第83話 エピローグ

(幸也)

「はい、オレンジジュース」

「ありがとうございます」


 俺がベンチに座る美香さんにオレンジジュースを差し出すと、彼女は嬉しそうに受け取った。


 俺達は美術館の敷地内にある公園で散歩して、木立の日陰にあるベンチで休憩している。今日は商店街のイベントが終わって最初の定休日。お流れになった美術館デートの仕切り直しで来ていた。


「今日は本当に楽しかったな。美術館を解説付きで回ったのは初めてだったんで、勉強になったよ」


 美術館に展示されている作品を見ながら、美香さんは俺に一つ一つ解説をしてくれた。


「私もです。元々作品は一人でじっくり見たいタイプだったんですが、幸也さんが解説に感心してくれるので、本当に楽しく回れました」

「一つの作品を作者がどういう背景や気持ちで描いたのかとかが分かると、本当に面白くてね。美香さんは普段から良い先生なんだなって感じたよ」

「ありがとうございます」


 美香さんは照れた表情で笑う。


「こんなに、一緒に居るだけで楽しい気分になれるのは初めてです」

「これからずっとこんな日が続いて行くよ」


 美香さんが体を寄せて来たので、俺は彼女の肩を抱いた。


「来週は美香さんの実家に挨拶に行くんだな。緊張するよ」


 来週の定休日には美香さんの実家に、結婚を前提としたお付き合いの挨拶に行く予定になっている。


「大丈夫ですよ。実家に帰る度に彼氏は出来たか? って聞かれるぐらいだから、きっと喜んで貰えます。それに二人とも絶対に幸也さんを気に入ると思います。私には分かるんです」


 美香さんが自信を持ってそう言うので、俺も気が軽くなった。


 一緒に居て幸せを感じる。これから様々な困難も現れるだろうけど、今の気持ちを忘れずに、二人で乗り越えて行こう。



(直人)

 俺は今日、柔道部の三人プラス増田と香取さんと斉藤の計六人で、河川敷に風景のスケッチに来ている。


 美術部の活動への参加は中止になったし、商店街のイベント後にプロモーションビデオの撮影の続きを行ったので、課題が進んで無かった。描き方のアドバイスをするからとの斉藤の提案で、みんなで河川敷に集まってスケッチすることになったのだ。


 堤防に並んで座り、鉛筆で描いて行く。


「さすが斉藤の絵は俺達と全然レベルが違うな」


 芳樹が斉藤の絵を後ろから覗き込んで、感心した口調で褒める。


「小さい頃から習っているからだよ。誰だって同じように教えて貰ってたらこれぐらい描けるよ」

「でも、斉藤君の絵はテクニックだけじゃないと思うわ。人の心を掴む魅力があるから」


 謙遜した斉藤を隣に座る香取さんがフォローする。斉藤と香取さんは俺達の目を気にせず、ずっと仲良くしている。俺はそんな二人を見ても嫉妬もせず、むしろ嬉しく思った。


「かあーホント仲良すぎて羨まし過ぎるぜ。俺も彼女が欲しいよ」


 芳樹が大げさに二人を冷やかした。


「あっ、そう言えば委員長」

「えっ、何?」


 芳樹は俺の横に座る増田に声を掛ける。


「『スイッチ』で働いている可愛いお姉さんは誰?」

「ええっ、春菜さんのこと?」


 浜田が驚いて間に入って来る。


「違うよ、ギャル系のお姉さんだよ」

「ああ、秋穂さんね。関西出身の女子大生よ。秋穂さん可愛いからね。店に来るお客さんの中にもファンが多いんだよ」

「芳樹君また無理目の人に惚れちゃったの? それに年上の人が好きだね」

「お前に言われたくないよ」


 浜田の容赦ないツッコミに、芳樹も反論する。


「でも、片桐先生とあの秋穂さんって人は真逆のタイプだよな」

「良いの! 好きになったんだから、その人がタイプってことで」


 俺に対しても意地になって、芳樹は反論してくる。


「みんな良いな、好きな人が居て。私も大好きな彼氏が欲しいな……」


 増田が芳樹を見ながら、羨ましそうに呟く。


 増田も彼氏が欲しいと思ってるのか! 好きな人も居ないんだったらチャンスかも。


「あっ、それなら俺なんかどう? 増田の彼氏に」

「ええっ!」


 みんなが一斉に驚きの声を上げる。


「なんだ、結局委員長のことが好きになってたのかよ!」

「こんな場面でチャレンジするなんて、直人君も結構大胆なんだね」

「あっ、いや、そんな……」


 チャンスだと思ったら、何も考えずに口に出してた。確かに告白するタイミングでは無かったかも。


「ああ……ごめん、若宮君をそんな目で見たこと無かったよ……だからすぐに彼氏って訳には……」

「いや、俺が勝手に好きになっただけだから、増田が気にする必要はないよ。全然気にしないでくれよ」


 河川敷は夏にしては涼しい風が吹いて爽やかな気候だったが、俺は一瞬で背中に汗が噴き出してくるのを感じた。


「あっ、ごめん、言い方が悪かったけど、全然無理って訳じゃないのよ。その……五十パーセントぐらいで」

「五十パーセント?」

「そう五十パーセント。全然可能性はあるよ」


 なんか微妙な可能性な気がするが、どう受け取れば良いのか。


「凄いじゃないか、五十パーセントだってよ!」

「直人君、チャレンジに半分成功したんだよ!」


 えっ? そうなのか? 喜んで良いのか?


「頑張れよ、若宮」

「若宮君、凄いよ。茜ちゃんがこんな返事したの初めてだよ。私も応援するから頑張って」


 斉藤と香取さんもそう言ってくれる。頑張るべきなのか?


「あの、私が言うのもなんだけど、諦めないで欲しいな……」


 増田が少し照れた顔で言う。凄く可愛くて震えが来る。俺はもっともっと、惚れてしまった。


「よっしゃー頑張るぞ!」


 俺はみんなに囲まれて、ゆったりと流れる川に向かって叫んだ。



(春菜)

「お疲れ様でした! お先です」

「はい、お疲れ!」

「お疲れ様です!」


 私は「スイッチ」での仕事を終えて、マスターと茜ちゃんに挨拶して店を出た。


 マスターは今日一日中落ち着かない様子だった。今日は裕子さんがマスターのマンションに夕飯を作りに行くと茜ちゃんから聞いている。あのコンテストの公開プロポーズの後も二人は順調に交際しているみたいだ。その影響か、茜ちゃんも心配事が無くなりいつも笑顔だ。


 明後日から九月とは言え、まだ日も長く残暑も厳しい。


 店を出ると駅前広場が有り、イベントで設置された村娘のオブジェとキーホルダーの掛け所が目に入った。私は少し寄り道して、キーホルダーの掛け所の様子を見に行った。


 掛け所にはかなりの数のキーホルダーが掛けられている。恋人同士の名前が書いてある物から、一人だけの名前の物、片想いの人へのメッセージが書かれた物など様々だ。共通しているのは、それぞれのキーホルダーに愛の想いが託されていることだ。


 みんなの想いが成就しますように。


 私は心の中でそう願って、その場を離れた。


 商店街の入り口ゲートをくぐり、アーケードの中に入る。イベント以降、活気が増したように感じるのは贔屓目なんだろうか。


 例のプロモーションビデオの撮影もイベント後に完了。浜田君がコンテストの開催時に匿名掲示板で宣伝してくれたので、動画のアクセス数も増えた。何とか面目を保ててホッとしている。


 商店街の中は賑わいを見せている。全てが買い物客ではなく、ただ通り過ぎるだけの人もいるのだろうけど、明らかに以前より人通りが多い。特に若い女性が増えた気がする。恋愛のお守りキーホルダーの効果だろうか。アーケードの中を歩いていると、店主さん達がみんな笑顔で声を掛けてくれたりする。


 今日は幸也さんの店でたこ焼き買って帰るかな。


 私は幸也さんの店が見えて来たので寄ってみた。


「いらっしゃいませ!」

「あっ、先生!」

「あっ、春菜さん、お仕事の帰りなんですか?」


 店の受付をしているのは片桐先生だった。


「ええ、そうなんです。先生は店のお手伝いですか?」

「はい、今日は幸也さんと一緒に夕飯を食べようと思って」


 そうか、幸也さんもマスターも幸せ者だね。


「いやあ、仲が良いですね。ホント良かった」

「春菜さんのお陰です。ありがとうございます」

「あ、藤本さん、いらっしゃい」

「幸也さん、幸せそうでなによりですね」


 幸也さんが奥から顔を出したので、少し冷やかしてみた。


「そう言われると照れるけど、本当に幸せだよ。藤本さんのお陰だよ」

「二人が頑張ったからですよ」


 二人ともに感謝された。何かキューピットになった気分だ。


「じゃあ、今日はネギタコの八個入りください」

「ありがとうございます。ネギは多めにサービスするね」

「あ、嬉しい。ありがとうございます!」


 たこ焼きを持って店を離れると、また違う店主さんが声を掛けてくれた。


 店舗数が多い訳でも、人気店がある訳でも無いけど、この桜元駅前商店街には笑顔と幸せが溢れている。もっと多くの人がここを訪れて、みんなが幸せになりますように、と私は願った。


 最後まで読んで頂き、ありがとうございました。

 近況ノートにあとがきを書いています。宜しければご一読ください。

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桜元駅前商店街の幸せな人々 滝田タイシン @seiginomikata

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