Track 10 Heart Beat


 運動部用の小さな勝手口がある雑木林に荷物を置いた俺達は特設ステージの裏で出番を待っていた。他の軽音の奴らやジャズ研の奴ら、有志のバンドの奴らが万年留年生ビトーさんをこそこそひそひそ眺める。ビトーさんは背を思い切り丸めて文化祭パンフレットを読む振りをしていた。タロはぴょこたんぴょこたんと際限なく空高く飛び跳ね、コマチはおっとり構えている。コマチと視線が合う。コマチは咄嗟に逸らそうとするが首を小さく横に振ってフワッと微笑み返す。それがあまりにも可愛くて眩しくて切なくて俺は目を逸らしてしまった。……あとでちゃんと『好き』って伝えよう。絶対に。


 緊張と期待で胸が高鳴る。袖からステージを覗くとサブローとホクシンのペグがキラリ光った。スタンドオンリーの客席を二手に分断する上野高名物の長い長い溝のある噴水も今日は水を引かれている。よしよし計画通りだ。……ステージ袖から登場する訳ではない。ここからは全てゲリラだ。司会や生徒会、先生達は何も知らない。数分後には名物噴水の長い長い溝の中を突っ走って舞台に上がる。流れを全て把握するのは俺たちバンドメンバーとテレビ上野の奴ら、そして音響担当の森山(元クラス委員)と照明担当の大林だけ。森山には登場曲のリクエストをした。


 照明のテストが終わり森山から合図が送られる。


 周囲にゲリラがバレぬよう一人、また一人とメンバーはこっそり抜ける。


 タロを見送り、ビトーさんを見送り、コマチを見送る。そして俺もこっそりステージ裏を抜けた。


 今日まで色んな事があった。親父が死んで、陸上のエースの看板背負って、オリンピック目指して、タロと出会って、一緒の学校に進んで、事故で選手生命を絶たれて、タロと離れ離れになって……また一緒になって今度は同じ事を成そうとしている。……すげぇ確率で生まれた俺はすげぇ確率で才能に恵まれすげぇ確率で不幸に遭い、すげぇ確率で今ギターをやってる。上手い事やいい事なんて一つも言えないけど、俺、生きてる。生きている、この胸の高鳴りと共に。


 校門の傍の噴水の端に辿り着くと悪戯っぽい笑顔を浮かべた仲間達が俺を迎えた。


「いよいよだな。あまり速く走らないようにする」彼方に設えられたステージを見据える。噴水の長い溝は細いので一列にならないと通れない。


「お手柔らかに。俺は全力で走るよ。おっさんだもん」ビトーさんは苦笑を浮かべる。


「俺の背中には目がついてるからビトーちゃんの速度に合わせて走るのね。肝心なのはステージから撤収する時よー。死に物狂いで走るのねー」タロはビトーさんの背をバシッと叩く。


「先導タロ君、ビトーさん、私、ジロ君で良かったよね? 頑張ろうね!」


 野郎三匹は親指を立てる。くすり笑んだコマチも親指を立てた。


 司会者の声がマイクから響く。味気ない司会進行を始め、俺たちを紹介し登場を促す。しかし袖から出てこないので狼狽える。『いませーん!』とステージ裏からスタッフの声が響き、司会者は困窮し客席は騒めく。


 そろそろ出番だ。空気が急に緊張する。


 するとタロが呟いた。


「Knock'em dead, Blow them away!」


「え。なんて?」


「ぶちかませ、ぶっとばせって言ったの。お馬鹿め」


「ほへー。流石、不法滞在外国人」


「クォーター! 日本国旅券くらい持っとるわ!」


 コマチはくすくす笑い、ビトーさんは腹を抱えて笑った。


 照明の色が変わり、会場BGMのロックが響く。森山と大林が叩いていた手拍子が客席へとじわりじわり感染する。


 さあ出番だ。


 Knock'em dead, Blow them away!


 俺達はステージへ突っ走った。





 軽いチューニングの間にタロの軽快なMCでまずはご挨拶。直後にど真ん中にストレートで熱い一曲をぶちかまし、ステージを温める。懐かしのロックナンバーを聴いた先生や幾代もの上のOB、OG達は模擬店を回る足を止め、俺達に注目する。ノリが良い先生はハンカチを出し、タロの歌声に合わせて振ったりキレのいいダンスやダイナミックな跳躍に歓声をあげたりした。


 歓声が新たな観客を生む。今のポップスやロックしか聴かない生徒でも騒ぎが気になり足を止める。普段眉間に皺を寄せて教鞭をとる先生が仕事を忘れてノッているのを見た生徒は笑い、その視線の先のタロに注目する。そして釘付けになる。


 大人ばかりだった客席に生徒がぞろぞろ増えていく。


 タロには生来、人を魅了する才能がある。フランクで茶目っ気があって冗談言うのも悪戯するのも大好きで、気前よくさっぱりしている。タフで強い男なのにちょっぴり繊細で少しあどけない顔をそのまま表した声して……誰もが魅了される。カリスマだ。普段は店で何気なく才を発揮しているが友人が少ない学校で露にするのは初めてだ。前座、その上自分たちの歌を持たないコピーバンドとは言え、おっさんおばさんだけじゃなく俺らの年代をも楽しませている。


 ただひたすら弾くのも気持ちいいけど、聴く人が一緒に楽しむのは最高に気持ちよかった。目の端でベースを見遣る。ビトーさんは唇に笑みを浮かべてる。想いは同じだ。きっと後ろのコマチも最高に可愛く笑ってるんだろうな。


 タロは常に動く。決して止まらない。二、三秒佇む時でさえ大きな動きをしている。ダンスし高く跳躍し一曲だけで汗を滝のように流す。しかし決して息切れせず舌をもつれさせず声量も落とさない。いつかタロが言っていた『歌って踊れる小鳥』を俺は思い出した。


 一曲目を終え、タロはスピーカーの傍のペットボトルから給水する。司会者が駆け寄りつまらないMCを入れようとするがタロは『引っ込んでな』と手を払い、ペースもマイクも譲らない。メンバーを軽く紹介し、一曲目のロックシンガーを心からリスペクトしている事を冗談まみれのタロ節でお喋りする。佇んでいるものの常に身振り手振り唇は動き、呼吸を決して乱さない。すげぇタフ。陸上現役の頃の俺でもそんなの無理だ。チューニングを終えた俺はステージ中央のタロを見つめる。すると視界の端にビトーさんが映る。ビトーさんもタロを見つめ圧倒されていた。バンドやってた大人でさえ驚くレベルなのか。すげぇ。化け物だなタロって。


 二曲、三曲、と立て続けに披露し持ち時間いっぱいになったが最後に(テレビ上野も照明の森山達も知らない)ゲリラで校歌をアレンジしたロックをぶちかましてやった。ビトーさん編曲のアレンジはウケがよく、生徒も先生もOB、OGも一丸となって歌ってくれた。


 最高に気持ち良かった。


 この煌めく瞬間にずっととどまりたかった。


 俺、ロックが好きだ。大好きだ。


 出番を終えるとタロの冗談塗れのMCの間にケーブルを抜く。名残惜しいがこれから逃走だ。準備を終えると小声で『OK』と呟く。その度に『把握した』とばかりにタロはカウントダウンのハンドサインを送る。コマチ、ビトーさん、そして俺の準備が完了した。タロの『あばよ! ちゃおちゃお!』を合図に愛器やスティックを胸に俺達はステージ袖から突っ走った。


『あ。おい!』『待て!』と背後で先生達の声が聞こえるがそんなの構ってられない。生徒ではない部外者をステージに上げてパフォーマンスさせたんだから。大目玉通り越して、ビトーさんに類が及ぶ。


 校舎と体育館を横切り校庭を突っ切り雑木林に駆け込む。メンバーの駆けっこ大会は案の定ビトーさんがドベ。タロはブービーだった。……そりゃあれだけ動いてりゃ体力削られるよな。


 ビトーさんよりも体力がないおっさん共、じゃなくて先生達が雑木林へとでべでべ駆けてくる。


 ほへー。頑張るなぁ。サブローをバッグにしまう余裕を与えてくれないとは。スクールバッグ、そしてギグバッグ二本を担ぐとコマチに『ビトーさんのボンサック持ってあげて』と指示を出す。


「まだ走れるか?」息切れするタロに問うた。


「あたりきよう。おっさん共に捕まる程ヤワじゃないのねー」息切れしつつもタロは悪戯っぽく笑った。


 へとへとになっても愛器ホクシンをしっかり抱くビトーさんの背を押し、離脱を促す。コマチが『店でビールいっぱい呑みましょうね!』と励ますと、にやり笑んだビトーさんの足取りが少し軽くなった。もうビールと結婚しろ。


 スクールバッグを背負ったタロは息を切らせて走る先生達にサービスした。


「写真とサインは事務所を通してからよー! またなのよー! ちゃおちゃお!」





 店での打ち上げでビトーさんから『プレゼント』と水族館のチケットを二枚貰った。『明日、学校休みでしょ? ホールはタロに任せて二人で行ってきなよ』とビトーさんはお袋とタロと笑いながら話すコマチを見遣る。


「そんな……ビトーさんにはベース引き受けて貰ったんだからお礼しなきゃいけないのは俺とタロなのに」


「いいのいいの。すっごく楽しませて貰ったからお礼したいなぁって。タロにはあげてないからね。ほら、偶にはタロも舞美さんと二人きりで仕事したいだろうし」


「……知ってたんすね」


「誰が見てもあれはゾッコンだよ」ビトーさんはうしししと笑うとビールを呷った。


 チケットに視線を落とす。ちょっといい所の、イルカショーが見られる都内の水族館だ。平日なら空いてるだろうな。


「そこでキめろよ? 青春は一度きり! 男みせろよ?」


「ビトーさんありがとう! 流石アニキ!」


 俺はビトーさんに握手を求める。粘ついた笑みを浮かべたビトーさんは俺の手を握ると引き寄せ耳打ちした。


『詳細報告しろよ? 明後日、酒の肴に聞きに来るからな? マウストゥーマウスまでは進むこと! アニキとのお約束!』


 うわー。完全に楽しんでやがるっ! ビトーのスケベ!


 時計の針が九時を回り、ロックバンド小林中国餐厅チャイニーズレストランは解散した。ホクシンが入ったギグバッグを担ぐビトーさんを、掻き分けた暖簾越しに見送る。いつもピンと張っていた頼もしいアニキな背中は、今は少し丸まっていた。


 一日だけの夢だった。分かりきっていた。終わりがあるって。みんなまたそれぞれの思いを胸にそれぞれの道を歩いていく。ビトーさんは美容師として、俺達は高校生として。


 やるせなさを胸に自転車を押し歩き、コマチを家へ送り届ける。静かな夜だった。元メンバーとして想いは互いに同じで、道中ずっと黙していた。カリリリリ、と絶え間なく響く自転車のホイールだけが生き物のようだった。


 街灯に照らされたコマチの横顔を垣間見るとやはり寂しげだった。


 こんな事も考慮してビトーさんはチケットをプレゼントしてくれたのかもしれない。


「……あのさ」俺は静寂を破った。


「うん」コマチは顔を上げると微笑む。ちょっと疲れているのか笑みが緩い。それがまた可愛くて俺は外方を向いてしまった。


「あ、と。えっと……ライブ楽しかったね」俺の馬鹿ーっ! 骨なしチキン! 可愛さに怯んでどうする! 早く誘えーっ!


『うん。夢みたいに楽しかった』と満面の笑みを咲かせたコマチは前を見据える。


「タロ君ぴょんぴょん跳んでダンスして歌って、ジロ君はタロ君と追い駆けっこするように弾いて、ビトーさんはみんなの呼吸を纏めて……ドラム越しに見つめたみんなの背が眩しかった。一緒にロックやってとても気持ちよかった。ずっとステージに居たかった。……流れ星が落ちたみたいに終わっちゃったね」


「うん……。またやりたいな」


「やりたいよね。練習もとても楽しかったもん。このメンバーで自分達の曲を作ったらもっと楽しいだろうなって……」


「ビトーさんに『趣味の範囲で付き合って下さい!』って頼む? アニキ、自分の店持つのが目標だからそんなに練習来られないかもだけど」


「練習しても何処で演奏するかだよね」


「ライブハウス行っちゃう?」


「わー。面白そう!」


 夢物語でひとしきり盛り上がると二人同時に長い溜息を吐く。


「俺ら来年三年か……」


「あっという間だね。……ジロ君は進路決めた?」


「まだ。事故に遭ってからよく分からなくなって」


「そ、そうだよね……ごめん」触れてはいけない話題だと思ったコマチは俯く。


「謝るなよ。そりゃ悔しいけど俺の中では漸く受け止められた事だからさ。ただ今まで『オリンピック行くぞ』って突っ走ったからそれ以外がよく見えなくて。……好きなものはあるけど、それを中心に生きていけるか分からなくて」


「ロック?」


「……うん」


 コマチは『私、ジロ君のギター好きだな。ずっと聴いていたい』と微笑んだ。それがまた可愛くて、俺は思わず視線を逸らす。


「こ、コマチはどうするの? 大学行くの?」


 コマチはこっくり頷くと寂しげに笑う。


「……海外に行こうと思ってるの。ハワイにある大学」


 衝撃的だった。この町から出ていくとは思っていたが、離れても会おうと思えば直ぐに会える距離だと思っていた。大好きな女の子が外国へ行ってしまう。毎日一緒にいたのに。頭が真っ白になって何も考えられない。


 コマチは話を続ける。


「私、タロ君みたいに頭良くないから急に海外の大学は無理だと思うの。だからハワイにある日本の大学で英語漬けになってからハワイか本土でしっかり勉強したいなって。ジャズやロックにももっと触れたいし、日本で輸入雑貨のお店をやりたいなって……。英語操れたらすごく便利で有利でしょ? だから……日本を暫く離れる」


「……そっか」


「ジロ君と気軽に会えなくなっちゃう……すごく寂しい」


「俺も……寂しいよ」


 それきり会話は途絶えた。


 カリリリリ、とホイールが絶え間なく響く。


 俺がフワフワしている一方でコマチは色んな事を考え、自分の道を見つけていた。自分に向き合って偉いなとも思い、また遠くへ行ってしまうショックで胸がどうにかなりそうだった。


 いつの間にか立花、と記された表札が掛かった一軒家に着く。南欧スパニッシュスタイルのオシャレで金持ちな二階建てがコマチの家だ。店仕舞いが遅くなった時に幾度かコマチを送っているがその度に住む世界が違うな、とんでもないお姫様を振っちゃったんだな、と自己嫌悪に陥る。


「今日はすごく楽しかったね。送ってくれてありがと」コマチは微笑んだ。


「……うん。俺も楽しかった」


「じゃあ、またね」


 コマチは開けた門を潜ろうとする。スクールバッグを肩に下げたコマチの背中がとても儚く見えた。


 脳内でビトーのアニキの言葉が響く。


 ──青春は一度きり! 男みせろよ?


 遠くへ行くのが何だって言うんだ。ちゃんと想いを伝えて残された時間一緒にいればいいだろ! 俺は俺の道を進め!


「コマチ!」


 呼び止められたコマチは振り返る。


「は、はい! どうしたの?」


 驚いたコマチの顔に怯んだ俺の喉は一瞬で乾く。舌がもつれそうだ。しかしこのままじゃ何も変わらない。意を決し腹から声を出す。


「明日! 水族館! 駅に一一時! 電車! 俺とコマチ! 約束!」


 なんて色気のない誘い方だ。これじゃただのメモ書きじゃん。もっとスマートなセリフ考えてたのに。俺の馬鹿。


 圧倒されていたコマチは我に返るとフニャッと笑う。


「うん! 約束ね」


 翌朝、筋トレを終えてシャワーを浴び、こそこそ支度しているとオシャレ大魔王タロ様にデートを感づかれてしまった。ファッションを厳しくチェックされ『そんなガキ臭いジャケット羽織るなんざオシャレプリンセスのコマっちゃんに対する冒涜なのねー! 俺の黒トレンチ着ろ!』と服を押し付けられた。更には財布にコンドームをギチギチに詰められた(余計なお世話!)。お袋には口臭ケアのタブレットを渡され背中を思い切り叩かれ喝を入れられた。駅へ向かう頃にはヘトヘトだった。しかし直ぐに調子が戻った。コマチがいたからだ。一〇分も早く着いたのに改札前の道案内図の前でコマチはホワーっと黄昏ていた。可愛い。桜色のトレンチコートから水玉のスカートの裾がちらりと覗く。メイクしてるのか唇が仄かにツヤっとしていた。可愛い女の子に釣り合う服装してきて良かった。タロありがとう! 明日からちゃんとファッション学ぶ! コマチに釣り合う男になる! 『待たせてごめん』と声を掛けるとコマチはフワッと笑った。


 服装を褒め、改札を通り、手を繋ぐ。


 デートの間はずっと手を繋いでいた。客がまばらな水族館でも駅ビルショッピングでもちょっと足を延ばしてもんじゃで有名な下町でも……。コマチの冷たい手が少ししっとりする程にしっかり繋いだ。


 夕食を終え、下町とオシャレなベイエリアを隔てる川沿いを散歩する。橋のライトや高層マンションの航空障害灯が闇色に染まった川面を照らす。ミルクティの缶を片手にコマチは『今日はありがとう』『またイルカに会いたいな』『楽しかった。また誘ってね』とぽつぽつ紡ぐ。俺は胸中が忙しくてだんまりだった。誰もいない護岸の遊歩道を中ほどまで歩くと漸く言葉が見つかる。真珠貝の寝息のようなしじまの底で内緒話をするように想いを伝えた。


 鈍感なコマチでもこの事を予想していたのだろう。頰を染めて『好き。振られてもずっと好きだった』と答えてくれた。


 初めてのキスはミルクティの味がした。

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る