閑話「ゴシップストーンの頭部にある空洞に砂糖を捧げて、ひたすら甘ったるい惚気話を聞かせると、口から色のついた砂糖を吐き出すのだという」
今回の件の影の立役者、やたらと大活躍した"媚薬"については、きちんと紙面を割いて語らねばなるまい。
実をいうと、全ては黒猫の魔女、ユースティティアのおかげである。本当に彼女には頭が上がらない。
現に俺は今、学院敷地内の謎のオブジェ(ユースティティアの住処)でユースティティアに頭を下げている。渾身の土下座である。
「よいよい、構わんぞえ。可愛い弟子の頼みじゃからなぁ」
「本当にすまん、高価な材料をたくさん使ってしまった……! だから、頼むから弁償を受け取ってほしい……!」
「気を遣うでない。それは学院からお主に支払われた謝礼金じゃ。お主が好きに使うがええぞ。まあどうしてもと言うなら、孤児院に寄付してやってくれんかの」
「ユースティティア、お前……!」
いい人過ぎて泣けてくる。女神かよ。
出会った当初は、迷惑ごとに巻き込んでくる厄介な魔女だと思ってたのに、こんなに優しいなんて思ってなかった。頼むから幸せになってほしい。
出涸らしクッキーを幸せそうにもそもそ齧る彼女を見てると、なんというか、もっと美味しいものをお腹いっぱい食べてほしくなる気持ちが溢れてくる。
この前、皆にご飯を奢ったことだって、半分以上はユースティティアのためである。
「頼むから、幸せになってくれ……!」
「?」
よく分からなさそうな顔を浮かべている。ちょっと可愛い。
それはさておき。
今回の件についてきちんと説明しておくと、俺は媚薬の調合のために、ユースティティアにたくさん素材を借りていたのだ。
アマンダの恋の依頼に備えて作った、超凶悪な膜濃縮媚薬(ナノフィルターを使って膜分離法で濃度を高めた媚薬)は五本。一本作るのに、並の媚薬を十倍〜三十倍ほど必要とする。
熊の肝やら、薬草やら、漢方薬やら、とにかく使い込んでしまった高価な材料は元には戻らない。
おかげでユースティティアには、本当に多大な迷惑をかけてしまった。
なので、学院から受け取った謝礼金をそのままユースティティアに献上しようとしているのだが、これがなかなか受け取ってくれないのである。
金貨二十枚。農民の一年分の年収に匹敵する額。妥当な金額だと思うが。
強情に押せ押せでお願いすると、流石に困ったのか、ようやくユースティティアは一つ提案を出した。
「……そんなに言うなら、仕方ないのう。貴重な素材集めを手伝ってくれたらそれでチャラにしてもええぞ」
「! 本当か!? それってユースティティアが損しすぎてないよな!?」
「!? 急に手を握るでないっ、大丈夫じゃわい、ちゃんと本当に貴重な素材じゃ!」
照れ隠しなのか、ユースティティアはさっさと手を引っこ抜いて距離を取った。ちょっと痛い。治りかけの俺の手が、もしかしたらまた破けたかもしれない。これは完全に俺が悪いのだが。
喉を鳴らしながらユースティティアは早口で続けた。
「んん、そうさな、お主は“恋の砂糖”を知っておるかの? この魔術学院で採ることが出来る、とても貴重な砂糖なのじゃが」
「……恋の砂糖?」
◇◇
この学院にある、
有名なものが、恋の砂糖のお話。
ゴシップストーンの頭部にある空洞に砂糖を捧げて、ひたすら甘ったるい惚気話を聞かせると、口から色のついた砂糖を吐き出すのだという。
その色は、見るもきれいな桃の色。これが恋愛のおまじないに効くとされる“恋の砂糖”らしい。
"これが高く売れるんじゃな。これをこの壺いっぱいに集めてくれたら、十分に元は取れるじゃろう"
とユースティティアに持たされた壺を持って、現在、俺はゴシップストーンの前に立ち尽くしていた。
「甘い話が思いつかねえ……」
舐めてはいけない。
恋愛歴ゼロ年。生涯ずっと恋人なし。
計算ばかりやってた勉強オタクの俺に、そんないい人がいるはずもない。
かつて、周囲の人々はそれこそ俺のことを「絶対女にモテる」「女泣かせの無自覚小僧」「ダメ男の教科書」「私がいなきゃだめだと思わせる国の王子様」とか何とか言ってたが、全く心当たりがない。
甘い話どころか、浮いた話一つもないのだ。
小さい頃は、可愛い妹とやんちゃな従姉とずっと一緒だったから、そんな暇はなかった。
あいつらが離れたあとも、別に急にモテたりしたわけでもない。何か女と縁があったかと言われても特にない。女の子の友だちに頼み込んで、街のいろんな仕事のお手伝いをして、お駄賃をたくさん稼いだぐらいの付き合いである。
(いやあ、そんな甘い話なんて俺にあるはずがないんだよなあ)
万事休す。どれだけ頭を捻っても色恋沙汰が出てこない。
恋は計算問題じゃないのだ。考えたところで解決できる手合いの問題でもなさそうである。
「「「「「「…………」」」」」」
しかも、状況も状況である。
なんとあのユースティティア、他のみんなにも声をかけていたのだ。
全員暇なのか、誰一人授業で抜けることもなく、俺の背後で事を見守っている。
こうなってくるとなんだか緊張してしまう。しかしどういうことだろう。もしかすると、みんな俺の色恋沙汰に興味津々なのだろうか。
「……女性といちゃいちゃした記憶がないんだけど、どうしようユースティティア」
「お主、正気か?」
正気を疑われてしまった。周囲のみんなも白い目である。なんだか、女と四六時中いちゃついている奴みたいな目で見られている気がする。これは困った。
だが事実は事実、俺は女に縁がない。思いつかないものは仕方がない。
頑張ってそれっぽいものを、何とか記憶の片隅から引っ張ってくる。
「えっと、街の農家のワインづくりのお手伝いをしたときに、ワインで服がべちゃべちゃになるからということでお風呂に入ってたな、街のお姉さんたちと」
「お兄様それ初耳なんですけど?」「待ってオレその話知らねえんだけど?」
幼いころからの付き合い筆頭の二人の声がかぶる。当然だろう。あいつらが共和国を離れたのが八歳の頃で、ちょうどその年の秋の話だから知らないはずだ。個人的にはむしろ、篠宮さんがぎょっとした顔になっているほうが気になる。
ちらっと
「えーと、あ、そうだ、街の外れの墓場にゾンビの女の子が迷い込んで来たんだけど、何日かデートしたらどこかに帰っちゃったな」
「お兄様!?」「何してんだお前!?」「え、ちょ、嘘?」「なっ」「お主らしいのう」「わあ」
「めちゃくちゃ身体が匂ったから石鹸で綺麗に洗って、木の実をすり潰した防腐剤を全身に塗りたくって、傷ついてた
ゾンビの話は存外反響が大きかった。というかターニャとナーシュカがちょっとショックを受けている。そんな話しらない、とばかりに妹がちょっと泣きそうになってた。すまん。
「え、でも女の子といちゃいちゃした話なんてそうそうないんだよな……」
「いや、お兄様、ちょ、ちょっと整理させてもらっていいですか?」
「ね、ね、ジーニアス、多分そんなびっくりエピソードじゃなくてもさ、日常の話をすればいいだけだと思うよ?」
狼狽えている妹の脇から、アイリーンの親切なアドバイスが飛んでくる。
だが日常の話とは何だろう。別に日常的にいちゃついているわけじゃないのだが。
「例えばさ、今ナーシュカっていう大富豪の娘かつ幼馴染かつ従姉の部屋に転がり込んで同棲してるわけじゃない? それって普通じゃないよね?」
「?」
「いや普通じゃないんだよ、きょとんとしないの」
中々変わった指摘を受ける。従姉に部屋を借りるのは普通ではないだろうか。
だがまあ、人から見ればいちゃいちゃなのかもしれない。夜寝るとき一緒のベッドだし。
「あ、そういえばナーシュカと寝るとき、湯たんぽ代わりに抱き着いて――」
「ぎゃあっ!? ちょ、おい! なしなしなし! 待て!」
急に首をつかまれる。なんて奴だ。だが咄嗟に首に肉体強化魔術をかけている俺には効かない。
声が裏返り気味のナーシュカは、耳どころか首筋まで赤くしていた。赤毛の髪といい勝負だ。
「そういえばここ最近は、何かめっちゃしおらしかったな。俺の胸に顔をうずめてにやにやするし、頭を撫でたらいつもは怒るのに全然怒らないし」
「あーっ、あーっ、あーっ!! 聞こえねえ!! だから黙れ!!」
「何だっけ、だいしゅき……? 古式柔術の寝技の一つだったかな、あれ何なんだ?」
「あああああああっ!!」
何か半泣きになって崩れてる。どうしたんだろう。何だか罪悪感がちょっと湧いたが、まあ、夜眠れなくてぬいぐるみに抱き着く女の子とかいるらしいし、そんな気にする話でもないと思うが。
だがその瞬間、俺は驚くべきものを目の当たりにした。
よくわからないが、どうやら
「――! ナーシュカ、うまくいったかもしれない! もっと言うぞ!」
「やめろっ!! やめろぉっ!!」
半泣きで絶叫されてしまった。何故。しかも表情がガチのやつだ。関係ないが、強気な顔が似合うナーシュカのこういう顔はちょっとグッとくる何かがある。
だがちょっと可哀想なので話題を変える。
「え、じゃあ……ナーシュカに話を振ったアイリーンのことでも言うか?」
「ええっ!? ちょ、待って、落ち着こう、ね?」
「凱旋祭の模擬試合であの女騎士アテーマと戦って、俺が両手を怪我したから、水着を着て俺の身体洗ってくれたんだよな。パレオの透けるやつ」
「透けないよっ! え、透けてなかったよね!? え、えっ!?」
アイリーンが急に肩を抱いて身を震えさせた。頬は羞恥に染まって口元がもにょもにょしてる。もし見られてたらどうしよう、みたいな顔をしてる。
透けるやつと言ってもパレオの部分だけなのだが、ちょっと誤解されているかもしれない。
「何だっけ、俺がお前の尻尾洗う間、やたら俺の肩噛んでたけどさ、あれって」
「きゃあああああっ!! 違っ、そのっ、足だよ足っ!! くすぐったかったんだって!!」
「思い出した、なんか責任取れとか云々いってたな、どういう責任なんだ?」
「きゃああああああああああっ!!」
今度はアイリーンも沈んでしまった。くすぐったいからって人の肩噛むのはやばいだろ、と思うが。
こうなりゃ話の流れなので、みんなの話をしたほうがいいのかな――と思った矢先で、誰かがずいずいと大股でやってきた。
篠宮さんだ。能面を思わせるすごい形相をしている。
「ジーニアスくん……? 私のこと、口説きましたよね? なのにこれって、どういうことですか?」
「え、口説いた? え、えっと?」
「私のことをお姫様抱っこして、天使だとか、恋の暗号とか、か、鍵交換とかっ、言ってましたよね……?」
鍵交換、のところだけちょっと照れながらも、若干固い声は変わっていない。可愛い。声に出てしまったらしく、篠宮さんの表情がますます険しくなっていた。
「分かってますか……? 私、ジーニアスくんのこと、夢で何度か見てるんですよ……? 色んな人に怖がられるこの姿を、お姫様抱っこしながら可愛いなんて言ったんですよ……? ほったらかしにされたかと思ったら、今度は頭の中を掻きまわすような声で耳を責められたんですよ……?」
「え、ああ! そうだ口説いたってあれか! そうです、あんまり綺麗な人だったので、一緒にご飯に行きたいなあと!」
「……それだけですか?」
「?」
背後を見る。さっきから
「篠宮よ、多分お主は最弱じゃ。ジーニアスはしょっちゅうそういうことをする凄い奴じゃ」
「えええっ!?」
ユースティティアが諭すように篠宮さんに言葉をかけている。何だろう。凄い奴、という言葉が聞こえてくるが、褒められているような気はしない。
ちょっとユースティティアもからかってみたほうがいいかもしれない。
「おいユースティティア、お前世界迷宮で百日間同棲したとき、今までしてなかった香水とかつけてたのなんでだよ?」
「! 阿呆、お主を意識してではないわい。あれは、その、魔除けの一種じゃ」
「じゃあさ、俺のためにたまにクッキー焼いてくれたのはなんでだ?」
「……あの茶葉の出がらしを混ぜた焼き菓子を美味しいと言ってくれたからの。このあほ、言わせるでない」
「昼寝するとき、いつも猫になってから俺の膝の上で寝るのは?」
「そりゃあ、まあ、一人じゃ無防備じゃから、警戒じゃな」
ちょっと帽子を深くかぶって顔を隠そうとしてる。可愛い。多分照れてるのだろう。
無理もない。下手したら何百年も生きている稀代の魔女なのに、そんな気安い一面があるというのをばらされたらちょっと恥ずかしいだろう。
相変わらず後ろでげろげろ
「次はアネモイかな」
「! 黙っていたのに卑怯ではないか!」
「卑怯……?」
よく分からない焦り方でアネモイが食って掛かってきた。なんでだろう。焦る要素はあっただろうか。
一応、物は試しなのでアネモイの話もしてみる。
「アネモイが言ってた竜の契約ってさ、調べてもあんまり文献に載ってないんだよな。主従契約とか、異種婚姻譚とか、そういうのばっかり出てくるんだが」
「気にするな、忘れろ、いや忘れられるとちょっと寂しいが……むう」
「……? じゃあ、ずっと覚えとくけど」
「……その、お前が出来損ないの竜でもいいのなら、私は……構わない」
「?」
駄目だ。アネモイの話は輪をかけて分からない。まるで婚約を切り出す恋人みたいな緊張感ある空気だ。
全裸覗いちゃったぜ、がはは、みたいな話のほうが暴露話っぽかっただろうか。
それとも、いつもは金髪縦ロールのくせに、風呂上りのしっとりしたロングヘアを見ちゃったぜ、がはは、のほうがよかっただろうか。
そんな中。
「……お兄様?」
「なんで無表情なんだよ、え、怖」
「やっぱり私、お兄様から目を離すべきじゃなかったですね……?」
妹の顔が、影になって、まったく読み解けないものになっていた。
周囲の空気が少し歪んでいる。多分魔力がにじみ出ているのだ。過去事例の検出結果と照合すると、これに近い感情は、多分嫉妬だ。何だろう、心当たりがない。
「私が三歳の頃。お兄様と私はおそろいの服を着てました。よく私の口をお兄様が拭いてくれた頃の話です」
「え? そっちが話するの?」
「五歳の頃、よく本の読み聞かせをしてくれました。可愛い可愛いと毎日のように仰ってくれました。数え間違えがなければ、多分今日までに一〇七四回可愛いと仰ってくれたはずです」
「そうだっけ?」
「私の耳を、めちゃくちゃにしたの覚えてますか……? お兄様の声は、私が何度もおねだりして、理想の声に仕上げたんですよ……?」
「えっと、まあ、再帰型強化学習のために、ターニャからのフィードバックを貰っていたけど」
「お兄様、分かりますか? お兄様は、声も服装も髪型も体型も全部、私の理想に近づくように少しずつ、少しずつお兄様に手を加えていったのですよ……?」
「なんか凄いことを聞いた気がする」
「我ながら、とんだ獣を世の中に放ってしまったという責任を感じてます。ですがお兄様は、細部に至るまで、完璧な私の"推し"なんです……」
「なんか妹の凄い一面を見てしまった気がする」
大きい嗚咽。
先ほどから
沈黙の空気というか、死屍累々というか、どう形容していいのか分からない時間が過ぎる。
だがまあ、"恋の砂糖"が集まったのなら、もう用はないはずだ。
そろそろ切り上げたいなと思ったところなので、みんなに一応一声かけてみる。
「みんな、なんかすまんな。どうやら、惚気話というよりも、みんなの
「「「「「「…………」」」」」」
凄い顔をされてしまった。
みんな揃って、こいつこんなに物分かり悪いのか、みたいな顔をしてる。何故だろう。
優れた遺伝子を残そうとする生物的本能に基づけば、俺みたいな
ため息が聞こえた気がした。強大な敵を見るかのような視線を感じる。
もしかしたら俺は、もう一回ぐらいみんなに食事を奢ったほうがいいかもしれない。
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