引退した声優
アイスを平らげた妹は、名残り惜しそうにアイスのカップにスプーンをなすりつけている。カップの側面に残っているアイスを集め、口に含んだ。
「そういえば、一咲ネネの声、人間が声を当ててるって知ってた?」
「人間?」
スプーンを口に含んだまま、目を丸くして驚く妹の様子は見ていて愉快だ。
「
「知らないな」
「アニメとか見てないもんな」
「お兄がよく見てた、女の子がどったんばったんするやつ? 私の趣味じゃない」
どったんばったんか、と妹が適切に要約するのには苦笑する。
「でもあれは知ってるだろ? 魔法少女ルルノラ」
「小さい時日曜日にやってた? あー、知ってるよ」
「ブルーフェアリーのアイラの声が、未城あずき」
「そうなんだ、知らなかった。今も何かに出てる?」
「いや」
未城あずきは十年前、一咲ネネに声を吹き込んだあとに引退している。家業のクリーニング屋を継いだとか、介護士になったとか、海外でセレブと結婚したとか、様々な噂が流れている。だが、詳細は分からない。
俺は、ショックだった。ボイドにハマるきっかけとなった理由は、他でもなく一咲ネネの声音、つまり未城あずきの声に聞き惚れたからだ。
「そうか、残念。アイラちゃん好きだったんだけどな。声も、今なんとなくだけど思い出した。特徴的だよね」
「オープニングとエンディングの曲も歌ってた」
「嘘、ほんとに? うまいしかわいい声だなって思ってたんだ」
「ライブに行ったことがあるんだけど、最初から最後まで全然ぶれないし、高音なのにかわいくて芯のある声なんだ」
引退ライブのチケットは、争奪戦だった。運良く当たったチケットは三階の端。未城あずきなど本当に小豆のようにしか見えない場所。
それでも、華奢な体を大きく動かし、細い手をぶんぶん振って挨拶をする彼女の姿は今でも脳裏に焼きついている。
「未城あずきは永遠を求めたんじゃないかな。一咲ネネとしてこの世界にい続けるために」
「そうなのかな?」
「私の深読みかもしれないけどね」
そのうち、妹のスマホが着信音を鳴らした。電話に出ると、急に社会人のような応対に様変わりして、何度か「ありがとうございます」と言って電話を切る。
「次の職場決まったから、出陣するわ」
その言葉と空のアイスのカップを残して妹は家を後にした。
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