Track 05 Low


 タロの親父さんが荼毘に付された七日後、俺は退院させられた。医者の言い分は『元気過ぎて困る程ですから申し分ないでしょう』とな。あの日、立花と共に病院へ戻ったら看護師さん達にめちゃくちゃ叱られた。……ま、ヤンチャが退院を後押しした訳だ。若い体だったしスポーツ選手でもあったので常人よりも早く自己治癒が進んでいた。


 左脚をずりつつ、春休み中の学校へ向かい試験を受けた。その際やはり担任に言われた。『表彰台に戻れないようなら奨学金は難しい』と。予めタロが話を通していてくれた。今度は勉強面で学年三位以内の表彰台に昇って特待生として金を受ける事を狙う運びになった。……無茶だと分かっているがやらなければこの学校に残れない。チャンスは二年次の中間まで、一度きり。自転車操業のウチの経済状況で普通の高校生をするのは無理な話だ。新聞配達で奨学金得るのも左脚の所為で難しい。……何かの才に秀でないとこの先を望めない。走るのが一番好きだと感じていたけど……俺、学校に居るのも大好きだ。タロや立花、委員会の奴らやクラスの奴らと過ごすのが好きだ。学祭でバンドやってみたい。まだこの陽だまりから離れたくない。


 春休みは店の手伝い、学校の勉強と並行にギターを抱えてはコードやTab譜の勉強、フィンガリングとピッキングにどっぷり浸かっていた。


 ……タロがいたら楽しかっただろうな。


 俺が退院してから二日後、タロは忽然と姿を消した。憎んでいた男が死んで気が抜けて何処かに行ってしまったのだろうか。……いや、タロに限ってそんな事はない筈だ。タロの生き甲斐はお袋だ。お袋放って何処かへ行くわけがない。しかし現にいない。携帯電話も通じず電源を切られたままだった。俺とお袋はタロが普段足を向けそうな場所を探した。って言ってもお袋はゲーセンやネットカフェ、俺はタロのエッチ友達の家やライブハウスくらいだったけど。


 それを見越したように翌日の昼休憩にタロから速達が届いた。消印は昨日、埼玉からだった。『少し離れます。店手伝えなくてごめんなさい。ちゃんと帰るから舞美さん心配しないで。ジロは舞美さんをよく助けてクッソ勉強して学年一位目指しなさいよ。大変な時期に側に居てやれなくて悪い。勉強に困ったら俺の引き出しの三段目ひっくり返せ。そこに全てを置いて来た。消印から居所探っても無駄だからな。ほなね。ちゃおちゃお。タロちゃんより』と記されていた。


 カウンター席で眉を下げたお袋と俺は互いを見据える。


「少し離れるって……どう言う事?」


「何か理由があると想うけど……記さないって事はヤバい事に巻き込まれてる気がする」


 俺の余計な一言にお袋は青ざめる。……愛する女になるべく心配をかけまいとするタロの計らいは分かっていたが親友として家族として放って置けなかった。


 瞳を潤ませるお袋を他所に携帯電話のフリップを開いて連絡を試みるが今回も繋がらなかった。


「……無駄だと分かってるけど」


 ユニフォームTシャツにジャケットを羽織り、左足をずって店を出るとお袋が暖簾を仕舞う。


「私も行く!」


 封筒の消印を頼りに電車を乗り継ぎ埼玉のとある市まで出向いた。駅から出たものの俺もお袋もタロが居そうな場所なんて見当がつかない。アイルランド人の祖母、長野出身の母親、東京の会社役員の父親……ある程度タロの過去を知っていたが埼玉は脈絡がない。分からない。しかしそれでも行かずには居られなかった。タロが消えるなんて考えた事なかった。大切な家族が突然消えた。親父が死んだ時ですら『そーゆーものか』と受け入れたのにタロが消えた事は受け入れ難かった。


 ラーメン屋や牛丼屋、カレー店等、若い男が腹を満たしに入りそうな場所を虱潰しに当たり携帯のタロ画像を見せて訊ねた。……肩を貸し身長一八〇センチ(高校二年当時)の癖にトロい俺の歩調に合わせるお袋も重くて大変だったろうな。まだノロノロとしか歩けないもんな。


 五時のチャイムが河原から響く頃、工場に囲まれた郵便局の隣にある醤油で煮しめたような定食屋で反応があった。


 草臥れたお袋がちゃきちゃきのおやじさんに画像を見せた。するとおやじさんは『あ! このあんちゃん、いたわよ!』と指で示した。


「いつ!?」目をひん剥いたお袋は声を裏返す。


「昨日よ昨日。暖簾かけた直後だから十一時半くらいかしら? 工場の若い子がずる休みしてると思ったわ。サングラスに便所サンダル、作業着なんだもの。孔雀みたいに派手で面白いあんちゃんでね、生姜焼きと大盛り飯五杯どか食いした後『金がねぇ! おやじ、皿洗わせろ!』ってバイトしてくれたのよ。まー、最初は困ったわ。でも野犬みたいに腹空かせてたのね。逃げようと思えば逃げられるのに手伝うだなんて真っ直ぐな事言って許せちゃったのね。あんちゃん、場慣れしてるって言うかホールの神様なんじゃないのってくらい手際がいいのよ。忙しい昼も楽に乗り切れたわ。なんだかんだで夜も手伝って貰ってね、本当気持ちの良い奴で楽しかったわ」


 如何にもタロらしい。しかし作業着を着た上に金を持ち合わせていないとは……。


「何処へ行ったか分かりますか?」涙ぐんだお袋は問うた。


「ごめんねぇ。分かんないのよ。気持ちのいい奴だから泊めたんだけど、朝には『豚ショー美味かった! 今度は金握って食いにくるからな。ごっつぁん。ありがとね』って書き置きが残されてたのね」


「泊まったんですか」


「訳ありって感じだったからちょろっとバイト代出した上に泊めちゃったのね。ごめんね? 美人と男前が必死に探してるって分かってたなら酒飲ませて『お家へ帰んな』って口説けば良かったんだけど」


 お袋は泣いたような微笑んだような何とも表し難い顔を浮かべていた。


「いえ。こんなによくして下さって感謝しかないです。タロに飯食わせて泊めてくれてありがとう御座います」俺が頭を下げるとお袋も頭を下げた。


 店主はカララと笑う。


「いーのよ、いーのよ。あたしも楽しかったからね。あーたらのお揃いのTシャツ、ユニフォーム? どっかの中華屋さん? あんちゃんそこで働いていたのね。だから手際がいいのねー。いいなぁ。うちもあんなスタッフ欲しいわ」


 結局その日は見つからなかった。タロが忠告した通り、消印から居処を探るのは難しいのかもしれない。……明日はお袋を店に残してまた埼玉を探してみようかな。


 帰宅し明日の仕込みを手伝い、自室へ上がるともう一度手紙を読んだ。


『勉強に困ったら俺の引き出しの三段目ひっくり返せ。そこに全てを置いて来た』


 その文面に目が止まる。勉強どころではないがどうも引っかかる。『全てを置いて来た』って何だ? 俺は散らかり放題のタロの巣へ向かうと三段目の引き出しをひっくり返した。


 A四サイズの茶封筒がわんさか出て来た。その一つ一つに『リーディング・ライティング用』『数Ⅱ用』『物理用』『化学用』『世界史用』『俺を探した時用(ジロのみ閲覧可)』『ホール捌きで困った時・舞美さんのお助け用』等々記されていた。俺は迷わずに『俺を探した時用』を開封した。


 前置きに『やっぱり探したか。お馬鹿め。これから先の事は舞美さんには絶対に言うな。言ったら殺ス』と記してあった。相変わらずだな。失笑するが読み進める。親父さんの遺産で各方面(囲ってた女性)と衝突があったらしい。弁護士を立てているとはいえ、居場所を知られているので嫌がらせに来る事があるかもしれない。自分がいれば店の営業妨害になる。落ち着くまで店から離れて拠点を転々と移すつもりらしい。


『こんな事舞美さんにはとても言えねぇ。余計に心配させたくねぇ。トオルちゃんの死で感傷に浸って放浪してるとでも言っといてくれ。携帯使えるようになったら直ぐに電話する。それまでは手紙送るからそれで許せ。必ず帰る。約束する。だから舞美さん支えて勉強でも一等賞とれ。ジロばかり負担かけないよう、ちょっぴり興奮する置き土産したから楽しみにしててねん。ちゃおちゃお』


 ……置き土産って何だ? 眉を顰めつつ手紙を仕舞うとお袋がドアを開けた。俺は咄嗟にテレビゲーム機の下に隠す。


「うっわ、ビビった! ……ノックくらいしてくれよ」


 お袋は眉を下げる。


「ノックって……この部屋の主人がいないんだからする必要もないでしょ。ジロ、ヤらしい事でもしてたの?」


「年頃の息子にそんな事言うなよ」他人の部屋でオナニーする程豪胆じゃないよ、俺。


 お袋はタロのいない部屋を寂しそうに見渡すと封筒に気付いた。


「何それ……? タロちゃんの字ね?」


 流石お袋目敏い。


「俺の勉強用にって残していてくれたみたいで……。ここを離れる事計画してたんじゃないか? 用意周到すぎる」


「……そう」


「憎んでいたとは言え親だろ。一人になって色々考えたいんじゃない?」


 俯いて黙していたお袋は声を震わせる。


「火葬の時ね、タロちゃん、東條さんの棺に本を詰めたの。東條さん読書家だったのかしらって覗いたらこの部屋にあった赤本や成績表、政治経済学の本や難しそうな本だったわ。棺の蓋を閉めた時にタロちゃん呟いたの。『ほぞ噛んで見てろ。好きなように突っ走ってやる』って言ったの。炉に火が点いた時には『お袋と同じ所に逝けると想うなよ』とも呟いたわ。肩の荷が降りたような、それでいて悔しがるような感じだった」


「タロ……」


「……思い詰めていたのに受け止めてあげられなかった。私、タロちゃんの力になってあげられない。大人なのに甘えさせてあげられない。タロちゃんに甘えてばっかりで甘えさせてあげられない」


 お袋はその場に座り込み泣き出した。


 親父死んだ時でさえ気丈に立っていたのに、親父が遺した店を細腕一つで守り続けているのに、悪ガキ二人で事故だ家出だと泣かせてしまった。


 ……でも事実を話す訳にいかない。言ったらもっと泣かせるだろう。俺は小刻みに震えるお袋の背を摩ると『二言はない奴だよ。必ず帰る。一緒に待とう』と自らに言い聞かせるよう呟いた。





 翌日、開店前に立花が店を訪ねた。


『今日からって伺いました……紙持って来たので目を通して下されば嬉しいです』と立花はお袋に紙を差し出す。


 紙に視線を落としたお袋は固まる。立花は狼狽える。一体何渡したんだ? 俺がお袋の手許を覗くと履歴書だった。


「え? 何で履歴書?」


 俺が問うと立花は瞳を潤ませるがか細い声で答える。


「え……タロ君から電話があって『世界一周チャリの旅してるのよー。コマっちゃん、飲食でバイトしてたじゃん。是非是非人手不足のウチにバイトに来てちょんまげ』って……」


 俺とお袋は顔を見合わせる。タロの配慮か。置き土産ってこの事か。有難い。……しかしバイトを入れるとなるとタロは長い間帰ってこない事を改めて思い知らされる。


 お袋は立花を見つめる。


「電話は……いつあったの?」


「昨日の夕方、公衆電話からです」


 俺たちがタロの足取りを追っていた頃だ。


 そう、とお袋は瞳を伏せると溜息を吐くと立花はおろおろした。気付いたお袋は『ごめんなさい。何でもないの。来てくれてとても嬉しいわ』とカバーした。


「助かるよ。俺一人じゃホール捌ききれなくて……」


 俺が握手を求めて手を差し出すと頬を染めた立花はおずおずと手を握った。


「わ、私こそ、経験は居酒屋くらいだからタロ君みたいに頼もしくないけど……」


「いや、マジで助かる。今まで部活漬けで一から一〇まで手伝うのは初めてだから……俺に色々教えて欲しい」


「お、教えるだなんてそんな……本当微力だから」


「そんな事ない。めちゃくちゃ助かる」


「小林君……」


 手を強く握っているとカウンター越しのお袋は笑った。


「可愛い助っ人が来てくれるなら助かるわ。今日から可能な限りお願いします。履歴書、あとで目を通すわね。ジロ、Tシャツと前掛け出してあげて」


 それから春休みは毎日、立花は来てくれた。いつものおろおろは何処へやら、相変わらず猫背だがハキハキと受け答えして賑々しい昼のホールを懸命に捌いていた。そればかりか空き時間には俺の勉強を見て(数学が得意なんだよ。タロと同じで常に満点)、タロが居なくなって寂しがるお袋を励ましに定休日にはホールのテレビで一緒に『木枯らし紋次郎』や『鬼平犯科帳』を鑑賞していた。きゃあきゃあと立花と共に贔屓の俳優の話で盛り上がるお袋は女子高生のようだった。二人とも俺なんてそっちのけ。ああ、そうだとも。俺は一人寂しく自室でエレキを抱えていたともさ。お蔭で上達が早かった。好きな女の子を取られて自室でむっつり座っていると立花がご機嫌をとりにやって来た。


「お邪魔します。……わぁ! これが木枯らし君の愛器? テレキャスだったんだね! この子すっごいいい楽器だよね!」


 瞳を輝かせた立花は俺に抱かれた愛器サブローをまじまじと眺める。最近『小林君』から『木枯らし君』に愛称が昇格したので呼ばれる度に俺は非常に嬉しかった(それに目を見て話してくれるようになったし)。


「うん。立花エレキ知ってるんだ?」


 立花は『ちょっぴりやってたもの』と悪戯っぽく笑った。


「まじか」


「今はジャズ研のドラムだけどね。小学生の頃、おじさんからエレキをちょっぴり習ってたの」


「へぇ。おじさんってギタリスト?」


「昔は『オレンジ』ってバンドでギターやってたみたい。今は楽器店の店主」


「……まさかオレンジ楽器店って」


「おじさんの店」


 まじか。タロ、そこで買って来てくれたんだよな。


 サブローを見つめていると『おじさんの店で買ってくれたの?』と問われた。


「俺じゃなくてタロだけど……」


「ふわー。プレゼントだったんだね? この前久しぶりに遊びに行ったらおじさんが色々面白い話してくれたの。『赤いテレキャス、派手なおにーちゃんが現金一括で買って行ったよ。皺々の紙幣を握り締めて微笑ましかったなぁ』って。タロ君だったんだね。すごいなー。高い楽器をポンと……木枯らし君ってタロ君にとても愛されてるね」


「まあね。俺もタロいないとつまんないし」照れ臭いけどその通りだ。


 立花は微笑む。


「木枯らし君とタロ君ってそーゆー所、爽やかで素敵だよね。タロ君、今どこにいるんだろうね。ハワイかな? オーストラリアかな?」


 真に受けちゃう所が素直で可愛いんだよな立花って。


「流石にチャリで世界一周はないでしょ」


 くすり笑むと立花は頬を染める。


「ふわー。そうだよね。流石に自転車はキツいよね。馬鹿でごめんね。恥ずかしい。……木枯らし君はタロ君が何処にいるか分かる? 初日に店を訪れたら木枯らし君が居て驚いちゃった。タロ君と木枯らし君は仲良しだから一緒に旅してるのかと思ってた」


 気まずい問いに俺は視線を下げる。お袋は立花を心配させてはなるまい、と事実を伏せていた。俺もお袋の意向に従いタロの件を黙っていた……しかし毎日開店前から店仕舞いまで働く立花をこれ以上誤魔化すのは気が引ける。


 事実を話し、タロの部屋にあった封筒と手紙を見せた。


「……タロ君、そんな大変な事背負っていたんだ」立花は手紙を大切にしまうと俺に差し出した。


「あいつ、他人を甘やかす癖に甘えない奴だから……。一緒のモン背負えないって辛いな」


「メールや電話は?」


 立花に問われ俺は首を横に振る。


「手紙は毎日届く。一行だけど。『ラーメン喰った』とか『何処其処のおっちゃんに泊めてもらった』とか。……偽名で記されてるし消印も不定だから立花が受け取っても気づかなかったと思うけど」


「そっか……」


「黙っていて悪かった」


「ううん」


「また頼み事で悪いんだけど……お袋には立花が事実を知った事は伏せて貰えるかな?」


「うん。勿論だよ。私もタロ君の気持ち分かるもの」


「助かる」


 胸を撫で下ろし長い溜息を吐く。すると立花が『一つ気になる事があるんだけどいい?』とおずおず申し出た。


「何?」


 立花は自室のドアを一度見遣ると声を潜める。


「うん……あのね。ここ最近、木枯らし君が休憩の時だけど女性を見かけるの。ウチの客層っておじさんや現場のお兄さんばかりでしょ? すごく目立つの。その人、店内を見回してるの。誰か探してるのかなって思ったけど……タロ君を探してるのかな?」


 タロの親父さんが囲っていた女に違いない。


「何か言われた? 嫌な事されてない?」


「ううん。私は大丈夫。ただ……ビール飲みながら厨房の舞美さんをずっと睨んでる」


「……うわ。ヤべぇ女だな。お袋がタロを隠してるって思ってそう」


 翌日から立花と俺は昼休憩を交換する事にした。

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