10話 アンバルと四季の生け贄
「かつて、生け贄として捧げられたことがあった」
アンバルはそう言った。
それは、私のように崖をよじ登ったということだろうか。
「師匠も、あの崖を登ったのですが?」
「俺の場合は少し違う。
剣で戦い、運良く勝者になっただけだ。」
そしてアンバルは、この国の四季の儀式について語り始めた。
この国では、春分、夏至、秋分、冬至が重視される。
それぞれ、3/20、6/20、9/20、12/20と決められており、それに合わせて毎年の暦が設定される。
4年に一度のうるうの年は、それぞれの季節に、それぞれの祭壇で生け贄を捧げる儀式が行われる。
春分は、干魃や豪雨、嵐が起きないように雨や風の神をなだめるため、赤子が捧げられる。
泣かないように薬で眠らせて、山の山頂の祠に置いてくるという。
雲や嵐を現す、つむじの数が多いほど良い。
夏至は最も大切で、大地や川の神に捧げられる。
地震や崖崩れ、川の氾濫や洪水が起きず、大地の実りが保てるように、滝壺の側の崖にある祭壇で舞を奉納しながら命を神に差し出す。
大地の実りを現す、金色や黄色の髪が良いとされる。
少年、少女が対象だが、ほとんどが少女だということだ。
秋分は、火山の噴火が起きないと共に、太陽の影響が強くなりすぎないように、火山と太陽に捧げられる。
火山の跡のカルデラで、剣闘士を2名選んで闘わせ、敗者の血を祭壇に捧げる。
青年~壮年期の男女どちらでも良いが、男性が選ばれる事が多い。
赤や赤褐色の髪か目が好ましいが、この国には少ないので、条件が揃わないことも多い。
冬至は海が大地を侵さないように、海の神に捧げられる。
対象となるのは、白髪が多めで、灰色か青い目をした老人で、荒海に投入して海に捧げる。
全ての対象において、干渉力を持っていれば、なお望ましいという。
この中で、唯一生還できる可能性があるのは、共倒れにならない限りは秋分の生け贄のうちの勝者だけだ。
アンバルは、体格は小柄だが、身が軽いことで、かろうじて勝利したという。
「では、他の季節に捧げられて、生き延びた人はいないのですか!?」
私は、かつてないほどに怒りがこみ上げていた。
昔からこんな事が行われていたの?
いったい誰が、こんな決まりを作ったのだろう。
「お前のように、逃れた者がいるかどうか、確実なところははっきり分からない。
生け贄を捧げる場面は、神にとって神聖な時だから、現場を見る事は禁止されている。」
もしかすると、赤子を取り上げられた親が密かに救出に向かったり、私のように崖をよじ登った者がいたかもしれないが、可能性はかなり低く、確実な所は分からないという。
ただ、伝説にしか過ぎないが、かつて荒海に投げ込まれた老人の中で、自力で岸に泳ぎつき、生還した男がいたという。
……何、そのパワフル爺ちゃん……
冬の海って、普通、泳ぎ着くまでもなく凍死するんじゃないだろうか。
「その人はその後どうなったのですか?」
「一度神に捧げて返されたのだから、神の試練を乗り越えたと判断されて、その後は英雄として余生を送ったらしい。
そういう意味では、お前も条件に合うが、神殿がこのまま見逃すとは思えない。」
アンバルが言うには、私は干渉力がある上に、四季の全ての条件が揃っている。
3つのつむじ、金色の髪、青の中に部分的に褐色が混じる瞳……
「それに生き延びたとしても、神殿にいる限り、違う意味でむしろ地獄かもしれない。」
アンバルは私が神殿に連れてこられた7年前、私が産まれた年に闘わされ、生還した。
彼は元々、薄い茶色の髪をしていて、幼い頃に神殿に連れて来られた。
干渉力はなかったが、いざという時のために舞と闘剣を習わされる事になった。
やがて成長するにつれ、髪の色は黒くなったので、夏至の生け贄候補からは外されたのだろう。
しかし結局、秋分には選ばれてしまった。
そして生還した後は、祈神舞を舞いながら、儀式の秘密を知る者として、今度は贄を探し、育て、捧げる側に回る事になった。
「俺はもう、うんざりなんだ。
本当に神は、生け贄を捧げる事を望んでいるんだろうか?
俺は疑問に、思えてきている。
単に司祭達が時分達の権力を高めるために、儀式の重要性を利用しているだけなのじゃないのか。
もし、神自体がこういう事を望むのであれば、罰が下ったとしても、もう俺自身は仕えたいとは思わない。」
他国には、こんな風習がない所もあるという。
それでもその国は成り立っているらしい。
起きる時には、嵐も洪水も地震も起きる。
しかし司祭達の一部は最近、災害を防ぐためには、さらに生け贄を増やすべきだと主張しているという。
私にとって、神様という存在は実のところよく分からない。
多分、色々な人に様々な大切なものがあり、その最上位のものが神様なのかなとも思う。
私にとって、大切なものは何か。
まずは家族だ。
私は母さんのぬくもりを思い出す。
病気で身体が弱った時、優しく食事を与えてくれた。見返り等何も求めずに。
それに、今なら分かる。
私の家族は私が産まれた頃に、街から山の家に引っ越したという。
それは私を守るためだったのだろう。
生活を急に変えるということは大変だということを、私は神殿に来てから体験した。
家族は大変な思いをしながら、ずっと私を守り育ててくれたのだ。
少なくとも、私の両親は、自分のために血を求める人ではない。
でも、私が危険な事や、知らずにしたとはいえ、兄さん達に怪我をさせた時、トンボや蛙であっても必要がないのにむやみに命をもてあそぶ事をした時には、普段と違って全力で叱る。
私達は狩りや漁もするし、飼っている鶏も、生きるために必要だから食べる。
でも、だからこそ、いただいた命には感謝をして、無駄にはしない。
私は両親から学んだ。
むやみに生き物を傷つけるのは悪い事である事を。
人を傷つけることを求める神様を、私は自分の両親より大切にできるのだろうか。
神様にとって、私達生け贄になった者は、鶏と同じように感謝されて食べられる食糧なの?
それともただ命をもて遊ばれているの?
アンバルが言うように、求めてもいないのに、勝手に神殿が神に捧げている、ただの幻想に過ぎないの?
今の私には、難しくて答えが分からなかった。
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ごめんなさい、コニーちゃん。
こんな鬼畜設定をしたのは作者です。
でもこれは、未来に渡って地球の文明がどう変化しても、変なことを考える人が出ませんようにという、望みと警告でもあります。
つむじの数についての元ネタは、古代アステカの儀式からです。
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