第56話 浜田君からのお誘い(春菜)
八月三日の火曜日。私は今「スイッチ」のバイト中だ。マスターが昼休みに入ったので一人で店を回している。
愛美ちゃんが塞ぎ込んで、プロモーションビデオの撮影がストップしてから一週間が過ぎた。茜ちゃんや片桐先生の努力もあり、愛美ちゃんは茜ちゃんと二人で花火大会に行くことになったようだ。これで元気を取り戻す切っ掛けになってくれれば良いと思う。
だがプロモーションビデオの撮影は再開出来そうも無い。愛美ちゃんが負担に感じないように、プロモーションビデオは責任者の私が大丈夫と言ってると、繰り返し伝えているからだ。現在は第二部の公開までは済ませている。一応商店街の各店舗の紹介シーンは公開されているので、最低限の目的は果たせている。ただ、ビデオのストーリー的には恋の行方が中途半端になっているので残念だ。
「プロモーションビデオの再生回数が伸びませんね」
「スイッチ」のカウンター席に座ってコーヒーを飲んでいる浜田君がスマホを見ながら肩を落として呟く。彼は私が自分の推している小説家と分かってから、毎日のように「スイッチ」に来てくれているのだ。
「まあ、仕方ないよ。宣伝もあまりしてないからね」
完結の見込みが無いので、積極的な宣伝は控えていた。幸いと言うか辛いと言うか、商店街の人々もあまりプロモーションビデオに期待していなかったのか、今のところ苦情や質問も出てきていない。
「それより浜田君、最近毎日来てくれているけどお金大丈夫なの? 高校生のお小遣いじゃ辛いでしょ」
「大丈夫ですよ。うちは結構お金持ちなんです。お金だけ与えて放置する系の両親なので、お小遣いも十分なんですよ」
「そうなんだ……」
なんか悪いこと聞いちゃったなと、浜田君にすまない気持ちになった。
「あっ、全然気にしてませんよ。もう慣れましたから。それに細かいことも言って来ないので気楽なんですよ。最近新しい目標が出来たんですけど、きっとそれに関しても何も言わないと思うので」
「新しい目標?」
「新しい目標」と言ったところで、浜田君の表情が変わったので気になった。
「そうなんですよ、新しい目標が出来たんです。今まではなんとなく大学に行って就職しながら小説書いてって考えてたんですが、出版社に就職して編集者になろうと目標を定めたんです!」
控えめな浜田君が目を輝かせて胸を張る。
「編集者になるの?」
「いや、もちろん小説も書こうとは思います。でも、それとは別に、編集者になって友藤先生の作品を世に送り出したいんです!」
「ええっ、私の作品を?」
「そうです。だからお願いです。絶対に諦めずに小説を書き続けてくださいね。もし出版デビューしてなくても、僕が全力推しして世に送り出しますから!」
うーん、若いと言うか、単純と言うか素直に喜んで良いのかな。気持ちは嬉しいけど、浜田君が編集者になるのって、まだ結構先のことよね。その間にいろいろな出来事があって、考え方なんて変わってしまうかも知れないのに。
でも純粋に私の作品を評価してくれて、こんなことまで言ってくれるなんて光栄よね。考え方としてはまだ高校生なんだから、これぐらい可愛くても良いか。
うん? ちょっと待ってよ……。
女性小説家に心酔した若い編集者か。高校生の時に誓った約束を守って少年は成長して編集者となる。だけど、無名の素人だった主人公は、今では売れっ子小説家に。
せっかく編集者になった青年は、主人公が手の届かない人となってしまったことを嬉しくもあり、寂しくもある。
「約束通り、編集者になってくれたわね。約束とは逆になるけど、私があなたを一流の編集者に育て上げるわ。私の担当となって勉強なさい」
「ありがとうございます。先生!」
って感じで年下編集者と売れっ子小説家のラブロマンスも面白そうね。メモっとこ。
「先生、聞いてますか?」
「へっ?」
浜田君が心配そうに、私の顔を窺っている。
「どうしたんですか? 急にぼうっとして」
「ああっ、ごめん、魂抜けてた」
「もう一つのお願いも聞いてくれてましたか?」
「えっ、なにそれ?」
妄想発動して何も聞いて無かったわ。
「来週の花火大会に、一緒に行ってくれませんか? って聞いたんです」
「ええっ!」
まさかのデートのお誘いなの? いや、歳の差かなりあるよ、私達。小説家としてリスペクトしているだけなんじゃないの?
「あっ、いや誤解しないでください。先生のような素敵な女性に、僕が釣り合わないのは分かってます。でも、高校時代の思い出に、是非先生と一緒にこのイベントに行きたいんです」
「いや、私となんて生産性がないよ。同級生の女の子誘いなよ」
「僕は先生と行きたいんです!」
そんなキラキラした目で見ないでよ。誤解するなって、誤解もするわよ。
「うーん。一緒に行く友達は居ないの?」
「直人君は斉藤君と一緒に行くみたいです」
「ええっ、斉藤君と? どうして? 二人は仲が悪いんじゃないの?」
「僕もそう思っていたんですが、今回だけは二人で行く、理由は聞かないでくれって」
怪しい。なんか裏がありそうね。
「あと、芳樹君は片桐先生を誘うって張り切ってて……」
「ええっ、あの子片桐先生が好きだったの?」
「芳樹君のバイタリティに刺激されて、僕も先生を誘おうと勇気づけられたんです。だからお願いします」
なんか私の知らないところでいろいろ動きが有るみたいね。これは私も黙って見てる訳にはいかないな。
「分かった。一緒に行きましょう。でも、デートとかそんなんじゃ無いからね。
浜田君、自分が私と釣り合わないって言うけど、それは違うわよ。浜田君は良いところもある素敵な男の子よ。ただ、年齢の差ってどうしてもあるから。それは分かってね」
「はい、ありがとうございます。一緒に行って貰えるだけで嬉しいです」
もうそんな笑顔を見せられると可愛いって思っちゃうじゃないの。まあ、恋愛対象には見れないけど、一緒に行くのも楽しそうか。
こうして、私も花火大会に参戦することになった。
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