第134話  悪徳のマーベン

「お願いだ、助けてくれ!」

「もう私たちを苦しめるのはやめて!」


 都市ヒルデリースでは多くの民衆が苦難に喘いでいた。


「もう都市がおかしくなるのは沢山だ!」

「息子を、娘たちを返してくれ!」


 号泣する者、悲嘆に暮れる者、怒りに身を任す者、それはそれぞれだ。

 だが、都市国家の長となったマーベンにとってそれらは虫けらの奏でる騒音に等しい。


「ああ――塵のような虫どもが無様にさえずっている」


 マーベンはこころを震わせる。

 広大なる屋敷の中で、豪奢なバルコニーの中で席に座り、悠々とワインを煽る彼の声音には一片の哀れみすら浮かんでいない。


「虫が、きいきいと鳴いている。大切なことのように、かけがいのないもののように。それは騒音だ。俺にとってあれらは、かしましい雑音にしかならない」


 あおったワインを喉に通らせ、お代わりとばかりに手を差し出す。

 その先には、薄着の衣装をした若い娘が召使いをしていた。

 娼婦と思われても仕方ないほど薄く、扇情的な衣装だ。


「俺はこの世の覇者だ。王なのだ。そうは思わないかね、ん?」


 給仕役である娘は、作られた笑みで応じる。

 彼女は、マーバンが都市の中で見繕った彼好みの娘だった。

 『金』を生み出す力を持つ『緑魔石』によって買い取り、自分の召使いとして使役させられている娘たち。


「あ……っ」


 マーベンが、その薄い衣装の胸元に、手を伸ばし、柔らかな感触を堪能しながら、彼は語る。


「いい光景だ。いこの世の全ては俺の者。贅沢、酒宴、羨望――そういったものを集積する。堪能し、欲望のままに生きる。これこそ最高の娯楽というものだ」


 屋敷の外壁の外で、今も数多の人々が悲嘆に暮れている。

 彼らの目には涙や怒りで溢れている。


「都市を元に戻せ!」

「何が都市国家ヒルデリースだ! この都市は俺たちのものだ!」

「マーベン死すべし!」「マーベン!」「マーベン!」

「――ふ、はは。少しばかり、うるさいな。――ダヤイ、邪魔な騒音の元を排除しろ」

『了解ですぜ、旦那』


 直後、人々の群れから甲高い悲鳴がいくつも上がった。

 遠目にも判るほどの血飛沫、炸裂音。盗賊でありマーベンの同志、ダヤイの行った爆薬の投擲だ。

 火薬をたっぷり詰め込まれた小型の爆弾は、民衆の体と命を木っ端微塵にして数名もの死傷者を出した。

 悲鳴や怒号が先程の数倍に増し、都市の一角に響き渡っていく。


「ふふ、あっははははははは!」


 マーバンは笑いが止まらない。


「素晴らしい! 素晴らしいな『緑魔石』は! いかなる理不尽もばら撒ける! いかなる強欲も満たせる! これぞ、この世の悦楽の到達点よ。俺は今、最高に気分がいい」


 召使いである娘が隣でがたがたと震えていた。

 マーベンの凶行を間近で見ながらも止めることが出来ない。その理不尽さに、恐怖と、無力感を覚えてながら怯えるしかない。


「どうした? もっと近くで観るが良い。ここは特等席だ。お前には共に見られる権利があるぞ、ん?」


 肩を抱き寄せ、まるで極上の花嫁であるかのように、その華奢な娘を扱うマーベン。

 だがその手は胸や肩を撫で周し、いやらしい手つきのままだ。娘は嫌悪を必死に押し隠し、愛撫されていくのを我慢する。


「……お、たわむれを、マーベンさま」

「くく。お前はまだここに来て二日だ。まだ慣れないかね? ふふ、すぐに慣れるとも。この享楽の日々をな。俺のもとで使役し、俺のもとで女としての悦びを味わう。――今日はまだ少し日が高いが、どれ、一つ味見でもしてみるとするか。生娘の味は格別なのだからな――」

『マーベンの旦那』


 不意に。

 外壁の縁にいるはずのダヤイから、低い声音が届いてきた。


「……なんだ良い時に。貴様と言えど、俺の邪魔をするとは。後できつい罰を――」

『上空。極めて強い魔力の反応がありやす。警戒してください。やばいですぜ』


 マーベンは、肩を抱いていた娘を押しのけると、即座に足元の宝石箱を持ち上げた。

 その中から『遠視』の能力を持つ魔術具を取り上げる。

 直上。

 太陽のすぐ横合いから、真っ直ぐ――急速に進んでくる影がある。


「――なんだ、あれは?」

『わかりません。ですが相当にやばいのはわかりやす。対応を』


 ダヤイはマーベンと同じく『金』の力を持つ『緑魔石』の保有者だ。金の力に身を任せ、相当な装備や傭兵を雇っている。

 その彼が、マーベンの屋敷の守護を司っている彼が、『やばい』と評した。

 それは冗談ではない。怖気を覚えるほどの――障害。


「――ちっ。《ガーゴイル》の翼をまとわせた傭兵を三百人、迎撃に向かわせろ。それと、ハイボウガンを装備させた《エルダーシュバルツゴーレム》で対空射撃させる」

『了解――ん、なんだありゃ!?』


 通信先のダヤイが驚きの声を上げた。マーベンも『遠視』の魔術具で空を仰ぐ。

 影が、増えていた。

 直上から猛進する襲来物。それが、いつの間にか――三十ほどに増殖している。


「なんだ、どうした!」

『形からすると、《ワイバーン》? いやもっと大きい。太陽光でよく分かりませんが……それは確かです』


 ダヤイが焦りの声を出した。


『旦那! 魔力の桁が跳ね上がった! あれは偽装していたのか!? やばい! 《一級》クラスの猛者です!』

「――ただちに対空攻撃しろ!」


 間髪入れず、マーベンは命令を放った。

 直後、屋敷の周囲を囲う約九万体の、黒いゴーレムの三割から鋭いボウガンの射撃が放たれる。

 轟、轟、轟、音を切り、凄まじい速度と貫通性を誇る重金属の矢が遥か彼方の空へと飛んでいく。

 見るもおぞましいほどの矢の雨だ。重力に逆らい猛速度で撃ち放たれるそれは逆さまの豪雨に等しい。

 これをかわせる者などいない。耐えきる者などいない。そう確信出来るほどの猛威。

 だが。


「GYAAAAOOOOOッ!」


 火炎が、吐き出された。上空の飛来者三十の影から、猛熱の、豪速の、燃え盛る火炎が放たれ、矢の雨を溶かし尽くしていく。

 二千度に匹敵する猛火だ。それ矢を飴のように溶かし、吹き飛ばし、バラバラと、飛散させていく。


「――くそ、畳みかけろ! 矢はいくらでもある! 襲来者が死ぬまで続けよ――」

『旦那! 敵の数が『七十』に増えました!』

「なん……だと?」


 マーベンはぎょっとする。

 万を超える矢の雨を、溶かし切る襲撃者が、さらに倍以上に? 

 嘘だ、あり得ない。いったいいかなる魔術があれば、そんなことが実現出来るのだ?


 マーベンは一瞬の間にいくつもの可能性を思案した。だが結論は出ない。対処療法するしかない。


「――っ、撃て、撃て撃て! 撃ちまくれ! 相手が生物だとしたら、いずれ限界は訪れる! この矢の雨をしのぎ切るなど不可能だ! 仕留めるまで撃ち続けろ!」

『くそ――旦那、何かとんでもねえ魔力の塊が、そっちに――がっ!?』

「ダヤイ? ――おいダヤイ、どうしたっ!?」


 マーベンが泡を食ったように通信具へごなり声を散らす。

 しかし通信先の盗賊からは返答がなかった。

 死んだ? あるいは通信具を破壊された?

 いずれにせよ相当な手練れだ。修羅場をいくつもくぐってきたダヤイを奇襲出来るなら名うての猛者が相手。


 マーベンはすぐさま全力で迎撃出来るように屋敷内に入ろうと試みた。

 だがハッとする。


 ――目の前に、何者かがいた。

 一瞬前まで、何もなかった空間に。この都市で最も安全なはずの、マーベンの屋敷のバルコニーの一角に何者かが。


 それは悠々と。当然のように。

 若いしなやかな肉体の、柔らかな表情の、少年だった。


「……何者だ?」

「はじめまして。都市国家ヒルデリースの王、マーベン閣下。あるいは、元悪徳領主のマーベン閣下とお呼びすればいいかな?」


「貴様、誰だと聞いている!」


 重ねて怒声を交えて誰何するマーベンに、少年は、小さく笑んだ。


「僕の名はリゲル。特権探索者の一人と言えば、判るだろうか?」

「――都市ギエルダの英雄! 『青魔石事変』の功労者か! 死ね!」


 マーベンは右手に持っていた錫杖から隠しナイフを射出した。音速で毒入りの刃を放つことが出来る暗器である。

 しかし、それを予期していたかのように少年は避け、手元から紅い石――『魔石』をいくつも放り投げる。


「――疾走せよ、《ホブウルフ》、《ブラックドッグ》、《ハイドグリズリー》!」


 獰猛な牙と詰めを持つ、猛獣型の魔物が出現し、マーベンへと殺到する。


「くっ、うおおおおおお!?」


 マーベンは錫杖で一体の猛獣は退けたが続く、第二、第三の襲撃には対応出来なかった。

 錫杖を爪で弾かれ、予備のナイフも弾かれた彼は、バルコニーの隅に追いやられる。


「――くっ、おい! ナーナ! 出番だ! 俺の身を守れ!」

「残念。彼女はとっくにいなくなったよ」

「っ!?」


 マーベンは驚愕した。召使い兼――護衛として侍らせていた娘がいつの間にか消えている。

 いや、正確には、リゲルの足元で倒れている。


「な――いつの間に!?」

「最初の名乗り合いのときにだよ。《パラライズビー》の魔石でちょっとね。……マーベン。護衛にはもう少し気を使った方が良いと思う」

「くそがあああ!」


 歯切りしするマーベンはすぐに次の行動に移った。

 指にはめていた宝石付きの指輪を打ち鳴らす。


 瞬間、ゴゴゴゴッ、とバルコニーの一角が稼働した。マーベンの姿が下に移る。瞬時に下降する。

 魔術を応用した可変式バルコニーの機能の一つだ。マーベンは即座に階下へと降りた。


「――仕掛けがあるか。当然だね。――マルコ! そっちに向かった!」

 


 

 ――くそったれ、くそったれ、くそったれ!

 マーベンは廊下を走りながら悪罵をついた。


 何がギエルダの英雄だ、舐めやがって! このマーベンの屋敷に乗り込んでただですむと思うな!

 ここには貴様らが想像するより遥かに強大な護身の存在がいるのだ!


 外苑には九万を超える上位ゴーレムの守り。ガーゴイル系の布陣。さらには必要に応じて現れる、臨時召喚式の下級悪魔軍団がいる。

 それらを前に俺を打破するなど不可能だ! 誰にも自分を止められることは出来ない!


「そうだ! ふはは! 見ておれ、襲撃者め! 俺が必ず貴様を倒し――」


 刹那、廊下の陰から巨大な盾を持つ何者かが突進し、マーベンへと突貫してくる。


「くっ!? なんだ!? ――『ヒエラウロスの魔剣』!」


 マーベンは、咄嗟に金の力で購入していた護身用の剣で受け止めた。

 『人を不幸に陥れるほど強度や切断力が増大する』という血塗られた魔剣は、大質量の大盾すらしのぎ、膠着状態へと持ち込む。


「……ぐ、ぬう……っ、誰だかは知らんが、俺の邪魔をするのは愚かだな! 貴様、明日には首だけで都市の池にでも放り込んでなるぞ!」

「それはどうでしょう? ――テレジア!」


 マーベンがぞっと背筋を逆立てた。

 マーベンが何か早く行動を起こすより先に、いきなり天井の一角が崩れ、マーベンへ、メイスを叩き下ろす影がある。


「う、おおおおおおおお!?」


 重量感あるメイスの一撃に、マーベンは懸命にヒエラウロスの魔剣を振るう。

 甲高く、重々しい音が響き、束の間、マーベンの腕に衝撃が響き渡る。


 闘い慣れしていない彼の体が、一瞬硬直する。大盾の何者かが突貫。

 マーベンはかろうじて対応する。腰に下げていたもう一つの魔剣――『リーエンディガの魔剣』を大きく振るう。

 屋敷中に響き渡ったのではなないか――というような、大音響が炸裂する。


「ぐうっ!? なんだこやつらは!?」

「――あなたを止める者たちです」


 大盾の何者かが、凄まじい腕力でマーベンの魔剣ごと押してくる。

 マーベンはほぞを噛んだ。

 リーエンディガの魔剣は、『一度見た相手に重度の呪いを付与する』という強力なものだ。


 だが大盾で姿が見えない相手には効果がない。

 右手ではテレジアと呼ばれた影――よく見れば美貌の少女だ――金髪で意思の強そうな美少女――凛然とした瞳で、メイスを巧みに操るせいで、マーベンは文字通り両手が完全に塞がれている。


「ぐうっ! ぬうう! ――ダヤイ! 何をしている!? ダヤイ! くそ、外壁の守りは!? どうなっている!? 屋敷には防護の結界もあったはず! どうして侵入者が――」

「それは、メアの『宝剣』のおかげだよ」


 横合いから、凄まじい音と共に壁が吹き飛んだ。

 濛々とたちこめる粉塵をかき分け、悠々と先程の少年、リゲルが姿を現す。

 傍らには十二体の猛獣型の魔物。そして彼の真上には――。


「ご、ゴースト?」


 半透明に見え優雅なドレスに身を包んだ、可憐な幽体の少女が、六本の煌びやかな宝剣を待機させ、悠然と浮遊していた。


〈はじめまして、マーベンさん! 悪い元領主! 成敗しに来たよ!〉

「なにが……貴様たちは一体……っ!?」


 マーベンが奥の手として首にかけていたネックレスに呪文を唱えようとした。

 しかし、それを見透かしたリゲルが右手に持っていた短剣を投げ放つ。

 転移短剣バスラによる猛撃は、マーベンの付けていたネックレスを打ち砕き、彼を容易に吹き飛ばす。


「ぐはっ!?」


 何度も床に転がり、石柱にぶつかり衝撃。気を失いかけるほどの衝突を経て、マーベンは起き上がりかけるが。


「チェックメイトだよ」


 いきなり頭上から跳躍してきたリゲルの足蹴りで、右腕が折られた。


「ぐ、ぐわああああああ!?」

「……少し乱暴だけど、あなたにはそれだけの罪がある。大人しくこの場で拘束しておいてもらう」


 片腕を折られたマーベンが、激痛に腕を押さえ呻きを上げる。

 親の仇でも見るような視線が、真っ直ぐリゲルや、その仲間たちに注がれる。


「貴様! 貴様らぁぁぁ! こんなことをしてどうなるかわかっているのか!? 俺はこのヒルデリースの支配者だぞっ!」

「知っているよ。だから予めこの都市を知るギルド騎士から内部情報を聞いた。そして遠視や透視の力を持つ『魔石』で、この屋敷の構造や弱点を看破。守りが手薄い直上から奇襲を仕掛け、突破力のある仲間が屋敷へと潜入。今に至る。理解できた?」

「くそが! くそがぁぁぁぁ! ダヤイ! おいダヤイ! 何をしている!? 何とかしろ!」


 リゲルは不思議そうな顔をして首を傾げた。


「その名前の盗賊なら、とっくにメアが気絶させて今は夢の中だ。――いや、悪夢の中かもしれないけれどね」

「くそ、馬鹿な……っ」


 マーベンは、折られた右腕の痛みも忘れて茫然と呟いた。


「こんな……俺の守りと装備が、あっさりと……?」


 リゲルは半分苦笑しつつ、半分は呆れた声音で言った。


「マーベン。あなたは誰かを攻めることにかけては秀でていても、攻められることは慣れていないようだった。――捕獲完了だ。ヒルデリースの王は無力化した」

「馬鹿な……馬鹿な、馬鹿な、馬鹿なぁぁぁぁあ!?」


 屋敷中に、マーベンの驚愕と絶望の声が木霊した。


「くそ――こうなれば俺は――っ!」


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