第130話 策謀の果てに
――戦闘とは悪と定義できる。
古来より戦いによってもたらされるのは惨劇だ。
動物を殺すにせよ人を殺めるにせよ、死とはその者の未来を奪うことであり、生殺与奪権を力でもって得る野蛮な行為である。
だが、ときに例外がある。
戦闘は見るものを震わせることがある。それは恐怖ではない。
――羨望だ。
戦闘の領域が苛烈を極め、技巧の数々が重なったとき、人は本能的な嫌悪を超え、羨望の念を抱くことになる。
† †
――レストール家の屋敷。
半壊した建物のそばの庭の隅。
治療でその場にとどまっているハイシールダーのマルコは戦慄していた。
隣でヒールによる回復を施しているテレジア共々、恐々としていた。
「すごいわね、あの二人」
「うん、本当だよ。こんな戦い、あのトーナメント以来だ」
つい先日この都市で行われたギルド・トーナメント。
決勝戦でリゲルと戦ったクルト――クルエストとリゲル戦の再来。あるいはそれ以上の激戦を思わせる。
《タイラントワーム》の巨躯が踊る。《バーンズゴーレム》の猛火の体が、《ウィル・オ・ウィスプ》の大群が。フルゴールへと殺到しては打撃、猛火、数々の波状攻撃を行っていく。
対するフルゴールが魔眼を起動させる。
瞑目し活眼されるたびに消え去るリゲルの魔石の魔物。
』だが直後には倍する数の魔石が放たれ広場が戦場の度合いを秒単位で激化する。
破壊と爆裂の光景が重なる。猛撃と熾烈な攻防の交錯。仮面の戦士が影のように走りリゲルの顔へと刃を下ろす。
それを紙一重でかわしながらリゲルが転移短剣バスラや魔石により《スケルトン》、《ゴブリン》、《グール》などの壁で圧倒する。
レベッカの放った大魔術が、天空を切り裂き大地へと突き刺さった。
視界が埋め尽くさんばかりの落雷の嵐。
一撃、二撃、三撃――一回ごとに『威力が倍加』する付与をされた猛撃が、フルゴール滅べと幾度も突き刺さる。
それで死なぬフルゴールは化け物だろう。
それとも熾烈な攻撃を乱射できるレベッカこそ怪物だろう。
そして魔石を無尽蔵に使うリゲルも――。
全てが怪物。三人ともが人外たる領域。常人では辿り着けない。魔王にも比肩するかのような次元の異なる光景がマルコとテレジアを震えさせる。
羨望という名の、高揚によって。
「善戦している」
「あの
たった二人で。
味方の援護もなく。
リゲルが魔石を大量にばら撒いた。早い。一度に把握するのも困難なほどの連続召喚。《ハイゴブリン》が、《アクトスパイダー》が、《キラービー》が、大挙を成してフルゴールへ襲いかかる。
それを魔眼で一掃し、それを呼んだレベッカが体術でフルゴールの首を蹴り飛ばす。
一進一退の攻防。だが――周囲の地形が変わるほどの激闘。
先程から屋敷内に張り巡らされた防衛用の魔術具が最大限に稼働している。リゲルの用意した防衛機構。
もし、それらの防備がなければ治療中のマルコやテレジアすら巻き込んでいただろう。
それどころか、屋敷とその周辺まで更地に変えられていたかもしれない。
爆裂する庭の光景。だがこれでも威力を何分の一にも減退させた効果の証。
本来なら、余波だけで屋敷が吹き飛ぶほどの猛攻だった。
――そして戦況は傾く。
リゲルが何度目かの《アクトスパイダー》の魔石を使った後。《ミラージュスプライト》により十二人に分身した彼が、フルゴールから距離を取った瞬間。
† †
「(――おかしい。なぜ攻めてこない?)」
フルゴールは疑念を覚え始めていた。
リゲルたちは強い。それは間違いない。だが棘のように違和感がフルゴールの中に存在する。
戦闘こそ一見して激戦に見える。それこそ、外野からは地形が変わる死闘に映るだろう。
だが、攻撃はどこか単調で、フルゴールは懸念を覚えずにはいられない。
リゲルたちによってすでに配下である仮面の戦士じゃ四割ほどに減っている。
残りも徐々に倒され、徐々にリゲルたちに優劣が傾きつつある。
だが――何かが足りないことにフルゴールは懸念を覚えていた。
青魔石事変のとき――リゲルはこんなものだったか?
報告ではもっと策を弄していた。ユリューナの小細工も見破った観察眼。
同時多発蒼魔石事変のときの判断力もそう。
だが今はどうだ?
五人目のリゲルは掌底で弾き飛ばせ、続く六人目も動きがまっすぐ過ぎて容易だった。
演技か? 疲労なのか?
リゲルは必殺の機会を何度か逸している。レベッカも同様。ゆえに何か足りない。この違和感は――何だ?
「――隙があるよ?」
耳元でリゲルがささやく。
即座にフルゴールが回し蹴りで吹き飛ばす。
「小癪ですね」
「背中が――がら空きだよ?」
背後からの声に、フルゴールは飛び蹴りで迎撃する。
弾き飛ばす。六人目と七人目のリゲルを弾き飛ばしながら、フルゴールは高速で思考を重ねる。
――こんなものなのか?
いや、一流の領域には達している。
だが戦意が感じられない。必殺の意気が感じられない。
フルゴールには分かる。戦場では『殺す』相手を明確に定め、殺意を乗せるのが常道だ。
それがない。これがあの『英雄』と『
攻撃に精彩さを感じなかった。
まるで、『予め定められた戦術をなぞっているかのような』。傀儡の人形めいた、決まったパターンの攻撃ばかり来ているような――そんな気を起こさせる。
――傀儡?
――まさか。
――まさか……。
疑念が渦を巻き、それが頂点に達したとき。フルゴールは見た。
九人目のリゲルの左肩。その部分に――裂傷が出来ていることに。
「……あれは?」
記憶にないものだった。
フルゴールの脳内でこれまでの戦闘で起きた全ての出来事が再生される。該当する場面は無い。即座にフルゴールは己のミスを悟った。。
あれは――。
あれは――。
――あれ、は――。
「気づいたかい?」
横合いからかけられたリゲルの声に、反射的にフルゴールは掌底で迎撃した。
しかしかわされる。
笑いながらリゲルが魔石を使い、《オーク》の群れが殺到する。魔眼で迎撃。フルゴールが無力化する。
けれどフルゴールは舌打ちする。
「いつ気づかれるか冷や冷やしたけど、存外、分からないものだね」
九人目のリゲルが立ち上がりながら微笑んだ。
左肩に裂傷があるリゲル。それでフルゴールは確信する。
「……あなた、ひょっとして入れ替わってますか?」
「正解」
相手を祝福するかのように、拍手で返された。
ご明察、とでも言うように、残る全てのリゲルたちが小さく笑う。
「いつから本物の僕が戦っていたと勘違いしていたのかな?」
「――先刻」
リゲルは戦っていない。正確には『本物』は戦っていない。先刻からの攻防はまったくの茶番だ。ここにいるのは――。
「偽者と入れ替わったのですね」
「その通り」
四人のリゲルの姿がぼやける。
あたかも蜃気楼のように。
不明瞭な光景のように揺らぐ。
幻はあるべき姿へ。仮初の光景は虚空へと消え、真実の姿が新たに周囲へ現れる。
出現したのは――ハイシールダー・マルコだった。
治療のため離脱しているはずのリゲルの仲間。
そしてレベッカも同様。
残る五人のレベッカも姿がぼやけ――陽炎のように曖昧に。夢幻のように、姿が移り変わる。
テレジア。金髪に蒼の瞳。美貌の少女へと変貌した。
「なるほど」
フルゴールは合点がいった。
そもそもリゲルに左肩の負傷はなかった。それはマルコが先の戦闘で負ったものであり、腹への大傷の余波で出来たもの。
すなわち。リゲルになく、マルコにある傷。目前のリゲルは偽者であるとの証に他ならない。
「転移系の魔石で途中から入れ替わっていましたか」
「遅いわね、気づくのが」
テレジアがメイスで殴りかかってくる。
それを体術でいなしながら、フルゴールはわずかに汗が額に伝うのを自覚する。
謀られていた。全てはリゲルの手のひらの上だった。
では、彼らは、すでに――。
「まず大前提として言っておこう」
姿を現したマルコの一人が解説を語っていく。
「リゲルさんがこの場において最も必要なことは何か? ――君と戦うこと? ――違う。では部下を全滅させること? ――それも違う」
別のマルコが後を継ぐ。
「今、最もリゲルさんが行わなければならないこと――それはヒルデリースへの移動だ」
フルゴールが沈黙している間に、今度はテレジアが真相を明かす。
「フルゴール、あなたは勘違いしているわ。リゲルさんは合理的なの。全ての敵を倒そうとってはいない」
「激戦に時間なんてかけていられない。けれどフルゴールのことを無視は出来ない」
「ゆえにリゲルさんは考えたわ。――途中で入れ替われる。話は簡単よね?」
フルゴールは得心した
自分はおそらくリゲルがこれまで戦った人間の中で最上位に比肩するだろう。
そして相応に対処に時間が掛かる。
ゆえに離脱が最優先。リゲルにとってフルゴールとの戦闘は障害ではあるが必須ではなく、馬鹿正直に相手をする理由はない。
だから目眩ましと陽動を兼ねた途中からの入れ替わりを行った。
「あなたははめられたのよ、フルゴール。途中で《トリックラビット》を使用したリゲルさんを見逃したわね? それが敗因」
戦闘中に策を弄するのは難しいのは言うまでもない。
一秒の隙きが死を招く戦場。
それにおいて下手な策謀は逆効果。味方の全滅もあり得るだろう。
だが、魔石を扱うリゲルだけは例外だ。
彼に本命と搦め手の区別などない。正確にはその真偽を掴ませる隙もない。リゲルは転移短剣バスラを除くほぼ全ての攻撃を魔石で賄っている。
情報では『武器合成』もあるはずだが、使わなかったということは、さずがに身バレする可能性を考慮したのだろう。
魔石は誰でも扱える。使用者の技量に関係なく。
物体の位置を入れ替える魔石。
それに複数の魔石も併用して味方に利用させた。
目眩まし、声の偽装、気配の捏造――その他『偽者』を演じる上必要な魔石の総量はいくつか。
考えるだけで緻密なリゲルの戦術にフルゴールは震えを禁じえない。
「は……はは!」
戦場を完全に支配され、フルゴールは喜びに打ち震える。
「いい! 良いですね、これがリゲルのやり口! 殺すと見せかけて逃げる? ――合理的だ! 無駄がない。――ですがあなた方は一つ忘れている」
「なにかしら?」
膨大な、魔力が立ち上った。
それは人間なら怖気を覚えずにはいられない魔力だ。
悪魔にも匹敵するほどの人外の領域たるフルゴールの本気。
「たとえ逃げてもわたくしはリゲルを追います。その前に偽者たるあなたがたを徹底的に惨殺します。帰還したリゲルが後悔するようにね。仲間を置き去りに離脱した罪を償わせましょう。ここからは殺戮の時間の始まりです」
フルゴールは手元へ通信魔術具を取り出し、配下へと命じた。
「第八特務隊、リゲルを追いなさい。今ならおそらく国境手前までが精々です。十二番拠点の隊と連携し、彼を――」
そのとき。
ぽんっ、と。
大声で声を張り上げるフルゴールに、マルコの一人が肩に手を乗せた。
「駄目だよ。戦場で敵の言葉を素直に信じるなんて」
「……なんですって?」
マルコは笑った。テレジアも嘲笑った。出来の悪い子供を見る目つきだった。
「知ってる? リゲルさんって、目的のために手段は選ばない人だよ?」
「本当、合理的よね」
「な――ぐうっ」
フルゴールがテレジアに殴られた。メイスの一撃。
馬鹿な。自殺行為だ。ここで攻めても自らを危険に晒すだけ。その程度の認識も出来ないのか?
――そう思って、次の瞬間、フルゴールは驚愕した。
マルコの姿がぼやけていく。
優しげな少年の風貌は蜃気楼のように。
移ろい、揺らぎ、消失して。
代わりに現れたのは――『リゲル』の顔だ。
「な……に?」
――リゲル? なぜ? 入れ替わりは嘘?
機会はなかった。素振りはなかったはず。見逃した? 馬鹿な! わたくしが見逃すわけがない。全て見ていた。感じていた。それでも把握出来なかった。では、では彼の狙いは――。
同時にテレジアの姿もぼやけた。レベッカの姿へと早変わりする。
金髪の少女から桃色の年齢不詳の女性へ。
本物は偽者に。偽者は本物に。フルゴールは困惑する。なんだこれは。なんだこれは、なんだこれは。
「これは。あなたがたは何を――」
「「「「さて、問題です」」」」
大勢の分身リゲルたちが一斉に問いを投げかけた。
「「「「僕たちは、果たして本物のリゲルでしょうか?」」」」
「「「「それとも、マルコたちでしょうか?」」」」
「「「「当てられたらご褒美をあげてもいいよ」」」」
「ふざけた真似を……」
フルゴールは憤激に駆られた。
「戦いを子供の遊びと勘違いしては困りますね。あなたが本物でも、偽者でも、わたくしは殺す。だたそれだけです。それを――」
〈はい。隙だらけだよ〉
背後から衝撃。
『六宝剣』の一撃にフルゴールは吹き飛んだ。
背中から痛烈な衝撃が起こり地面抉り転がされる。
メアの奇襲。いったいいつからそこにいたのか、幽霊少女である彼女は、悠然と宙に浮遊しながら、さらなる脅威を浮遊させていた。
〈奇襲は戦術の要だよ〉
幾本もの軌跡がフルゴールを打ちのめす。
〈リゲルさんの作戦は二つ。――一つは、幻惑で偽者と本物を演出する。二つ目は、隙きを見せたあなたを、あたしが捕縛する〉
六宝剣が立て続けに殺到。
いかにフルゴールの防護性といえど、これだけは完全に無意味といかない。
《錬金王》を打倒するために作られた、メアの父の執念が生み出した宝剣は、この世で最高位の破壊力を持つ。
音速を超えて射出される一撃は、それだけで伝説の魔物すら両断する猛威であり、極小化の能力を持ってしても衝撃は殺せない。地面に釘付けにされる。
「馬鹿な、馬鹿な」
フルゴールは震えた。絶対に遭ってはならない光景。それが広げられている。
「こんな、馬鹿な……」
〈リゲルさん、後はバトンタッチ〉
「了解。――戒めの鎖よ。《ヘルズチェイン・バジリスク》!」
リゲルの分身全員が宣言する。
巨大な鎖で出来た、封印に特化した魔物の魔石だ。ランク八――『束縛の蛇王』とも言われる封印の魔石。
猛烈な拘束力だ。咄嗟にフルゴールが配下を呼び寄せようとしたが、もう遅い。彼らはラッセル以下ギルド騎士たちに掃討されていた。
「護衛の騎士、ですと? いつの間に……」
「リゲルさんの《マッドカメリオン》で隠蔽していた。隙を伺うのに苦労したな」
笑うラッセルたちギルド騎士。
――配下の脱落。
――リゲルの仲間の台頭。
フルゴールは戦局の一変を実感する。
はじめから全てリゲルの手のひらの上だった。
偽者。本物。そんなものに思考を囚われた時点でフルゴールは終わっていた。
かつて《錬金王》を打倒するために生み出された六宝剣。二人のミュリーたちによる『加護』の力。
限界以上に高められたリゲルと、彼を慕う者らの想いが、戦術が、幹部を嵌め殺した。
「幹部たるわたくしが、捕まる……? あり、あり得ない。あり得ませんよ、ありありありアリエナーイ!」
それはプライドの高さゆえか。絶対の能力の自負ゆえか。
だがもう遅い。リゲルによる解析も済んだ。分身しているリゲルの一人が言った。
「君の『極小化』や『魔眼』の欠点を探していた。……一定以上の使用をすると約二秒の休息が必要になるね」
フルゴールは目を見張った。
「本当に君が無敵に近い能力を持つのなら、配下を呼ぶ必要はない。一人で時間を稼ぐことも出来たはず。それをしなかったということは、配下を呼び寄せる必要――能力の隙を埋める人員が要る。そういうことだ」
「クハッ。まだ、まだ終わりませんよ、リゲル。わたくしには」
「悪いけど切り札は使わせない。――【合成】。《転移短剣バスラ》、《誘眠魔剣ウラスール》」
強大な威力を持つ短剣と、きょう列な睡魔を誘引させる魔剣を合成した。
これにより誘眠の効力を極限まで引き上げられた一撃は、幹部の抵抗すら打ち砕く。
「がっ――」
「おまけだ。【合成】――《パラセンチピード》×98」
『麻痺』の力を持つ《パラセンチピード》の魔石すら、いつの間にか使われていた。
スタン。単純ゆえに効力も抜群。その数は九十八。『極小化』ですら防げないほどの魔石が合成され、その効力を幾倍にも増幅する。
『同一魔石強化』。
二人のミュリーの祈りにより、一時的だが追加された能力だ。
その効力は『同じ魔石を合成すればするほど強化される』
「わた、しは――」
もはやフルゴールに最後まで言うことは許されない。合成の苛烈なる一撃を受け、さらに極限の麻痺すら受けた彼は、地面に沈む。
そして気絶という名の、敗北の奈落へと引きずり込まれ――激戦は終幕を迎えた。
「策の弄し合いは、僕の勝ちだったね」
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