第三十話「透明になって部屋に押し入って、男装女性に媚薬を嗅がせて拉致したやつがいる、とか。女の子を媚薬漬けにして雁字搦めに拘束して、魔術で尋問したやつがいる、とか」

 茨のツタに覆われたアイリーンは、しばらくの間、胸のうちに湧いてくる感情を噛み締めていた。



 色んな感情が入り乱れて整理がつかない中、その一番中心にある気持ちは、ジーニアスに抱いている、ほのかな感謝である。



 大声を上げて自分のために急いで駆けつけてくれたこと。



 見るからにメフィストフェレスのほうが重症だったのに、自分の細かな傷と毒の霧に気付いて、咄嗟に解毒剤を与えてくれたこと。



 今の自分の姿を怖がらなかったこと。

 誰もが本能的に忌避する異質な姿――毛むくじゃらの魔物のようになりかけている姿を見せてしまったというのに、それでも自分をアイリーンだと気付いて助けてくれたこと。



(……八賢人の試練、絶対に助けてやるって言ってくれた。むしろ俺も、一緒に八賢人になってやるって、そんな無茶な約束までしてくれた)



 約束は、守るまでが約束である。

 しかし――たとえそれが守られなかったとしても問題はなかった。約束をしてくれたこと自体が、救いになることがある。



 シャボン玉のような呪術的な膜が浮かぶ。

 こぽこぽと泡の息を吐いて、茨のツタに包まれるアイリーンは静かに祈った。



 一度術式を開いてしまった王国魔術が穏やかに鎮まるまで。





 そんなアイリーンをそばで見守る影が一つ。精霊魔術師のターニャは、同じく異質の呪術を操るものとして、アイリーンの祈りをただ眺めていた。











 ◇◇











 雁字搦めに拘束されたメフィストフェレスを担ぎながら、地上まで持ち帰る。

 道中、色んな学生たちから視線が痛いほど刺さったが気にしない。

 当初はクローキング領域に隠れて透明になって持ち帰る予定だったのだが、メフィストフェレスが目眩を引き起こして吐き戻すので、今は仕方なく透明化を解除している。



 お陰様で、女の子になんて可哀想な仕打ちをするんだ、という視線に晒される羽目になった。

 だが知ったことではない。むしろ人道的な扱いの結果である。



(結局の所、ヨハン先生は明確には答えてくれなかったけど……恐らく先生は魔力の残滓を見ることができる目を持っているはずだ。それは多分メフィストフェレスもだ)



 恐らく、目眩を起こしているのはクローキング領域が見えている・・・・・からであろう。反応拡散系のカオス制御により、マナマテリアルで作られたスプリットリング共振器の調整を行っているのだが、その際にぐねぐねと動くチューリングパターンを眺めてしまっているのだ。

 ヨハン先生もそうだが、メフィストフェレスも恐らくクローキング領域が見えているのだろう。魔力の残滓を見ることができる目の持ち主だとすれば、時空カオスの振動反応を通してみる景色は、さぞや気持ち悪い模様に見えたはずだ。



(悪魔相手に気遣いは必要はないはずなんだが、俺も甘いものだな)



 よく妹のターニャから天然鬼畜・・・・扱いをされる俺だが、実際のところは結構甘いと思う。





 話は変わって。



(それにしても、俺の噂に尾ひれがついて出回っているみたいだな)



 ゴシップストーンのやつもひどい噂を流すものだ、と俺はげんなりしていた。

 地上に上がってから一度ゴシップストーンの噂を聞いてみたが、例に漏れず、またもやとんでもない噂が流れていた。



 透明になって部屋に押し入って、男装女性に媚薬を嗅がせて拉致したやつがいる、とか。

 女の子を媚薬漬けにして雁字搦めに拘束して、魔術で尋問したやつがいる、とか。



 どちらもほぼ確定で俺である。

 透明になる魔術師なんて俺ぐらいしかいないし、雁字搦めのメフィストフェレスを担いでいる姿はもうすでに何人にも目撃されてしまった。



 何人かがひそひそと俺を見ながら話しているのも目の当たりにしてしまった。

 ほとんどの人からは恐怖と軽蔑、ごくごく一部からは尊敬に似た眼差し。どちらもあんまり心地良くない視線である。



(歴代最悪の風紀委員、とか何とか聞こえてきたぞ? これ、ちょっとまずくないか? 学校側から何か注意を食らいそうな気がしてきたな)



 とまあ、もやもやする気持ちを抱えながらも、取り急ぎメフィストフェレスを魔物研究棟の魔物管理センタに預け終わると、そのタイミングで誰かに声をかけられた。





「戻ったか、探したぞ」



「アネモイか。こっちは無事ターニャと合流できた。さっき騒動の原因だった魔物をこの学校の研究棟に預け入れ終わったところだ。それで、どうしたんだ、血相を変えて?」



「……厄介なことになっているぞ、貴公は身を隠したほうがいい」



 アネモイの声音は硬かった。



 何があったのかと聞くと、学校内での盗難事件が複数件あったという。



 そういえば薬品の盗難事件があったな、と俺は記憶の片隅にあった言葉を引っ張り出した。

 ヨハン先生もそんなことを言っていた。



 聞けばオピオタウロスの脱走騒動のときに、色んなものが盗まれたのだという。人の目がそちらに集まっているタイミングで、それにかこつけて火事場の泥棒が入ったそうだ。



「……なるほど、そいつはなかなか面白い話だな。そんな事件が裏で起きてたのか」



 仕方がないなあ、現代魔術を駆使して探偵かなあ、とか思っていたらアネモイは俺の目を真っ直ぐ覗き込みつつ、声を低く落とした。

 表情が真に迫っている。というかこいつまつ毛長かったんだな、とどうでもいいことに気づいてしまった。



「……容疑者はジーニアス殿だ。とにかく、透明化できるというのが全てにおいて怪しすぎるとのことだ」



 なるほど、容疑者は俺らしい。

 展開に頭が一瞬ついていかなかったが、つまり、このままだと捕まる可能性があるとのことだった。


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