第62話 食事会の結果(2)(幸也)

 木曜日のお昼過ぎ、俺は保が通らないかと、店内から商店街を行き来する人を眺めている。もし店の前を通るとしたら、今ぐらいの時間だからだ。


 昨日解散した後に告白した筈なのだが、結果がどうなったかまだ聞いていない。夜に何度も連絡しようかと考えたが、上手く行かなかった時のことを考えると出来なかった。良い結果ならこちらからしなくても、保の方から連絡してくれるだろうと待っていたが、結局今現在も来ていない。俺は僅かな可能性を捨てきれずに待っていた。


「保!」


 駅の方から歩いて来る保の姿が目に入った。奴は俺と視線が合うと、笑顔で小さく手を上げる。


「おはよう、相変わらず暇そうだな」


 保は店内に入って来ると、いつものように憎まれ口を叩く。その、いつもと変わらない様子に俺は安心した。


「昨日の夜にお前が連絡してくると思って待ってたんだぞ」

「あー、まあ、それはな……」


 いきなり保にそう言われて、俺は上手い言葉を思いつかずに言葉を濁した。保も俺からの連絡を待っていたのか。


「俺が振られたと思ったか?」


 保はカウンター席の一番手前に座る。


「いや、そういう訳じゃないんだけどな……」


 次々鋭く突っ込んで来る保に、俺は戸惑う。


「まあ、振られたのは事実なんだけどな」

「えっ?」


 余りにサラリと言ってのけたので、俺は本気なのか冗談なのか判断付かなかった。


「いや、振られたって……その、告白はしたのか?」

「ああ、ちゃんと告白したよ……」


 保は食事会が終わって、裕子ちゃんと二人で帰った時の状況を話してくれた。



「幸也君と片桐先生って、本当に付き合っているのかな? ちょっと様子が変だったよね。保君は何も感じなかった?」


 帰りの電車の中で、裕子ちゃんは保にそう聞いてきたそうだ。


「いや、そうだったかな……」


 裕子ちゃんが気付いていたことに動揺した保は言葉を濁した。


「なんか怪しいな……」

「ちょと、俺の店で話さないか?」

「えっ、うん良いけど……」


 保の真剣な表情を見た裕子ちゃんは何かを感じ取ったらしい。


 桜元駅に帰り着いた二人は「スイッチ」に入り、保がコーヒーを淹れる。そして二人でカウンターに座って話し始めた。


「どうして幸也たちが変だと思ったの?」

「うーん、まあ、勘だけどね。付き合っているにしては初々し過ぎるって言うか、友だちに紹介する段階まで行ってないって言うか……」

「そうか……実は幸也たちはお芝居してくれたんだ」

「お芝居? えっ、どうして?」

「俺と裕子ちゃんが二人っきりの状況を作る為に」


 保がそう説明すると、裕子ちゃんは何かを悟ったように、何も言わずに保の言葉を待っていたそうだ。


「俺はずっと昔から裕子ちゃんのことが好きなんだ。諦めようとしたけど、諦めきれない。俺と結婚を前提に付き合ってくれないか?」


 保の告白に裕子ちゃんはしばらく言葉を選び「ありがとう」と言った。


「私も高校時代、勇ちゃんと同じくらい保君のことが好きだった。今でもその気持ちはずっと心の片隅に消えずに残っているわ」


 保はその言葉を聞き、心から嬉しく思った。だが、裕子ちゃんの言葉のニュアンスに小さな不安も感じた。


「勇ちゃんが死んで、もう十五年。ずいぶん時間が経ってしまったわ……」


 保は言葉を挟むことなく、裕子ちゃんの話を聞き続けた。


「死別した当初は、勇ちゃんのことを想い毎晩のように泣いていたわ。でも泣いてばかりじゃ茜をちゃんと育てられない。もう必死だった。

 そうこうして時間が経っていくと、だんだん勇ちゃんのことを思い出す時間が少なくなってきてね……。今では写真を見ないとハッキリ顔を思い出せないの……」


 その時、裕子ちゃんの瞳から涙が零れてきた。


「私はそれが悲しい。ずっと憶えていたいけど、どんどん記憶が薄れていく。

 私は……私だけはずっと勇ちゃんのことを忘れずに居たい。保君と結婚して幸せな生活が続いて行くと、大事な記憶が色あせてしまいそうで怖いの」


 保は泣いている裕子ちゃんを抱き寄せた。


「ありがとう、気持ちを聞かせてくれて。裕子ちゃんがそれほど勇一のことを想い続けていることは、俺も親友として凄く嬉しい。その気持ちを尊重するよ」


 裕子ちゃんは保の胸に顔を埋めて、大きな声を上げて泣いた。


 その後、裕子ちゃんも落ち着き、二人は笑顔で別れたそうだ。



「裕子ちゃんの本心を聞けて本当に良かった。気持ちがスッキリと晴れたよ」


 保は経過を話し終えると、その言葉通りスッキリとした笑顔を浮かべた。


「別に結婚しなくても良い。俺のことを少しでも好きだと想ってくれているなら、今の関係でも十分だよ。勇一の代わりにはなれないだろうけど、裕子ちゃんと茜ちゃんの二人を見守って行きたいんだ」


 いつか裕子ちゃんが、保を受け入れてくれる日が来ると良いなと思ったが、言葉にはしなかった。保の純粋な想いを汚してしまいそうだったから。


「お前の方はどうだったんだ? 片桐先生に告白したのか?」

「ええっ? しないよ。俺達はそんな関係じゃないから」


 急に自分の方に話を振られて驚いた。


「お前も食事会の態度で気付いただろ? 片桐先生はお前のことを好きだと思うぞ」


 俺は保に返事が出来なかった。


「彼女控えめな性格だから、お前の方から行かないと進展ないぞ。先生は人柄も良いし、お前も嫌いじゃ無いんだろ?」

「片桐先生は素敵な女性だと思っているよ。俺からアプローチしていけば、もっと親しくなれるかも知れない。でも、もう良いんだよ。先生も俺のことを良く知ったら、気持ちが冷めるに決まってるさ」

「お前、まだそんなに離婚のことを引きずってたのか……。あんなの浮気女が責任逃れの為に吐いた言い訳だろ。お前が悪かった訳じゃないさ」


 離婚の事情を知っている保は、いつも俺を擁護してくれる。でも、俺は自分にも浮気の責任はあったと思っている。妻にとって退屈なつまらない男だったのは事実だから。


「すみません、たこ焼きください」


 保が何か言おうとしたが、お客さんが来てしまった。


「あ、はい、いらっしゃいませ!」


 俺は会話を中断して接客対応した。


 その後もお客さんが続き、結局会話は途切れたまま再開出来なかった。


「じゃあ、店に戻るよ」

「ああ、中途半端になってすまんな」

「忙しいのは良いことじゃないか」


 保は笑顔で出て行った。


 お客さんが途切れた後、保との会話を思い出す。


 片桐先生なら、もっと良い相手が見つかるだろう。俺なんかと付き合う必要はないさ。


 俺は目の前に居ない保に、心でそう答えた。 

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