Track 08 One more try!


『一学期の期末までは払う』とのお袋からの融資で俺は高校生活を続行した。呆ける暇がない。最悪のシナリオを想像する暇もない。崖っぷちだ。もう本当に後がない。日曜は秀才タロ先生につきっきりで勉強を見て貰った。中間前よりも勉強漬けになったので俺もタロも戦力としてホールに出られなかった。そんな俺らに立花が手を差し伸べてくれた。立花は学校が退けると毎日バイトに来てくれた。飯時に物理の問題を解いていると階下のホールから立花の声が聞こえてくる。……顔を合わせられないけどとても嬉しかった。好きな人が傍にいるって心強い。自分やお袋、タロの為のみならず、立花の為にも学校に残れるように勉強しようと誓った。


 その甲斐あって期末テストでは学内順位二位に躍り出た。一位のタロとは僅か五点差。これで当分の高校生活は確約された(全国統一模試ではタロから俺は相当離されてるけどね)。お袋とタロ、立花はめちゃくちゃ喜んでくれた(担任の大喜センセまで!)。自分の為にやったのにこれだけ喜んでくれるんだから……俺もめちゃくちゃ嬉しかった。夏休みもしっかり勉強しなきゃな。


 テンション爆上がりの時もあれば急降下の時もある。割と早く胸の内に暗雲が垂れ込んだ。


 夏休み前に進路相談を含んだ三者面談(保護者が同じなのでタロ同席)で大喜センセに『懸命に今を生きる小林は立派だな。でもそろそろ未来も考えないとな。高校出たら何をしたい?』と問われた。


 考えてもみなかった。事故に遭うまではオリンピックだったが今は無い。考える時間もなかったし余裕が全くなかった。金もないし大学にも正直興味がない。『店の手伝いですかね?』と答えたらタロに『小林中国餐厅チャイニーズレストランのオヤジの座に君臨するのは俺! 絶対に渡さん! ジロちゃんはコマっちゃん家にお婿に行けばいいのねーっ!』とくっそキレられた。マジか。マジで言うとるのかコイツは。


 兎にも角にも夏休みはタロ先生の予習講座と共にしっかりと今後の事を考えなければならなくなった。


 勉強と店ばかりが青春ではなかった。タロとの約束……一一月の学祭でコピーバンドとしてステージに上がるのでドラムのメン募のフライヤーを貼らせて貰いにオレンジ楽器店へ訪れた。そう、俺の愛器サブローの故郷、そして立花のおじさんの店だ。俺は購入者の特典として(買ったのタロだけど)無料レッスンを店長から時々受けていた。二代目店長の立花さんに『貼ってもいいけど学校の掲示板よりも効果薄いと思うよー? ってか学校には貼ったの?』と苦笑された。


 キャッシャー台のボードにフライヤーを貼る俺の隣で片肘を抱いたタロは井戸端会議のおばさん宜しく片手を振る。


「聞いてよ宝ちゃん。目立つだろうと職員室や下駄箱近くの掲示板一面ジャックしたのよ。女子更衣室の入り口、校長室のドアまで貼ってやったわよ。学年一位様と二位様が二時間も早く登校してぺったんこしてたのねー。だーのに生徒会の奴らが『無認可』って片っ端から剥がしちゃったのよー。つまり学校の壁、ドア、掲示板から永久追放。んもう鬼畜っ!」


 立花さんは腹を抱えて笑う。


「相変わらずタロちゃんはロックだなぁ。校長がメンバーになったらどうすんの?」


「来るもの拒まず! 入れるモンなら入ってみやがれぃ!」歌舞伎役者ばりに見得を切ったタロは荒い鼻息を吹く。


 立花さんは目に涙を浮かべて爆笑した。


 メン募貼らせて貰うだけでは悪いので換えの弦を購入した(夏場は換え時。手汗で錆びるからね)。キャッシャー台で財布を開いていると立花が現れた。


「おじさんこんにちはー。ってタロ君と木枯らし君! いらっしゃいませ」


 うわ。店でいつも聞いてるけど初めて立花に『いらっしゃいませ』言われた! ってか水玉のワンピースの立花可愛すぎっ! ヘップバーンみたい! 美人過ぎっ! 眩しいっ!


「あ。うん。こんちは……」


 立花が真夏の太陽より眩しくて直視できない。目を逸らしていると粘ついた笑みを浮かべるタロに脇腹を肘で小突かれた。


「ちいちゃん久しぶり。また綺麗になったね。この間の円盤?」弦を紙袋に詰めつつ立花さんは立花に問う。


「うん。ニューヨークの溜息の」


「相変わらずセンスいいよね。可愛い姪の為に避けてるよ。ちょっと待っててね。ハンサム侍の会計が終わってからね」


 立花さん、今その渾名で呼ばないで。立花がクスクス笑ってる。


 会計を終えた立花さんはバックヤードへと姿を消す。気を遣ったタロは何処かへ行き、日曜の昼飯時の店内には俺と立花だけが残る。


「……え、と。買い物?」無言に耐え切れず問う。


「うん」以前のようにもにょもにょ泣き出しそうにはならないが視線を逸らした立花は爪をプチプチ鳴らす。


「うん。俺も買い物」


「うん」


 ああああああ。会話が続かねぇっ! ってか店にいるんだから買い物だろ! 気が利かねー会話しか出来ねーのかっ! 俺の馬鹿っ!


 己のチェリーさと馬鹿さを呪い、懸命に言葉を探していると視線を彷徨わせていた立花がキャッシャー台のフライヤーに気づいた。


「あ。……これメン募の。凄かったよね、掲示板ジャック。タロ君と木枯らし君らしくてロックでカッコよかった。木枯らし君とサブロー、いよいよステージデビューだね。ライブ楽しみにしてるからね。ここにも貼りに来たの?」


「うん。ここでは慎ましやかに貼らせて貰ってる。軽音の奴らに『ちょっとだけ参加しない?』って声かけたんだけど悉く振られてさ。……それでもベースは確保出来た。ドラムは死守したくてさ」


「ドラム……」


「立花はジャズ研のドラムだったよね。文化祭、ステージ立つんでしょ? ライバルだなぁ」


 俺が笑みを浮かべていると俯いた立花は首を横に振った。


「え。何で?」


「う、ん。ちょっと、ね……」


 立花が言葉を詰まらせているとCDアルバム片手にバックヤードから立花さんが現れた。


「ジャズ研の奴らに愛想尽かされちゃったんだよね」


「おじさん! 言わない約束!」立花は眉を潜めた。


「ごめん。でも可愛い姪を放っておけないよ。ここ数ヶ月、練習に顔出さないから見切られちゃったんだよ。この間顔を出したら新顔が入ってて、ちいちゃん復帰断られちゃってね。ドラム叩けないからずっと落ち込んでてさ。見てられないんだよ。ジャズにロック、ジャンル違うけどさ……良かったらちいちゃんをメンバーに入れて下さい」


 立花さんは俺に頭を下げた。若輩に頭を下げる、一国一城の主であり伯父である立花さんを見つめ、立花は声を出せずにいた。


「頭を上げて下さい。頭下げなきゃならないのは俺の方です。毎日見舞いに来てくれて励ましてくれるばかりか毎日バイトに来てくれて……。俺、人手が足りないからって今まで立花に甘えまくって……。立花から大好きな音楽を奪っていただなんて」


 立花さんの隣に佇む立花に俺は深く深く頭を下げる。


「また甘える事を承知でお願いします。立花、俺と一緒にステージに上がって下さい!」


「ちいちゃん、頼む。笑顔に戻ってくれ!」立花さんも立花に頭を下げた。


 立花さんと頭下げ合戦をしているとタロが戻ってきた。気の所為だろうか。ふと、紫煙の臭いが漂った気がした。


「何? 水飲みラッキーバード?」頭を下げ合う俺と立花さんを一瞥したタロは立花に問うた。


「タロ君あのね、私がドラムやってもいい? とってもやりたいの!」


「おう! 大歓迎よ! コマっちゃんがメンバーなら鬼にパンツ! 無敵なのねー!」タロはカララと笑う。


 しょ、小学生の約束並にあっさり済む話だったのか……。俺と立花さんは頭を上げると互いに苦笑を浮かべた。





 それからベーシストの武藤七星しちせいさん(お察しの通り、空気の読める常連客。二五歳の雇われ美容師さん。専門出るまではベースやってたんだって)を加えて練習が始まった。店員の立花と客の武藤さんが顔を合わせた時互いに笑っていた。『バンド名はこれしかないよね!』との武藤さんの一声でロックバンド、小林中国餐厅チャイニーズレストランは産声を上げた。元バンドマンで頼れる大人の武藤さんをリーダーにボーカルのタロ、ギターの俺、ドラムの立花は走り出す。武藤さんってすげぇカッコいい。普段はよれよれのスウェットでヘラヘラとビール呑んでる癖にバンドの事となると背筋がピンとなるし、大抵のややこしい事を『だーいじょぶ、だいじょぶ。ほら見てな』ってちゃちゃっと解決してしまう。頼れるアニキが出来たようですげぇ楽しかった。オレンジ楽器店の主人の立花さんの知り合いのスタジオを格安で借り、武藤さんの提案でネットカフェのシアタールームで練習を重ねた。無論勉強はみっちりやったし、ホールも一人で捌けるまでにレベルアップした。


 楽しかった。悔しい事もあったけどひたすらに楽しかった。


 一人で走るのも気持ちいいけど、大好きな仲間と大好きな音楽をやるのは最高に気持ち良かった。


 しかしリーダー武藤さんは最後の最後まで『本当に俺でいいの?』って困り笑いしていた。


「武藤さんじゃなきゃダメなんです」


「武藤さんいなくなったら寂しいなー」


 店のテーブル席で餃子をアテに晩酌する武藤さんを俺と立花は取り囲んだ。


「いや、だって俺、高校生じゃなくておっさんだし、何より部外者だしマズいよね? スペシャルサンクス要員で良くない? ボーカルとギターとドラム揃ってりゃ充分聴けるよ?」


「んもう、本番は三日後でしょー。臆すな微糖ビトー!」タロはお代わりのビール瓶を置いた。


「砂糖足さないで!」


 カウンター席のオヤジ共はツボったのかゲラゲラ笑った。


「うううう。まあ確かに今になって男が言う事じゃないよな。ってかビトーって……タロは何で俺の現役の名前知ってるの?」


「ぐふーん、やっぱり? 無糖(武藤)だから微糖(ビトー)だろうなって。安直よねー。ジロちゃんのギターはサブローだし、北斗七星なビトーちゃんの愛器は『ホクトシンケン。略してホクシン』って」


「ああああ。言わないでー。気のおけないタロだから話したのにー! 若気の至りをお披露目しないでー」


 オヤジ共に笑われ身悶えする武藤さん改めビトーさんに俺と立花は追い討ちをかける。


「ビトーさん、本番はホクシンと共にお願いしますよ!」


「ビトーさん、互いに影薄いけど頑張りましょうね!」


「ああああ。純情なジロとお嬢までー!」


 身悶えするビトーさんをほっぽり、俺と立花は仕事に戻る。食い終わった食器を下げ、水場で皿を洗っているとお冷やを流し込み伝票掴んだおっさんが立ち上がるのが視界の端に映った。ホールを見渡すとタロは注文聞き、立花は卓のセッティング……立花なら直ぐに動ける。


「立花ー。会計頼むー」


「はーい」


 立花は直ぐに手を止めるとレジへ向かった。


 皿と調理器具を乾燥機に突っ込み、ホールに戻るとビトーさんにビールのお代わりを頼まれた。本当、よく呑むよねこの人。


「はい。おかわり」


 新しいグラスと抜栓したばかりの瓶ビールを置くと『耳貸して』と腕を引っ張られた。


「ねえねえ。いつまでお嬢を『立花』なんて呼ぶつもり?」


 耳打ちも予想外だったが内容も予想外だった。野郎同士の耳打ちはぞっとするが好きな女の子の話に頬を火照らす。


 ビトーさんは歯を見せて悪戯っぽく笑う。


「うしししし。さっきのお返しー」


「お……大人気ねぇすよ。ってか、アニキ酔ってるでしょ?」


「え、そう? 三日後には高校生に戻る訳ですからねぇ。耐性弱くなるかもしれませんねー。ま、本番までに頼みますよジロ先輩! 士気に関わるんで!」ビトーさんは俺の背をバンバン叩いた。

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る