第37話 祖父登場
六月に入り、高校は中間試験期間に突入し、なんだかそわそわした空気に包まれていた。
千鶴と琴実、それにがっくんの三人は放課後に近所のチェーン展開している喫茶店に集まって、明日の試験範囲の確認をする。ついでにここで軽く勉強していこうと目論んでいた。
「英語が苦手なのよねえ」
千鶴は関係代名詞と書かれたテスト範囲を睨んで溜め息を吐く。それにがっくんも苦手だねと同意した。
「そう? コツを掴めば数学より簡単じゃない」
しかし琴実は英語よりも問題は数学よと溜め息だ。苦手科目はそれぞれあり、千鶴は数学も得意ではないので頭を抱えてしまった。
「一体何なの、微分積分って。こんなの、人生のなんの役に立つのよ」
「それを言っちゃあ終わりよね。全科目に言えちゃうじゃん」
千鶴の悲痛な叫びは琴実に茶化されて終わる。がっくんは苦笑したが、受験には役立つよとフォローした。
「ああ、そうね。受験。どうしようかなあ。愛媛で探すか広島あたりにするか。関西も遠くはないけど、確実に独り暮らしになるしなあ」
思えば望月旅館の百萌とも受験の話で盛り上がったほどだ。すでに無視できない時期に入ってきている。夏にはオープンキャンパスに行かなきゃいけないのだ。そろそろ本格的に志望校を絞らなければならない。
「そうね。私もまだ考えていないわ。そう言えば、八木先生と亮翔さんって大学の先輩後輩なのよね。どこの大学かしら」
「さあ。でも二人揃って理系でしょ。八木先生、数学の先生なんだから」
「そうだった。じゃあ、参考にならないか。それに頭良さそうだしね」
「確かに、勉強できますって感じよね」
千鶴はこの間のちょっと様子が変だった亮翔を思い出し、どうしたんだろうと首を傾げる。あれ以来、用事がないので願孝寺に行っていないが、何があったのだろうか。
「願孝寺の相談室って、勉強教えてくれないのかなあ」
亮翔のことが話題になったからか、がっくんがそんなことを言う。道後温泉に一緒に泊まったせいか、今では兄のように慕っているのだ。
「ああ、いいよね。三百円でどこまで教えてくれるだろうって不安はあるけど、教えるの上手そう」
そして琴実も乗り気だ。それに千鶴は駄目だよと思わず強く言ってしまう。
「千鶴?」
「あっ、えっとね。この間、お礼を私に願孝寺に行ったんだけど、とても忙しそうだったから」
「そうなんだ。そう言えば旅行も五月にしてくれって言われたもんね」
琴実は残念という顔をしたが、千鶴はほっとしていた。ふと思い出しただけだったが、あの時の亮翔は明らかにおかしかった。それに美希のこともある。しばらくは会わない方がいいんだろうなと千鶴はぼんやり考えていたが、一度強固に結ばれてしまった縁。そうは問屋が卸さなかった。
「あれ、お祖父ちゃん。来てたの」
それは家に帰ってからのこと。珍しく祖父の雅彦が家に遊びに来ていたことで繋がっていく。
「ああ、ちょっと用事があってな。千鶴にもできれば協力してほしいんだけど」
いつ会っても元気な祖父、雅彦はからからと笑った。松山城へと通じるロープウェイ街と伊予鉄道松山市駅近くの銀天街で飲食店を二店舗営む雅彦は、このあたりの自治会長でもある。なにかと顔が広く、よく問題解決に駆り出されているのは知っているが、千鶴が手伝えることなんてあるだろうか。
「何かお客さんとトラブル? それとも新メニューの考案?」
まさか自治会長としての仕事の相談ではないだろうと、千鶴はお店のことかと訊ねてみた。しかし違うとあっさり否定される。
「そんなことで孫の手は煩わせんよ。自分で何とかする」
「そう。でもこの間、メニューを相談してきたじゃない」
「あれは若者の意見を聞きたかっただけだよ。考案までは頼まないってことだ」
「ああ、なるほど。って、じゃあ、何?」
そんな言葉尻を捕らえている場合じゃないでしょと、千鶴は雅彦の前のソファに座った。雅彦はソファが嫌なのか、座布団の上に座っていたからだ。
「実は願孝寺からの頼まれたことがあってな」
「が、願孝寺」
どこまでつき纏うのよあの腹黒坊主と、様子のおかしかった亮翔を心配する気持ちが吹っ飛ぶ千鶴だ。まったく、何か話題になるたびに願孝寺ってもはや嫌がらせではないか。
「あら。話題の亮翔さんのところね」
そこに台所でコーヒーとケーキを用意していた千秋がやって来た。その様子からして雅彦が来たのはついさっきらしい。ますます嫌な予感がする。
「はい。千鶴はポンジュース」
「あ、ありがとう」
愛媛は蛇口からポンジュースが出てくるとまで言われる、愛媛を代表するジュースを受け取りつつ、千鶴は一体何よと雅彦を睨んでしまった。
願孝寺にしても亮翔にしても、この春から何度話題になるのやら。しかし、もう春先の舌打ちされた時の悪印象は薄らいでいる。忘れていないけれども、美希を忘れられない人だというのは理解していた。
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