2. 再会
最後に彼女の声を聴いたのは、一週間と少し前だった。
空中射撃大会での成績が評価されたエレナは、一週間の特別休暇を取得していた。上官には「実家に帰ってこい」と言われたが、帰省する気はかった。
そんなエレナの携帯電話に、彼女から連絡が届いた。ちょうど基地の近くに来ているらしく、「会って話がしたい」と言ってきた。断る理由もないので、エレナたちはプリンツ・ヒェルマン広場で待ち合わせをすることになった。
*
広場のベンチで彼女を待ちながら、エレナは何となく空を眺める。
気温は暖かくて過ごしやすいが、頭の上は明灰白色の雲が蓋をするように覆っていた。その隙間から零れた光が、酸性雨でドロドロになった石像をぼんやりと浮かび上がらせる。あいにくの空模様のおかげで、白と灰色の広場はいつもに増して彩度が低く見えた。
そんな景色の中に、エレナは一点だけ鮮烈な色を放つものを見つけた。そよ風に揺れる、ライ麦色の髪……その持ち主の顔を見て、エレナは嬉しさのあまり立ち上がる。
「リズッ!」
エレナの声に気付いて、リズ――リーゼロッテ・ローテルシュタインも昔と変わらない声で応えた。
「エレナッ!」
リズは大きく手を振り、こちらに駆け寄る。
「久しぶりに会ったのに、雰囲気は全然変わらないね!」
手を振り返し、エレナは「リズもね」とはにかんだ。最後にあった時より身長も伸びて、髪も長くなっているが、目の前にいるのは間違いなく幼馴染のリズだ。ライ麦色の髪と透き通るような声は、昔から変わっていない。
「空軍ではどう? 上手くやってる?」
隣にストンと腰を下ろしたリズは、エレナの近況について効いてきた。エレナはベンチに座り直し、「まぁ、そこそこね……」と答える。
「いじめられてたりしない?」
「そんなことないよ。上官や僚機とは上手くやってる。そっちこそ、都会の高校に行ってるんでしょ? 田舎者だからってバカにされてるんじゃないの?」
「心配しなくていいよ。むしろ、都会の人には未舗装の道がある農村の生活が珍しいみたいで、羨ましがられてるよ」
リズの話を聴いて、エレナはドッと吹き出す。
「その人たちはきっと、田舎の生活をナメてるんだね! 冬は雪に埋もれるし、夏は蚊が大量発生。牧歌的とは程遠い、自然との戦いを都会っ子は知らないんだ!」
「夢を見させてあげれば良いんだよ。私がどれだけ美しいウソを語っても、困るのはあの人たちなんだし!」
「だね!」
リズと二人で笑っていたエレナは、ふと足元の石畳に黒いシミを見つけた。見ている間にも、シミは一つ、また一つと増えていく。いつの間にか広場には小雨がぱらつき始めた。
「降ってきたね……」
リズが空を見上げる。エレナは「どっか屋根のある場所に行く?」と尋ねた。
「それなら、エレナのアパートに行ってもいい?」
「良いよ。広場のベンチは硬いし、自分の部屋の方がくつろげるからね」
「じゃあ、決まりだね!」
リズはニコリと笑って立ち上がった。
*
アパートの部屋の前で、エレナとリズは言葉を失い、立ち尽くす。
扉には「ヘドウィグ人は出ていけ!」と書かれた紙が貼りつけられ、郵便受けには汚い字で書かれた手紙が突っ込まれていた。手紙によると、三日前に発生したキラークラウンの墜落事故は、ヘドウィグ人のスパイによる破壊工作だという。そして、エレナを盗撮した写真に「お前がやったんだろ⁉ このドラ猫!」という文言が添えられていた。
「ひどい……一体誰が⁉」
リズは怒りに顔を歪め、乱暴に張り紙を引っぺがす。エレナは「怒るほどのことじゃないよ」と幼馴染を諫めるが、彼女はややヒステリックに返す。
「『友だち』がこんな目に遭って、どうして怒らずにいられるの⁉ 私はこの紙を張り付けたヤツを許さない!」
怒りをぶつけるように、リズは張り紙をビリビリと破く。エレナはその手を掴み、優しく語りかけた。
「リズが私を『友だち』って思ってくれるだけで十分だよ。厄介者扱いは村にいたころからだし、もう慣れたよ」
「でもッ……!」
「ありがとう……だからもう怒らないで。せっかく久しぶりに会えたんだから、笑っていて」
エレナは震えるリズの背中をさすり、部屋に入るよう促す。
リズをソファーに座らせると、エレナはアパートの大家さんに電話をかけた。今あったことを伝えると、少し家賃は高いが、ここより防犯設備の充実した物件へ引っ越すことを提案してくれた。エレナは「考えておく」とだけ伝えて、電話を切る。
「大家さんはエレナがヘドウィグ人だって知ってるの?」
リズの問いにエレナは頷く。
「まぁ、私と似たような境遇の人には、何度も部屋を貸したことがあるみたい……ところで、何か飲む?」
「何があるの?」
「インスタントコーヒーと紅茶、それからハーブティーもあるけど?」
「じゃあハーブティー……」
エレナは「ウィルコ」とパイロット風に答え、電気ケトルのスイッチを入れる。
「ゴメンね、エレナ……」
キッチンでハーブティーの用意をしていると、リズがカウンター越しに湿っぽい声をかけてきた。
「何でリズが謝るの?」
「だって、エレナがこんな目に遭わなきゃいけないのは、私たちの国が悪いんだし……」
リズは暗い顔を下に向ける。
ノルトグライフと隣国・ヘドウィグは、戦争によって何度も国境を引き直してきた歴史がある。その過程で、ある日突然マイノリティになったり、あるいはマジョリティになったりした人々がいた。エレナもそういった人々の子孫で、「アリョーナ・イリッチ」というヘドウィグ人としての本名を持っている。
「今を生きてる私たちが、過去をどうこう言っても仕方ないよ」
湯気を立てるハーブティーを持って、エレナはソファーのところに行く。サイドテーブルにトレーを置き、俯いたままのリズの隣に腰を下ろす。
「それに、二つの国がそういう歴史を歩んでいなければ、私たちは出会えなかったかもしれないしさ……」
「でも、そのせいでエレナがこんな辛い思いしなきゃいけないなんて……私は納得できない!」
「じゃあ、リズは私と出会わなければ良かったって言うの?」
エレナの言葉に、リズはバッと顔を上げる。
「そんなこと……!」
リズが向けるすがるような視線に、エレナの胸はじんわりと熱くなる。磁力で吸い寄せられるように、エレナの手は彼女の頬に伸びる。
「解ってるよ……ゴメンね、確かめるみたいなことしちゃって」
エレナは幼馴染の柔らかい頬を撫でた。リズは「いいの」と返し、エレナの手の甲に彼女の掌を重ねてきた。
「ねぇ、覚えてる? あの日のこと?」
エレナの問いに、リズは小さく頷く。
「忘れる訳ないよ。私たちの、大切な約束だからね……」
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