第19話 再び望月旅館へ

「えっ?」

 しかし、何だかびっくりな単語が聞こえて、千鶴はびっくり。思わず八木を二度見してしまう。

 結婚するの? というか、彼女いたの?

「何をビックリしてるんだ。俺だって彼女はいるよ。というわけで、俺は絶対的に安全だから」

 胸を張る八木に、生徒たちはぽかんとするしかない。一方、亮翔は知っていたようで呆れた顔をしている。

「というより、まだ結婚していなかったんですか。蝉の夫婦にならないように気を付けないとですね」

 そしてそんなコメントをした。蝉の夫婦って何?

「付き合っている期間ばかり長くて、結婚したらすぐに別れちゃうカップルのことよ」

 しかし、それは琴実が知っていて、こそっと耳打ちしてくれた。なるほど、八木はずっとだらだらお付き合いしている女性がいて、結婚になかなか踏ん切りがつかないわけか。カップルも色々だ。

「余計なお世話だよ。彼女のキャリアを邪魔するようなことはしたくないからね」

「キャリア」

「そう。彼女は東京の大学で研究者をしているんだ。だから、大事な研究の最中に結婚っていうのは慌ただしいだろ?それが一段落ついてからって考えていたら、いつの間にかこの年齢だよ」

 ははっと笑って説明してくれる八木は、彼女にも優しい男のようだ。しかし、それって押しが弱いってことではと、千鶴は心配してしまう。なるほど、亮翔の指摘も単純に失礼な言葉ではないかもしれない。

「それ、もう五年は言ってますよね」

 亮翔も呆れたように言う。本当に結婚するのかと疑っている顔だ。

「大丈夫。来年に式を上げる予定で進めているから」

 しかし八木はさらに爆弾発言をし、道後温泉に向かう車の中は八木の彼女の話題で持ちきりになってしまうのだった。




「いらっしゃいませ」

「こんにちは。今日はよろしくお願いします」

 さて、道後温泉の望月旅館に到着すると、着物姿の百萌と母親で女将の薫子に出迎えられた。

「いえいえ。百萌の後押しをしてくださったんですもの。このくらいのお礼はさせて頂かないと」

 薫子はとても美人で、にこやかな笑顔に千鶴たちは見惚れてしまう。それは大人たちも同じようで、亮翔も八木も何だか嬉しそうだ。

「お部屋は三つ、続きでご用意させていただいております。どうぞ」

 こうして薫子と百萌に先導され、千鶴は初めて入った旅館部分にワクワクしてしまう。フロントとお土産物を売る店を抜けると、噂に聞いた通りの落ち着いた雰囲気の館内、中庭が見渡せる長い廊下にはところどころに有名な俳句の短冊が飾られており、それに合わせた壺や生け花なんかがあって、いかにも高級旅館という趣だ。

「うわあ。うっかり転んで何か壊さないように気を付けないと」

「やだ、千鶴ったら」

「そんなに高価なものじゃないから大丈夫よ」

 千鶴と琴実の会話を聞いて、百萌がくすりと笑って言う。いや、絶対に高価でしょと二人揃ってツッコミを入れてしまった。

「ううん。高価なものがいっぱいあれば、それこそお父さんもお祖父ちゃんも高価な家宝を売る必要はなかったわ。ここにあるのはどれも多く出回っている、日常使いのものばかりよ」

 そう百萌に言われて、確かに前回の事件が起こるはずがないかと千鶴は納得した。高価な砧青磁の香炉。それを手放せば露天風呂が簡単にメンテナンスできるという発想は、要するに他の物を売っても足しにならないという判断があったからだ。

「でも、普通の焼き物でも二万円とか、高いと十万円するよね?」

 琴実の確認に、そうねえと百萌は頷く。駄目だ、やっぱり気を抜かないようにしようと千鶴は誓う。高校生が気軽に払える金額じゃなかった。

 廊下を抜けると左手が大浴場になっていた。部屋にも小さな露天風呂が付いているが、こちらでも温泉を楽しめるようになっている。右手側は食事処で、朝は泊っている人全員、夕食は部屋食を希望しない人がここを利用することになっているという。そのままずんずんと奥に進むと、今度は客室が連なる廊下へと出ることになる。その一番奥から三つが泊まる部屋だった。

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