第129話 絶対なる守りと魔眼
「――押し潰せ、《タイラントワーム》!」
轟然と、巨体なる覇王の魔物の影が猛進する。悠然たる威容が特攻する。
それに対応するのは黄色にきらめくきらびやかな男性。女性と紛うほどの美貌の青年。幹部フルゴール。
その体へ向け《タイラントワーム》の巨躯が疾走する。大地を激震させ天すら揺るがし駆けない鳴動が周囲へ荒れ狂う。
爆裂し地面が弾け飛ぶ。その光景は。
「なかなか良いですねえ!」
巨大なるワームが、『素手』で殴り飛ばされていた。
《タイラントワーム》とは暴君の王。リゲルの切り札が、虫のように吹き飛ぶ信じがたい現実だった。
「……っ!」
瞠目する横でレベッカが仕掛ける。三十一の光刃、その全てが不規則な軌道で殺到。青年の首、肩、脇、右脚、背中、多数の箇所に直撃する。
「練度。速度。威力。申し分ない領域です」
その全てを受けながら青年は――
余裕すら漂わせて。
当たり前に。粛然と。
あたかも先の猛攻が夢幻であるかのように泰然としていた。
「――リゲルさん」
レベッカがリゲルの隣に跳ぶ。
フルゴールの左の人差し指が唯一傷ついているのを見て、ささやく。
「あれは魔術ですか?」
「判りません。ただ、『傷が極小化』されているのは確かです」
攻撃は当たる。体術は凄まじいが、それでも当てられる。
だが『傷が極度に矮小化されている』ことに気づていた。
フルゴールは決して超一流の武術家ではない。その挙動は一流、反応速度も一流。
しかしリゲルとレベッカ、二人の猛攻をさばききれる域ではない。
ではなぜ仕留めきれないか?
――攻撃が、極限まで抑えられている。
魔石による攻撃ならそれが極小化。
魔術による連撃も極小化だ。そして、《タイラントワーム》の巨躯ですら、『質量』を極小化されて吹き飛んでいる。
決して無敵の存在ではないがあらゆる攻撃、防護を極小化し脅威度を下げる。
それが
「GYAOOOOOOOOOOOOOッ!」
吹き飛ばされた《タイラントワーム》が咆哮する。
かつて
「む!?」
リゲルの手に紅い輝きがあった。
『もう一つの』タイラントワームの魔石だ。
つまり、ワームの暴君と呼ばれし猛威が二つ、召喚されていた。
「GYAOOOOOOOOOOOOOOOOッ!」
「GYAOOOOOOOOOOOOOOOOッ!」
単体ですら天地を揺るがしかねない暴君の王が、二箇所から同時にフルゴールへと襲いかかる。
避けられる位置ではない。防げる位置でもない。
だからフルゴールは『極小化』でしのごうとして――。
「背後にご注意を☆」
レベッカがいつの間にか真後ろに転移魔術で回り込む。肘打ちで態勢を崩した。二体の《タイラントワーム》の巨躯が、轟音と共に大地を破砕し尽くすようにフルゴールへ躍りかかる。
それは。
あたかも象が蟻を踏み潰すかのような光景。
脆弱な人間が神へ踏み潰されたかのような哀れな光景だった。地面を転がり、フルゴールは爆音と共に叩きつけられ、屋敷を彩る木々に、何度も激突してようやく止まる。
「ふ、はは」
けれどフルゴールは軽症だ。
左耳一つ。それが彼の受けた傷。
たったそれだけが――彼が受けた痛手だった。
「連携。戦力。慧眼」
陽炎のように、ゆらめく体躯のままフルゴールはささやきを漏らす。
「素晴らしい領域です。どれも最高位と言って差し支えない。しかし」
彼が目を瞑り、活眼する。
それだけで――《タイラントワーム》二体の巨躯が消え失せた。幻のように、霞のように。この世から存在を許されないといったように。
「あいにくと、人間以外の存在ではわたくしは倒せません」
明らかにあり得ない現象だ。
ランク八、魔石の中でも最高位に近い《タイラントワーム》を相手に一瞬で。
『なかったように』消せる眼。
それは脅威だ。
爛々と、いくつもの星が重なり合うように虹彩がきらめくその眼は、明らかに神秘の具現であり、これまでの強敵とは次元の違う領域にいることを伺わせる。
「私の能力は『極小化』。そして」
フルゴールの言葉が途中で寸断される。リゲルが三体目の《タイラントワーム》を召喚したからだ。
宙高く吹き飛び逆錐揉み状態となって吹き飛ぶフルゴール。
直後、レベッカの放った五十七の光刃が殺到する。
閃光や爆裂する魔力の猛威に視界が死に、粉塵で空一帯が見えなくなる。追撃でリゲルが《グレムリン》、《ヘルハウンド》、《ボジャノーイ》の魔石を投擲する。
「それは」
フルゴールが粉塵の中――目を閉じる。そして開けられる。直後、魔石の猛撃は、止んだ嵐のごとく消え失せていた。
「効きませんよ」
左手の皮膚の一部分だけが抉れた程度の裂傷だ。
極度に裂傷が浅くなる肉体。それに魔眼。フルゴールは余裕を漂わせ語る。
「我が肉体は洗礼受けし神の加護の身。尋常なる手段では致死には至らせません」
「――腐食させろ、《ベノムガルム》、《ベノムガルム》、《ベノムガルム》」
猛毒の酸を噴出する狼魔物の魔石を、リゲルが乱発する。フルゴールの身体に直撃。
その体組織を融解させる。溶岩にも匹敵する破壊力の具現だが、それでもフルゴールは笑う。
効かないと。
死なないと。
物わかりの悪い赤子を嘲るような、殺人鬼のように嘲笑う。
「海に火を投げ込んでも無意味です。空に矢を放っても星は砕けないでしょう。それと同じ。わたくしという人間は強大だ。死はわたくしと遠い場所にある」
「面倒くさいですね」
レベッカが杖を肩にとんとんと添えながらぼやいた。
「――レベッカさん、似たような魔術を知っていますか?」
リゲルは周囲に《ガーゴイル》、《ベノムアント》、《ヒートゴブリン》で壁を作りながら問う。
「いえ。ギルドの資料室にはありませんでしたねー。もしかすると以前に存在した時代――八百年前なら存在したのかもしれません。しかし前にもお話したように、
「仕方ない。では分かっているものだけで対処しましょう」
人外を消し去る魔眼と、ものの極小化は――どちらも厄介な能力だ。
彼に当たった攻撃はほぼ無傷に近くなり、大爆発は小爆発になり。大質量は小質量に変貌する。
加えて魔石で生み出した人外――ゴブリンだろうとタイラントワームだろうと関係なく打ち消す魔眼はある。
『一度閉じた目を開ける』という縛りがあるにせよ、魔石による攻防はほぼ無力と言って良い。
「明らかに時間稼ぎ型の戦術ですねー。策はありますか?」
「いくつか。ただし現状ではレベッカさんの負担が大きくなります」
「それは重畳。私、激戦なら激戦ほど燃えるタイプなんですよー」
それは言われずとも分かる。この戦闘からレベッカの戦意が爆発するように増大している。
殺したい壊したい潰したい――およそ淑女に相応しくない殺気だらけでリゲルとしては苦笑するしかない。
「……レベッカさん、戦闘狂なんですね。初めて知りました」
「おや、言ってませんでしたか? ――私、昔はギルドで上司を吹き飛ばしまくった、問題児だったのですよ?」
あざとく可憐なウインクをしながら、レベッカはそう巫山戯る。
「初耳です」
「あまりにも上司を殴りすぎて、『バーサーカー』と言われ、気づけばギルドの参謀長なんてものに据えられてました」
「殴る相手がいなくなるからほぼギルドのトップになったとか……」
半分呆れつつ、半分頼もしげに笑うリゲル。
なるほど。ならば任せても問題ない。
こちらは無尽蔵に近い魔石。相棒には戦闘狂の参謀長。それに価値うつ相手など天地において存在しない。
「では、前衛任せます、僕は策を講じます」
「おまかせをー。私、張り切ってあの優男さんに」
「――もしかして、二体一でいつまでも戦えると思っていますか?」
突如。真上から殺気を感じてリガルが飛び退いた。
隣ではレベッカが『何もないところ』から刃を受けてかわす。
跳躍、側転、それぞれの手段でかわしたリゲルたちに、フルゴールは哀切の笑みでもって語る。
「幹部。それは我ら
影のように。空気のように。
突然大気から湧き出たかのように仮面をつけた戦士が出現した。
その数――五十八。
それぞれが方位陣形を取り、リゲルとレベッカを囲うように配置された部下である。
「伏兵」
「あらあら大量ですねー」
「卑怯とは言わないでくださいね。さすがのわたくしでも『英雄』と『参謀長』、二人を相手に勝てるとは思いません。数の不利は数で補う。当然でしょう?」
「臆病者な戦術だ」
リゲルが挑発する。
フルゴールが微笑する。
仮面の戦士たちに敵に隙はない。布陣にも挙動にも。
仮面の戦士たちは完璧に統制された一個の軍隊。それぞれがフルゴールの手足のように動けるように訓練されている。『精鋭』。直感でリゲルたちは長期戦を予感する。
「――幻惑せよ、《ミラージュスプライト》」
けれど問題ない。リゲルは魔石を投じた。
リゲルとレベッカの姿が、『二重』に増える。
のみならず、『三重』『四重』『五重』――数秒後には『十二重』にも増え、文字通り幻惑の光景となる。
「「「数が、なんだって?」」」
十二人に増えたリゲルたちが輪唱するかのように、フルゴールへ問いを投げかける。
「「「数が揃えれば勝てると思ってる?」」」
「「「それは慢心し過ぎじゃないかな?」」」
「な……これは」
フルゴールはわずかに当惑する。あちこちにリゲルたちが佇立していた。
地面の上に。木々の上に。壊れた壁の瓦礫の上に。
それぞれがリゲル本人にしか見えない姿で立つ威容な姿だ。
まるで、鏡で複製したかのように。顔も衣装も声すら同一たる十二人のリゲルに、フルゴールは目を細める。
「さすが、魔石使い」
「「「「私も忘れてもらっては困りますねー」」」
同じく十二人に増えたレベッカが、にやにやと笑いを浮かべている。
まったく同じ声。
まったく同じ仕草、気配、殺気、薄ら寒いの精度――全てがそら恐ろしくなるほどの瓜二つの分身たち。
「……なるほど」
フルゴールは悠然と両腕を広げる。
「幻影? 分身? すごいですね。でも――だからどうしたと言うのです? その程度の手品、わたくしを破ることなど出来ません」
フルゴールは臆さない。
幻影も。分身も。所詮は数が増えたように『見えるだけ』だ。
リゲルたちの戦力が増したわけではない。幻影を破壊すれば事態はもとに戻る。同じ手を重ねられても破壊し続ける。フルゴールが倒れない限り千日手は続く。
英雄と参謀長の戦う姿――それがまだ続くことに興奮を禁じえない。
「策を講じる相手は好きです。ああ……胸が踊る! では続けましょうか? 死と破壊の舞踏を! 互いに精根気力が尽きるまで!」
泰然と、フルゴールが薄笑いを浮かべる。猛然と彼の配下の仮面の戦士――五十八人がリゲルたちに踊りかかった。
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