第三十二話「その間に、法科学的な現場検証により真犯人を突き止める。唾、汗、髪の毛などの生体遺留物の採取、およびマナマテリアルを用いた指紋採集と、現場のカードの筆跡鑑定によって、絶対に暴いてみせる」

 その日の夜。

 オレは絶対大丈夫――を何度も繰り返すナーシュカを信じ、一緒のベッドで眠りに入る。もし媚薬の匂いが微かに残っているとしたら悪いなとは思いつつも、幼馴染には鉄壁の信頼があるので問題ない。



 小さい頃、遊び疲れて倉庫で雑魚寝したことがある。

 小さい頃、秘密基地でお絵描きをしていると、いつの間にか二人して寝ていたことがある。

 小さい頃、大豪商のイナンナ家に遊びに行ったときに、一緒の部屋で寝たこともある。



 今までずっとそんな近い距離で接してきた間柄であり、ナーシュカと俺は距離の近い従姉弟なのだ。

 どちらかがどちらかに恋心を抱いているのであればともかく、今更になって、この関係をちょっとした邪な感情で潰したくはない。



 小さな頃から張り合ってきた、身近なライバルとして。

 よく奇抜な行動で周囲から浮いていたいじめられっ子の俺を守ってくれた、頼れる従姉として。



(そんな姉御肌というか、何だかんだと世話を焼いてくれるあいつの性格を知っているから、今回も甘えてしまったのが裏目に出たかもしれない)



 ……そんなナーシュカが、翌朝、ぐずぐずの涙目になって呼吸も細く熱くなって意識も朦朧として発熱がひどかったものだから、俺は慌てて看病の限りを尽くしたのだった。











 ◇◇











「すまない、助けてくれ、世界迷宮から病原菌を持って帰ってしまったかもしれない……!」



「違うわ阿呆め」



「貴殿は残酷だな」



「うっわ最っ低……」



「ああもう、お兄様から目を離したらすぐこれです……!」



 とりあえずできる限りの処置は施しつつ、急いで皆に相談したところ、四方八方から非難轟々であった。

 やはり病人を独りぼっちにしてきたからだろうか。もしかしたら、正体不明の病原菌を移してしまったこと自体を非難されているのかもしれない。



「俺には発熱や自覚症状がないんだ。だがナーシュカには微熱、心拍数の増加、倦怠感と熱せん妄の傾向が見られた。喉に炎症はなく、頭痛や腹痛、下痢などはなかった。その他、脳や心臓、呼吸器の活動に異常はなく、命に係わる別状はなさそうだった。細菌性の発熱にしては奇妙で心当たりがない、俺には症状の鑑別が困難だった」



 どんどん白い目になっていく周囲の視線を感じつつも、俺はなるべく所見をきちんと伝えた。

 彼女を抱きまくら代わりにして寝ていて、朝起きたら、顔が真っ赤でどろどろの表情になってたとか、目は虚ろで何をしても抵抗がなかったとか、汗をじっとりかいてぐったり消耗していたとか。



 普段は嫌がるのに、額の汗を拭いたり、背中をさすったり、軽食を食べさせたりしても全くされるがままで、べったり甘えてきたこととか。



「あいつは基本的に強がるから、気丈なやつだと思ってたんだが……俺に甘えてくるぐらい弱ってるものだから、なるべく甘やかしてきた」



「蛇の生殺しですか、お兄様?」



「何でだよ」



 俺の行いを惨たらしいと非難する目と、ナーシュカに心底同情する目と、もし同じことされたらどうしようとあれこれ思いを馳せる目と、そんな色んな感情をごった混ぜにした視線をターニャから浴びる。



 他の三人も大同小異という感じであった。口元がもにょもにょしているが、皆が何を考えているのか俺にはうまく汲み取れなかった。



「それで、媚薬まみれで一晩中抱きついた後、媚薬でくらくらしてる女の子をどちゃくそ甘やかしてきたんだね? へーえ、ふーん、すごいねー」



「アイリーン? いやどちゃくそって何だよ」



 そもそも媚薬はある程度洗い流したはずなのだが。

 しかし言われてみると、確かに症状に合致する事象が多くある。病原菌だなんだと大騒ぎすることではないのかもしれない。



「あー、でもそうか、媚薬か。真っ先にそれを考えるべきだったな……なら大したことないか」



「「「「……」」」」



 とにかく、一応病気じゃなさそう(そもそも特級魔術の使い手ともなると、魂の器アストラル体が心身を頑強にしており、免疫力が高いので、並大抵の病原菌にはかからないとのこと。そんな病気があるならもっと色んな人に感染している)とのことで俺は一安心した。











 ◇◇











 備品の紛失はこれまでにもたびたびあったことだが、明らかな盗難事件が起きたのは最近のことだという。



 ある教授は、研究費が盗まれたと主張した。

 ある研究室は、迷宮出土品や民俗学の呪物が盗まれたと報告した。

 ある女子生徒は、大切にしている宝石の首飾りが盗まれたと届け出を提出した。



 類例の報告は数多くあり、枚挙にいとまがなかった。

 これらの報告に共通するのは、現場に添えられていた一枚の花札。



 ――怪盗チェスト、推参。



 達筆極まりない文字とほのかな香の薫り。

 大胆不敵にも現場に犯行声明文のカードを残すその怪盗は、未だに捕まっていないという。











 初めての犯行は、入学式で新入生たちがこれからの生活に胸を膨らませているとき。

 そこから間もなく、凱旋祭がやってきて生徒たちがお祭り騒ぎに浮かれているとき。

 そして、オピオタウロスの脱走騒動が起きて、学校中がそちらに注目しているとき。



「……まだ公にはされていないが、教職員会議では容疑者として複数の人物を疑っている段階で、その中にどうやら俺の名前が挙がっているらしい。それも最有力候補としてだ」



 一旦ナーシュカの部屋に戻り、汗を拭いて着替えさせてから、もう一度みんなのいる空き教室にとんぼ返りする。

 もう一つの議題。怪盗チェスト――その容疑者として、透明化魔術がつかえる俺に白羽の矢が立っていた。



「しかも最悪なことに、俺には明確なアリバイがない。入学式の日は、途中で昼寝してすっかりオリエンテーションを無断欠席したし、その後はユースティティアと一〇〇日間にわたる修業を行っていた。秋の勝利凱旋祭は、あの女騎士アテーマとの勝負の末、しばらく病室生活となったわけだが……あれから俺が一歩も病室から出ていないという証明は難しい。現に、汗を流すために何度か病室を離れているしな。強いて言うなら、例のオピオタウロスの事件についてはアリバイがあると言えそうだが……あの牛に追いかけられていたというのがアリバイになるかは微妙だな」



 振り返ってみると、見事にアリバイがない。

 むしろ客観的に考えて、自分が怪しく思えてくるほどだ。

 てんこもりだな、と呆れたような金髪縦ロールアネモイの呟きが入ったが、俺もそう思う。



「状況証拠から、俺が最有力の容疑者になっている。そして風紀委員の過激派は、すでに俺の身柄の確保に向けて動きつつあるらしい。今はナーシュカにかくまってもらっているから事なきを得ているが……あまり悠長に見過ごせる状況でもない」



「それ一大事じゃないですか!? こんな悠長に空き教室にたむろしている場合じゃないですよお兄様!」



「多分大丈夫。透明化して移動したし、尾行はなかった」



 とはいえこれには俺もすっかり参ってしまっている。

 すでに風紀委員の一部が動いているのだ。普通に焦る。



 当然といえば当然かもしれない。透明化さえできればありとあらゆる犯行がほぼ可能になってしまうし、加えて俺の評判の悪さは噂によって尾ひれがついてしまっている。

 これで俺を警戒するなと言う方がおかしい。身柄の確保に向けて動いているとしても不思議ではない。



 とはいえ黙って濡れ衣を着せられるつもりはない。

 風紀委員から身を隠しつつも、俺の手で真犯人を捕まえる必要がある。



「ジャポニカ・ジンクスには、“灯台下暮らし”という言葉がある。港や岬に立っている灯台は目立つが、灯台の下で暮らしていても案外気づかれない……という故事成語だ。この俺が風紀委員長のナーシュカの居室に居候しているなんて、まさか誰も気付くまい」



 ジャポニカ・ジンクスの訓戒は、いつだって俺に正しい道を教えてくれる。ありがたい話だ。

 居候している、と口にしたあたりで周囲からの視線がちょっと白けたような気がしたが、たぶん錯覚だろう。

 とにかく風紀委員長の居室を借りて生活しているうちは、すぐに俺に捜査の手が伸びることはないだろう。



「その間に、法科学的な現場検証により真犯人を突き止める。唾、汗、髪の毛などの生体遺留物の採取、およびマナマテリアルを用いた指紋採集と、現場のカードの筆跡鑑定によって、絶対に暴いてみせる」



 決意する。

 俺は聖人君子ではないが、俺に危害が及びそうであれば、悪事を個人的に裁くことも辞さない人間である。



「だから今回は、みんなに協力をお願いしたい。俺が犯人を突き止めるその間、調査の手伝いや、犯人確保の協力を――」











「先にいうとくぞ。犯人は篠宮じゃ。妾の知る限り、こーんな超超超阿呆な真似、頭空っぽ残念エルフのあやつしかやらんわい」



「みんなに頼もうと――え?」



 黒猫の魔女ユースティティアの爆弾発言。

 今何と言っただろうか。ちょっと衝撃的過ぎて意味を咀嚼しそこねた気がする。他のみんなも、あんまりの物言いにちょっとぎょっとしている。



「匂いは多分、空薫物の香じゃ。花札もあやつの趣味。筆跡も何も、毛筆を達者に使いこなせるのはあやつの他におるまいて。それになにより、あやつ、お主と同じで、顔がいいだけのお騒がせあんぽんたんじゃから、本当にあやつじゃと思うぞ」



「そんな……!」



 流れ弾が俺に突き刺さっているのもいただけないが、和服の麗人の篠宮さんが侮辱されるのもいただけない。あの銀髪の、見目麗しい女性の篠宮さんが、である。

 見れば「あんぽんたんなんですか?」「え、嘘、そうなの?」「むう、そうは見えないが」と三人ともが意外そうにひそひそと話し合っている。全くその通りだ。同意しかない。



「だよな、俺も篠宮さんもお騒がせあんぽんたんなはずがない、これはリンダ問題とよばれる合接の誤謬連言錯誤の悪用で、本来は顔がいいだけという事象Aと」



「お兄様ちょっとしー」「話逸れるからまたね」「貴公のことではない」



 なんだかやんわり否定されてしまった気がする。何故。

 この文脈だとまるで俺がお騒がせあんぽんたんみたいになってしまう。ちょっと悲しい。



「……そんな馬鹿な、いや科学調査はする、するんだが、犯人が篠宮さんなんて」



「あやつ、ほんっとうに顔がいいだけの阿呆じゃからな。今度真っすぐ聞いてみるとええ、反応でわかるじゃろう」



 くあ、と黒猫の魔女があくびをした。

 なんだか間抜けな時間を過ごしたような気がして、肩にどっと脱力感がやってきた。





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