5話 リミッターと生体センサー
風で舞い上がったトランス効果のある香を吸い込んだコニーは、一瞬自分が置かれている状況を忘れ、お気楽気分に浸っていた。
『……あれ、なんか私ロープを握りしめている……
これって、足や身体に巻き付けて、スイングしたり空中でポーズを決めろってことだよね……』
『さて、今日も格好いい所を見せてやろうかな』
本格的にロープに絡みつこうと、さらに引き寄せてみたが、さすがに燃え残りの香では効果も曖昧だったらしく、多少の冷静さは残っていたようだ。
普段使っているロープに比べるとかなり細いということに気が付いた。
『こんなの、巻き付けたら身体に食い込んで痛いじゃんか。強度も弱そうだし、アンバルに言って変えてもらわないと……』
そう思っているうち、
『この馬鹿!!
すぐに調子に乗るなといつも言っているだろう!
自分がどういう状況か常に判断しないと、死ぬか一生半身不随だぞ!』
いつも聞き慣れていたアンバルの怒声が聞こえたような気がして、私は、今の自分が置かれている危機を思い出した。
『ま、まずい……
とりあえず今は、登頂するまで一瞬の油断もできない状況だった』
登頂を始めてから1時間弱。
初心者ではあるし、時々脆くて崩れる部分もあるので、慎重に岩場の強度を確かめながら進み、安定した場所では積極的に休んでいるせいもあるが、時間を掛けすぎているのではないだろうか。
指や足の裏はかなり限界を訴えてきている。
ここで一気に勝負をつけないとまずいかもしれない。
トランス効果の香は良くも悪くも、私に大胆さを与えていた。
今の場所から、崖の上部にある灌木の生えている場所まで一気にたどり着くには、少し思いきった行動が必要になる。
私はロープをつかんで、少し足場の安定した場所に戻り、ナイフで籠を切り落として、ロープの先端を肩にくくりつける。
体幹に巻くには長さが足りなかった。
気休めの命綱を確保した後は、岩の亀裂に両手の指を差し込み、一瞬ぶら下がると全身の反動をつけて、足趾も亀裂まで持ち上げる。
指も足もちぎれそうだ。
ロープも少したぐり寄せて、さらに上体を起こしていくと、全身で岩にしがみつく。
小さな灌木まではあと少しなのだか、この上体をそらした不安定な姿勢では、よじ登ることは難しい。
もう、さすがに滑り落ちそうだ。
私は最後の手段として、全身のリミッターを解除することにした。
言わば、火事場のバカ力というやつだ。
普段は筋肉や臓器を傷めないために、身体はあえて100%の力を出せないように調整している。
それを解除してしまうと、後から臓器や筋肉に機能障害が起きたりダメージがひどくなったりするので、特に成長期の子どもである私は、絶対に用いないように医師から禁止されていたが、今はそんなことは言っていられない。
私はロープをつかみ、全身の筋肉のバネをつかって、灌木のある場所まで一気に飛び上がった。
つかんだ細枝や葉は脆くもビリビリと千切れていくが、それに負けじと根っこの部分に爪を立てていく。
左手の爪が2枚ほど剥がれてしまったが、私は灌木や草の部分を這うようにして、なけなしの枝や根をつかみ、身体をずり上げていった。
ようやく体勢が安定すると、ロープの端を近くの枝に巻きつけ、それをたどりながらなんとか崖の上まで登頂を果たすことができた。
ロープの耐性はやはりギリギリで、もう少しでちぎれそうだった。
私がもう少し重かったり、全体重を掛けていたりしたら、おそらくもたなかっただろう。
身体全体は疲労感と虚脱感を訴え、すぐにでも突っ伏して横になりたいところだが、その前にどうしてもやらなければいけない事があった。
まずは、身体にくくりつけていた、みのむし袋を取り外す。
次に、川に這うようにして近づいて、手の汚れを洗い流して、水を貪るように飲んで喉の渇きを潤した。
私は枯れ枝やロープの端切れを少し集めて小さな焚き火の準備をする。
切り取った衣装の一部をほぐして、ナイフの柄から発火させた火種を移し、息を吹き掛けて火力を上げていく。
一応可燃しやすいように、焚き火のそばには燃えやすい空気(酸素)を少しだけ集めておいた。
小さな焚き火がおこると、ナイフの刃面を炙って殺菌をした。
皮膚は麻酔も消毒もできないので、布を湿らせて拭き取った後は、痛覚神経を少しでも遮断して、皮膚表面の細菌が勢力を減らすことができるように、出血も少なくなるようにと、手で撫でながらおまじないをかけていく。
ナイフが冷えた後、手の感触で大体の検討をつけると、左耳の後ろ辺りの皮下組織をナイフで小さく切開して探っていく。
ほぼ記憶通りの場所に、GPS機能付きの生体センサーは埋め込まれていた。
私はナイフの先端で、慎重に米粒大のそれを取り出した。
鏡もなく、左手の爪も剥がれている状態では上出来だ。
マイクロチップの埋没は人や立場によって用途が違い、手の甲や胸や頭部など埋め込む場所も機種もまちまちだ。
私は「変異種」としての観察対象だったので、生体情報がある程度測定できて、微弱な脳波も多少は関知できる場所に埋め込まれていた。
私は、小石と共にセンサーを布で包むと、思い切り滝壺目掛けて投げこんだ。
本当は、この後の様子を探りに人が派遣されてくるリスクを考えると、早くこの場を離れたほうがいいのかもしれない。
しかし、もう一歩も歩く体力も気力も残っていなかった。
私は、草むらに隠れるようにして、虫よけにミノムシ袋の中に潜りこむと、死んだように眠りについた。
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