第2話 栗の花も樹から落ちる
そんなこんなで、私のちょっとした人助け的なものが始まった。
どうして彼は持ち主であることを否定したのか?
どうして彼の制服の中から指輪が落ちてきたのか?
指輪の本来の持ち主は誰なのか?
これらの謎を解くために、私は学校の奥地に向かった――のではなく。まあとりあえず
そしてソイツの名前はあっさり分かった。
『ところで
『ん? ――ああ、それならたぶん、』
顎に手を遣り、思い出す様子を見せた僅か五秒後。
『
というのも、鶴見先生の授業担当クラスだったらしい。あの髪色は、やはり先生の記憶の中でも印象的なものだったようだ。
そしてなんと再会も早かった。
「……アイツだ」
指輪を拾った翌日、体育の授業にいたのである。
県内屈指の在校生数を誇る椿ノ峰高校。各学年十二クラスもあり、一クラスには生徒が四十人。海に突き出た高台に位置し、学年ごとに一棟の校舎と職員棟の四棟。長い坂を下ったところに、グラウンドや体育館などの運動設備や講堂がある。
今日のような大雨の日は体育館で体力育成をするのだが、四クラス合同の授業。一堂に会する総勢大体百二十人の生徒。バラバラに散開して準備体操からの柔軟運動をする中、周囲の高さから一つ抜けた頭の、赤みのある紫の髪先を私の眼はバッチリ捉えたのである。
「えぇ? まさかまさか
体育も番号順でペアを組むので、柔軟のお相手は安定の
「いや違う。多分因縁の相手」
「なんだってー?! 彼が運命の相手?!」
「因縁だってば。は・な・し・を」
「ひにゃッ、ちょっ!!」
「聞・き・な・さ・い」
リズミカルに背中を押してやれば、ひぃ、だか、きぃ、だか悲鳴が上がる。身体が固いというのに、開脚ストレッチ中にロクでもないことを言うからだ。あれが運命だというならチェンジを要求する。
私にだって選択の権利があるんだぞー。
「柔軟むりぃ……もっと優しくしてよ……」
「
「葵乃ちゃんつめたい。つれない。
「うーん、名誉なのか不名誉なのかわからん。ほら交代」
地面に座ってべたりと足を延ばせば、ひんやりとした体育館の床が心地いい。いくら広い体育館でいくら扇風機が回されていても、人の熱気と梅雨独特の湿気という蒸し暑さは誤魔化せないのだ。
「ええいコノ恨ミ~晴ラサデオクベキカ~」
背中に添えられた手が、ぐいぐいと押して前屈を促す。
いつもより強い力で押しているようだが残念だったな、私は割と柔軟は得意なので。開脚ストレッチなんて床にべたーんといくぞ、べたーんと。
「おおう、いつにも増して柔らかいですね……ちぇっ」
「柔軟だけは得意だからね」
熱の移ったぬるい床から立ち上がり、少し不満げな海藍ちゃんにニヤリと笑って見せてから。出入口近くを陣取る私たちから遠く遠く、体育館の中央あたりで友人とじゃれあう栗花落紫陽クンを見る。
ハツラツとした笑顔。呵々大笑。
楽しそうに友人の笑いあうその姿に、どうしてだろう。
目が離せないのとともに、アノ男とはかけ離れた印象しかない。
「……ね~、やっぱり恋?」
「違うっ
「お口が悪うございますわよ葵乃さん」
「よし、全員集合!!! 整列!!」
ピィーッという先生のホイッスルの音で整列する。
今日はドッヂボールをクラス対抗で行うらしい。男女別。体育館の半分ずつにコートを設定して、初戦は我らが一組と七組である。
いざ尋常に、勝負!
「一組の勝ち!!」
勝った。いえーい。
というか、クラスに運動部所属のアグレッシブな女子が多かった。圧倒的戦力差である。私はといえば途中で当たってしまい外野でボール拾い係に徹していたが、なんと海藍ちゃんがラストまでコートの内側で戦い抜いたのである。
「お疲れさま。最後まで戦い抜いて、ツワモノの仲間入りだね」
「お疲れた~! 避けるのは得意だもん、本領発揮だよ」
コートから出て、体育館の中央辺り。そっと並んで壁に寄りかかれば、背中をひんやりとして冷たい気持ちいい。
「次!! 四組と十組、それぞれコートに入れ!!」
すぐに次の試合が始まり、それぞれのコートでボールが勢い良く飛び交う。
偶数クラス同士の戦いなので四組と十組、どちらのクラスに所属しているのかはわからない。けれど、目印となる特徴的な髪色で栗花落紫陽がどこにいるのかということは、遠くからでもよく分かった。
「ねえ、海藍ちゃん」
「何ですか、栗花落くんのことですか?」
「ソウデスヨ。……海藍ちゃんから見てどんな人?」
「なんだろう、手を伸ばしやすいイケメン?」
「手を伸ばしやすいイケメン とは 検索」
「まあ見てたらわかるって~、たぶん」
見てればわかる、ねえ。
それきり静かになってしまった海藍ちゃんを隣に男子コートの試合を見ていると、彼はどうやらそれなりに活躍しているみたいだった。
嬉々とした表情で、ボールを避け、受け止め、投げ。
当たればハイタッチ、外れれば悔しがる、ストレートな感情の発露。周囲との関係も良好なようで、ボールに当たって外野に出れば、友人たち(推定)が敵討ちをしつつ内野に戻れるように連携を取る。あ、内野に戻った。
見るからに楽しそうにプレイをする彼とその友人らに回りも感化されたのか、それとも友好関係が広いのか。観戦している男子勢も楽しげに野次を飛ばし、先程の一戦とは比べ物にならない盛り上がりを見せている。
そうして観察しているうちに、栗花落くんのクラスが勝利を収めた。
うーむ、ただのドッヂボールとは思えない綺羅綺羅しい高校生活の一幕。これがアオハルというヤツか。
だが、観察すればするほどに降り積もる疑問がある。
「葵乃ちゃん、顔やばいよ。それに他クラス女子から睨まれてるよ」
「え、まじ? ごめんね海藍ちゃん、道連れになってね」
私の前から去っていったアノ男は、本当に栗花落紫陽なのか? と。
「ええ~やだ~! まあ別にいいけど~」
「うーんと、情緒不安定か??」
女子は十組が勝利をおさめ、その後我が一組を打ち負かしドッヂボール女子杯の優勝をもぎ取った。私は早々に被弾してしまったことからまたもやボール拾いマスターとなり、ぎりぎりまで生き残っていた海藍ちゃんのドヤ顔を見ることになった。うーん可愛い。
そんなこんなで放課後。明日には止むそうだけれど、本当なのかと尋ねたいくらいの本降りの中。傘をさして一人、私は校門で友人を待ちかねていた。数年どころか十数年来の友人である、気心知れた幼馴染。
「よーう、雨ン中待たせちゃったなー」
「うん。待ってたよ、
人呼んで情報通の、
「こうやって二人で帰るの、割と久しぶりじゃない?」
「確かに、言われてみればそだなー」
並んで歩く、傘二つ。通学する生徒のために整備された歩道の坂を、悠々と下っていく。下校時間自体を少しずらしたからか、人の数はかなり
「新聞部の活動が活発だし? それに」
「……それに?」
「あたしの腕を買ってくれる人が多いんだよなア、この学校」
「ほうほう、朱灯は引っ張りだこ、と」
「ていうか。人の数に比例して厄介ごとが多いンだよ!」
「情報屋さんは大変だねー」
くすくすと笑みを浮かべて見せれば、慣れっこだけどな、と朱灯も笑う。
朱灯は、中学くらいのころから良心的な情報屋だった。というか、情報屋になった、というのが正しいのであるが。幼い頃から人の機微を見分けるのに長け、天性の耳聡さを持っていたというだけで、様々な噂話が彼女の元に集まるようになってしまったのだ。
しかし、彼女は引き際を心得ている。――基本的に“本当に暴かれたくないだろう秘密”については、徹底的に保守するのだ。
誰しもに見られたくない一面があるということを、尊重するのである。
「それで呼び出したってことは、まとまった?」
「モチロン。――“栗花落くん”なる人物についての調査結果について、な」
「流石、仕事が早いね」
昨日の夕暮れ、鶴見先生から栗花落の苗字を聞き出した後に頼んだから実質一日も経っていない。しかも、昼ご飯の時に『一緒に帰らないか』という打診が来ていたので、かなり迅速にかき集めたのだろう。
「朱灯、有難う。とても助かる」
「お前のお人好しが悪目立ちする前に、と思ってなー」
にやり、とした笑みが、こんなに似合う女を私は他に知らない。個人の意見です。
「まあ遅かったみたいだが」
「ん? なんて?」
「いンや。なんでもねーよ」
何かボソッと言われた気がしたけれど、悲しいかな、雨音にかき消されて聞こえずじまいだ。まあ特に問題はないと思うけれど。
「ところで、先に対価を貰っときてーンだけど」
「あー、“なんで依頼したのか”、だっけ?」
「そうそう。気になるじゃん?」
緋扇朱灯に情報をもらいたくば、その理由を告げよ。
これが彼女の掲げるスローガンのようなものであるが、これは不当な理由で情報を搾取する輩を判別するためのものである。私の場合は長年の付き合いと日ごろの行いから悪用はしないと判定が下りているため、いわゆる“後払い”となっているが、通常は“先払い”であるらしい。
「昨日のことかな。移動教室をしてるときに、前を歩いてた男子がぽろっと指輪を落としたんだよ」
「へえ、指輪を。そりゃまたタイムリーな話だ」
「それで、落とすところが見えたから拾って、『落としましたよ』って返そうとしたんだよ」
「……そンで、断られた、とか?」
「大・大・大正解。『俺はそんなもん落としてねーよ』と言われました」
「で、ソイツが“栗花落くん”らしい、と」
「そういうこと」
「はーん。なるほどねえ……」
顎に手を当てて考え込む素振りを見せる朱灯。こういう時は、黙って放っておくのが吉だ。こげ茶のポニテが揺れるのを視界の端で捉えつつ、無言で坂を下ること何十秒ほど。
「うん、納得だわ。いろいろと筋が通った」
体育館から運動部の声がするなあなんて思っていたところで、思考の海から帰還したようだった。
「じゃあ、教えてもらってもいい?」
「モチロンだよ。さあ、葵乃」
不自然に芝居がかった口調に隣を見れば、朱灯のこげ茶の瞳が心底楽しそうに私を見ていて。
「――どっちの話から聞きたい?」
視界の端。歩道脇の植え込みには、青・紫・ピンクの紫陽花が、色とりどりに咲いていた。
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