第137話 金に魅入られた男
〈マーベンは倒したんだよね?〉
悪魔化したマーベンとの激闘。それが終わり倒れ伏している彼を伺いながら、メアがリゲルに近づく。
周囲はすでに更地も同然の有様だった。抉れた地面に崩れ落ちた建物、熱風渦巻く大気。
およそ無事と言える光景はなく、辺り一帯が嵐にでも破壊されたかのようだった。
「うん、大丈夫だ。完全にマーベンの心臓は破壊した。『心臓が復活する』なんて反則スキルでもなければ、もう終わっている」
そういうリゲルの視線の先には、崩れ落ちているマーベンの姿があった。
復活する気配などない。元からそのような機能などない。
悪魔族の中には心臓を貫いても復活出来る種もいるが、彼が持っていたのは『人間を悪魔化するというだけ』という魔術具。
そもそもぞれ事態が破格だが、そこまでの機能はなく、もはやマーベンに逆転の目はなかった。
「うう……うあ……」
ぼろぼろと、体のそこかしこが脆い炭のように崩れていくマーベンは、低く呻きを上げる。
「俺は……負けたのか……」
茫漠とした、虚ろなマーベンのささやきにリゲルは油断なく返す。
「そうだ。……僕があなたの心臓を破壊し、機能を停止させた。あと数分でおそらくあなたの命は消え去るだろう」
「ふっふ……」
これから命が尽き息絶えるというのに、マーベンは奇妙なほどに穏やかな表情を浮かべていた。
「……これが俺の末路か……ろくでなしには相応しい……」
それは、自らの敗北への屈辱より、深い諦念がにじみ出ていた。
「勝手と思うが、俺の話を……聞いてくれるか……」
「――それがあなたの望みなら」
マーベンは、滔々と語りだした。
「……俺は、昔……六男坊として生を受けた……やかましい領主の父親と、アバズレの母親……兄たちは権力争いに躍起で、嫌な奴らだったよ……」
「……」
それが末期の言葉だとわかっているリゲルは、何も返さずに聞き入る。
「……俺は、自分の境遇を呪った。……自分の立場を憂いた……なぜ俺が? 『六番目』なのだ? 俺が長男や次男であったなら、存分に力を発揮出来るのに……蔑みや、哀れみの使用人の視線を受けながら……俺はこんなものは違う、間違っていると……思っていた……」
「……その気持ち、多少なら判る」
リゲルも六皇聖剣として一度は落ちぶれた身だ。理不尽な境遇の辛さ、もどかしさは理解出来る。
すでに体の半分が朽ちているマーベンは、静かに続けていった。
「……俺は……悔しかった……情けなかった……。自分でも何か出来るはずだと……そう思い……俺なりに足掻いた……。だが……駄目だった……。俺には、才覚などなかったのだ……。しかし、運命は俺に味方した。――不慮の事件で両親や兄たちが死に、俺だけが、家を相続出来る立場となった」
その言葉は静かに続いていく。
「滑稽よな……俺自身は、何も変わっていないというのに……周りが変わるだけで、俺の境遇が変わる……つまり努力など、全くの無意味ということだ……」
「……それは」
違う、と反論することは容易いのだろう。
しかし立場も生まれも何もかも違うマーベンと、リゲルの間には、相互理解出来る土壌などない。
彼は彼の赴くままに、過去を、己を語り続けるしかない。
「俺は……努力や誠実さの無意味さを知った……この世で、必要なのは金と……権力と、幸運……という名の偶然だけだった。……俺は、領主になり、民たちを虐げた……。それは愉悦に満ちていた。何故か……? それは、過去の自分への憤りや、過去の仕打ちからの反動があったからだ……民には、申し訳ないという気持ちは……今も持ち合わせていない……それが、俺の性根だからだ……」
マーベンは続ける。グズグズと、体のそこかしこが燃え尽きた炭のように崩れていく。
それはもはや生物として最低限の尊厳すら与えられることなく、虚空に消えていくことを意味している。
「……俺は、止まれなかった……権力というものが、これほど気持ち良いとは思わなかった……。俺の言葉一つで……あらゆるものが手に入った。金……名誉……女……俺がただの六男坊だった頃には、到底、成し得なかったもの……そういったものが……たった一言で手に入った……だから、部下に反逆され、一度は領主という地位を追われてからも……俺は傲慢で、愚劣だった……」
「……」
わずかな風が吹いた。それだけでマーベンの右腕が崩れ去っていく。
まるでこれまでの行いの天罰であるかのように。
彼は人でもなく、悪魔でもなく、ただの土塊になり、果てようとしている。
「……俺は、復讐を誓った……そんなときだ……『緑魔石』が現れたのは……同志となったダヤイと共に、俺の新たな力となった……『緑魔石』。あれは……俺に再び、『力』を与えた……前以上の力……『金』の力……無限に湧き出る……尽きることのない富……俺は、欲望に憑かれた……俺の最奥の、劣等感や復讐心、強欲といった、様々な感情が増幅され……俺は、この都市を……ヒルデリースを……支配した……」
声は虚しく響く。崩れ落ちる体がそれを助長させていく。
「それだけでは飽き足らず、『都市国家』の王として、君臨した……。この『緑魔石』には……効力に際限というものがない……」
マーベンがそこで視線を変えた。リゲルへと目を合わせ、真っ直ぐと見やる。
「……リゲルといったな。……これは……『緑魔石』とは何なのだ……無限に湧き出る力……普通ではない……欲望を増幅する……? その望みを叶える……その『原材』となるものは、どこから来ている……? 俺は……それが不思議でならん……」
「原材……?」
リゲルが眉をひそめた。
「そうだ……火は、何もないところからは生まれない……水も、何もないところからは生まれない……全ての物質や、現象は、理由があって……はじめて存在する。ならば……この『緑魔石』は何だ? ……いかなる原材を糧として、機能している……?」
マーベンのその問いは、ある意味で確信に迫っていた。
「賢者の知恵か……? 神の奇跡か……? いずれにしても、まっとうなものではない……それだけは……確かだ……」
マーベンの体がいよいよ原型を留めなくなっていく。
脚が、手が、耳が、肩が、いたる箇所が風化し、塵同然の存在と化していく。
「リゲル……この『緑魔石』を創った連中は、異常だ……この力……これだけで複数の国を支配に置ける……だが、これすらおそらくは……何かの『手段』に過ぎぬ……『緑魔石』は、ちっぽけな悪徳領主ですら、都市を支配者に変える、膨大なる力の結晶……。しかしこれすらも『手段』の一環に過ぎないとなれば……『これを創った者たち』は……」
「――悪いが。その考察は、あんたには無意味だぜ、マーベンさん」
突如、黒く輝く猛烈な勢いの矢が降り注いだ。
空気を切り裂き、真っ直ぐにマーベンへと降りかかる、破壊の矢。
直後、リゲルが放り投げていた魔石が反応する。
自動で《ゴーレム》八体が出現し降り注ぐ矢と相打ちになる。
ボロボロと崩れ落ちるゴーレムの残骸と粉塵の中、不敵な声が木霊する。
「あんたは無様に敗北した。『緑魔石』がどうのこうの、これを創ったやつがどうのこうの――そんなもの、『どうでも良い』だろう?」
再び撃ち放たれた黒矢がマーベンを襲う。
リゲルが《ガーゴイル》、《シールドトーテム》、《レイスソード》で防御し破砕した。
粉々になる黒矢を見て、それでも襲撃者は嘲笑う。
「死にかけで良心や冷静さを取り戻したか? ――もう遅いな。お前はそんな時間すら許されずに、敗者としてとっとと退場しろ」
「……誰だ……?」
上空、左右、斜め上。
全ての咆哮から飛来した黒矢を、リゲルが魔石へ迎撃する。
《ゴーレム》や《ガーゴイル》を中心とした防御陣形は、容易く襲撃者の攻撃を防ぎ、しのぎ、マーベンの殺害を妨害する。
「――誰だと聞かれたのなら教えてやろう。どうせお前は死にかけだ」
粉塵を吹き払い、下卑た笑いの男が長弓を携えながら歩み寄ってきた。
粗野で長身、筋肉質な風体は探索者にも見える。
だがそのぎらぎらとした瞳は宝を求める野心の瞳でも、闘いに意義を見出す戦士のそれとも違う。
簒奪者。ただ奪うために喜びを得て糧とする――外道に位置する者の瞳。
「俺の名はダード。――いや、『ダールドス』と呼んだ方が通りが良いかな?」
「――っ! この都市の一流探索者……っ!」
マーベンは体が崩れるのも構わずに叫びを上げた。
「ランク『
「わからないか?」
ダールドスは痴呆の人間でも見るからのように、下卑た笑いのまま手を差し出した。
「――俺も『緑魔石』の所有者だ。今は無様な敗者であるお前を殺しに来た」
甲高い音と、軋み合う音。それらが瞬間、同時に奏でられる。
一つはダールドス――彼が黒矢を放った音。もうひとつはリゲル――『転移短剣バスラ』を投げた音だ。
二つの武具は衝突し拮抗し、黒矢が破砕されたところで、短剣はリゲルの手元に戻っていく。
「ほう、すげえ。そんな真似も出来るのか」
ダールドスは心底感心したかのような口ぶりでリゲルの迎撃を讃えた。
「さすがはギエルダの英雄。すごい武器持ってるじゃないか」
「……末期のマーベンの言葉だ。それくらい聞いてあげても良いと、僕は思っているけど?」
ダールドスは腹を抱えて大笑した。
「ひ、ひひ、ひひはははは! 滑稽! 無様だな! 正義の真似も大概にしろよギエルダの英雄! クズのマーベンが死に際になってもクズなのは変わらなねえんだよ! 同情して感情移入か? それとも過去の自分と重ね合わせたか? ――いずれにせよくだらねえ! お前はつまらない男だよ、英雄リゲル!」
「――薙ぎ払え、《ヒートウルフ》、《ベノムウルフ》、《アイアンブレイド》」
リゲルの放り投げた数種類の魔石から、猛烈な光が迸った。火炎の狼、毒の狼、浮遊する鉄製の刃が、ダールドスを襲うが彼は黒矢で全て撃ち落とす。
「――くはは! 無駄だ! マーベンは! すでに終わった人間だ! そんな男の話、聞く価値など何もない! どこにもない! 死ね! リゲル! マーベン諸共な!」
手にした長弓から、膨大な魔力が放出される。
リゲルは悟った。あれは―― 一級の武具だ。おそらく《迷宮》の深部で手にした一品。
溢れる魔力だけで周囲の瓦礫が吹き飛んでいく。
崩れ行くマーベンがさらに風化を加速させていく。
「――まだマーベンには語ってもらうべき言葉がある」
リゲルはマーベンを守るように立つと、魔石を投擲。《スノーホワイト》、《レプリカ・クロノス・クラウン》を召喚。
氷の力と小規模だが時の力を司る魔石により、マーベンを凍結、時間固定させる。
これにより、マーベンが風化で死ぬことは先延ばしにされた。
ほぼ同時、《エルダートリックラビット》で、マーベンを、遠い場所へと一時的に避難させることも忘れない。
後で話を聞くことは重要だ。
「おいおいリゲル! 死にかけを氷漬けにしてどうする!? そいつに価値はない! もうヒルデリースの支配者はいない! それはもうただの残骸だ!」
「どんな理屈であれ、僕には彼の最後の言葉を聞く義務がある。邪魔をするのなら容赦はしない。――ダールドス、こちらには君を打破、捕縛する準備がある」
「きひひ、くははははは! やってみろ!」
ダード、あるいはダールドス。そういった人間がいることはギルド騎士ミーナから一応の報告は受けていた。
片や借金に追われた享楽者。
片や、最近頭角を現した探索者。
両者が同一人物だとは知らなかったが、会話から推察は出来る。
――ダードは、おそらく『緑魔石』を得て探索者として再興を果たした、探索者であると。
「打破!? 捕縛!? やれるものならやってみろよ! 俺の『緑魔石』は――」
直後、リゲルは悪寒を感じて背後に跳躍した。
寸前まで彼がいた地面に、蟻地獄のような魔物が現れ、一瞬で虚空へ噛みつく。鋭い牙。一瞬でも遅れていたら片足が千切れていただろう。
「まだまだ――ほら、よそ見してる暇ないぜ!?」
〈リゲルさん!〉
メアの声を聞くまでもなく怖気がリゲルの背筋を走る。
これは――まさか。背後より迫る鋭い刃をかわし、直上より飛来する太い棍棒を避ける。紅蓮の火炎の渦が、猛熱と共にリゲルの周囲へ荒れ狂う。
「これは――まさか」
「そうだ、リゲル。その想像の通り」
ダールドスは、両腕を翼のように広げたまま、げらげらと不敵な笑みを浮かべてみせる。
「――《レイスソード》に《キュクロプス》に《ブレイズフォックス》。そう――」
一拍置いて、ダールドスは告げる。
「――今のは、『魔石』による攻撃だ」
リゲルの額に、一筋の汗がにじみ出る。
それはある意味最悪な事態だ。
彼が危惧していた中で、最も危険な相手という証左。
――可能性だけなら、考えていた。だが本当に? このタイミングで? それが現れることは都合が悪い。
「お前には、何より身近な光景に思えるだろう? 『魔石』。――お前が使用する戦術。魔物の力を持った石を駆使する。これ以上ない、身近な光景だからなぁ?」
「――お前は」
リゲルは、転移短剣バスラを油断なく握り締める。魔石を投擲。不意の事態にも対応出来るように散布する。
「ダールドス。お前の『緑魔石』は――『金』を生み出す種類か」
「ご明察。分類としてはマーベンが使っていたもんと同類だ。――そして」
マーベンは、両手から多数の『魔石』をばら撒く。
赤く、赤く、宝石のように煌めく光。リゲルが日頃から何より知る――魔物の力を封じた神秘の石。
「――はは! 顕現せよ、《アクトスパイダー》、《ベノムアント》、《マッドカメリオン》、《ワイバーン》、《アイアンゴーレム》、《ホブゴブリン》、《ブラックドッグ》、《コボルドウォーリア》、《エルダーリザードマン》!」
魔石が。
魔石が。
魔石が。
魔石が。
煌々と光る。発現する。
この世に魔物の力を纏い。地上に災禍を撒き散らすために。猛烈なる光と咆哮と――怒号じみた鳴き声と共に、数多の魔物が、具現化していく。
「やはり、これは――」
「そうだ、リゲル。俺の『緑魔石』は金を司る。――つまり、金の力で無数の『魔石を買う』ことが出来る」
〈えっ!?〉
メアが空中で震える。考えうる限り、最悪に近い状況。
「これが、どういうことか判るか? ――俺は、『お前と同じことが出来る』んだよ! 魔物という、人外の力を使って、相手を蹂躙する。つまりは――『魔石使い』。俺は、お前と同じ存在だよ! リゲル!」
《アクトスパイダー》、
《ベノムアント》、
《マッドカメリオン》、
《ワイバーン》、
《アイアンゴーレム》、
《ホブゴブリン》、
《ブラックドッグ》、
《コボルドウォーリア》、
《エルダーリザードマン》。
その他、多数の魔石が周囲にばら撒かれていく。甲高い声、無骨な声、野蛮な声。それは様々だ。
それは、まさに魔物の博覧会。魔物という、人間を殺し、文明を破壊する超越者の群れ。
「――GYAOOO! OOOOOOOOOOOOO――ッ!」
さらに、ダールドスの背後には、巨大な影持つ長大なる魔物――。
迷宮の暴君、最高位に近い、ランク八、《タイラントワーム》の巨影までもが出現する。
〈そんな!? タイラントワームまで!?〉
メアが驚愕に顔を染める。傍らでギルド騎士ミーナが唇を噛んだ。リゲルが所持している魔石をいくつも散布させる。
――魔石使い対魔石使い。
魔物を操りし者と、同じく魔物を操る者。
これまでリゲルが経験したことのない――『緑魔石』による、無尽蔵の『金』の力による――同じ戦略の使い手との激闘が、幕を開けていく。
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