4.現代魔術師、泥棒を探す

第三十一話「そして、解が一意に決まらない問題をヒューリスティックに解くため――その疑似脳を最も興奮させるように数値シミュレーションをした、プリセット呪術を仕込んだマナマテリアルのナノマシンの混合」



「いやあ、何だか変だなあとは思ってたんだよな。メフィストフェレスを担いでいるだけにしては騒がれ過ぎだよなぁと思ったんだ。みんな俺を見てひそひそと話すものだから、何かあったぞとは気付いたんだけどなあ」



「……てめえ、また手を怪我しやがって、馬鹿じゃねーのかよ」



「すまん、薬品がかかった。あと治りかけなのに、落下する女の子をキャッチしてまた皮膚がぐちゃぐちゃに」



「あーあーあー言うな言うな! 想像したかねぇよそんなの!」



 その日の夜。

 泊まるあてのない俺は、とりあえずナーシュカの部屋にこっそりお邪魔することになった。



 いつもなら病室に帰る(※それも本来はおかしい)のだが、盗難事件の嫌疑がかかっている今の状況で、うかうかと病室に戻るのも憚られた。



 その意味だと、今日のアリバイは全くなにもない。



 まさか、透明化して世界迷宮に無断で忍び込んでました、そしてヨハン先生とメフィストフェレスの秘密の契約を暴いてしまいました――なんて大学側に公に言うわけにもいかない。



 メフィストフェレスの一件については、ヨハン先生の権限の範囲で、ほぼ極秘裏に事を収めている。それ以外の人にぺらぺら話していい事情ではない。



 となると俺のアリバイは概ねぽっかり消えてしまうことになる。

 いたいけな少女を雁字搦めに拘束して地上を歩いていた、という大変不名誉なアリバイはあるが、その程度だ。



 よって俺は身を隠すため、またアネモイの部屋にお世話になろうと思った……のだが。



(気付かなかったけど、今の俺って、媚薬の匂いが強すぎるらしい。それも、獣の鼻や猫の鼻や竜の鼻だと強すぎるぐらいの匂いらしい)



 服にも身体にも媚薬が染み込んでしまったせいなのか、特待生寮女子棟入口のガーゴイルにも感づかれてしまった。

 これではいくら透明化を頑張っても、うまく入れる保証がない。



 一応、体を洗って全裸になってアネモイの部屋に入るという案を提案したのだが、あのアネモイに顔を真っ赤にされて思いっきり断られてしまった。

 あの、いついかなるときも堂々として、細かなことを気にしないアネモイに、である。



 曰く、匂いが強すぎてただでさえ落ち着かない、同じ部屋にいてもらうととても困る、とのことだった。



「……なあ、今の俺ってそんな匂うか?」



「は? 鼻を近づけて確かめろって言ってんのか? 頭沸いてるんじゃねーか?」



 すげない一刀両断の言葉。とても安心できる回答である。

 こういうとき、ナーシュカは男友達のような心強さがある。



 今の俺は、同じ部屋にいると迷惑なぐらいの匂いらしいが、細かいことを気にしない超大雑把なナーシュカは大丈夫のようだった。流石である。



「さっき隣でシャワー浴びたけど、特に問題はなかったよな? ナーシュカに手伝ってもらったけど、臭すぎて吐き気がするとか、嫌悪感がするとかはないよな?」



「ははは、なんじゃそら、そういうのはねーから安心しろよ、むしろ媚薬の匂いのことを心配しろよ」



 へらへら笑うナーシュカは、ゆったりしたナイトガウンを着たまま、興奮の抑制効果のあるハーブティを口にしていた。

 大手商会の箱入り娘である彼女は、いつもは優雅に紅茶を嗜んでいたはずだが、今から眠るのだからハーブティ、ということだろう。



 それにしても指摘はごもっともの内容であった。



「媚薬は……そうだな、媚薬だな。ユースティティアの文献整理中にみつかった、複数のレシピを混ぜ合わせて作った強力なやつだが、ナーシュカには効いてないのか?」



 計算生物学、とりわけ計算論的神経科学の観点から慎重にレシピを調整した俺謹製の強力媚薬。



 脳内の血流の変化を測る方法、神経集団の電気的活動を測る方法の二つから、実験マウスの脳の各部位の活性を観察して決定した配合比率。



 脳の各部位のニューロンの活動を数理モデルで記述し――第一次運動野と前運動野ではコサイン型、小脳では二峰性のガウシアンの和の形など、基底関数をそれぞれの部位に最適化して表現した疑似脳の作成。



 そして、不良設解が一意に決定問題まらない問題をヒューリスティックに解くため――その疑似脳を最も興奮させるように数値シミュレーションをした、プリセット呪術を仕込んだマナマテリアルのナノマシンの混合。



 ナノマシンの制御信号シリアルを持つ俺を除いて、ありとあらゆる生き物が性的に興奮しないはずがない、という媚薬の最高傑作。



 しかしそれでも、ナーシュカには効いていないらしい。



「ほーう、これ・・が女教師や女悪魔をねぇ……屁でもねえな。ちょっくら身体が火照ったりしてるかもな、程度のもんだぜ。このオレに限って理性が飛んだりはしねーよ、安心してねんねしな」



「そうか、よかった……! 実はさ、服に染み付いた媚薬を直に吸ったヨハン先生と、顔に服を覆いかぶせて尋問したメフィストフェレスはもうぐったりしててさ」



「ええっ!? あ、えっ、これ、えっ……!? あ、おう……そうか、そうかー……」



「え、どうした?」



 そうかー……と絶句して呆けたようになったナーシュカだが、俺が近寄るとちょっとびくっとして反応をしてくれた。

 ハーブティが危うく零れそうになっていたが、すぐに冷静さを取り戻しながらナーシュカが答える。



「は、はは、なーるほどな、まあでも精神的な根性の話だ、うん、一般人にゃ、まあ、ちーっとばかしきつかったかもしれなくもない、的な可能性はあるがよ、まあオレには効かねえな、効かねえよな」



「……効いてないよな?」



「効いてねーよ馬鹿言ってんじゃねえ、そんなに言うならいっぺん抱いて試すかおら」



「え?」



「ばっ、――じゃねえ! うっせえぞ! さっさとねんねしとけや!」



 どこから取り出したのか、いつも被ってる学生帽をぎゅっと深く被ったナーシュカは、俺のことを手でしっしっと追い出すポーズを取った。

 そうまでされたら仕方がないので寝るしかない。多分大丈夫なはずだ。俺の幼馴染に限ってそんなことがあるはずがない。



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