第59話 灰は散り、闇に溶け込んだ

「あ、あの! オスカーの旦那。この番号の人は誰だかご存知なんで?」

「ああ。俺もデュランスと同じことが聞きたかったんだ。オスカー。覚えは?」

「ああ。囚人番号12004は……メルヒス。『鼠のメルヒス』だ」

「メルヒスって……あのメルヒスか!?」

「そうだ。この数字は間違いなくメルヒスだ」


 鼠のメルヒス。

 泊のついていない通り名とは裏腹に強盗、殺人、放火。してない犯罪はないのではないかというほどの凶悪犯罪者だ。 

 当初メルヒスは窃盗やスリといったケチな犯罪にしか手を染めていない小者だった。

 鼠のように姑息な犯罪を繰り返し、元々鼠に近い顔もしていたその男の欲望はとどまることを知らず、罪を犯すごとにエスカレートしていく。

 鼠がその数を増やすように次々と罪を重ねていくメルヒスはいつしかこう呼ばれた。『鼠のメルヒス』と。


「じゃ、じゃあこのメルヒスが脱走して、鼠の王になって、囚人を異形と変えていたってことですか?」

「揃った証拠を見るにそうとしか考えられないだろうな」


 兵士を集め、異形は体を”馴ら”しながら迷宮上層部へ向かっていた。

 狙いは国家転覆。新たな国家の立ち上げ。だったのではないだろうか。

 改めてここでメルヒスを止めることが出来て本当によかったと心から思うよ。


「アッシュ。お前は知っていたのか? こいつの正体を」

「……答える必要はないよ……」


 俺はアッシュがわずかに目を逸らした瞬間を見逃さなかった。

 単身でここへ潜り込み、鼠の王の正体をおそらく知っていたであろうこの忍者。

 こいつは一体どこまで知っているのだろうか。


「それともう一つ」

「まだ何かあるのかオスカー」

「ああ。これが一番重要な情報かもしれない……」

「……」

「メルヒスは知り合いにいつもこうこぼしていたらしい。『王様になりたい』と」

「王……だと?」

「ああ。自分の国をおこして全てを支配したい。口癖のように呟いていたそうだ」

「それってよお……なあオスカー……」

「ああ……」


 この穴蔵でメルヒスは自ら異形と成り果て兵を増やしていた。

 まるでこいつの夢が歪んだ形で叶っているみたいじゃないか……

 寒気とともに得体の知れない気味悪さが俺の肌を走っていた。


「それに……わからない点がまだ残っている」

「そうだねアイザック。メルヒスはどうやって脱走したのか。どうして鼠の王に、魔物に成り果てたのか。だろう?」


 オスカーの言う通りだった。

 アールンド刑務所の独居房に空いた大穴から囚人は逃げたとデュランスは言っていた。

 それがメルヒス独力で行われたとは到底思えなかった。

 あの堅牢な刑務所で大穴を開けるなど呪文を使わなければ到底実現不可能だ。

 だがメルヒスは盗賊だったはずだ。過去にメルヒスが呪文を使ったという話は一度も聞いていない。

 そして鼠の王への変貌。自らだけでなく他の囚人すらも異形化する程の力をメルヒスは得ていた。

 途方もない大きな何かがこの迷宮、いや、この国で起きている。

 鼠の王、メルヒスすらこれから起きる何かの先触れ程度でしかないのではないだろうかとすら思えてしまった。


「それにオスカー。一番大事なことが解決されてねえ」

「一番大事なこと?」

「俺達のレベルが戻ってねえってことだよ!」


 ものすごく……ものすごく重要なことだが俺達のレベルが元に戻っていない!

 メルヒスがレベルドレインの実行犯ではなかったという証拠を現実に突きつけられてしまった。

 謎が解けないどころか、新たな謎すら浮かび上がったこともゲンナリだが。

 正直レベルが戻らないことが一番残念だ。

 あの死闘は全部徒労に過ぎなかった。それが俺の疲労を更に倍増させていた。


「あ、アイザックの旦那……」

「ん? どしたんよデュランス?」

「隣にその……ほら……」


 デュランスはなんとも気まずそうな表情で俺の傍らに立っていたアッシュを指差す。

 エメラルド色をした美しい瞳が俺を抉るように見ている。

 やべやべやべ! こいつがいたこと忘れてた!! 


「レベル……? どういうこと……?」

「いや、どういうことだろうね。ベルティーナお前どう思う?」

「わた、私の美肌のレベルが激闘で下がっちゃったってこと、ことよねアイザック!?」

「そ、そう! もう300代だもんなお前! 気をつけるお年頃だもんな!」

「だから私はまだ200代だっつってんでしょうが!」

「……」

「はは、ははは……」

「えへ、えへへ……」


 沈黙がその場を支配していた。すでに加速は切れているってのに沈黙が永遠に感じられた。

 糸を切った時よりも心臓バクバクになってるんですが……


「なるほど……格上の異形すらも叩き伏せるその実力……糸を切った手際……レベル5の冒険者とは思えなかったが……ただのレベル5ではなかったってことだね……」

「ほらバレたー! アイザックあんた変なこと言うからバレたじゃない!」

「す、すまん……! 本当に本当にすまん!」


 しまった。死闘の生還からついつい油断してしまった!

 というかアッシュの存在感が薄すぎんだよ! うっかりしてるとこいつの存在を忘れてしまう!

 高レベル忍者は会話するにも戦闘するにも厄介すぎる!


「君たちは……レベルを吸い取られた冒険者だったんだね……その手腕……レベルは15以上……だね……」

「まあ……だいたいそんな感じ」

「いや……15じゃない……僕すら凌駕するほどの実力があるはずだ……まさか……20?」

「まあ……だいたいそんな感じ」

「20……!? 君たちは元最高レベルの冒険者だったのか……!」

「あーあーあ。アイザックあんた全部言っちゃうわけ?」

「へっへっへ。デュランス。私達も元レベル20って思われるほどの実力があるって思われてるみたいっスよ」

「お、おいやめろよ~。恥ずかしいじゃねえかよソニア~」


 ソニアとデュランスがニヘラと笑いながら照れあっている。

 たぶんアッシュが言っているのってさあ……たぶんだけどさあ……


「いや……僕が実力者だと思ってたのはファイター、侍、ウィザード、錬金術師だけだよ……君たちは動きが……お粗末だったから……」

「あ、はい……そっスよね……そっスよね……」

「……そ、そうですよね……ハハ、ハハハ……」

「アッシュお前そこは空気読めよ……うちの有望株の自信喪失しちゃってるじゃねえか……」

「……すまない」


 あーあーあー。ソニアとデュランスめちゃくちゃ悲しそうな表情で俯いちゃってるよ……

  

「ま、助けてくれたわけだし事情を話してやるよアッシュ」


 アッシュがいなかったら俺達全員めでたく鼠王国の国民デビューだったからな。

 悪いやつでもなさそうだし。まあ……いいかな。そんな諦めような気持ちも無きにしもあらず。

 俺はアッシュにこれまでの顛末を全て説明した。

 レベルを吸い取られたこと。

 この迷宮で起きている異変と繋がっているのではないかと睨みパーティを再結成したこと。

 蜘蛛に攫われている間に俺のデッキの主要戦力の殆どが駄目になったこと。

 主な主力戦力を更に詳しく説明しようとした所でベルティーナに止められてしまった。こっからが大事なのに……

 アッシュは俺の説明を聞くなり口元に手を当てブツブツと呟きながら考え込んでしまった。

 何を言っているのかは聞こえない。自分の持っている情報を精査するための呟きだろう。

 俺、ギフン、ベルティーナ、オスカーの目の色が変わる。

 俺達は言葉、音を無効にされる静寂サイレンスの呪文を掛けられた際にも連携を取る為に、唇の動きを読む読唇術を取得している。

 フードで口元が隠れているがそれでも顎の動き、布の上から動く唇の動きである程度の推察は可能だ。

 灰の忍者の呟きをつぶさに見やる。


『……レベル……欲望……ハザン……孵化……だが……しかし……』


 アッシュの唇から読み取れたのは四つの単語だった。

 ハザン!? 確かにアッシュは言っていた。ハザンと

 ハザンといえばリーゼッテが聖女として祭り上げられているこの国、アールンド王国の国教であるハザン教のことだろう。

 レベルは俺達のドレインのことを指しているはずだ。

 だけど孵化? 欲望? 欲望とはメルヒムの夢のことか?

 そこら辺はどうにもわからない。それにハザン教がどう関係しているというんだ?

 ハザン教のリーゼッテは何か知っているのだろうか。

 駄目だ推察するにも情報が少なすぎる。


「……すまない……用事が出来た……僕は帰還する……君たち……生きている囚人を……送り届けてくれ……。改めて助けてもらったこと……感謝する」

「え? あ、おいアッシュ!」


 アッシュは突然疾風の如く広場の出口へと駆けていった。

 駆ける音すら置き去りにその身は迷宮の闇へと溶け込んでいく。

 その場には散った灰が溶け込んだような空気だけが残っていた。

 灰の忍者アッシュ。去り際すらも儚い男だ。


「ありがとうなアッシュ。助かったぜ」

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