて……って言った……のに……」


「うん? そりゃあ君と早く会うためだよ。それにしても体力無いねー。顔が真っ青だ。ふふっ面白いな」


 笑い事じゃない。

 唯々辛い。

 頭がガンガンして、二日酔いみたいな状況だ。

 なのに彼女は、逃げ込んだ公園の長椅子に座り込む僕に、某有名黒色炭酸水を渡してきた。

 今こんな量の砂糖入り炭酸水を飲めば、確実に喉がお釈迦だ。

 嫌がらせとしか思えない。

 しかし恐ろしい程の圧を含んだ笑顔に圧倒されて、自棄糞やけくそになって一気飲みしてやった。

 予想通り喉は焼けるような悲鳴を上げる。

 あからさまに顔を顰めた僕に爆笑を浴びせる彼女だったが、そのあとちゃんと天然水を買ってきてくれた。

 今日、何しにきたんだっけ。

 彼女は軟派を経験する為に、僕は彼女に笑われる為に、お出かけを計画していたのだっけ。

 彼女に問うてみる。


「なぁ、今日何しにきたんだっけな」


「えー忘れちゃったの? 水族館でペンギンショーを観るんだよ? そういえばそろそろ開館時間じゃない? ほーら、死人みたいな顔してないで癒されに行くよっ!」


 そうだった。

 これから何が面白いのか全く分からないペンギンのショーを見に行くのだった。

 彼女に手を引かれ、視界が霞んだまま無理矢理立たされた。

 ふらふらとしながら、走ってきた道を戻って行く。

 さっきの彼等と出会すのは面倒だと思っていたが、流石軟派師さんなだけあって、他の女性に軟派していた。

 うわっ、噂に聞く鋼のメンタルだ。

 引きながらも、ほんの少し尊敬してしまったのだった。

 そんなこんなで何事もなく水族館に戻ってきたのだが、今度は開園前の大行列に驚いた。

 ポスターや周りの人々の会話から察するに、今日はこの水族館の1周年記念の日のようだった。

 なんとまあ運の悪いタイミングだ。

 こんなに人がいては、息を吐く暇もないだろう。

 いや、今日1日だけの辛抱だ。

 そう自分に言い聞かせ、長蛇の列の最後尾に並ぶ。

 開館時間になり一歩ずつ進んでいくと、碧色で統一された水族館らしい入口が見えてくる。

 入館料金を支払い、その門を潜ろうとした時に突如としてスタッフさんに止められた。


「おめでとうございます! あなた方は丁度100組目の入館者です! 記念として、これをお受け取りください!」


 いきなり目の前で叫ばれて驚いたが、スタッフさんも好きで叫んでいるわけでは無いのだろうから許しておく。

 そして記念として手渡されたのは、ペンギンのぬいぐるみ。

 流石人気な水族館の記念品なだけあって、見た目に手が込んでいる。

 荷物が増えてしまうので要らなかったのだが、最早押し付けられるようにぬいぐるみを渡された。

 そうですよね……スタッフさんも好きで人気のぬいぐるみをこんな見ず知らずの男に渡しているわけじゃないですもんね。

 申し訳無さを感じつつ、受け取ったぬいぐるみを眺めてみる。


 こいつ、意外に可愛いな……華に渡せば喜ぶだろうな……ってか、華はどこいったんだ?


 心の中でぼやきつつ、辺りを見回す。

 華……華……どこだ?

 相変わらず好奇心旺盛だな。

 また軟派とかされてなければ良いけど……

 不安になってきた時、彼女を見つけた。

 お土産売り場で目を輝かせている。

 彼女が何に目を輝かせているのかを見て、思わず吹き出した。

 彼女はペンギンのぬいぐるみ、そう、丁度僕がスタッフさんに押し付けられたぬいぐるみを見て、目を輝かせていたのだ。


「華、それは買わないよ。荷物になるでしょ?」


「えー、可愛いのにー。ほら見て! このなんとも言えない目! 欲しいの! 買って!」


「ちょっと話があるから取り敢えず外に出ようか」


「……うん。絶対買ってね!」


「買わなーい」


「けちー」


 どうにか彼女を説得して、売り場の外へ連れ出す。

 そして暫く理由もなく彼女の目を真っ直ぐに見つめた後、鞄から例のぬいぐるみを取り出す。

 不満げな顔が一転、清々しい程の笑顔に移り変わる。


「え⁉︎ なんでそれ持ってるの? もしかして今の一瞬で買った? 時間止める能力でも持ってるの?」


「生憎そんな便利な能力は授かってない。これは入館100組目の記念品だよ。僕が持ってても仕方ないから華にあげる。だから、買わない」


「なるほどねー。だからいつも優しい君が頑なに買わなかったわけだ。納得納得」


 大袈裟に頷いている彼女は、本当に幼く見える。

 そう見えるからこそ、彼女の、自由奔放な性格も皆んなに受け入れられてきたのだろう。

 そんな時、アナウンスが聞こえてきた。


「一周年記念! 特別なペンギンショーがまもなく始まります! 彼等の晴れ舞台をご覧下さい!」


 ぬいぐるみのやり取りで大きく見開かれていた彼女の目が、より大きく開いた。


「今の聞いた⁉︎ こうしちゃいられないよっ! 早く行こうっ!」


「はいはい」


 彼女の燥ぎ具合に苦笑しつつ、手を引かれるがまま後ろをついていく。

 そしてふと思った。

 彼女、ペンギンショーの行われる場所を知っているのだろうか。

 さっきから右にしか曲がっていない気がする。

 しかも彼女の顔から笑顔が消えつつあるのだが……


「ねぇ華、もしかしてなんだけど……迷った?」


「恥ずかしながら……迷った……」


 やっぱり。

 でも、僕がいる。

 今まで伊達に潜入ゲームをこなしてきたわけじゃない。


「ちょっと待ってて……」


 入館前に見た地図を思い出す。

 まずは今いる場所の特定だ。

 お土産売り場から左に進み、5回右に曲がった。

 この水族館の作りには規則性がない。

 かなり手詰まりな状況だが、僕らはどうやら知らず知らずのうちに入り口付近まで来ていたようだ。

 ということは……


「こっちに行けば入り口だ。入り口前の階段を登ればショーの場所までは一直線だ。ほら華、行くよ……」


 振り返ると華はおらず、少し向こうで巨大水槽に釘付けになっていた。

 相変わらず好奇心旺盛な人だ。

 彼女の隣に立って、視線を辿る。

 すると彼女が呟いた。


「ねぇ、ここってもしかして……」


 その一言で気が付いた。


「そうかもしれない……」


 その巨大水槽は当に、僕らが目指していたペンギンショーの開催場所の水中だった。

 つまり、ショーを下から見ることができるということだ。


「わっ! 始まったみたいだよ! ペンギンが泳ぎ出した!」


 ペンギンが泳ぐだけでここまで驚くのは変だと思うが、周りには誰もいないし、少しぐらい騒いでも大丈夫だろう。

 5羽のペンギンが優雅に泳ぎ、時々水上からの指示で陸に上がる。

 ただそれだけなのに、心は癒されていった。

 2人で並んで目を輝かせていたのだが、スタッフさんがきて


「そこの2人。ここは立ち入り禁止区域なんだ。お引き取り願えるかな?」


 と、怒られた。

 そんな場所に入った覚えはないが、彼女に引っ張られていた時に入ってしまったのだろう。

 それならこんな穴場スポットに人が全くいないのも納得できる。


「分かりました、ごめんなさい。ほら華行くよ」


「……うん」


 彼女は少し落ち込んでいるようだった。

 少し歩いて立ち入り禁止と書かれた看板を越えたあたりで彼女は言った。


「……ごめんなさい。私の所為で君まで怒られちゃった。こういう馬鹿なところ、直さないとなぁ」


「……いや、直す必要はないよ。華は華だ。僕は今の華が好きだよ」


 と、本音を呟くと、


「君は静かな私は嫌?」


 と、聞き返してきた。

 どう答えるのが正解だろう。

 少し考えて、


「いや華がおしとやかになるなら、僕はその華も好きになるよ。さっきも言ったように、華は華なんだ。僕はどんな華でも好き。それだけは揺るがないよ」


「……ありがとう」


「どういたしまして」


 こうして肝心のペンギンショーは最後まで見届けられなかったが、好きという感情を改めて確認できた素晴らしい1日だった。

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