第2話:互いの決意


 イヴァンの家に戻ってきた後、俺は部屋で少し頭を整理することにした。

イヴァンによると約120名いるこの村で30人弱が同様の病魔に犯されているらしい。

一体、感染源はなんだろうか。

おそらく汚染水の摂取が根本的な原因ではあると思うが、それ以外に想定される感染経路も潰さなくては感染症の根絶は不可能だ。

俺の中では2020年に世界を飲み込んだコロナウイルスが記憶に新しい。

あの感染拡大がなければ感染症に対して何が有効かを調べることすらならなかっただろう。

景気はガタ落ちし、不利益を被ったが現時点で活かせる知識となったことには素直に感謝できる。

この村で広がっている病魔が一般的な感染症であれば飛沫感染やエアゾル感染、感染者の体液の付着などの可能性があげられる。

つまり、それらに対抗できる手段を取れば良い。

汚染水も大きな鍵を握っているだろう。

汚染源を突き止める必要があるのと、汚染水を濾過装置に通したり、煮沸消毒することで飲料水へと変える必要がある。

やることが目白押しだ。

とりあえずやることをTo do リスト化しよう。

新入社員として先輩に叩き上げられたスキルをこの異世界で使用することになるとは思ってもみなかった。

思ってもみなかったづくしだ。

机の上にある、羽ペンを取り上げる。

前世では使ったことはないが、見たことはある。

インク瓶の蓋を開け、ペン先に黒と青の中間色のインクをひたす。

机の引き出しに入っていたよれよれの画用紙のようなものにペンを走らせ、やることをリストアップしていく。


・石鹸をつくる

・手洗いの習慣を広める

(イヴァンに確認したが、手を洗うのは泥がついた時に水ですすぐぐらいとのこと)

・マスクを作る

・煮沸消毒の習慣を広める

・濾過装置を作る


 こんなものだろうか。

アルコール除菌さえあれば…と前世の利便性を悔やんでもしかたがない。

まずは石鹸を作ることから始めよう。

幸い、石鹸の作り方は頭にある。

スタートアップ企業の資本協力案件が来た時に少し事業について話を聞いた程度だが、その時の話が活用できる。

その企業は再生エネルギーに目をつけ、ホタテ貝から界面活性剤を使用しない洗剤を作り上げていた。

この手法を用いればホタテはなくとも、似たような貝殻から洗剤の複製が可能なはずだ。

というか可能であって欲しい。

しばらく考え込んでいると後から気配を感じた。


「…?」


振り返ると人差し指を顎にあて、俺の書いたTo do リストを不思議そうに覗き込んでいるニーナと目があった。

そしてまたすぐそらされる。


「どうかしたか?」


「ううん、何してるか気になったの…」


「あぁ、これ?」


「なんて書いてるの?」


そういえば俺の書いた文字は日本語だ。

首からかけてる不思議なペンダントで意思疎通は可能になってはいるが、日本語を読解できるようにはなっていないのだろう。


「この村から病魔を消すための作戦…かな?」


するとニーナの目が輝き始めた。


「マヒロは病魔を倒せるの?魔法?」


「いや…魔法は使わないけど」


「でも倒せる…?」


ニーナの新緑の瞳が真っ直ぐ俺の目をとらえる。

とても真剣な顔をしている。

こんな顔もするのだ。


「頑張ってみる…」


「お母さんも助かる?」


ニーナの顔がいつになく真剣なわけだ。

彼女はお母さんをもうすぐ失ってしまうかも知れないと知っているのだ。


「それは…」


俺の考えていることはあくまでも予防策だ。

これ以上感染を広げないための手段であり、すでに病魔を患う人を助けるものでもない。

しかし、この顔を見るとそんなことはできないとは到底言えなかった。


「頑張ってみるよ…」


「うん!なんでも手伝うよ!」


ニーナの顔がぱっと輝く。

この信頼を裏切ることにすごく罪悪感を覚えた。

 



-----



 イヴァンに頼み、もう一度村長に会わせてもらうことになった。

病魔が感染症である限り、俺一人で対応するのは不可能だ。

立てた計画もこの世界のことを知らない俺では達成するのにかなりの月日がかかる。

なのでこの計画は前世の知識をフル活用し、なおかつ村長に協力を仰ぐことで初めて達成可能なのだ。


「父さん、入ります」


イヴァンが木でできたドアを叩く。

すると中なから優しそうな顔をした中年の女性が顔を見せた。


「どうぞ、お入りください」


メイドさんというよりはお手伝いさんといつた感じだろうか。

部屋に入ると石でできた椅子に腰をかけ、こちらに強い目線を送る村長と目があった。


「どうした? イヴァン」


「マヒロのことでご相談があります」


「マヒロ…? あぁ、昨日の子供か」


ペコリと頭を下げて一歩村長に歩み寄る。

相変わらずその眼光は鋭い。

しかし、ここでひるんでは物事は好転しない。

生前の大企業役員アポに比べれば大したことない。

こういう頑固なおじさんには単刀直入が手っ取り早い。


「この村で流行している病魔に見覚えがあります」


「ほほう…。して治せるのか?」


村長は顎にはやした立派な白髭を手ですきながらこちらを見る。

ダンブ◯ドア校長みたいだな…。


「いえ、治すことは出来ません。

 ただ、これ以上広がらないようにすることは出来そうです。」


「ふむ…」


村長は足を組み直し、何かを考え始めた。

随分と長い間沈黙が続いた。

この老人は何を考えている…。


「あ、あの…」


「やはり、予言の子ではないのやもしれんな…」


以前から幾度か聞いた予言の子というワードがまた出てきた。


「予言の子とはなんですか?」


「なんだ、イヴァン。説明してないのか?」


「えぇ、まだしていません」


あのフラフラしたイヴァンが先程からすごく礼儀正しくしている。

親父と言っても村長だからなのだろう。


「それなら、ワシから説明してやるか…。」


「はい、お願いします」


予言の子というワードが何を意味するのかは理解しておいて損はないだろう。


 「今から15年前になる。黒竜がこの村を襲ったことがあっての…」


そこから続いた村長の話はとてつもなく長かった。

叙情的なところが多かったのだ。

要約するとこうだ。


15年前に村を襲った黒竜の首を一撃ではねた魔導士がいた。

魔導士というのは魔法と剣術を習得した戦士のこと。

その魔導士の名はアルセラ。

彼は予見知という特殊な能力を持っており、再びこの村を災悪が襲う時、ある子供が助けに来る。

そう言い残すと黒竜の首を滝壺に沈め封印し、謎のアクセサリーや魔道具を置いてこの村を去っていったという。


「そして災悪が起こり、実際に私が現れたと…」


「そういうことじゃ。

 だが、君はこの災悪を完全に断ち切ることは出来ないのであろう」


「はい…最善を尽くしますが…」


「よい、もとより期待はしておらん。こういう時はしきたり通りにするまでじゃ…」


しきたり…?とはなんだろうか。


「それだけは…許さねぇ!」

 

イヴァンが怒声をあげ、村長の胸ぐらを掴んでかかる。

先程までの礼儀正しさはどこへ行ったのやらだ。


「だまれ、村のためじゃ」


胸ぐらを掴まれているにも関わらず村長の目力にイヴァンの威勢が圧倒される。


「父さんは可愛い孫がどうなってもいいってのか?!」


「ワシだって苦渋じゃ、お前だけが思い悩んでいると思うな!」


どっと村長がイヴァンの胸を押し返す。

するとイヴァンは力なく膝から崩れ落ちた。


「はぁ…。余所者の前で見苦しかったな」


「しきたりって、何をされるんですか?」


「風の精霊を守護につけたものを水神様の生贄にするんじゃ。そうすることでこの村は守られてきた。」


水神に精霊に生贄。

これもゲームの世界でしか聞いたことがない。

前世の世界では一部の宗教を除いてありえない話だ。

そしてその生贄が村長の孫。


「生贄って…ニーナをですか?」


「そうじゃ…。風の精霊に守護していただけるものじゃ」


村長の声はあくまでも冷淡だ。

しかし、その声の裏には陰りがある。

あんなに可愛い孫が死んで嬉しい祖父などいないのだ。

そこにまだつけ入る隙がある。


「そんなことせずとも病魔は予防をすれば対策できます!」


「そんな言葉のどこに確証がある」


「生贄こそ確証があるわけではありません!」


「実績はある」


「それに風の精霊なんているかわらないものを信じるなんて…!」


村長にくってかかる。

当たり前だ。

こんなもの人が生贄になっても解決されないのだ。


「マヒロ…」


イヴァンが俺の肩を引き止めた。


「精霊様はいるんだ。来月に受霊式もある」


「受霊式…?」


「あぁ、風の精霊が守護する人に加護を与える儀式だ。そして、精霊は女の子、そして子供にしか守護を与えない。」

 

嫌な予感しかしない。

このまま話が進めば、また目を背けたくなる現実が待っている。


「そ、それは…」


「わかるだろ…」


イヴァンの口元が悲痛に歪む。

当たり前だ。

このままいけば、この男はこれから家族を失うことになる。

俺は家族を持ったことはないが、イヴァンがこれ以上苦しむのも、ニーナを失うのも絶対に嫌だ。

会って一日だが、この二人にはそれ以上のものをもらった気がするのだ。


「受霊式までの一ヶ月…。猶予をください」


「ほう…」


「その間にこの病魔を止めてみます。その場合、生贄の話は無しにしてください」


「…」


「お願いします!」


受霊式までの一ヶ月。

決して長い期間ではないが、短くもない。

少しでも効果がありそうなものを片っ端からやっていく。

そうすれば少しの望みはある。


「俺からも頼む。絶対になんとかしてみせるから…」


「よかろう…。ワシもあんなに可愛い孫をなくすのは嫌じゃ…」


「あ、ありがとうございます!」

 

「だが、一ヶ月じゃ。ワシはこの村の今後の責任も取らなければならん。わかってくれ…」


「はい…」




-----




 最初に出会った彼は不思議な子だった。

言葉も伝わらなければ、言動もどこかおかしい。

いきなり川に落ちようとしたのも驚きだ。

でも…川で溺れそうになったところを助けてくれた時の彼はまさに理想の王子様だった。

丸太を差し伸べてくれた時の真剣な顔は夜寝る時に頭に浮かんでは消えてを繰り返し、その度に鼓動が速くなる。


これが恋なのかな…。


近所のラムーが、木こりのダンと付き合っているというのは聞いたことがある。

お互い好き同士だって二人をずっと見ていた私ならわかる。

ラムーもこんな感じでダンのことを考えると胸が苦しくなるのかな…?


彼のかっこいいところを見た後、彼のカッコ悪いところも見た。

でも、不思議と嫌ではなかった。

魔法で暖炉の火をつけた時のことだ。

彼は膝から崩れ落ち、綺麗な瞳に涙をうかべた。

なんでかわからないけど…。

人見知りの私が柄にもなく、彼を助けてあげたいと思った。

そうしたら身体が勝手に動いて彼に触れていた。

王子様だと思った彼の背中はお父さんより小さく子供だった。

そして、とても暖かかった。


 翌日、朝ご飯を作った。

普段よりも一人分多く作ったのでいつもより薄味になってしまった。

でも、彼はおいしいと言ってくれた。

あんな笑顔反則だよ…。

あんな顔が見られるなら、いつまでも彼に朝ごはんを作ってあげたくなる。

その時の胸の鼓動はうるさく、お父さんや彼に聞こえちゃうんじゃないかとさえ思った。

お父さんもいらない冗談を言うし、全く困ったものだ。


そして彼とお父さんが出かけた後、日課の洗濯をする。

最近炎の魔法が使えるようになった私は洗濯当番を任され、一歩大人に近づいた。

洗濯当番は主に大人の女性の仕事なのだ。

お母さんが倒れる前はずっとお母さんがやっていたことだ。

まだ任された分量は少ないが、きっちりと水で洗い、炎の魔法で洗濯物が焦げないよう近くに火球を作り出す。

洗濯が終わると次は配達だ。

といってもおじいちゃんとお手伝いさんの服を届けるだけだ。

バスケットに畳んだ衣類をそれぞれ分けて入れ、村長のいる少し離れた家に向かう。


彼はお父さんと今どこにいるのだろう。

洗濯も終わったし、村の案内が終わってなければ私も秘密の抜け道や綺麗なお花畑を案内したい。

彼はきっと喜んでくれるだろう。

そんな気がしている。


おじいちゃんの家に着くと中からお父さんの声がした。

いつもは聞かない怒った声だ。

とっても珍しい。

お父さんとおじいちゃんも親子喧嘩をするのだろうか。

少し聞き耳を立ててみる…。

微かだが会話の内容が聞き取れる。

どうやら彼も一緒みたいだ。


「だまれ、村のためじゃ」

「父さんは可愛い孫がどうなってもいいってのか?!」

「ワシだって苦渋じゃ、お前だけが思い悩んでいると思うな!」

「…」

「はぁ…。余所者の前で見苦しかったな」

「しきたりって、何をされるんですか?」

「風の精霊を守護につけたものを水神様の生贄にするんじゃ。そうすることでこの村は守られてきた。」

「生贄って…ニーナをですか?」


どういうことだろう。

私が生贄って。

村の伝承で聞いたことはある。

生贄を差し出すことで水神様が村から災悪を取り払ってくれる。

生贄は必ず子供で水神様に食べられるためにおくられる…と昔にお母さんが寝れない時によく話してくれた。

その当時は怖くなって余計寝られなくなったものだ。


私は水神様に食べられてしまうのか。

それで災悪はなくなる。

お母さんは助かるんだ…。村のみんなも助かる。

そう考えると足はすくむけど、まだ立っていられる。

せっかく恋したのに…これじゃ、しなければよかったのかな…なんて目から何かこぼれ落ちた気がする。

でも、泣いていられない。

盗み聞きがバレちゃうからね…。

目元を袖で拭い、目から落ちむものが止まるのを待ってから勢いよくノックする。


「おじいちゃん!洗濯物できたよー」


しばらくしてすぐ中からお手伝いさんが現れて、洗濯物を受け取る。

部屋の中にいる彼と目があった。

泣き顔がばれちゃやだな…。

すっと目をそらす。

いつものことだから変なところはないね…。


「そ、それじゃぁお昼の準備に戻るね!」


「え、えぇ。 ありがとう」


そう伝えると全速力で家に走った。

村の誰にもこんな顔は見られたくなかったから。



-----



ニーナと目があった。

洗濯物を届けにきたであろう彼女の瞳はいつものおどおどした感じはなく、それが逆に不自然だった。


中での会話を聞かれたのだろうか。

この木製の壁では防音など配慮されているわけがない。

夜にさりげなく聞いてみよう。

きっと彼女が泣かなくてすむようにこの一ヶ月やれることをやろう。

まずは…とポケットから出したTo doリストを確認する。


・石鹸を作る


そうだ。

社会人の鉄則、タスクは一つづつ片付けるべしだ。

これが一番感染症に有効だしな。


「村長、海って近くにありますか?」


「海? そんなもの内陸のこの村からは果てしなく遠い」


あぁ、ホタテ洗剤化作戦終了のお知らせ。




-----




 その夕方、村の皆が集められた。

滝壺の隣にちょうど高校の校庭ぐらいの広場がある。

そこに総勢50人程度だろうか。

ここにきていない人たちは病魔の感染者か、看病しているものたちだ。

聴衆の前に村長が立ち、皆の注目を集める。

普段は緊急事項があれば手紙によって集会の葉書が届けられ朝に集まるらしいが、今回は急用なので無理を言って夜会という形をとってもらった。

一ヶ月しか猶予がないこの計画にとって時間は大変貴重だ。


「今日は急に呼び出してしまって申し訳がない」


村長が喋り始めると村人の無駄口が止む。

村人達から彼への信頼が如実にうかがえる。


「この村に昨日迎えいれたこの少年は今この村にはびこる病魔の正体を知っている」


村人たちから動揺の声が上がる。

中にはアルセラ様の予言通りというものから、こんな子供がという否定的なものもある。

当然の反応だろう。

しかし、村長に頼み込んだのは聴衆を味方につけるためだ。


「わしは預言者アルセラの言う通りこの少年のことを信じてみようと思っておる。しかし、皆が不安なのもわかる。だから、一ヶ月だけわしらに時間をくれ」


村長が深々と頭を下げる。

生贄のことはまだ村人には伏せてあるらしいが、一ヶ月後の受霊式までにこの災悪がおさわらなければ伝えると合意した。


村人達のざわざわがやまぬ中、ひとりの少女が声を上げた。


「あ、あの!わ、わたしもマヒロのこと信じてる!から…。みんなも信じてほしい…」


 それはどもりながらも一生懸命に声を上げるニーナだった。


「ニーナ…」


ニーナの隣に立っているイヴァンが頭を撫でている。

微笑ましい光景だ。

やはりこの親子には幸せでいてほしい。


「俺も丸一日そこの子供を預かっていたけど、こいつならなんとか出来そうな気がするんだ。だから、みんな頼む」


そう言うとイヴァンが村人達の中で深々と頭を下げる。

すると皆がぽつりぽつりと賛成の意見へと流れだした。

この機を逃してはならない。

村長に目配せをする。


「では、明日からまず病魔を倒すために必要なものを皆に集めてもらいたい」


村長の通る声はみなの注意を引き戻した。


「必要なものってなんだ?」

「集めるって何を…」


村人達から口々に疑問が漏れる。


「マッコミ貝じゃ」


マッコミ貝というのは先程村長から聞いた名前だ。

海が近くになくホタテ石鹸の希望はついえたが、何か他で代用できないかと考えた結果、昨日落ちた川を思い出したのだ。

川があれば貝も生息している可能性はある。

前世で言うタニシのような巻貝だ。

そして村長に確認を取ったところマッコミ貝というものが生息していると言うことがわかったのだ。


「この少年、マヒロいわくそのマッコミ貝の貝殻を燃やしたもので手をすすぐと病魔に取り込まれないとのことじゃ。違いないな?」


「はい!その貝の貝殻から病魔に打ち勝つ聖水ができます。私の故郷でも、その聖水のおかげで病魔を取り除くことができました」


嘘はついていない、言葉を異世界ように変えたのだ。聖水なんてものがあるかは知らないがとりあえず、よくある単語を使ってみる。


「そ、それな試してみる価値はあるな」

「少年の村でも治ったんならやってみるか…」


「わかってくれたようで助かる。

 明日から若い男性人は川から貝殻を集める 仕事を最優先で行ってくれ、以上」


そういうと村長は大きく柏手を打った。

パンッという音が夜に響くと集会は終わった。

村人達ら明日からのことを少し話し合い、各々家へ帰って行った。




-----



 集会の帰りにイヴァンの後ろをトコトコと歩くニーナに声をかけた。

彼女が味方してくれたから話の流れが良い方向に進んだのだ。

ニーナにはいつも助けられている気がする。


「ニーナ、さっきはありがとう」


「ううん、マヒロ私達のために頑張ってくれるから…」


照れているのか顔がうつむきモジモジしている。

前を歩くイヴァンを見るとこちらをあからさまに睨んでいる。


「イヴァンさん、目怖いです」


「娘はやらんぞ」


「も、貰いませんから…」


「お父さんとマヒロ黙って…」


「お、おう…」


なぜだろう、次はニーナから震えるほどの怒りを感じる…。


「マヒロは…この村の案内終わった?」


そういえばイヴァンに案内してもらう予定が病魔のことに夢中で忘れていた。

村の案内も途中で終わっている。


「いや、まだあんまり見れてないかも…」


「じゃぁ、私のとっておき案内するね…」


うつむきながらも俺の袖をとるとクイクイとひく。

最初会った時からニーナはこんな感じだ。


「ニーナ、もう夜なんだから明日にしろ」


「夜に見せたいの!お父さんは家で待ってて!」


そういうとぐいっと俺の腕を引きニーナと俺は走り出した。


「あ、おい…。 は、反抗期?!」


遠く離れていくイヴァンの顔は今にも泣きそうだった。



----



 しばらくニーナに袖を引かれて走ると、街灯がなくなり薄暗い森に入ってきた。

街灯といっても家先にある松明なのでそれほど明るくない。

するりするりと木々と雑木林を抜けていく。

するとニーナの足が止まった。


「ここだよ…」


彼女が指を指す方を向くとそこには幻想的な風景が広がっていた。

タンポポのような綿毛を持った植物の周りを蛍のような光る虫が飛び交っている。

そよ風が吹くたびに植物の綿毛が少し飛び、それらを照らす虫の光がまるで芸術作品のようだ。

元いた世界では見れない幻想的な風景を見て感嘆する。

その風景に魅入っていると、ニーナが三角座りをし、屋根に登った時のように自分の横をほんぽんしている。

隣に座ってということだろう。

指示通り、ニーナの隣へ腰掛ける。


「綺麗だね…」


「でしょ!お母さんとよく来たの」


いつになくニーナの顔がキラキラしている。

お母さんの話をするニーナの表情はいつもコロコロと変わり、ニーナのお母さんっ子感が伝わってくる。


「似たような花が俺の故郷にもあったよ」


「そうなの? 同じのかな?」


「どうだろう…。俺の知ってるのはもう少し綿毛が少なかった気がする…」


目の前にある綿毛をもつ植物ははタンポポの4倍は綿毛が詰まっており、色は薄い水色でモフモフした形状をしている。


「そっかぁ…」


「うん…」


しばらくの間沈黙が続いた。

ニーナと俺は光り輝く綿毛を見て、その美しさに魅了されていた。

ニーナがそのふわふわに指先でそっと触れるとそれだけの勢いで綿毛が飛んで行く。


「マヒロ…」


「なんだ?」


急に名前を呼ばれ横を向く。

そういえばマヒロという名前に完全に慣れているな…。

まだ呼ばれて1日しか経っていないのに不思議な感覚だ。


「聞いちゃったんだ…水神様のこととか」


やはり村長との会話を聞かれていたらしい。

彼女の顔は俯いてよく見えないがどんな顔をしているんだろう。


「どこまで聞いた?」


「私が生贄になれば村のみんなが助かるってところまで…かな」


全て聞こえていたのか…。


「生贄なんてバカらしいよな。そんなことしたって救われない。それに、一ヶ月もすれば俺がなんとかできる」


「でも、村長が言ってたし。マヒロができなかったら…」


俯いた彼女の頬からきらめく何かが落ちた。


「大丈夫だ。できるから…信じ」


「私、大丈夫だよ」


臭いセリフを言い終わる前にニーナの声で俺の声は遮られた。

その声はニーナから発せられたものだと思えないほど透き通った決意の声だった。


「大丈夫って…。ニーナが死んじゃうってことだよ?」


「うん、わかってる。でも、それでみんなが助かるならそっちもいいなって思うの…。変かな?」


変ではない。

むしろこの村では生贄という概念はそこまで非日常ではないのだろう。

そして、彼女はまだ若くとても優しい心の持ち主なのだ。

それにどこか自分に対する肯定感が低い。

だからこの判断は"変"ではないのだろう。


元の世界にもいた。

気が良い故に損をする奴。

見ているだけで、同情してしまう。

なぜうまく立ち回れないのか、相手の気持ちを察しすぎるがあまり自分の主張を通せない。

そんな奴らを見てバカだと嘲笑っていた俺は自分の口から出た言葉に驚いた。


「それは変じゃないけど、酷いよ」


「どうして…?」


「ニーナの事を大切に思ってる人のこと全然考えてないからだよ」


気が良く損をする奴にも幸せになってほしいと願う奴らがいるのだ。

内心バカにしているつもりでいた俺でさえ、この純粋なニーナの人柄に影響されて彼女に彼女の生を諦めて欲しくないと思った。

元いた世界でもそうだったのだろう。

損してる奴にも心底幸せになってほしいと願う奴がいたのだろう。


「イヴァンさんや、村長さん。お手伝いさんに村の人達も誰一人ニーナにいなくなってほしいって思ってないよ」


「でも…みんなこのままだと…」


顔を上げたニーナの深緑の瞳に今度は大粒の涙が浮かぶ。

彼女はあの話を聞いてから今日一日ずっとこの事を考え続けていたのだろうか。

そして決意していたのだろうか。

自身の命と引き換えに村の人達を助ける選択を…。


「俺がなんとかする…。ニーナも、ニーナのお母さんも村の人達も」


「でも…で…も…」


瞳から大粒の涙が頬をつたって落ちてゆく。

この幻想的な風景の中泣く彼女は御伽噺に出てくる妖精のように美しく儚げだった。

俺は昨夜彼女にしてもらったように彼女の背中をさすり、彼女の瞳が乾くのを待った。



そして、しばらくするとニーナから予想外の質問が飛んできた。


「マヒロは…どうしてそんなに頑張ってくれるの?」


「頑張るって?」


「知らない村だよね…マヒロにとって言葉も違うし…。でも、村のために頑張ってくれるのはなんでだろうって…」


「ニーナ達のことが好きなんだよ」


「へ?!」


ニーナの瞳がぱっと開く。


本心だ。

ニーナをはじめイヴァンも村人やこの村の情景も雰囲気もすべて俺の知らない世界のはずなのに、どこか心が安らぎ暖かい気持ちになる。


「まだ、1日しか経ってないのに変だよな」


「へ、変じゃないよ!だって私嬉しいもん」


必死になって否定しているニーナの瞳には、もう死の決意はなかった。


俺だって嬉しいんだよ。

だから失いたくない。


家族ってこんな感じなんだろうか…。

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