Track 09 Angel
文化祭当日、ビトーさんは老舗のMAー1にイギリスブランドのお洒落なエンジニアブーツ、有名商会の長袖Tに限定ジーンズを纏い、衣装が詰まったボンサックを担いで裏門から入ってきた。バシッと決まっている。店やスタジオで見るのはよれた白いスウェット。トップスにラー油こぼしてヘラヘラ呑んでるのが嘘みたい。気合い入りまくり。もうオシャレがおしゃれでお洒落の暴力だからすんげぇ目立つ。いつものカッコだと不審者として目立つので門番の体育教官が少ない裏門から入ってくれってお願いしたけど無意味。ハリウッド俳優並に目立ってる。小早川センセ、その人トム・クルーズ違う。シャツ脱がないで。サイン求めないで。
「お。いいじゃん。制服でもテクノカット似合うよ。切った甲斐があった」
裏門まで迎えに来た俺の背をバシッと叩きビトーさんは微笑む。
昨日『今まで練習に練習を重ねた。音楽も衣装もこれでカッコいい。あとはヘアスタイルだな』と全員の面倒を見てくれた。宅サロンを無料でやってくれた。燃え盛る赤毛を靡かせるタロにはヘアケアを入念施し、控えめな印象の立花にはカットでボブ気味のショートにして活動的に、俺には明るめのカラーとテクノカットを施してくれた。
「アニキ、ありがとう」
ビトーさんはにっかり笑むと『あとは客を圧倒するだけだな』と呟いた。
放送部のノンストップ放送『FM上野』や模擬店の賑わいを聴きつつ、空き教室の片隅で制服から衣装に着替える。……衣装って言っても小林
ぴょこたん、ぴょこたんと天井に届きそうな程に舞い上がるタロは歓声を上げる。
「ふううううううっ! 足捌きが良くて飛びやすいのねーっ!」
「でしょ? それに生地を小さくしたからバムフラップみたいでかっこいいし、後ろ向いても店の宣伝になるからね」ユニフォームTシャツに着替え終わったビトーさんは窓から特設の野外ステージを見下ろす。
「流石一子相伝オシャレ神拳。お前は既にオシャっている!」
揶揄うとビトーさんは寂しそうに微笑んだ。
「……こんな機会与えてくれてありがとう。始めは冗談だろって思ったけど最近は楽しみで仕方なかった。懐かしい気持ちになったし、学んだけど置き去りにしちまった事をタロとジロに渡せるし……今、凄く不思議な気持ちでいる。身に余る程にすげぇありえないプレゼント貰ってドキドキしておかしくなりそうだ」
「……場数踏んでるのに緊張?」悪戯っぽい笑みを浮かべたタロはビトーさんの脇腹を突つく。
「ばっ……違ぇよ! おっさんの郷愁! それよか昨日預けた俺のホクシン何処?」
「サブローと共にステージにセッティングされてますよ。俺らアタマですがそこら辺は有利です」
「うし! じゃあ打ち合わせ通りに登場してMCはおしゃべり大魔王タロ様に任せるぜ! 店と同じく楽しませてくれよ!」
男同士で盛り上がってるとドアをノックする音が響いた。立花だ。
入室を促すと頬を染めた立花が引き戸からそろり入ってきた。髪をワックスで遊ばせて躍動的で……更には軽くメイクまでしてすんげぇ可愛い。いつものユニフォームなのにめちゃくちゃ可愛い。わー。ほっぺにパンダのステッカーまで貼ってる! かんわいーいっ!
あまりの可愛さに気を失いかけてると『気の利いた事言え』とばかりにタロとビトーさんに背中をバシバシど突かれた。
「思い切ってお化粧しちゃった……変、かな?」俯いた立花は爪をプチプチ鳴らす。
「ううん。変じゃないよ!」
不適切な返事をしたのでタロに思い切りど突かれる。
「……すんげぇ可愛いよ!」
驚いて顔を上げた立花は首筋まで真っ赤に染めると『えへへ。良かった』と微笑んだ。うわうわうわうわうわーっ! 可愛すぎっ! 世界一可愛い! 可愛すぎて俺死んじゃう!
「ぱ、パンダのステッカー貼ったんだ?」
「うん。緊張した時のおまじない。ジャズ研では自作のジェフ・バラードのステッカーを腕に貼ってたけど、今日は店仕様でパンダちゃん。腕よりほっぺの方がロックかなって……」
「うんうん、ロックロック。めっちゃロック!」
「ふわー、良かった。変かなって後悔してたから、木枯らし君にそう言われてちょっと元気出たし安心した」
フワフワ笑う立花の背後でタロが広げて掲げたA四のノートをビトーさんが小突く。ページにはデカデカと『コマチと呼べ!』と記されていた。ええええええええ。『可愛い』を言えただけで大前進大躍進なのに! それ以上の甲斐性は俺にはゼロよー! 今だって肋骨突き破りそうな程に心臓がバクバク鳴ってるのにぃ!
「えへへ。良かった。お世辞でも嬉しいや。……準備で忙しい所捕まえてごめんね?」
話を畳んだ立花は踵を返そうとする。
あああああああ。もっと間近でコマチ見てたい! コマチ独り占めしたい! コマチ可愛すぎ!
想いが口を突いた。
「コマチ!」
苗字ではなく名を呼ばれたコマチは驚いて俺を見つめる。
「は、はい」
「お世辞じゃないから! コマチは可愛いから! 自信持ってくれ!」
コマチはうっすらと瞳に涙を浮かべると『ありがと、ジロ君』と満面の笑みを咲かせた。
うぎゃああああああああ可愛いいっ!
タロはトランプタワーを建設し、ビトーさんは窓から中庭を見下ろし『お。餃子ドッグだ。ビールの扱いがあればなぁ』と模擬店を物色し、コマチは誰かとメールし、俺はストレッチし、各々の緊張を解していた。
スピーカーから流れるFM上野が時報前のジングルに切り替わる(ただのノンストップ放送なのに凝ってるよね)。そろそろ集合時間だ。
空のギグバッグや制服を詰め込んだスクールバッグを担ぐ。タロは前掛けを締め直し、コマチはホットパンツのポケットにドラムスティックを差し込み、俺とビトーさんはサングラスをかけ、みんなで賑々しい廊下へ出る。学校部外者のビトーさんを守る為に出番が終わったらステージから逃走、裏の雑木林に投げ込んでおいた荷物を回収して学外へ逃走、店で打ち上げと言う段取りを計画していた。ドキドキ抜け駆け大作戦。出番よりも実はこっちの方がドキドキしてる。俺の脚は全治したしタロもコマチも高校生で体力がある。問題はビトーさん。疾うに高校卒業してるしごっついエンジニアブーツ履いてるから遅くて捕まるかもしれない。うーん、頭が痛い。
眉間に皺を寄せていると、学年一の生意気巨乳美少女の世良が人波を掻き分け向かいから現れる。あれ? マイク持って独り言ってる。ってかカメラ回してる奴もいる。
「メン募フライヤー・スクールジャック事件……我が上野高校を震撼させたあの大スキャンダルより数ヶ月が経ちました。渦中の人物の東條太朗ことタロ、小林紋次郎ことジロが本日、一時半より中庭特設ステージでロックバンド小林
ブレザーの袖に『放送部・ウララ組』と腕章をつけた世良は他人行儀で凛とした態度でマイクを俺に向ける。
え。え。え。放送部かよ。何か言わなきゃダメなの? しかも俺? そーゆーの苦手で気の利いた事ひとつも言えない!
マイクを前に窮しているとタロが助け舟を出す。
「ジロちゃんはクールで寡黙なのよー。インタビューならタロちゃん通すのねー」
「これは全校統一模試一位の看板を守り続ける一方でスキャンダラスなボーカルのタロさん、意気込みはどうでしょうか?」
「ぶちかましてやるのねー!」白目を剥いたタロは両手でメロイックサインを繰り出した。
世良はいつもの気怠い雰囲気からキリッと辛い濃口醤油な態度で次から次へと質問を投げる。タロやコマチにインタビューするばかりかビトーさんにも臆せずインタビューする。『リーダー兼ベースのビトーさん、随分大人っぽい生徒ですね?』って質問に『万年留年生でっす。脛齧りでっす。夜露死苦ぅ!』と酒焼けハスキーボイスで答えたビトーさんに噴き出してしまった。
短いインタビューを終え、外へ向かおうとするといつの間にか生徒に囲まれギャラリーが出来ていた。うわ。本番までは目立たないように努めてたのに……!
インタビューが宣伝になったのか皆んな『何処でやるの?』『何時?』『何番目?』『メン募事件から気になってた。見に行く』と食いついてきた。ある程度受け答えするとギャラリーが膨らむ。円が一度出来ると通行人まで興味を持って円周が膨れ上がる。埒が明かない。このままではギャラリーから出られなくてドタキャンになっちまう。
俺とタロは互いを見遣ると頷く。俺はコマチの手を取るとぎゅっと握りしめた。タロはポーズをとり『出エジプト神拳っ! 十戒奥義その九、モーセの海割り!』と高く跳躍すると手刀を振り下ろす。ノリの良いギャラリーは二手に分かれた。
「お前らは既に二手に割れている! どくのよ、どくのよー。約束の地に間に合わないのねー」
預言者タロを先導にビトーさん、コマチの手を引っ張った俺は小走りで下駄箱を目指す。
途中でタロを見失った。しかし落ち合う場所は一緒だ。人波を掻き分け階段を下っていると『もう大丈夫だよ。気を遣ってくれてありがとう。私馬鹿にノッポだから迷子にならないよ?』とコマチが礼を述べた。
「俺にとってはコマチ小さいから。また囲まれるのは嫌だ」心臓が早鐘を打つ。振り向いてコマチの顔見られない。
それきりコマチは黙す。しかし誰もいない下駄箱で上履きを脱いでいると口を開いた。
「ジロ君、ごめんね。ウララちゃんにインタビュー頼んだの私なの。囲まれるの嫌だったんだね。気遣い出来なくてごめんね。でもねウララちゃん達本番もカメラ回してくれるから店で舞美さんが映像見られるなぁって……それに出番前にウララちゃんと会ったらジロ君元気出るなって」
幾ら好きな女の子の言う事でもカチン、とクる。
「俺、好きな子変わったから!」
驚いたコマチは目を見開く。
思わず怒鳴ってしまった。……どうして伝わらないんだよ。
拳を握っているとコマチは俯く。そして肩を小さく振るわせた。
コマチは見舞いをしてくれた時の『立花』に戻ってしまった。今にももにょもにょ泣き出しそうだ。俺が……俺が時間を戻してしまった。
「……そっか。ごめんね。余計な事して」
胸が締め付けられる。やっと名前を呼べたのにやっと手を繋げたのにめちゃくちゃ一緒に居るのに……。言葉にはしてないけど『好き』って気持ちは伝えてるのに。言葉にしない所為で変な風に取られてコマチに気を遣われるのも悔しいし、コマチにこんな顔をさせるのも不甲斐ない。好きだ、コマチが大好きだと叫んだらどんなに楽だろう。お馬鹿の俺にだって分かる。今が最大のチャンスだって。……だけど今言う訳にはいかない。言ったら俺、絶対に腑抜ける。まともに弾けなくなる。一流アスリートだって勝負の前日は絶対に抜かない。種を吐き出せば子孫を残したと錯覚した体が安心する。闘志を消失する。燃え尽きる。ここぞと言う時は飢えて渇いてなければならない。そう学んで走ってきた。
だけど……だけど、大好きな女の子が今にも泣き出しそうだ。いや、泣いてる。俺が泣かせた。コマチの大きな瞳からこぼれた涙が頬を伝う。
「……ごめんね。なんで泣くんだろ。変なの。私の馬鹿。止まれー。涙止まれー」
コマチは手の甲で涙を拭おうとする。俺はすかさずコマチの手首を掴むと涙が伝う頬に唇を寄せた。涙を受け止めた唇を頬から離す。
唖然としたコマチから視線を逸らすと手首を軽く引いた。
「行こう。仲間が待ってる」
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