騎士とピエロの舞踏会

赤木フランカ(旧・赤木律夫)

1. 迎撃

 怒鳴り散らすサイレンに、エレナ・イーレフェルト少尉は目を覚ます。待機中に居眠りをしていたらしい。バシバシと頬を叩いて、バネのように立ち上がる。


 エプロンに出ると、生温かい水滴が頬に落ちる。春の柔らかい雨に濡れながら、巨大な戦闘機が静かにパイロットを待っていた。


 RW-15「アスベル」――ノルトグライフ王立空軍が長く運用している、大型多用途戦闘機だ。その愛称は伝説に登場する騎士に由来し、アスベルの乗り手たちは「天空の騎士ルフト・リッター」と呼ばれていた。


 アスベルに乗り込むと、エレナはジェットフュエル・スターターを操作し、エンジンを始動する。電子機器、油圧、武装、各動翼の作動を素早く点検し、滑走路へタキシング。センターラインに機体を乗せ、ブレーキを踏み込む。


〈レーヴェ隊、離陸してよし。最適の健闘を!〉


 管制塔から発進許可が下りる。エレナはスロットルレバーを倒し、アフターバーナーに点火。二基のエンジンが野獣のような咆哮を上げ、滑走を始める。青い炎の尾を引き、アスベルが大地を離れた。


 エレナが操縦桿を弾くと、愛機はぐいと機首をもたげて急速上昇。明灰白色の雲を突き破り、青と白だけの世界へ駆け上がる。


 SOC(作戦指揮所)からの情報によると、現在所属不明の航空機が、単機で領空を通過しようとしているらしい。このままの速度で飛行を続ければ、あと十分で首都であるグライフェン・シュタット上空に到達する。


 エレナたちレーヴェ隊の任務は、この所属不明機を中央のラインハルト山脈上空で捕捉し、領空から退去させるか、強制着陸させること。やむを得ない場合は、火器の発射も許可されていた。


〈……とはいえ、味方機の可能性もある。いきなり長距離ミサイルぶっ放すのはナシだぜ?〉


 僚機のフリッツ・イェーガー少尉が無線で釘を刺す。彼の言う通り、航空機のステルス性がある種の特異点を迎えてしまった現在では、視程外戦闘は危険だ。IFF(敵味方識別装置)による識別も絶対とは言えず、目で見ること以上に確実なものはない。


「解ってる……けど……」


 相手が先にミサイルを撃ってきたら? エレナは言外に問う。相手が国際法の下にある正規軍や民間軍事会社ならいいが、テロリストなら話は別だ。犯罪者相手に交戦規定は通用しない。それはフリッツだって理解しているだろう。


〈心配するな。アスベルのECM(電子妨害装置)なら、真正面から撃たれても当たるもんじゃない〉

「うん……そうだね」


 アスベルの性能の高さは、長い運用実績が証明している。その中で、長距離ミサイルで撃墜された例は数えるほどしかない。


 エレナも愛機を信頼していたが、今日は嫌な胸騒ぎがした。恐怖とは違う、言語化不能な不快感が胸の奥で蠢いている。会敵が予想されるポイントが近づいているのに、そこへ行きたくないと本能が叫んでいるようだった。


 しかし、会敵予想時刻はじりじりと迫っていった。晴れていれば、眼下には新緑が萌えるラインハルト山脈の山肌が見えるだろう。そろそろ不明機の姿を目視できる距離だ。


「アレか?」


 エレナは雲の切れ間に灰色の機影を見た。


 ステルス性を意識した形状の双発戦闘機。王立空軍がアスベルの後継機として配備を進めている、SF-11C「キラークラウン」だ。その主翼には、王立空軍の国籍マークも確認できる。


 無線の向こうで、フリッツがホッと息をつく。


〈味方機かよ、びっくりさせやがって……けど、どうしてキラークラウンが飛んでるんだ? この間の墜落事故で、飛行停止だったんじゃないのか?〉

「パイロットに訊けば解るかも。ブリーフィング通り、コンタクトを試みる」


 エレナは通信のチャンネルを合わせ、キラークラウンのパイロットに呼びかける。


「こちらはレーヴェ隊。キラークラウンのパイロットに告ぐ。所属部隊と官姓名、及び飛行目的を明かし、我が方に帰順せよ」


 キラークラウンは全く反応を示さず、速度と高度を保ったまま飛行を続ける。エレナは同じ内容を繰り返したが、光信号の点滅も確認できない。


〈クソッ……シカトしやがって……〉


 フリッツが苛立った声を漏らした時、キラークラウンの主翼に変化があった。主翼後縁に取りつけられたフラッペロンが、左右で別々の方向に動く。


「っ……⁉」


 キラークラウンは左に機体を傾け、斜め下に旋回降下。雲の中に消える。水滴がレーダー波を撹乱し、補足できない。


「見失った……! フリッツ、そっちで確認できる⁉」

〈ダメだ、俺にも見えない! 後方に注意しろ!〉

「解ってる!」


 味方のマークを付けているが、味方じゃない。エレナはキラークラウンを敵機と判断し、ドッグファイトスイッチをオン。首を巡らしてその姿を探す。見つからない。


 突然、けたたましいアラートがエレナの耳をつんざく。後方からレーダー照射を探知。ロックオンされた!


〈エレナッ、ブレイク!〉


 フリッツがそう叫ぶ前に、エレナは左に急旋回。チャフを散布し、敵のレーダーを撹乱する。ロックオン解除には成功したが、アスベルの後方警戒レーダーは依然として敵影を捉えている。


「離れろッ!」


 エレナは敵機を振り切ろうと加速する。Gが内蔵を圧迫し、吐き気がこみ上げる。それでも敵機はエレナ機を猛追し、引き離せない。


〈エレナッ! 太陽に向かえ!〉

「了解!」


 エレナは急上昇し、太陽を目指す。白い光がコクピットに差し込み、思わず目を細める。それはキラークラウンのパイロットも同じだったらしく、わずかに挙動が鈍った。その隙にエレナは失速反転し、急降下。相手はエレナ機を見失い、追跡を中止する。


 操縦桿に手前に引く圧力を加え、エレナは機体を引き起こす。HMD(ヘルメットマウントディスプレイ)の中央にキラークラウンのエンジンを捉え、ロック。このままミサイルを撃てば相手は撃墜されるが、あくまで威嚇に留める。


 キラークラウンはエレナにロックされた状態のまま動きを止めた。それは一瞬のことだったが、エレナには敵機のパイロットがこちらを向くのが見えた。ヘルメットバイザー越し投げかけられた視線が、エレナを鋭く射抜く。


〈邪魔しないで、エレナ……〉


 無線から聞こえた声に、エレナの心臓は跳ね上がる。エレナが良く知る少女の声だった。だが、懐かしさを感じる間もなく、洪水のように疑問が押し寄せる。何故がここにいる⁉ 何のためにキラークラウンに乗っている⁉ どうして友だちである自分を攻撃する⁉ 解らない!

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