Track 13 俺がいるから


 ロックバンド小林中国餐厅チャイニーズレストランはビトーさんの『ちょっとだけ頑張ってみようかな』の一言でまた走り出した。次のライブは来年の学祭。今度はプロの曲ではなく自分達の曲をぶちかます。……言うのは簡単だけど作るのは難しい。コード進行や作詞等、全くもって分からない。そんな俺たちひよっ子に元バンドマンのビトーさんは『だーいじょぶ、だいじょぶ。ほら見てな。一緒にやろうぜ!』と手を差し伸べた。仲間の『楽しい』『カッコいい』『こんなのやってみたい』『これ共感できる』を掻き集め、持ち歌が産声を上げる。最高にキラッキラに輝いた時間だった。


 今日、俺とタロのロックバンドSinistraがあるのはビトーさんのお蔭だ。基礎や大事な事は彼から教わった。ビトーさんは俺たちにとって頼れる兄貴でもあり夜空を駆け抜けるキラッキラのロックスターでもあった。そんな彼がこの地元限定感謝ライブに来てくれるとは……。これ以上の喜びはない。


 高校時代の話に戻そう。


 夜空が星で満ちる時もあれば厚い雲が月を隠す時もある。学祭ライブの思い出をくすませるように悪魔が忍び寄った。


 学内順位二位をキープする俺は恙なく三年次に上がり、学年一位のタロともコマチとも離れぬまま小早川センセのクラスに入れられた(全て小早川センセの政治のお蔭。俺達めっちゃ可愛がられてた)。初めてのHRで小早川センセは自己紹介をすると生徒一人一人に新しい学生証を渡す。三月に会議室の簡易撮影ブースで写真屋が撮った写真が入ったやつだ。……一年前は退院が撮影に間に合わず、俺の学生証だけ駅前の証明写真機の安っぽいヤツだったんだよな。今回、みんなと一緒のタイミングで撮れたのは良かったが、直後に体調を崩して倒れた。……夜更かしが続いていた。フラッシュが目に突き刺さって頭痛がして倒れた。バンドや勉強に力を入れすぎたのかもしれない。その日はホールをタロに任せて横になった。


 バンドの持ち歌が数曲上がり、練習を重ね、少し聴けるようになった頃……忘れもしない六月九日……そうロックの日、俺は悪魔に捕らえられた。


 以前から『先輩たちのパフォーマンスは見ておかないとね』とビトーさんにライブ観戦の誘いを受けていた。中間試験を終え学校行事もない六月、俺は漸くライブハウスに足を運んだ。


 オープン前に並び(そこそこ人がいる! 期待値高まる!)、バンドステッカーやバックステージパスが犇くドア前でチケット代とドリンク代を支払うとドリンクチケットを貰い、中に入る。逃亡生活中のタロを探した時に一度入っただけで観戦は初めてだった。通い慣れたタロはバーカウンターでメニューを眺め『ぐふん。今夜は何呑もうかしらー。ここのビールちゃんそこそこ美味しいのよねー、でもジンバックちゃんも捨てがたーいん』と上機嫌だ。


 気合を入れてお洒落したビトーさんに苦笑される。


「こら未成年。呑んだらハコと保護責任者の俺がお縄だ」


「んもうビトーちゃんのしぶちん! 今日の所は我慢してやるのねー」


「今日の所じゃなくて今日からハタチまで!」


「いけずぅ」


 タロの奴、喫煙ばかりか飲酒までしてたか……。なんつー不良だ。……俺もタロも高校生には見えない程背があるから悪い事しようと思えば簡単に出来ちゃうんだよね。でも酒もタバコも二十歳から。フライングゲット、ダメ絶対。


 上機嫌なコマチと共にウーロン茶をちびちび呑み、ステージ上の新品のバックドロップ幕やドラムセットを眺めているとライトをぶら下げる低い天井に気付く。……え。天井ってこんな低いものなの? このハコだから低いの? 他のハコは高いの? タロって他のハコ行った事あるの? 次々に疑問が浮かび、客席後方のエントランスを見つめるタロを見遣る。


「こんなに狭いのに学祭で、跳ぶなんて発想よくしたな?」


「ん? ステージ? ここじゃ出来ない事をやりてぇと思っただけよ。キックスアップここ狭いからなぁ。学祭ん時は設備がしょぼいとは言えどちゃくそ広かったからやりたい放題だったわ」タロはにっかり笑むとコーラの臭いがするゲップを豪快に吐いた。


 バーカウンターの傍の壁でビトーさんにライブをレクチャーして貰っているとスタートが迫ってきた。しかし対バンとは言え低いステージと客席を隔てるフェンスにはまだ誰もいない。……トップバッターはやり辛そうだな。同情しているとコマチと同じ年齢と思しき女の子三人組が小走りでやってきた。フェンス前に荷物を置くとバックドロップ幕を指差しきゃっきゃうふふと話始める。


 ビトーさんは懐かしそうに笑う。


「きっとファンの子だろうね。この集まりじゃ結成して日が浅いバンドだろうけど、ファンがいるのって心強いよね。いいなぁ青春だなぁ」


「青春って……ビトーさん、俺たちとロックやってるじゃないすか。まだ二六歳でしょ。それに女子高生に尻追いかけられてるし。この前デートしたんでしょ?」


「ウララちゃん? 遊んで貰ってるだけだよ。あーゆー女の子は純情なおっさん揶揄うのが楽しいの。マジになってはいけません。手を出してはいけません。可愛いあの子は未成年です。性質の悪い事にお尻を触ってくる魔性の女です。遊んで貰ってる事を念頭にお財布に徹しましょう」


「う……世知辛い」


『男と女は色々だよ。ジロとお嬢は二人の道を行きなよ』とビトーさんから逆に励まされた所でシーリングライトが明滅し会場BGMが変わる。


「そろそろなのよー」コマチと共にタロがステージを指す。


「ファンのお邪魔にならない所で勉強しますか」俺の肩を軽く叩いたビトーさんは先を歩くタロを追う。


 ハコの雰囲気が変わっただけで胸が高鳴る。自分がステージに上がる訳じゃないのに緊張する。俺も三人の後を追った。


 照明の色が変わるとステージに三人組が出てきた。一人はベージュのジャンプスーツを来てゴーグルを頭にかけた奴、一人は高そうなフライトジャケットを纏ったギタリスト、もう一人は上半身裸でカーゴパンツを穿いた奴……女の子達の黄色い歓声の中、頬を染めたコマチは咄嗟に視線を伏せた。


「わー。お嬢、新鮮な反応」ビトーさんは粘ついた笑みを浮かべる。


「ヒトの彼女揶揄わないで下さいよ。ってか何で半裸?」


「彼、ドラマーだろうね。あ、ほらスローンイスに座った。ドラム叩くとダバダバ汗掻くからさ、元メンバーは夏は海パン一丁だったよ。雨に打たれたのかってくらいに酷かった。お嬢はそーゆー苦労して叩いてるんだよね?」


「そんな……苦労だなんて……」顔を上げたコマチは両手を振って謙遜した。


 マジか。学祭でも練習でも何ともない顔してたのに……。練習後のトイレが長いのってメイク直してたんじゃんなくて汗拭いてたんだ……エロす、いやいやずっと隠していたなんて健気すぎ!


 マイエターナルエンジェル・コマチに惚れ直しているとジャンプスーツのボーカルが軽いMCを終える。するとドラムスティックの合図と共に曲が始まり、様々な色でシーリングライトが明滅し、モニタースピーカーに片足をかけたボーカルが想いの丈をマイクにぶつける。……ちょっと照明が眩しい気がする。学校のなあなあの設備とは比べ物にならない本格的な設備だもんな。眩しさに目が眩む。少し頭も痛む。


 頭を片手で押さえていると隣で観戦していたタロに気遣われた。


「どした? 大丈夫か?」


「ん。ちょい眩しいだけ」


「……無理すんなよ?」


 無理しなければ良かった。今でもそう思う。しかし無理しなければ悪魔の姿は分からなかった。きっとこの日よりも最高に最悪な形で対峙しただろう。……プロとしてステージに上がる今でも悪魔は俺の隙を狙う。今も尚、克服は出来ないがタロが共に戦ってくれる。この日もタロは俺に寄り添ってくれた。


 一曲目を終え続け様に入る。曲調が変わるとスポットライトが見開き、閃光が瞳を突き刺す。その瞬間、俺は事故の瞬間を思い出した。只管に眩しい。ハイビームの奥でハンドルを握る谷口さんと目が合う。しまった、と言わんばかりの顔をしている。一八〇センチを超えた馬鹿でかい体が吹っ飛ぶ。体がアスファルトに転がるまでがヤケにスローで、鈍く鋭く突き刺し波紋を広げた耐えがたい痛みが俺の左脚を粉砕する。


 あの日の映像が破片となって俺の目を、脳を突き刺し焼き尽くす。強烈な吐き気を催すとトイレへ駆け込んだ。


 胃がせり上がり頭痛と共に痙攣する。床に膝をつき便座に手をつき胃液とウーロン茶を吐き出す。胃は空なので消化液ばかりが出る。胃が出てくるんじゃないかってくらい吐いた。吐き切ると酸で爛れた食道をゲップが通る。汗も涙も鼻水もヨダレも止まらない。梅雨の晴れ間で一日を通して夏日だったが鳥肌が立つのを感じた。


「ジロ、大丈夫か?」


 案じたタロが現れた。しかし『ああ』とも『死にそう』とも答えられない。声が出なかった。歯の根が合わない。息切れする。寒い。怖い。苦しい。痛い。


 汗と涙と鼻水とヨダレと胃液でぐちゃぐちゃになった顔を上げると屈んだタロがトイレットペーパーを渡し俺の背を撫でた。


「具合悪かったのか?」


 タロの問いに俺は微かに首を横に振る。


「途中で具合が悪くなったのか……。外でコマっちゃんとビトーさんが心配してる。今日はもう帰ろう。吐き切ったか? ……立てるか?」


 悪い。みんな楽しみにしてたロックの日なのに俺が台無しにした。ごめん、と口を開くと再び吐き気を催した。


 痙攣する胃から胃液を吐き出す俺の背に『ごめん禁止言うてるやろ。しゃーからあげたんじゃ。お馬鹿め』とタロは叱った。


 立てなくなるまで吐いた俺はタロに負ぶわれて帰宅した。コマチとビトーさんの気遣いメールすら返信出来ずに眠った。


 しかし事故の夢を見て飛び起きた。心臓が早鐘を打つ。冷や汗が止まらない。頭痛がする。……事故直後はよく悪夢に魘されたが退院してから見る頻度が減った。最近は全く見なかったのに。なんで今になって……。今日の記憶を手繰り、引き金を考える。スポットライトとハイビームが重なる。……やはりあの閃光の所為だろう。


 しかし頭が痛い。帰宅後、頭痛を抑える前に寝てしまった。俺の頭痛は寝ても治らない。一度起きると薬を飲まない限り引かない。長いため息を吐くと、薬箱があるリビングへ向かった。


 炊飯器のデジタル表示を見遣ると一時を回っている。錠剤を口に含み水で流し込むとタロが起きてきた。寝乱れた甚平に腕を差し入れ、胸をボリボリ掻いている。


「気分はどうよ?」


「……頭痛がまだ」


「あ、そう」タロは冷蔵庫から飲みかけのペットボトルを取ると呷る。軽く腹が減ったのだろう。カップ焼きそばを出すとお湯を沸かす。


 棚からチューブ芥子を出すタロの背に『色々サンキュ』と礼を述べ自室へ戻った。


 ベッドに入り微睡んでいたが悪夢に再び起こされた。


 頭痛は治ったが頭の中で鼓動が響く。汗が止まらない。だのに寒い。歯の根が合わない。


 ベッドサイドのライトを点けるとタオルケットとベッドマットが汗で湿っていた。


 もしかしてこれトラウマって奴なのか。陸上の事は漸く心の整理が付いて悲しみは小さくなったのに、引き金になった事故は引きずるのかよ……。運動やってたからってポジティブじゃないんだよ、俺。辛い事は引きずりやすいんだよ。超ド級のネガティブなんだよ本当は。


 長い溜息を吐き、着替えを出して寝巻きのTシャツを脱いでいるとタロが部屋に入ってきた。


「ふわーお。浅草ロック座ストリップショー」


「……起こしたか。悪い」


 床で胡座を掻いたタロは湿ったTシャツやハーフパンツを見遣り、体を拭く俺を見遣る。


「海パンで寝たら?」


「馬鹿」


「寝られんの?」


「……分からん。寝るしかないよね」


「俺、ここで寝るわ」


 タロは日曜の親父宜しく床に寝そべった。げ。野郎二人で寝るの? 二人で寝るならコマチがいいんだけど(チェリーな俺は寝るどころじゃなくなるけどさ)。……まあ、いいか。寝言で叫ぶタロが側にいるなら悪夢見ないかもしれないし。


 ベッドに横たわりライトを消す。


「……消した所で何だけどタオルケット持って来なくて良かったのか?」


「要らん。鬱陶しい」タロは鼻を鳴らした。


「あ、そう」


 瞼を閉じるとタロがポツポツ話しかける。


「……腹減ってない?」


「いや。……食う気起きない」


「あ、そう。……吐き気で?」


「今は引いたけどいつ吐くか分かんね。また迷惑かけたくないし」


 タロは鼻を鳴らす。


「迷惑思っちゃねーよ。隠される方が迷惑だ。ジロちゃんや舞美さんにはいつも笑顔でいて欲しいからな」


「……サンキュ」


 タロが身動ぐ。衣擦れの音が闇に響く。


「今日吐いたのって、事故の?」


 ……鋭いタロには隠せないか。


「……うん」


「二曲目の照明だろ? 車のハイビームとスポットライトって似てるよな。スポットがガッて閃いた直後、ジロの様子おかしくなった。ってか一曲目からちょっとおかしかったな」


「……うん」学祭の特設ステージの照明はショボかったし野外だから何ともなかった。しかし学生証の写真撮影で気付けた筈だ。あの時もフラッシュがキツくて俺は倒れた。


「『時間が解決する』とか『立ち向かえ』とかクソな事言わねぇよ。体と心がそーゆー仕様変更しただけだ。暫くかもしんないし、ずっとかもしんないし。取り敢えずは受け入れろ」


「……うん。でもしんどいな」


 長い溜息を吐くとベッドが軽く振動した。ぽんぽんスプリングが振動する。


「何?」


 問うとタロは『お手』と言った。


「お手?」


「手ェ言うてるやろが。早よ出せ」


「俺は犬か」


「いーから。これ以上ごちゃごちゃ抜かすと高い鼻にドッグフード詰め込むわよ?」


「これまでの中で一番手が込んでるな」


 振動の方へ手を差し出すとタロに手を繋がれた。お袋から貰ったハンドクリームを塗り続けているのだろう、少ししっとりしていた。


「コマっちゃんの方がいいだろうが俺で我慢しろ。……俺は海外行かんし、ジロの側にずっといるから。苦しい時は絶対に傍にいてやる。事故の瞬間、俺はお前の傍にいてやれなかった。特待生の座を賭けた勝負の時、俺は勉強を見てやれなかった。これからは絶対に側にいる。側にいる事しか出来ねぇけど……お前は一人じゃねぇ。……だから安心して寝ろ。安心して学祭に臨め」


「……俺はガキか」思わず笑みが溢れた。


「ガキだよ充分。俺もガキだ。お前の苦しみを払ってやれない。だから手を繋ぐんだ」


「……弟……コタロー君にもしてたの?」


「いんや。寝ションベン垂れで甘えん坊のお馬鹿は抱っこだよ。あいつは大きな赤ん坊」


「タロは昔からいい兄貴だったんだな」


「うるせ。不肖の弟増やすな」


 手を握り返すとタロは問う。


「あんな目に遭って……ロック、嫌いになったか?」


「ならねーよ。一生大好きだ」


「俺も」


 暗闇の中でタロはふふ、と笑った。

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る