第1話: 新しい人生の第一歩

 前世の同僚、倉木似のイヴァンとその娘ニーナは彼らの家に案内してくれた。

家への道すがら夜のパピュー村の風景を観察する。

とても夜空が綺麗だ。

意識を失っている間にずいぶんと時間が経っていたのだろう…。


 パプアニューギニア。

流石の大自然だ。

文明の発達が遅れているのだろう。

いや、これで文明は完成しているのかもしれない。

ジ○リの世界に迷い込んだ様な錯覚を覚える。

家々は全て木造でできており、屋根には瓦などなく、代わりに藁のような植物が束になって敷き詰められている。

そして、村の中央には高さ30メートルくらいの滝と直径10メートルほどの滝壺。

いや、小さい池といったほうがいいのかもしれない。


 その中でもイヴァンの家は村の中心にあった。

一際大きい家だ。

先程の老人がこの村の村長だと言う話はイヴァンから聞いていたので、その息子の家が大きいのは当たり前なのだろうか。

庭を通り抜け、木製のドアをくぐると、これまたジ○リを連想するような内装をしている。

リビングの中心には暖炉。

それらを囲む様に木製の長椅子が置かれている。


「どうぞ、かけてくれ」


「あ、はい!」


木製の椅子の上には動物の皮が敷かれており座り心地は悪くない。


「ところで、君の名前は?」


「ツシマヒロトです。」


怪訝そうな顔をされる。

しくじったかもしれない。

思いっきり日本人の名前だ。

ここらでは珍しいのだろう…。


「ツシ…なんだって?」


「マヒロ…」


 口を開いたのは俺ではなかった。

イヴァンの後ろから覗き込むようにこちらの様子を伺っていたニーナだ。

その案、そのまま使わせていただく!


「マヒロと申します」


 腰掛けたまま45度のお辞儀をする。

 サラリーマンが顔を出してしまった。


「それじゃぁ、マヒロ。

 今日はもう遅いから寝なさい。

 2階の部屋が一つ余っているからそこを使ってくれて構わない。詳しい話はまた明日だ」


「本日は泊めていただき、ありがとうございます」


もう一度深々と頭を下げる。

俺も明日から日本へ戻る計画を立てないといけない。


「む、子供とは思えないほど礼儀正しいな」


あ、サラリーマン癖を治さなければ…。

ただでさえ疑われているのだ、村八分にされるのは今後のことを考えてもよろしくない。

しばらくは全力で子供を演じよう。


「い、いえ〜」


にへらとした笑みを浮かべてみる。

顔はかなりひきつっているだろう。


「そうか、まぁいいや。

 ニーナ、部屋に案内して小暖炉の火を用意してやって。今日の夜は冷えそうだからな」


ニーナはイヴァンの後ろで首をこくこくと縦に振ると、トテトテと2階へ続く階段の方へ走り出した。

そして、こちらをちらりとみる。

着いてきてということだろう。

目が合うとすぐにそらされた。


「娘はシャイでね、手を出すなよ」


目がほんと怖い…。

倉木に娘ができたらこんな感じで溺愛するのだろうか。

イヴァンの視線から逃げるようにニーナの後について2階に上がった。




-----



 2階に上がるとたくさんの薪を抱えたニーナが待ち構えていた。

意外と力あるな。

一体どこから準備したのだろう。

くいくいと袖を引かれ案内された部屋は少し狭かった。


生前に住んでいた5畳トイレ風呂無しボロアパートに比べるとかなり清潔だ。

入院代の捻出でエリートサラリーマンが住むような高層ビルマンションには住んでいなかった。


部屋の家具は全て木製のベッドと机、椅子それに加えて壁には小型の暖炉が埋め込まれている。

イヴァンが言っていたのはこれだろう。

ニーナは部屋に入ると暖炉に薪を置いていく。


「手伝おうか?」


 こくこく


返事はないが頭が縦に揺れる。

先程は人見知りを発動して目が合わなかったが、今回は薪を綺麗に並べるのに夢中になっているのでこちらを見ることすらない。

それにしても綺麗に並べる。

凝り性だろうか。

薪をとってニーナが並べてるよう格子状、漢字の井の字のように並べていく。

しかし、火はどうやってつけるつもりだろうか。


「ふぅ…」


一仕事終えたかのように息を吐くとニーナは立ち上がった。

そしてまた俺の裾をくいくいと引く。

暖炉から離れてほしいのだろう。

指示通り暖炉から距離をとるとニーナは奇怪なポーズをとりはじめた。


 左手をぱっと開き腕をまっすぐに暖炉に向かって伸ばす。

その左腕を支えるように右手で左手首を握る。

まるで戦隊モノのヒーローや歌舞伎役者のような決めポーズだ。


「万物の根源たる炎よ、照し、燃えよ。フレア…」


 しゅぼッ


 は?え…。


ニーナがそう唱え終えた瞬間。

あり得ないことが起こった。

暖炉の格子状の薪全体に火が灯ったのだ。

見る限りチャッカマンやマッチも使っていない。

ニーナを見ると額の汗をぬぐっていた。


「そ、それじゃ!ね…」


ペコペコしてニーナはドアへ向かう。


「ちょ、ちょっと待ってくれるか!」


少し声が大きかったのかニーナの背中がビクッと跳ねる。


「な、なに…?」


振り返った彼女の目が少し潤んでいる。

声をかけただけだが、罪悪感が湧いてくる。

こんなに怯えてる子供に安心感を与えるにはどうすればいいのだろう。


「す、凄いな!今の。

どうやってやったんだ?」


ほめてみることにした。褒めて伸ばすのだ。

するとニーナの深緑の瞳が輝いた。


「ま、魔法!最近やっと…少し火の魔法が使えるようになったの!」


しどろもどろだが、ニーナは真っ直ぐ俺を見て言い切った。


 今のは魔法だと。


理解が追いつかないが、一つの仮説が頭をよぎる。

ここは俺のいた世界ではない。

メ○やメ○ミが存在するドラゴ○クエストの世界に似た世界なのだと。

違和感はいくらでもあった。

ただ、現実から目を背けたかっただけだ。

この綺麗な夜空は日本や姉のいるアメリカと繋がっているのだとそう思っていたかった。

しかし、それは完全に否定されたのだ。

ニーナの使った魔法によって。


自分に嫌気がさす…。

姉を助けるためだけに生きていた。

別に苦ではなかった。

むしろ、あの優しい姉の声をもう一度聞けるなら、それだけで幸せだと思っていた。

なのに…。

俺は自分がもう姉のことを気にする必要がないとわかった途端、とてつもない解放感を感じてしまったのだ。

生きる目標をなくしたのに。

ほっとしてしまったのだ。


この世界で俺は何も持っていない子供だ。


シルバーサックス若手エースの肩書きも、モテモテイケメンの肩書きも、投資の相談に乗ったお金持ちたちとの人脈も。


得たものが全て無くなり、目標も無くなった。

なのに、解放感と安心感が心を占拠している。


25年間生きた自分が崩れていく。

悔しくて。


涙が出た。




-----




 膝を抱えて上着の裾に頭を埋めて声を抑える。

どれくらいの時間そうしていただろうか。

背中には暖かい体温を感じる。

顔を上げるとニーナが隣に座り背中をさすってくれていた。

泣き腫れた俺と目があっても、目を逸らすことはない。

子供を心配させてしまった。

とても優しい子だな。

イヴァンが可愛がる理由がわかる。


「ありがとう。もう大丈夫」


「うん」


うんと言いつつも背中をさする優しい手は止まらない。

彼女の体温が背中に伝わる。

とても心地いい。 

泣いてすっきりしたからだろうか。


「いきなり泣き出して驚かせちゃったな」


ニーナは首をふるふると横に振る。

言葉数は少ないが、優しさが心にしみる。


「記憶ないから…?」


村長との受け答えで記憶が曖昧と言ったのを思い出した。

むしろ、前世の分までしっかりとあるのだけど。


「いや、故郷のことを思い出したら。つい…」


「故郷…。遠いの?」


「あぁ、とってもと遠いと思う。」


「帰れない…とか?」


「どうだろう。帰れない可能性の方が高いな」


「どこにあるの?」


「わからない。さっき見た夜空の星のどれかかな?」


「お星に住んでるの??」


ニーナが怪訝そうな顔をする。

星=惑星という認識がないのだろうか。

何かをひらめいたようにニーナは手を打ちはっと顔をあげる。


「こっち…」


ニーナは突然立ち上がると部屋の窓を開けて足をかけた。


「お、おい危ないって」


「大丈夫! きて」


窓から頭を出したと思えば2階の壁から屋根に登り始める。

意外とワイルドなところがあるのだろうか。

八歳児にしては大量の薪を抱えていたし。


「わ、わかったから!ちょっと待て」


ニーナの後を追い窓から壁づたいに屋根に登る。

それほど高いわけではないが、落ちれば骨を折るのは確実だろう。

屋根に手をついて足を引き上げる。

すると屋根の上でニーナが三角座りをしていた。

手でぽんぽんと自分の隣を叩いている。

座れということだろうか。


「意外とワイルドだな。ニーナは」


「ワイルド…?」


「いや、なんでもない」


俺もニーナの隣に腰を落として三角座りをする。

横に座るニーナと目があった。気のせいか少し頬が赤い。

すぐにそらされる。

そして、その瞳は真っ直ぐ夜空を見ていた。


「星、綺麗でしょ…」


空には幾千、幾万もの星が輝いている。

ニーナは俺にこれが見せたかったのだろう。

目を合わせればすぐにそらす人見知りが、魔法を見たと思ったら急に泣き出した意味不明な異郷の子供を励ますために。

本当に優しい子だ。


「故郷あるかな…?」


目線は相変わらず満点の星空だ。


「わからーん」


投げやりにいうと藁の屋根に背中から倒れ込む。

子供だけど、この少女は俺を励ましてくれたのだ。

いつまでもクヨクヨ悩むのでは大人の対応としては良くない。


「お星に住むってどんな感じなのかな…?」


「それを言うとここもお星だぞ」


「え?」


やはり、星=惑星の知識がない。

コペルニクスやガリレオはどこへ行ったのやらだ。


「星っていうのは宇宙っていう大きな箱があってそこにいっぱい存在してるんだ。

 ニーナたちが生きてるこの村も、その星の一個なんだよ。」


「え、ここお星様なの…?」


「そうだよ。信じられないだろ…?」


「そっか…。

 信じる! マヒロがいうんだもん」


「そ、そうか」


何をときめいているんだ。

ロリコンどころでは済まないぞ。

年齢的に。

というか、そんな信頼されてるのか。


しばらく二人で星を眺めながら屋根に横になった。

二人の間に会話はなかったが、それはとても居心地の良い時間だった。




-----




 寝床につくと、今日のことを振り返ることにした。


取引先の帰り道に事故に遭い死んだ。

その後、この世界に転生してきた。

これが輪廻転生なのか、その他の類なのかはわからないが、俺の年齢は容姿から判断して八歳程度なのだ。

生まれ変わったということではないのだろう。

そして、この世界は前いた世界とは違い魔法が存在する。

ゲームやアニメでしか見なかったあれだ。

この世界はきっとこれまでの常識が通用しないだろうし、この世界で生きる目的もない。

明日からどうしようか…。

いっそもう一度死ねば、あの世界に転生できるのだろうか。

リスクはあるが試してみる価値がないとは言えない。


 ふと先程見た夜空を思い出す。

あの夜空のどこかに地球があったとして、帰れるのだろうか。


[信じる!マヒロがいうんだもん]


なぜだろうか、ニーナの顔が浮かんだ。

信じる…か。

一度助けたからって、子供だな…。


 前世ではその信頼を何度裏切ってきたか。

生前の仕事は信頼を利益に変えるようなものだった。

絶対伸びない株式や債券を、信頼してくれる老人夫婦に押し付けたり

信用してくれていた酒蔵の主人を裏切り、先代から続く酒蔵を大企業に安値で売り払ったり、信頼を裏切ることで儲けてきた俺が今更信じてるの一言で前向きになるなんて何の皮肉だろう。


 明日からは自分にできることをやろう。

少しづつ。この世界でやれることをやろう。

これもニーナとの出会いのおかげだ。




-----




 朝起きて部屋を出ると下から珈琲のような良い匂いがしてきた。

深夜遅くまでデスクにへばりついて中毒のように飲んでいたのが懐かしい。

この世界にも珈琲豆は存在するのだろうか。


改めてこの非現実が夢でないことを自覚する。


珈琲の匂いにつられるようリビングに降りるとイヴァンが剣の手入れをしていた。

たぶん真剣だ。作り物には見えない。

だがもうこれに驚くことはない。

ここはドラ〇エと似た世界なのだ。

この様子だと魔物ややくそうなんてものもあってもおかしくない。


「おはようございます」


「お、おきたか。

 昨日は寝れたか?」


「は、はい。ちゃんと寝れました」


「そうか、今ニーナが朝食を準備しているところだ」


おい、イヴァン。

八歳児に厨房は早すぎるだろ。

それともこっちの世界では普通なのだろうか。


「ニーナがですか?」


「あ、あぁ」


「お母さんとかは…」


そう言いかけて後悔した。

イヴァンの顔が少し曇ったのだ。

離婚や死別なんて可能性もある。


イヴァンは訝しげな表情で俺を見た後、一階奥にある部屋の方へ視線をやる。


「俺の嫁、エレーナは奥の部屋で休んでる」


最悪のパターンは回避できた。


「体調が悪いんですか?」


「あぁ、昨日親父が言ってた病魔だ」


そういえば村長がそんなことを言っていた気がする。

そして、俺が病魔と同じ時期に来たのでよろしくないとも言っていた。


「どんな病ですか?」


「子供に言ってもわからないからな」


医学の知識であれば先進国日本にいた俺の方が理解しているはずだ。

ニーナの母が苦しんでいるのは少し気分が悪い。


「わ、わかります。

 医学には多少知識があるので…」


「医学?何だそれ」


医学は伝わらないのか…。

やはりこの世界の人々はやくそうや治癒魔法なんか使っているのだろうか。

ホ〇ミやべホ〇ミ、べ〇マが使えるとか…。


「病魔に詳しいってことです。」


「治癒魔法について知識があるのか?」


「はい!」


やけくそだ。

治してから魔術を使ったとでもいえば良い。

疫病を治して村長から信頼を獲得し、ニーナの母を助ける。 

これはまさに一石二鳥の機会だ。


「普通子供が治癒魔法なんて使えないはずだが…。まぁ、いい。見た方が早い」


そう言うとイヴァンは剣を地べたに置き、先程目線をやった奥の部屋へ俺を案内した。 


部屋に入り自分の考えの短絡さを呪うことになる。

これは多少の医療の知識では何ともならない、そんな問題だった。


 奥の部屋の大きなベッドにはイヴァンの妻であり、ニーナの母であるエレーナが横たわっていた。

髪や瞳の色はニーナと全く同じで、ニーナはエレーナに似たのだと一眼でわかる。

髪は長く伸び、その容姿はとても美人だったはずだ。

だが今の彼女顔や首には大きな黒い斑点が浮かんでおり、頬もこけている。


「エレーナ、具合はどうだ?」


横たわりやせ細ったエレーナは首だけを動かし、イヴァンを見る。


「少しマシよ。その子は?」


「あぁ、ニーナがウイナブの森で拾ってき子だ。予言の子かもしれない」


「そう、お名前は?」


エレーナの弱々しくて優しい目線が俺に移る。


「マヒロです。

 ここから少し離れた村からやってきました」


「こいつも治癒魔法にたけてるらしい」


「そう…でも…」


 エレーナの顔はうかばれない。

自身でも身体のことには気づいているのだろう。

この世界の治癒魔法がどのようなものかは知らないが、きっと彼女の病魔を取り払うことはできない。


「エレーナは二週間前から体調を崩した。マヒロ、原因の病魔がわかるか?」


藁にもすがる思いなのだろうか、イヴァンが不安そうな顔で俺に尋ねる。

それにしてもイヴァンは先ほどから病気ではなく病魔と言っている。

昨日の村長もだ。

この世界では病気は病魔と呼ばれているのだろうか。


「いえ…」


「そうか…」


「すみません…」


「良いのよ…。それよりニーナをよろしくね。

 あの子同年代の友達がいないから」


「おい、縁起の悪いことを言うな…」


「あら、ごめんなさい…」


エレーナとイヴァンの顔が陰る。


 この状況には見覚えがある。

長期休暇を取り、渡ったアメリカの総合病院の一室だ。

窓辺にはすみれの花がささった花瓶。

清潔感のあふれる薄草色のカーテンがはたはたと揺れている。

ベッドにはガリガリに痩せた姉が寝ている。

ただ寝ているのではない、目を覚さない深い眠りだ。

しかし、その顔はとても安らかだった。

俺は手を握り、声をかける。

しかし、当たり前だが返答はない。

取り残された方は行き場のないこの悲しみを一人で噛み締めるしかないのだ。



エレーナが力なく微笑むとイヴァン顔は苦痛に歪む。

その表情は当時の俺と何ら変わりなかったのだ。




-----




 ニーナの用意した朝食は味気がなかった。

ただ、薄味というよりはこれがこの村のスタンダードな朝食なのだろう。

豆を煮たスープと前世で言うところのパンに近い食感の食べ物、ラークというらしい。

それに加えてデザートはぶどうに似た果物。全体的にタンパク質の足りていない食事だが、文句は言ってられない。


「おいしい…?」


横に座るニーナの瞳がチラチラとこちらを見る。おそるおそると言った感じだ。


「あぁ、とってもおいしいよ」


正面のイヴァンからの睨みが強いが、なんとか笑顔を作って答える。


「良かった…」


ニーナの顔が朱色に変わる。

照れているのだろう。

一見無表情だと思っていたが、よく見ると表情がコロコロ変わる。


「ケッ」


こいつ、大人気なさすぎだろ。

八歳児の馴れ合いだぞ…。


「娘はやらん」


「おとーさん!」


バシンと机がゆれる。

やはり、照れているニーナは年相応の反応で可愛らしかった。




-----




 朝食を終えるとイヴァンに頼み村を案内してもらうことにした。

現状の把握をしなければ次の活動指針が立てられないからだ。

一石二鳥作戦は短絡的な考えで崩れ去ったのだ。

この村でしばらく生計を立てるためにも村の人たち、特に村長の信頼を得なければならない。


「ほら、いくぞ」


ニーナと思いのほか仲良くやっているからだろうか。

イヴァンの態度が露骨に悪くなっている気がする。

村に出ると夜には見られなかった光景が眼前に広がっていた。

やはりジ〇リを想起させるこの風景には元いた世界にはなかった物が溢れかえっていた。

羊のような毛をしているが、一本の長い角が生えた生物や豚の身体に鳥の羽が生えたような生物が飼育されている。

その他にも洗濯物を火の魔法で乾かすご婦人や、鳥を操り荷物を配り歩く老人など魔法も日常に溶け込んでいる。


 イヴァンいわく村の住民は皆役割分担をして、助け合って生活しているらしい。

ここらへんは日本の田舎町とか農村の生活形態に近いのかもしれない。

家畜を育てる役割のものは育てた家畜を村の住民に分配するし、洗濯物をしているご婦人は近所の人たちの洗い物をまとめて行う。


「マヒロも故郷に帰るまでこの村で生活するなら仕事をしてもらうからな」


「わかりました。

 ただ、何をすれば良いでしょう。」


「まぁ、もう少し大きくなったら狩りに連れていくが、それまで郵便係だろうな」


「狩り?」


「そうだ、冬が厳しい年は家畜だけでは生活できない。そうなれば村の青年を集めて狩りにでる」


モン〇ンみたいだな。


「それはちょっと楽しそうですね」


「何言ってんだ?命懸けだぞ。

 魔物と出くわすと全員で生還は不可能だしな」


「ま、魔物…」


やはりこの世界には魔物がいるのか…。

死者がでるということはスラ〇ムみたいなやわいやつだけでもないのだろう。


「なんだ?びびったのか」


イヴァンがニヤッと笑う。

こういうこところが本当に倉木に似ている。

ひょっとしてあいつも死んで、記憶がリセットした状態で生まれ変わったんじゃないか。


「はい。わた…俺の住んでいたところではいなかったので」


「魔物がいない街だと?

 そんな安全な場所があるのかよ」


「えっと…はい」


「それはぜひ引っ越ししたいくらいだ。

 まぁ、俺たちはこの村から離れられなんだけどな」


「なんでですか?」


「色々あるんだよ大人にはな」


そう言うとイヴァンは遠くを見た。

目線の先には滝壺に流れ落ちる綺麗な滝だ。


「綺麗ですね、あの滝」


「ん、あぁ。 村のシンボルだからな。

 あの滝壺からオレ達は水を引いてるんだ」


水を引いてるということは水路みたいなものが存在するのだろうか。


「水くらい魔法で簡単に用意できそうですけど…」


「あほか。魔法が使えるやつは限られてるんだよ。だから、こうやって井戸に水をひいてるんだ」


そう言うとイヴァンは近くの井戸にあるロープを引き、下から水桶を引き上げる。

井戸底を覗き込むと暗くてそこが見えない。

そして、違和感を感じた。

悪臭がするのだ。

それもイヴァンがロープを引き、水桶が登ってくるたびにだ。


「この水腐ってたりしますか?」


「アホ言うな水神リヴァール様の守る神聖な滝壺の水だ。この滝壺の水を飲みに観光客が来るくらいな」


水神リヴァール様には悪いが確実に水桶が地上に近づくにつれ悪臭が増している。

そして、水桶が井戸の口から顔を出した。 一見、綺麗に透き通る水だ。

だが、あり得ないほど臭い。


「ほれ、飲むか?」


「い、いえ…」


「なんだよ、それなら俺が飲む」


イヴァンが水桶に顔を近づける。

おかしいこれほどの刺激臭だ。

臭わないはずがないのだ。


「ま、待ってください!」


「なんだ?喉乾いてるんだけど」


「この下ってどうなってるんですか?」


「井戸の下か?昔あった遺跡に水をひいただけだから何もないはずだ」


遺跡に水を引いた?

水路の様なものだろうか。

これぐらいの文明では完璧な浄水処理などできているはずがないのだ。

とりわけこの水は怪しい。

衛生環境がなっていないのだ。

疫病が流行っているのもうなづける。

まて、疫病…。


劣悪な衛生環境

疫病

水の汚染

身体に浮き出る黒い斑点

エレーナのやせ細った身体


 パズルのピースがだんだん繋がってくるような感覚だ。

これはこの水を媒介にした感染症の類ではないだろうか。


「その水は捨てましょう」


「なんでだ?勿体ないぞ」


イヴァンの鼻が鈍感すぎるせいで全く取り合ってもらえない。

とりあえず、水桶をひっくり返す。


「何するんだよ…。勿体ないなぁ」


「みんなが、この井戸の水を飲むんですか?」


「そうだが、それがどうした」


「病魔の原因が分かったかも知れません」


「な、なんだと…」


イヴァンの表情がガラリと変わる。


「エレーナは…エレーナは助かるのか?」


原因が分かったところで既に感染している患者に対してできることは少ない。

抗生物質や薬剤のないこの世界では対処療法のみだ。

俺が江戸時代にタイムスリップした医師ならばアオカビからペニシリンを培養できたかもしれないが、そんな技術はない。

せっかく前世の記憶があるのにも関わらずとても中途半端だ。


「いえ…」


「そうか…」


期待をもたせた分もっと悪態をつかれるかと思ったが、イヴァンは曇った表情を浮かべるだけだった。


「ですが、これ以上この病魔を広げないことはできます」


「なんで病魔にそこまで詳しい

 お前の故郷では魔物はいなかったんだろ」


そこで初めて合点がいった。

彼らが病気を病魔と呼ぶ理由は単純だ。

日本の古い考えと同じく、病気は病魔といわれる魔物が引き起こしていると考えられているのだろう。

しかし、感染症はもちろん魔物が原因ではない。


「俺の父は治癒魔法で有名でした。

 なので一度見たことがあります。」


真っ赤な嘘だが、この場を乗り切るためだ。


「そうか…」


「イヴァンさん、俺は昨日この村に来たばかりですけど、皆さんの役に立ちたいです。

 協力していただけますか?」


この病魔と言われるものが感染症なら、まだこの村を救えるかもしれない。

いや、俺だからこそ救えるのだ。

こっちに来て間もないがイヴァンとニーナにはとても世話になっている。

出来ればこれ以上、彼らが悲しむ顔は見たくないのだ。


この病魔の広がりを断ち切る。

それが俺にできる新しい人生での第一歩なんだと思った。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る