第11話 大威徳明王
「今日は来れなくなってしまったの。塾の模試だそうよ。すっかり忘れてたって謝られたけど、仕方ないわよね。大変よね、国立大目指している子は。もう本格的に受験勉強を始めなきゃいけないらしいわ」
「へえ」
なるほど、模試か。まだ二年生の五月の連休中だというのに大変だな。
「篠原さんは? 受験、考えているの?」
道すがら、榎本のことをきっかけとして話題になったのは受験のことだった。すると篠原はどうしようか悩んでいるとのこと。
「ほら。私の家は旅館でしょ。しかも一人っ子だから継がなきゃいけないし。大学に行くかどうするか微妙な問題なのよね。経営の勉強のためには行くべきかしらと思いつつ、すぐに仕事に入るべきかもって同時に考えちゃうの。お母さんの仕事を見ていると、覚えることが多そうだなって思うし」
「ああ、そうか。老舗旅館の若女将になるんだもんね」
「ふふっ、そうね。父は別に継がなくてもいいなんて言うんだけど、やっぱりそうはいかないでしょ。ここまで続いて来たものを自分の勝手で終わらせるのは、何か嫌だし」
「大変だね。うちはまあ、普通のサラリーマン家庭だからなあ。そういう家の問題はないわね。でもその代わり、就職のことを考えて大学は行きなさいって感じだわ」
「あら、それもそれで大変ね。でも、今は高卒だと苦労するっていうし」
「そうそう。就職先なんてないわよって脅されるのよねえ。でも、浪人はダメよって言われるから一発合格しなきゃいけないし。ああ、来年は受験かあ。今年のうちに遊んでおかないと」
「それはそうね」
そこで二人揃って笑ってしまう。あっという間に打ち解けていた。タイプの違うお嬢様という感じの篠原だけど、とても喋りやすい。
「あっ、ここよ」
「へえ」
そして願孝寺に到着。この間と同じように本堂にお参りし、ついで社務所へと向かった。
「ようお参りです」
社務所に入ると、今日も住職の恭敬が迎えてくれた。にこにこ笑顔に癒される。
「どうぞ、お茶室に案内しましょう。今日は私も同席させていただきますから」
「え?」
しかし、今日は亮翔だけではなく恭敬も付き合うというのでびっくりしてしまった。ひょっとして巻物の内容の判断で困った場合に相談しようという腹積もりなのだろうか。負けず嫌いな性格っぽいし、それはあり得る。
「では、どうぞ」
こうして恭敬に導かれ、二人はお茶室へと向かったのだった。
お茶室ではすでに亮翔がお茶とお茶菓子の準備をしていた。今回のお茶菓子は伯方の塩を使った純生入り大福だ。これはしまなみ海道の一つである
「餡子の中に生クリームが入ってて美味しい」
しかし、その大福は絶品だ。ううん、やっぱりこれで三百円は安いか。そう思わされる。
「本当ね。どっちもほどよい甘さで美味しい」
篠原も満足な様子で頬張っている。意外と地元のお菓子って食べる機会がないから、嬉しいのだろう。そう思うと、この戦略は正解ですと褒めるしかない。
「さて、巻物はお持ちいただけたようですね」
二人が一服吐くと、亮翔が前に座った。あれ、住職さんはと思っていると、二人の後、茶室の入り口付近でお茶を啜っている。どうやら同席するだけであるらしい。これはこれで意外だ。
「はい、こちらです」
篠原は緊張した様子で亮翔に巻物を渡した。敷居が高いと言っていただけあって、お坊さんを前にすると緊張するのは仕方ないだろう。しかも亮翔は無駄にイケメンだし。見ると篠原の頬が少し赤くなっている。見た目に騙されちゃ駄目だよと、心の中だけでツッコミを入れておいた。
「失礼します」
今日はお澄ましモードの亮翔は、笑顔で受け取ると風呂敷を解いた。中からはいかにも年代物といった木箱が出てくる。その木箱には何やら文字のようなものが書かれていた。それを亮翔はさらりと指でなぞる。そしてなるほどねというように僅かに唇の端を上げた。
「開けますね」
「は、はい」
怯えているという前情報があるからだろう、亮翔は一度、篠原にそう確認してから木箱をスライドさせた。そこには古ぼけた印象の巻物が納められている。長い間放置していた影響だろうか。亮翔は丁寧な動作でそれを取り出し、畳の上に置くと慎重に巻物を伸ばした。
「うわっ」
現れた絵に、千鶴は思わず声を上げてしまう。すると亮翔が一瞬、お澄ましモードを捨てて睨んできた。
すみませんね、がさつで。千鶴は小さく舌を出す。しかし、その仏様の絵はびっくりさせられる。
だって、顔も腕も足も六つあるのだ。これを六面六臂六脚というと亮翔が説明してくれた。そして、その仏様は怖い顔をしていて、さらに牛に跨っていた。
「やはり、これは
亮翔がそう断言する。しかし聞いたことのない名前だった。ただ、多くいる明王の一人だろうという亮翔の推察があっていたことは解る。
「どういう仏様なんですか?」
篠原も知らないようで首を傾げている。それに亮翔は呆れる様子もなく――おそらく千鶴一人だったら溜め息の一つでも吐き出してくれるだろうに――にっこり笑って説明を始めた。
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