Track 02 Knuckle the way


 タロはお袋の勧め通り高校へ進学した。俺と同じ上野高校だ。


『親父から金ふんだくるなら好きな高校行くのねー』と鼻息を荒げていたので男子御三家へ進むかと思っていた。『秀才は場所を選ばん。ってか高校で勉強する気はねぇ!』『お馬鹿の面倒見なきゃなんねーから上野に行く。ジロは数学に加えて英語苦手だろ?』『日本代表がジスイズアペンしか話せなかったら舞美さんが恥をかく』とタロは悪戯っぽく笑った。


 親父さんと話を付けてタロは俺ん家に同居した。実技以外の全教科満点を叩き出す秀才を手に入れた高校もそれを認めた。当事者間で円満解決すれば学校が文句言う筋合いはないからね。


 休日返上で部活に励む俺の代わりに帰宅部のタロはお袋をよく手伝った。本当助かる。バイトの大学生が辞めたばかりで人を募ろうとしていた所だった。頭がいいからホールの捌き方なんてお手の物だし、厨房を一手に担うお袋の調理スピードも正確に把握し混雑時はお袋に調理順の指示を出す程だった。更には出前も再開するよう勧めて(時間限定だけど)自らババチャリを漕いで料理を届けた。そんな律儀で真摯なタロにお袋は全幅の信頼を寄せていた。……タロは俺よりも息子らしい。ってかお袋を一人の女性として本気で愛してるんだよな昔も今も。うーん、複雑。


 大会で高校新記録を次々に叩き出す俺の傍、タロは原チャリの免許をとった。そしてお袋のピンクのスーパーカブ『パンダ号』に跨って出前に出るようになった。


 一見お袋にべったりのようだが実はそうでもない。お袋の話では定休日の日曜に時々何処かをほっつき歩いているらしい(でも晩飯時にはきっかり戻る)。『女の子でしょ? 優しくてかっこいいタロちゃんと付き合える子は幸せね。おばちゃんにどんな子か教えて』と揶揄うお袋にタロは寂しそうに笑う。……学校でのタロを知る俺は誰と寝たばかりで次に誰を喰おうとしてるのか直ぐに分かる。ヤリチンとして有名だった。実らぬ恋に苛立ち、迸る性欲を解消していたのだろう。本人曰く『あいつら俺のルックス目的だからそれでいーの。俺だって人格あるわ。失礼な小娘どもめ』と鼻を鳴らしていた。


 無二の親友がお袋にゾッコンだとか一人息子の俺にとってはめちゃくちゃ気持ちの悪いものだった。しかし仕方ないっちゃ仕方ない気もする。身内贔屓じゃ無いけどお袋若くて美人だからな。勘違いおっさんによく口説かれるんだ。気持ち悪いと思う半面、二〇近くも歳の離れた小林舞美を愛し騎士のように傅き犬のように懐くタロを半端ないとも思った(今でも俺は複雑だけどさ)。……その分他の女子にセックスだけじゃなく真摯に向き合って欲しかったけどね。お袋の『面白くて優しくてカッコいいタロちゃん像』を壊したくないので黙った。


 愛情が拗れた点は高校になっても健在だったが、コンドームでアイスホッケー大会や醜聞フライヤーばら撒き事件、喧嘩等派手なヤンチャは鳴りを潜めた。愛する女を困らせてはならないという気持ちがストッパーになったお蔭だろう。


 親友としても息子としても胸中は複雑だったがタロと俺の仲は良かった。ファーストコンタクトが殴り合いなんて笑い話にする程に互いを信頼していた。年に数回しかない休みは二人でカラオケに行った。


 部活漬けの俺はダチと遊ぶとか分からないし、俺以外にダチ付き合いがないタロは女の子とセックスしかしないので野郎二人で遊ぶ内容が分からない。困ったので取り敢えずカラオケに入った。曲を入れるとタロの新たな一面を知った。半端なく歌が上手い。美声も聴き惚れるが、なんて言ったって声に表情があって歌が名優の台詞みたいに機微を汲んでいる。つまり棒読みの反対。どんな美声の持ち主でもアレはなかなか真似出来ない。


 手放しで褒めるとタロは『ダンスしてみっかな。小鳥みたいに歌って踊りゃ舞美さん振り向いてくれるかもしんねー』と笑った。


 タロが『新譜買いたい』と言うので帰りにオレンジ楽器店に寄った。新譜を手に取り序でにCD棚をじっくり眺めるタロを他所に俺はギターを見に行った。エレキの音が好きだった。神の怒りに触れる前のバベルの塔で人々が話す大きな一つの言語……世界語な所も好きだ。渋い俳優の声のような、狼の唸りのような、龍の咆哮のような音も好きだ。部活で筋トレをする際はいつも聴くアルバムがある。オイル塗れの手がアップで写ったアレだ。アレを聴くと限界まで自分を鼓舞できる。コードが血液になって体内を隈なく循環する。心地良い錯覚に陥る。毎日の練習で体を作る時も大会でウォームアップする時も頭にはあの曲が流れている。


 ラック、フロアに整然と並べられるエレキを眺めていると新譜を手にしたタロがやって来た。


「ギター?」


「うん、まあ」


 タロは隅々まで売り場を眺める。


「……好きなん?」


「まあ。筋トレで聴いてるし、好きなように弾けたら気持ち良さそうだよね」


「弾かねーの?」


「まさか。時間も金もないよ」


「ほーん。時間と金ね」





 インターハイも終わり部活の雰囲気も徐々に落ち着きを取り戻した夏の終わりの事だ。その日も部活から帰宅すると店仕舞いを手伝った。するとお袋と共に明日の仕込みに追われるタロに『後で部屋に来い』と声を掛けられた。


「何だよ。俺の部屋に来ればいいじゃん」


「やあよー」


「タロの巣、散らかってるからヤだよ。それに臭いし」


「漢にしちゃる」


「うっわ。きんもー」


 火元でやり取りを聞いていたお袋はクスクス笑う。


「ジロ、一六歳おめでとう」


 あ。そう言う事か。忙しくて忘れてた。


 照れ笑いしつつ『ありがと』と言う。年頃の俺はケーキやご馳走とかガキ臭くてくすぐったくて苦手だった。お袋もそーゆー心の機微を汲んでいたので中学からは敢えて大体的に祝わなかった。しかし言葉で祝われるのはとても嬉しかった。


 店を閉めて風呂で汗を流した後、部屋でストレッチをしていると唇を尖らせたタロが入って来た。


「モーン、来い言うたやんけ」


「悪い。忘れてた」


 いや覚えてたけどね。気恥ずかしくてさ、ストレッチの後でもいいかなって。うん、それにさっきの言葉から察するに多分エロ関係だろうし。


 タロ部屋を訪ねると相変わらず酷い有様だった。積みプラで足の踏み場はないわ、ゴミ箱から丸めたティッシュが溢れ出てるわ……昔、ここが整頓されていた亡き親父の部屋だったとは思えない。しかしベッドだけはすっきり片付いていた。


「ま、座んなさいよ」


 野郎のベッドなんざ座りたくないが他に座れそうな場所はない。仕方なくベッドに腰を下ろそうとするとタロは叫んだ。


「だーっ! そこに座るな! 殺ス!」


「じゃあ何処に座ればいいんだよ」


「もう突っ立ってろ。小林、廊下に立っとれ!」


 はいはい、とばかりに溜息を吐くと『とくと見よ』と鼻息を荒げたタロは掛け布団を引っぺがした。


 我が目を疑った。


 ベッドのマットレスにはギターの老舗のロゴが刻まれたギグバッグが寝そべっていた。雑誌に載ってた限定カラーモデルだ。


 呼吸するのを忘れ瞬きするのを忘れ只管にギグバッグを見つめていると粘ついた笑みを浮かべたタロに『ナカは自分で買えよ』と囁かれた。


「勿論だよ。ってか背中押してくれてありがとう! うわー金貯めなきゃ。ってかギグバッグだけでもこの老舗高いのに。すっげえ。貰っちゃっていいの? うわー。うわー。どうしよう。俺明日死ぬのかな。やっばい。嬉しくて心臓止まりそう」


 ガワだけでも嬉しすぎてベラベラとお礼や歓喜を述べていると『早くお触りしろ』とタロにキレられた。


 嬉しくて嬉しくて笑みが溢れてしまう。ギグバッグも嬉しかったけど、エレキに恋した事を覚えていたタロの心意気がそれ以上に嬉しかった。


 デレデレ笑いながらギグバッグを抱くと予想外の重みと硬い手触りに表情が固まった。


 言葉が出ない俺を見下ろしたタロは粘ついた笑みを浮かべる。


「お馬鹿はいつまで経ってもお馬鹿だな。開けなさいよ」


 礼を述べるのも忘れ無我夢中になってジッパーを開けると赤いテレキャスターが顔を覗かせた。ヘッドには老舗のロゴが刻まれている。


 言葉が出ない。安物なら一万ちょっとで買えるがこの老舗のギターは高校生が簡単に買えるような代物じゃない。汗水垂らしてバイトしまくって貯金と合わせて漸くお目見えだ。幾ら仲良くてもダチにプレゼントするような物でもない。


「泣いて喜べ。汝、我を崇めよ」


 ゲラゲラ笑うタロにやっとの思いで俺は声を振り絞る。


「……貰えねーよ」


「あ?」


「貰える訳ないじゃないか。こんな高い物」


「お馬鹿。貰え! 弾きたい言うたやろが!」


「なんでこんな高い物買ったんだよ! もっと安いのがあっただろ!」


「馬鹿! 安けりゃいいって訳じゃねぇだろ!」


「高けりゃいいって訳じゃないだろ!」


 口角泡を飛ばすタロはこめかみに青筋を立てる。


「それが一番刺さってジロにしっくりきそうだったんだよ! それにな、安けりゃいつだって投げ出せる。スナック感覚で始めてスナック感覚で終わらせられる。お前弾きたい言うたやろ。俺も舞美さんもお前の『何かしたい』って気持ちは半端な事じゃないの知ってんの。碌に休みもせず苦しいのを耐えて耐えて耐えまくって、大好きな走りを続けて表彰台の常連だろ! オリンピックに最も近い男言われて期待を双肩に背負う癖にどーしょーもないお馬鹿で! だのに勉強見られてから成績も維持してるじゃねぇか! お前の覚悟は半端じゃねぇって知ってるんだよ! 熱い心意気の奴にスナック感覚な物渡せるか! お馬鹿っ! 本っ当にクソ馬鹿! 何も俺はお前にプロになれって言ってんじゃねぇ! 金は出した! あとは時間だ! 本当に好きなら時間を作れ! 弾け! 聴かせろ!」


「馬鹿はお前だ! お前の金じゃねーか! お前が好きなように使えよ! 息子の俺が碌すっぽ手伝いもしねーのにタロは毎日毎日店手伝って! 店閉めてクタクタになってんのに俺の勉強見て自由時間削って! 店でのバイト代も殆ど弟とおばあさんに仕送りして!エレキも盆休みに高額のバイトしまくって金貯めたんだろ!? そんな大切な金なのに、お前が欲しい物ややりたい事に使わないでどうする!? 俺の犠牲になってどうすんだよ!? 馬鹿っ!」


 唇を噛んだタロは俺にフックをかける。中学の時よりも重い拳だった。クソ。筋肉つけやがって。俺も負けじとタロの頬を殴り飛ばす。負けず嫌いのタロは直ぐ様体勢を整えると俺の襟首を掴む。そして頭突きをかました。


「『ジロの犠牲』だぁ!? 自惚れるな! 俺はお前の楽しそうな馬鹿面見る為にやってんだよ! 俺は好きに稼いで好きに金使ってるんだ! お前、走ってる時すげぇ気持ち良さそうじゃねぇか! 難問を一人で解けた時すげぇ嬉しそうに笑ったじゃねぇか! ああ、ギターがあればもっと馬鹿面眺められるなって買ったんだよ! お馬鹿っ!」


 鼻を鳴らしたタロは俺を離す。


「……それでも気に入らねーなら返してくる。ジロの好みもあるもんな。でもギグバッグだけは何が何でも受け取れ。俺の企みに乗った舞美さんが出したんだ」


「お袋もグルかよ……」


「高い物ポンと与える訳だからお袋さんたる舞美さんにお伺いたてたんだよ。『あげてもいいか』って。そしたら舞美さんもジロと同じような事言ってた。『碌に休みも与えずにバイト代なんて雀の涙しか出してないのに。自分の為に使って』と反対されたけどな。口説きに口説いて漸く了承して貰えた。お袋さんの心意気は受け取れ」


 長い溜息を吐きその場で胡座を掻いたジロに問う。


「なんで……あの時、俺を殴った?」


「あ? あの時って?」


「中三の夏休み前だよ」


 タロは鼻を鳴らし苦笑を浮かべる。


「野暮天。漢にベラベラ話させるなよ。ムカついたんだよ。以上」


「話せよ。俺はまだ納得してねーんだ」


 舌打ちしたタロは訥々と呟く。


「ムカついたのは確かだ。講堂の側の便所で窓の外眺めながらションベンしてたらジロが見えたんだよ。一生懸命な犬っころみてぇにクッソ楽しそうにトラック突っ走ってんのが。沢山のダチに囲まれてクッソ楽しそうに委員やって……その馬鹿面がすげぇムカついた。ムカついたから殴った。……お勉強で天辺とってもおイタやって騒いでも俺はつまんなかったのによ。こんな小さな事でジロは楽しそうにするんだなって。嫉妬だよ嫉妬」


「じゃあ……なんで俺を笑わせようとすんだよ。罪滅ぼしかよ。そんなのヤだよ。オナニーじゃんか」


「ンな訳ねーだろ。夏休み、勉強見てやったよな? 因数分解を一人で解けるようになってフニャッて笑ったジロが可愛かったんだよ」


「うっわ。きんもー」


「うっせ! クソ馬鹿弟もだらしなく笑うの! ……そしたらまた『笑わせたい』って思っただけよ。……悪かったな。怒らせちまって。独りよがりだった。やっぱオナニーだわ。畜生」


 苦虫を潰した表情で鼻を鳴らすタロが何だか小さく、可愛らしく見えた。いつも華奢なお袋の隣で仕事をしてる所為か山のようにデカく感じるのに。下手したらコイツ俺の親父かよって錯覚する程頼もしいのに。俺と同じでガキだ。ひねくれて飢えて渇いたちっぽけなガキだ。ただのカッコつけたがりの可愛いガキだ。


「タロ。……ありがとうな。大切に弾く」


 鼻を鳴らしたタロは俺を睨む。


「お馬鹿。弾いて弾いて弾き倒せ。……来年、学祭出ようぜ」



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