第二十九話「俺からすれば精霊とは、誰もが参照可能な公共財産《パブリックドメイン》であり、汎用性の高い複数の術式をひとくくりにした機能モジュール群《ライブラリ》のことである」


 ――それからのこと。



 とある女子学生アマンダの恋騒動は、結局の所、運命のいたずらということで終わりそうであった。



 全ては、とある学者ヨハン・ゲオルグ・ファウストと、とある悪魔メフィストフェレスの魂を賭けた壮大な実験のせいであった。



 学問に飽いて、すっかり厭世家になってしまった学者に、この世のすべての享楽を与えて「時よ止まれ」と言わせられるかどうか。



(後で判明したんだけど、というかあんまり知りたくなかったんだけど、ヨハン先生って少年が好きショタコンなんだな……)



 魔術学院の准教授職についているのは、年下の若い男の子をこっそり眺めることができるから、らしい。

 しかも好奇心旺盛であれこれ聞いてくる男の子だと、なおのこと“良い”そうだ。

 想像していたより斜め下の回答だったので、俺は思わず脱力してしまった。



(で、メフィストフェレスはあの手この手を考えていたけれど、どんな少年少女をぶつけてもヨハン先生が屈しないから手をこまねいていたと)



 一方、メフィストフェレスはというと、魂をもらうためにあれこれ色んな人間をヨハン先生に惚れさせては色々画策したようだが、どうしても最後までは上手く行かなかったらしい。



 聞くところによると、別にアマンダに限らず、色んな生徒をけしかけていたそうだ。香水に潜ませた呪術で、ヨハン先生に片っ端から色んな人を惚れさせていたという。



 つまり、今回の件は本当に偶然のことで、たまたま標的になったアマンダが、たまたま俺の相談箱を見つけて相談相手に選んだ、ということらしい。











「……で、お兄様、何か弁明はありますか?」



「弁明って」



 にっこりと笑顔で詰め寄るターニャを前にして、俺は言葉に窮した。弁明。特にやましいことは何もしてないのだが。

 そりゃまあ、アマンダの恋を応援しようとした結果、ヨハン先生の秘密を暴いてしまったのは悪いことだと思うが。



「透明になって部屋に押し入って、媚薬を吸わせて、上半身をひん剥いて、そのまま拉致したんですよね? しかもお兄様、ヨハン先生の好みどストライクだそうですよ? ヨハン先生色々とパニックだったみたいですよ」



「え、どういうこと、何か衝撃的な情報が」



「自分の知らない知識を知ってる、知的でミステリアスでちょっと強引でえっちなことに興味津々そうな男の子らしいです」



 なんでそんな事細かなことまでわかるんだ、と俺はげんなりした。

 つまりヨハン先生は俺に背負われている間、すごくどきどきしてたのかもしれない。真相は闇の中だが。



 昔から妹にはこういうところがある。女の勘だとかなんだとか言ってるが、あまりにも鋭すぎるのだ。言葉の精霊リピカがあらゆることを教えてくれるとか言ってたが、精霊を感知できない俺にとっては“ない”も同然である。



 俺からすれば精霊とは、誰もが参照可能な公共財産パブリックドメインであり、汎用性の高い複数の術式をひとくくりにした機能モジュール群ライブラリのことである。

 解析力学的には、ラグランジアン密度で規定される作用場(=スカラー場)のことだ。



 ……精霊は対話可能な存在だと言い張る妹と、いつもこのことで議論が平行線を辿るのだが、これはまた別の話だ。



 閑話休題。本題に戻って、俺の弁明の話である。



「弁明っていってもなあ、メフィストフェレスを尋問したぐらいしか思い当たる節がないんだよな」



「この赤い道化服をきた女の子に、どんなひどい尋問をしたのです?」



 きっとお兄様のことだから本当にひどいことをしたに違いありません、みたいに決めつけてかかるターニャの態度に、そろそろちょっとむっときた。

 俺はきちんと合理的なことをした。非人道的なことはしていない。非可逆的な破壊行為は一切行っていない。



「……媚薬を使った。懐柔するのに手っ取り早いからな」



「落下するこの子をキャッチしたあと、戦意喪失していたこの子に媚薬を使ったんですか!?」



「ちょうど媚薬が服に染み込んでたから、そのまま服で顔面をくるんで視界を奪って、そのあと魔術で尋問しただけだ」



 絵面はちょっとひどかったが。

 全身鎖で縛られて、顔を布で覆われた少女。



 このメフィストフェレスという悪魔が少女じみた外見をしているのがよくなかった。

 こいつは魔物である。道化みたいなふざけた服を着ているが、通常の人間ではなかった。胸をひん剥いたところ、心臓の近くに魔石があることを既に確認済みである。



 お兄様ったら本当にひどい人です、と嘆かわしい仕草をするのが半分楽しくなってるような様子のターニャを置いといて、俺は続けた。



「なんでアイリーンを襲ったのか問い詰めたが、そもそも古代迷宮語は俺には難しかった。あの悪魔との意思疎通は困難で、正直なところ、真相はまだ明らかになっていない」



「……魔術で尋問した、でしたっけ? それってあの例の」



「ああ、“腹側被蓋野のドーパミン神経の広域瞬間発火”だ。呼吸困難になりかけていたから、きちんとインターバルを設けて落ち着いてから繰り返した。多分二、三十回ぐらいかな」



「……」



 妹が頬に手をあてて顔を真っ赤にしていた。

 なんてひどい、と無言の抗議の目線。

 何故ターニャがそんな目をするのかわからない。



 事が事である。過去に迷宮の悪魔のマルコシアスと一度戦ったことがある俺からすれば、悪魔は油断してはならない相手である。対策は徹底しなくてはならない。

 もちろん、迷宮の守護者のマルコシアスと、通常の高位悪魔のメフィストフェレスという違いはあれど、だ。



「で、メフィストフェレスは討伐されるのですか?」



「いや、アイリーンが処分を決めるらしい。多分だけど、討伐はなしで、ヨハン先生がメフィストフェレスを厳しく律する方向に落ち着くんじゃないかな」



 異例中の異例の軽い処分だが、これにはわけがある。

 怪しい動きをすれば即殺害。メフィストフェレスの体内の魔石には、おれがマーカーデバイスを埋め込んである。

 つまり、四六時中いつでも俺は、メフィストフェレスの居場所を把握することができるようになった。



「まあ、長い間ずっと学院生徒に人死には出てないからな。いつでも殺そうと思ったら生徒を殺せた状況なのに、それを殺さなかったということは脅威度の低い悪魔だと見なしていいだろう」



 先程までぎゃあぎゃあ叫んで暴れていたくせに、もう全く暴れる元気もないのかメフィストフェレスはぐったりと脱力していた。

 先程までは、魔術を使った俺の尋問に本気で暴れまわって、時間を止めてくれ、と言わんばかりにのたうち回っていたのだが。



「……皮肉だな」



「何がですか?」



 俺はなんだか無性にシニカルな気持ちになっていた。



 この世のありとあらゆる享楽があるとして、それを受け止めるのは感情である。脳の生化学的な仕組みが感情を作るとすれば、それを直接操作するのが“享楽の極み”なのかもしれない。



 だが、時間よ止まれと思うほどの享楽は、ついぞメフィストフェレスにも幸せをもたらさなかった。他者から与えられるだけの享楽では、幸福には結びつかないのかもしれない。



(……それにしても、何故メフィストフェレスは、アイリーンに襲いかかったんだろうか)











 ◇◇











「八賢人の魔力は、魔物に脅威として感知されて、本能的に忌み嫌われる。君も知っているだろう?」



 生徒会室にて対峙する影が二つ。

 陰陽術師、篠宮百合。

 教会術師、ルードルフ。

 二人の魔術師は、とある生徒のことについて話していた。



「ええ、知ってます。この世界においてあまりにも異様だから、生き物は生理的に受け付けない、とも言われています」



「呪術的文脈があまりにも違いすぎるからね。交わることを忌避するんだ。異質なものには恐怖が宿る。我々は恐怖の対象なんだよ」



 恐怖、と呟いたときのルードルフの口元は緩んでいた。

 ありえないものを嗤うときの表情。より具体的に言えば、合理的でないものに対する憐れみ。



「恐怖はそれだけで魔術になる。相手に恐れられるということは、相手から畏敬の念を受け取るということ。それはより呪力を強めることになる。偉大だと思い込まれることで、偉大だと世界に扱われていく。皮肉なことに、魔物に恐れられる我々は、恐れられるほどにより強力になっていく」



「……ルードルフ君は、尊敬されていますよ。怖がられてはないはずです」



「そうかな? 私に抱かれる女が震えてないとでも? ……いや、よそうか。この問いに答えはなかったな」



 指輪が怪しく光る。

 その宝石に映るルードルフの表情は、とても誰も読み解くことのできない不気味なものであった。



「友だちの輪を広げようとするのは、面白い試みだと思うよ。君がそれを認可したのは、一種の実験だろう? 魔術研究部、いいじゃないか」



「あの部活動は、あくまで健全な学生課外活動の範疇であると判断したまでです。貴方のように穿った考え方はしません」



「まさか、歳をとったら誰だってこうなるさ。色んなことに意味を探したくもなる」



 世界に意味を与えるとすれば。

 かつて黒猫と問答したとき、関係性が文脈を作る、これからだと答えられた。

 ルードルフはしばらく考えた。



 友人関係のつながりを広げるための活動。

 まさか八賢人の候補たちをあれだけ巻き込んで、そんな馬鹿馬鹿しいことをやってしまうとは思ってもなかった。



 特級指定魔術師といえば、国から政治的利用をされるような特殊な存在である。そのような、普通の人からすれば処遇に気を使う存在を、あんなに雑に扱うなんて。



「……本能的に畏怖される存在なんだよ、我々は」



 今、世界には特級指定魔術の使い手が七人いる。



 魔女術。ユースティティア。

 陰陽術。篠宮百合。

 竜魔術。アネモイ・カッサンドラ・ドラコーン。

 王国魔術。アイリーン・ラ・ニーニャ・リーグランドン。

 教会魔術。ルードルフ・サロムス・セーフィル。

 刻印魔術。ナーシュカ・イナンナ。

 精霊魔術。ティターニア・アスタ。



 そして、世界最高の魔術師、八賢人の座は八人とされている。



「ないことだとは思うけど――もし君が八賢人に選ばれたときは、もしかしたら、愉快なことが起きるかもしれないね」




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