[神殿の回想11]ハイル先生と治療院

 左の示指を包丁で怪我してしまったロゼッタだったが、すぐに傷からは血が吹き出してきた。


 軽く水で洗い流し、布巾で押さえて止血する。


 あまり怪我をしたことの無いらしいロゼッタは、動揺してシクシクと泣いている。


「傷が深そうだから、治療院に行ったほうがいいな。」



 調理人が手続きしている間に、私はパリス兄さんがトカゲに噛まれた時のように、布巾越しに傷を押さえて、

『痛みが止まりますように、

 血が止まりますように、

 傷口がくっつきますように』

と、おまじないをかけていた。


 しばらくして、ロゼッタは治療院に連れて行かれて、残った私達は調理の再開を始めた。



 午後になり、舞の練習に向かう準備をしていると、なぜかアリシアが迎えに来た。


「どうしたの? ロゼッタに何かあったの?」


「そうじゃなくて、治療院のハイル先生が貴女を呼んでいるのよ」


 私はアリシアと共に治療院に向かい、治療室の一室に通された。


 中には、穏やかで温厚そうだがやや目付きの鋭い、30代くらいの医師が、私達を待ち構えていた。


「君が、ロゼッタの干渉治療をしたコニーだね。」


「私、何も治療とかしていません。

 ロゼッタの痛みがましになるように、血が少しでも止まるように、お願いをしていただけです。」


「それが細胞干渉による治療という物だよ。

 これまで君は、自分や他人に同じような事をしたことがあるのかい?」


 ハイル先生は真剣に問う。


 私は何となく、この先生の専門領域については、誤魔化しが効かないだろう、正直に話したほうが良いだろうという事を感じていた。


 もちろん、質問された範囲の中でしか、答えるつもりはない。


 私は、家族が大トカゲに噛まれた時に、色々考えて対処した事を説明していった。


「ロゼッタが、骨に近い部分まで傷を負っていたにも関わらず、ここに来た時にはほぼ治癒していたのは、やはり君の力が作用していたという訳だな。」


 ハイル先生は、2日後の午後にもう一度ここに来るようにと伝えた。


 伝えた後は、改めて私を少し厳しい目で見つめた。


「いいかい、この先、誰か医師の指示がない限り、自分自身にはともかく、絶対に、他の人に対してその力を使ってはならない。

 これは約束しなさい。」


 私は先生の顔を見つめ返した。


……もう何らかの力があることは、ばれたちゃったんだけど。

 もし、目の前で痛そうや辛そうにしている人がいても、見て見ない振りをしなければ、いけないということなの?……


「君は、まだ知識も経験も足りない。

 医療というのは難しい。

 治れと念じて、簡単に治って済むだけの安易なものではないんだ。

 患者に良かれと思ってやったことが、かえって害を与えたり、患者に苦痛をもたらすこともある。

 君は、それが判断できるのかい? 

 もし、害を与えた場合、責任が取れるのかい?」


「できません……」


「止血についてもそうだよ。

 血管の構造や、そもそも血液の凝固系や線溶系がどういう風に止血に作用するのかを分かってやっている訳ではないよね。

 血を止めるつもりで逆に血管を詰まらせたら、かえって大事になる。

 傷口もそうだよ。

 下手に表面だけふさぐと、中で膿が貯まって傷全体が悪化する事もある。

 痛みを止めるつもりで、その後、感覚麻痺が残ったりしたら治す方法を知っているのかい。」


 私は先生の話す言葉が半分も分からなかった。

 しかし、自分がよく分からないまま、危険な事をやろうとしていたのは理解できた。

 先生の言葉が良く分からないということは、私には知識が圧倒的に足りないのだ。


「よく分かりました。……もう、しません」

私は泣きそうになりながら答えた。


 先生は穏やかな態度に戻り、

「医師がいなくても、緊急で人を助けなければいけない場面に遭遇した時、どう判断して、何をどこまでやってもいいのかは、いずれ教えていくつもりだ。

 後、自分自身の身体については無意識に作用する事もあるだろうから、そこはもう、どうなろうと自己責任だから仕方ない。

 君はまだ幼い。

 できることに限界があるのは当たり前だから、無理をする必要はないんだ。

 その反面、君には、普通の人には無い特別な力がある。

 これからはそれを自覚して、少しでも正しく使えるように、私や他の医師の元で指導を受けるようにすることが大事だ。」


「はい、分かりました」

 

 これで、私の力の一つはバレてしまった。

 司祭達がまた何か言ってくるかもしれないが、私はせっかく力を使うなら、ちょっとでも人のために、役立つことをしたい。


 むやみに力を使う事だけを求めず、しっかりした指導のもとで使うように言ったハイル先生は、何となく信用できる気がした。


(でも、神殿にいる限りは私の力の全てを見せないように注意しないと……)



 今日は、アリシアが優雅な舞の稽古を休むように手配してくれた。


 この後は、アンバル師匠に、治療院の手伝いが今後私のスケジュールに加わるかもしれない事を伝えなければならない。

 憂鬱だ。


 アンバル師匠は、最近ことさらに機嫌が悪く、とりつく島もないくらいだ。


 祈神舞の練習は全く進んでいないし、30分程の短時間の稽古が済むと、

「今日はこれでお仕舞いだ。」

と、私にお菓子を手渡し、追い払うように寄宿舎に戻される。


 他の弟子達は、秋分祭に向けてもっと長い時間稽古をして大技に励んでいた。



 優雅な舞のほうは、夢の国で似たような舞を五感で体験したためか、少しコツが掴めてきて、飛躍的に上達した。


「コニーさん、貴方には才能があると思っていましたが、想像以上です!」


 舞の先生は手放しで誉めるが、それなら私は他のもっとポップで楽しいダンスを踊っているほうがいいな。


 今の所、優雅な舞は毎日1~2時間、基本的な動作の練習や身体ほぐしに通っているだけだが、さらなる技術が習得できるように、週に2日は午後全体をレッスンに当てるようにと申し出てきたのだ。


 それを聞いたアンバルは、

「それなら、もう祈神舞は止めて、基本の舞だけ踊ればいいではないか。」


と、剣もほろろに言った。


 私としては、せっかく祈神舞の弟子入りをして、これまで受け身と体力作りで苦労したのだから、せめていくつかの宙返りくらいはマスターしてみたい。


 しかしこの先、治療院のスケジュールまで入ってしまうと、私はアンバル師匠に完全に見捨てられてしまいそうだ。

 


 私はとぼとぼと、アンバルの元に向かい、事情を説明した。


 ところが、思っていたのとは違い、私に医助の才能があることを知ったアンバルは、珍しく笑顔を見せて喜んでくれた。


「そうか。

 そういう特殊な才能があるなら、神殿もお前の価値をもっと評価するかもしれないな。

 少なくとも後5年は待ってくれるかもしれない。」


……5年? 待つって何を?……


 そんな疑問が頭をよぎったが、珍しくアンバルが喜んでくれたのが嬉しくて、私は師匠の笑顔と提供された美味しいお菓子をとても幸せに感じて、他の考えは飛んで行ってしまった。


 その後、各部署で調整がなされ、私の1週間のスケジュールが決まった。


 学校は現在、中等科編入に向けて準備をしているだけなので、週に1回、午前中に通うことになる。


 司祭長が、

「必要が無いなら、無理に通わせなくて良い。

 教育費の無駄だ。」


と言ったらしいが、子どもが全く基礎教育を受けていないという状況は、外部にバレると神殿としての体裁が悪いというので、週1回になった。


 また、神殿の雑務は、調理部門のみ週に1回手伝うことになった。

 これは、ハイル先生の意向だ。


 病気と食事は大きな関わりを持っている。

 食材や調理の知識は、患者を看る上での大切な糧になるらしい。

 むろん、掃除(環境)、衣類の管理(保清)も患者を管理する上で大切な要素なのだが、スケジュールには限界があるので、まずは「食」について知識や経験を深めることが優先となった。


 週の残りは、休みの1日を除いて、午前中に4日程度が、ハイル先生の手伝いをすることになる。


 午後からは、

毎日30分~1時間程度は身体を調整するための優雅な舞の基礎訓練を行い、週に2日は午後を通して、さらなる舞の練習を行った。


 さらに週1回、舞の音楽性に活かすために、音楽の教養を学ぶことになった。

 私が一番相性が良かったピアノの稽古が中心だ。

 鍵盤をバンバン叩いて音を鳴らすのは、なかなか楽しい。


 残りの3日は、アンバル師匠のもとで祈神舞を習う。

 師匠は最近は基礎訓練だけでなく、徐々に宙返り等の技の練習もさせてくれるようになってきた。


 山の家に帰りたいという、ずっと持ち続けている熱い思いとは裏腹に、私は日々神殿の生活に馴染んでいる自分を感じていた。 


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一応設定上は、この時代まで楽器類の現物は残らなかったものの、特にクラシック系の楽器や楽譜は、熱心な人々が必死にデータを残す努力をしたので、かなり復元できていることになっています。

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