第35話 情けない
「情けないとは」
「お前さんが美希さんの死を受け入れられておらぬからじゃ」
「っつ」
はっきり指摘されて、亮翔は思わず息を飲んでしまった。それは肯定しているようなもので、亮翔はますます不機嫌になる。横にいる恭敬も困った顔だ。
「私ですらまだ実感が湧かないのですから、若い亮翔が未だに気にするのは仕方ないことかと」
「甘やかしてどうする。よいか、お主とこの馬鹿弟子の間には一つだけ決定的な差があるんだぞ。お主はもう娘のことも妻のことも待ち続けておらんだろう。死んだものとして受け入れておる。だが、こいつは違う。まだ待ち続けておる。どこかで生きているはずだと、そう思っておる。これが問題じゃ」
「え、ええ」
それは恭敬も薄々ながら気づいていたことだ。
娘との約束を律義に守ったのは、この寺で美希を待ち続けたいからではないかと。そしてそれが、強く亮翔を縛っているのではないか。そう思いつつも問い質せずにいた。
「生きていないと、解っています」
「解っておらん。理屈で解っていることと感情で理解することは別じゃぞ」
「それは」
反論を封じられ、亮翔は困ってしまった。そしてそんな自分に戸惑ってしまう。どうして否定できないのか。悔しくて思わず僧衣を握り締めてしまった。
美希はもう戻って来ない。死んでしまった。そう感情でも理解できていると、どうして言えないのか。
「春成さん。今日はその話をしに来たのではないでしょう」
拳を握り締めて震える亮翔が気の毒になり、恭敬は話題を変えようとした。しかし、春成は厳しい顔で亮翔を睨んだまま。非常に息苦しい。恭敬は何でこうなったのかなあと溜め息を吐くが、亮翔をこの寺で受け入れた時点で、こういう言い合いになるのは目に見えていた。避けては通れないだろう。
境内で鶯が呑気にホーホケキョと鳴くのと対照的に、寺の中はしんと静まり返り、同時に張り詰めた空気が流れる。まるでそのまま無限に時間が止まってしまうかと思われたが
「すみません」
静寂を破る声に恭敬も亮翔も救われた。そしてばっと立ち上がったのは亮翔だ。
「はい、ただいま」
このまま問い詰められては針の筵だと、そそくさと本堂を出て行ってしまう。その姿に春成はやれやれと首を振り、恭敬は苦笑してしまった。
「好きだった相手が唐突にいなくなる。それが辛いことは解るが、この先ずっと僧侶を続けるのならば、その気持ちに区切りをつけさせんと駄目だぞ。そうでなければ、奴はいずれ寺を去る」
しかし、そんな恭敬に向けて春成は厳しい目を向けた。それに恭敬は眉を下げる。
「去るのも一つの選択だと思いますが」
「いいや。その場合の去るは良い結果を伴わぬ。美希さんの死を受け入れてさらにこの寺から出ていくのならば、そして僧侶を辞めるというのならば、それは新たな門出じゃ。俺も心から祝うことが出来る。しかし、あのままの状態で去れば、いずれあの男は美希さんの死、いや、行方不明だという事実に潰される」
「そう、ですね」
はっきり言葉にされて、恭敬は躊躇いつつも頷いていた。
そう、おそらくこのままでは遠くない将来、そうなってしまう。亮翔は美希の死を受け入れきれず、心を病んでしまうことだろう。その先に起こり得ることは考えたくもなかった。
「千鶴さんが、変えてくれるといいのですが」
先ほどの声ですでに誰が来たか気づいている恭敬は、思わずそう呟いてしまう。そして春成に誰だと睨まれ、しまったと肩を竦めていたのだった。
社務所には誰もおらず、困って大きな声で呼んでしまったが、留守だったらどうしようと千鶴は溜め息を吐く。
美希について問い質せるかどうかは別として、お世話になったのは事実。ちゃんとお供え物を渡したいのだが、一体二人揃ってどこに行ってしまったのだろう。社務所は開きっぱなしだったから、留守ではないはずだが。
「お待たせしました。って、なんだ、お前か」
しかし、すぐに社務所に亮翔が姿を現した。そして失礼にも態度を変えてくれる。
まあ、今更改まった僧侶姿で接せられても困るのだが、その変わり身の早さには呆れてしまう。
「お前かって、女子高生捕まえて酷いわね。これ、うちの祖父から。この間はお世話になりましたって」
感謝の気持ちは半減だと思いつつも、お供え物を亮翔に手渡す。それを亮翔は受け取り
「わざわざありがとうございますとお伝えください」
と改まった調子で言った。そのギャップにくすっと笑ってしまう。
すると、亮翔が呆けたような顔をする。それはまた美希とそっくりに見えていたからなのだが、もちろん千鶴は解らない。
「どうしたんですか。まさか変なものでも食べたんですか」
あまりに唐突にぼんやりした顔をしたものだから、千鶴は詰め寄ってしまう。すると、亮翔は何でもないと言いつつ後退った。
相変わらず妙な反応だ。千鶴は首を傾げたものの、美希のことを問い質せるわけもないし、用事もないのでお暇するかと一人頷く。
きっとあれこれ忙しくて、それでぼんやりしていたのだろう。
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