第133話  ヒルデリースの少女騎士

「はっ、はっ、はっ、はっ――」


 夜の闇が支配する中、一人の少女が懸命に走っていた。


 苦しい。息が出来ない。そんな苦境をあらわすかのように荒い息と焦燥の顔。

 幽霊の森であるかのように梢が細かく鳴り、この世ならざる不気味な演奏を行っていく。

 ケタケタ、ケタケタ。――どっちへ行くの? そっちは地獄だよ? 帰れないよ?

 幻聴でも聴こえそうな暗闇の木々の中、少女は脇目も振らず走っていく。


「もうすぐです、ミーナさん。この先へ辿り着ければ安全地帯に着きます」


 同行していた白髪混じりの男性が荒い息のまま言った。


「わかっています。隣町まで行けばひとまずは」

「そうですな、そこで英気を養い、他のギルド騎士と合流を――ぐがっ!?」


 瞬間。遥か頭上から飛来した大ぶりなナイフが、その男性の頭を貫いた。

 脳天ごと刺し貫かれた彼は、夜の闇の森の中で方だをかしがせ、永遠に物言わぬ屍となる。


「カルサさん! ――くっ、[共鳴の精霊よ!]」


 続いて飛来した第二のナイフに対抗する。

 魔術の詠唱をすることでかろうじて対応。

 腰に下げていた二振りの剣が、同時に動き、飛来する死の銀閃を弾く。


 《共鳴》の魔術。

 二つある何かを操り、意のものとする魔術である。


 この魔術によって相似する物体は攻撃、防御、補助など様々な効力を発揮出来、全力ならば最大で二百メートル以内の物体を十種類まで操ることも可能だった。


「――っ、右と、左斜め上!」


 ミーナと呼ばれた少女は返す刀で飛来する別方向のナイフを迎撃。

 さらに真後ろからのナイフも跳躍した避けた。――だが。


「ぐあああっ!」

「がっ……っ、不覚……っ!」


 同行していた、もう二人の男性がさらに別方向のナイフに貫かれる。

 倒れ伏す。

 刺された箇所からして致命傷だ。

 治癒は絶望的。――ミーナは歯噛みする。自分は騎士なのに、何も出来ない。悔しい、悔しい、悔しい!

 ――その一瞬の隙が、彼女に直上よりのナイフと気配に気づかせるのを遅らせた。


「あ……」

「死ね。ギルド騎士」


 まるで矢のごとく飛来したナイフが、視界間近まで迫る。

 続く鉤爪の黒装束の刺客の攻撃が、ミーナを死の淵へ追い込む。

 ナイフは双剣で弾いた。

 だが続く鉤爪の一撃は防げなかった。


 ミーナは体勢を崩し、背後の樹木に激突し、一秒に満たない隙がさらに増大してしまう。


「くっ、あ……」

「生き残りには死を。――我ら楽園創造会シャンバラの礎になるが良い」


 振りかざされた鉤爪が、少女の胸を貫こうとしたとき――。


 

「――凍てつかせよ! 《フローズンエレメント》!」


 

 直上より響いた声と冷気が黒装束を凍りつかせた。

 比喩ではない。文字通り冷気はたちまち黒装束の体を包囲、凍結。数秒の間も与えずに一瞬で氷像と化させる。


 ミーナが驚いて双剣を再び構える。目前には、鉤爪を振り上げようとした黒装束が生きた氷のオブジェとなっていた。

 ――助かった。でも誰が? 一体どうして?


「――誰!? そこにいるのは!?」


 夜闇の空に向かってミーナが叫ぶ。

 直後、大砲のように一人の少年が振ってきた。

 落下し、地面に直撃する寸前――彼の手から放たれた魔石から風が噴出――落下速度を緩め、ゆるやかに着地する。


「……それは、魔石? 一体あなたは……」


 暗闇の森の枝の合間から、わずかに月の光が降り注ぐ。

 淡い天からの光は、彼と、その手に持つ魔石をあらわにする。


 それは柔らかな風貌の少年だった。細身だがしっかりとした体つき。気配から歴戦を経た勇士であることが伺える。


「……騎士? いえ、探索者?」

「失礼しました。僕の名はリゲル。都市ギエルダから応援に来た探索者です」

「――探索者? ギエルダ? ……うそ。ま、間に合った? 応援が……? ありがとうございます、神様……」


 ミーナは、深い感動を覚えると共に、双剣を仕舞い、丁寧な仕草で挨拶を行った。


「こちらこそはじめまして。そして感謝します。――私はギルド騎士ミーナ。都市ヒルデリース所属。階級は二級――たぶん、現存する騎士の中では唯一残っている、《二級》ギルド騎士です」


 藍色に鳶色の瞳。髪は肩に掛かる程度で外型にふわりと広がっている。

 愛嬌と気品と両方とも備えた少女騎士は、厳かに、そして感謝の意を込めてそう挨拶した。



        †   †


「ヒルデリースは地獄となっているわ」


 《二級》騎士ミーナはそう評した。

 周囲の状況を確認し、改めてリゲルたちに挨拶した後、説明をしていく。


「元領主マーベンの他、多数の『緑魔石』使いが力を行使しているの。ギルドは崩壊。私や一部の街の人が脱出出来たのはいいけれど、連絡は途絶えたまま。――《二級》や《一級》の誰の応答もないわ。おそらく、全滅した」

「全滅!?」

「それは」〈ひどい……〉


 メアたちが悲痛な面持ちで口元を覆った。

 この数分間のうちに簡単な自己紹介や事情の説明は終えている。

 リゲルが都市ギエルダの英雄であること、名うての探索者であること、それらはミーナも今は知るところだった。


「他の《二級》や《一級》と音信不通? それほどひどい状況なんですか?」


 リゲルの問いにミーナは悔しそうに体を震わせる。


「ええ。――ギルドマスターであるブロス様や、主だった幹部は全滅。一部確認が取れない騎士もいるけど、壊滅的なのは間違いない。ヒルデリースはもはや魔境。一秒ごとに街が作り変えられ、全容を把握することもままならないわ」


 ミーナの騎士鎧やその顔には戦った痕や土などが付着している。

 激戦を経たのだろう、その言葉の重みには、情報を聞いていただけだったリゲルたちに緊張と覚悟を与える。

 レベッカがくるくると杖を回しながら質問をかけた。


楽園創造会シャンバラの幹部の姿は見ましたか?」

「……いいえ。『緑魔石』の所有者は何度も見ましたが、幹部らしき者は一人も……レベッカ参謀長、あなたが話してくれたフルゴールなる幹部が初めて聞かされた幹部です」


 リゲル、レベッカが同時に深い思案に入る。

 考えられる可能性、想定される事態、それらを脳裏に浮かべていく。


「……裏で糸を引いている、ということでしょうね。――レベッカさん。やはりギエルダのときと同じだ」

「可能性はありますねー。ずっと後方で指示だけを出している卑怯者。……まあフルゴールのように強襲をかけてくる場合も十分有り得ますが、注意は必要かと」

「ヒルデリースは!」


 騎士ミーナが悲痛な声音で言った。


「もう……終わりです……ここから都市を立て直すなんて、無理……少なくとも、《一級》が複数揃わないと収拾は出来ません。……私は、他の都市に助けを求め、街人と出て……それで……」


 悲しみ、怒り、無力感――それらが同時に押し寄せてきたのだろう。

 ミーナは両手で顔を覆って数秒の間だけ、泣いていった。


「――申し訳ありません。取り乱して」

「いえ。当然の感情だと思います。――でも《一級》は、どうして今まで何も出来なかったのですか?」


 リゲルの問いにミーナは顔を一旦伏せた。


「……未確認ですが、妨害工作に遭ったのだと思われます。ギルドマスター・ブロス様がおっしゃっていました。本格的に『緑魔石使い』が暴走を始める前、同時多発的に事件が起こりました。それの対処に、《一級》は都市外に離れました」

「妨害工作、か」

「ですね。……その後、音信は?」

 とレベッカ。


「……いえ、ありません。全滅はないと思いますが、交戦中、あるいは独自に活動しているかと」


 ギエルダのときとこれも一緒だ。いつも敵は囮と本命を使い分ける。

 レベッカがやれやれと肩をすくめて言った。


「ああー。これ、同じ手口ですね。最大戦力の《一級》を都市の外へおびき出し、本命を暴れさせる。――おそらく楽園創造会シャンバラの幹部はそちらに手を回していますね。それで都市自体はマーベンたち『緑魔石』所有者に支配させている、と」

「――お願いします! もし貴方がたが応援だと言うのなら、他の都市にも応援を!」


 ミーナが切実な声音で嘆願する。


「この事件は単独の都市や組織で解決出来る範囲を超えています。このままではこの地方……いえ大陸すら危うい事態に――」

「当然です。僕たちはそのためにここへ来た」


 リゲルが、安心させるように笑みを見せる。


「他の都市への援軍は要請します。けれどその前に相手の勢力も落とさなければ。――ミーナさん、ここからヒルデリースへの最短ルートは判りますか?」

「判ります……けど。まさか、今から向かうつもりですか?」


 リゲルは複数の魔石を取り出した。


「時間がありません。すぐにでも行動を起こすべきです。勝算はあります。ミーナさんの話を聞いていて、まず思った『抜け穴』があります」


 ミーナは驚きの顔でその言葉に息を呑む。


「抜け穴……い、一体どのような?」


 リゲルは、内密な話をするべく、ミーナへと顔を寄せた。

 そして。


「――話はごく単純です。まずは――」


 リゲルの計画に、ミーナは再び驚き、そして唸るように声をもらした。


「なるほど……出来ます。リゲルさん、あなたの計画なら」


 そこに希望を見出し、ギルド騎士ミーナは同行することになった。


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