第二十七話「マナマテリアルを加工した吸着デバイス。タコの吸盤を模して、普通の吸盤構造に微細なミクロの毛を追加して、壁の表面の微妙な凹凸にもぴったりとフィットする生体模倣技術の真骨頂」


 同時刻、地上にて。



「それにしてもよ、依頼がしこたま舞い込んできてやがんな」



 うへー、と言いながら相談箱を開いたナーシュカは、その中身を一つ一つ改めていた。



 現代魔術部(非公認団体)の相談箱。



 学生掲示板のそばに設置した相談箱には、ごっそりと溜まった封書があった。

 想定を超えた量。あのお気楽な調子者の少年は、せいぜい一、二通はいっている程度だろうとか言っていたのだが、数え上げると二十通はある。



 相談箱というのは、ジーニアスが新しく部活動を立ち上げるにあたって設置した小さな箱のことである。より正確に補足すると、部活動としてまだ正式に認可されていないが、相談箱の設置自体は生徒会長に認められた状態である。



 学校非公式の課外活動。

 それなのにこれだけ相談が来ているのだ。



「まったくもうお兄様ったら、自分がどれだけ周りに注目されているのか疎いんですからぁ、うふふ、もうお兄様ったらこんなお悩み相談なんて始めちゃったら色んな人から相談が舞い込んでくるってわかってたはずでしょうに」



 何故か嬉しそうにしている頭お花畑妹ターニャは、ほっそりした手を頬にあてて困ったようなふりだけしていた。兄が注目されるのが嬉しいらしい。

 喜びが滲み出ているあまり、小さな精霊がぽわぽわと周りを漂っているのだが気付いている様子はない。



「うふふ、そりゃあもう、迷宮化したニザーカンドの解放に貢献して、盗賊の襲撃から一般人や貴族を助けて、大陸随一の最高学府の入試の解説を突如任されて、聖教騎士団との交流試合の新入生に選出されちゃうお兄様のことをみんな頼りにするのは仕方ないですし」



「あー、まあ勝利凱旋祭の試合には、みんな度肝抜かれてたけどよ」



「極大魔術を極大魔術で返すなんて、お兄様ったらもう格好良すぎて見てられません、一体あんな魔術いつ身につけたのでしょう、だってもう」



 自慢の息子を褒めるようなしぐさに似ている。にやにやと吊り上がる口元を必死に抑えながら困ったふりだけしているターニャは、とにかくひたすらご機嫌であった。



 おそらくは彼女自身も同じような芸当ができるはずなのにーー極大魔術として扱われる国際標準規格から外れる魔術を、兄が使ったことがそれだけ嬉しいのだろう。



 ナーシュカもアネモイも、その点についてはジーニアスを評価している。偉大なる魔術師特有の、あの凄みのようなものが欠落していた・・・・・・彼が、あれだけの術式を編んで極大魔術を実現するなんて、驚嘆に値することである。



 これだけジーニアスに相談が舞い込んでいるのも、もしかしたらそのあたりが関係しているのかもしれない。平凡非才の立場なのに、あれだけの魔術を編み上げる彼ならば、悩みを解決できるかもしれないーーと。



 そんな中、ぽつりと呟く魔女が一人。



「……奇妙じゃのう」



「あ?」



 一通の依頼の手紙を見ながら、ユースティティアは眉をひそめていた。

 彼女の手元にあるのは今回の依頼人、アマンダの依頼書そのものである。



「……やはり奇妙じゃ、恋を叶えてほしいという今回の依頼、簡単なおまじないがかけてあるようじゃな」



「……いたずら書き防止のおまじないじゃねーのか? 紙が破けるのを防ぐおまじないとかだと思うが」



 それなら確認したが、とナーシュカは補足を入れた。

 刻印魔術の使い手のナーシュカでも、もしくはこの場にいる誰であっても、稚拙な仕込みであれば即座に気がつく。高度な術式でも攻性術式ならば破棄できる。



 だがしかしユースティティアは、紙に鼻を近づけてしばらく黙考した。

 既に消えている術式が、もしそこにあったとすれば。術式の気配を、他の術式で誤魔化しているとすれば。



「……匂いで呪術的意味を編んだ術式であれば、いずれ自然に消える。古の魔術じゃが、香水で相手を惑わす魅力チャームの呪術がある。もしやするとそれかもしれん」



「……!?」



「この紙には匂いがなかった。証拠を消すため、時間経過で匂いを消す・・・・・仕込みをしておったのかもしらん」



 確証はない。万が一のことがあっても、王国魔術の使い手アイリーン現代魔術の使い手ジーニアスの二人であれば、そうそう危険な目にあうことはないはずであるが。











 ◇◇











 ヨハン・ゲオルク・ファウスト博士。



 医師・錬金術師・占星家としても知られる学者でありながら、彼は神を愛さなかった。彼は愛してはならぬ存在を愛し、そしてそれゆえに呪われた。



 彼は神の言葉を悪用して、カルデア語、ペルシャ語、アラビア語、ギリシャ語などの数多の言葉を用いて、図形や呪文、招霊術などの魔術の研究に没頭し、そして、神学博士の名を捨てて、自らを医学博士、錬金術士、星占術師と名乗ったのである。



 老学者ファウストの目標は「愛してはならぬものを愛すること」。好奇心と不遜の為す彼の行いは、とうとう招霊術を成功させて、呼び出された悪魔メフィストフェレスと魂の契約を交わしたのである。



 ――『ダンジョン・クロウラ 迷宮を這いずるもの』より抜粋。











「実のところ、神様の研究には興味が湧かなかったのだ。我輩にとっては、目に見えぬ超常の神よりも、実学を授ける悪魔のほうがよほど魅力的であった……!」



 それは、すべて偶然のいたずらであった。



 無詠唱の魔術が空中を飛び交って爆ぜる。

 数々の帯が空を舞い、帯に編み込まれた呪文が光って初級魔術を高速で発動していた。

 投げられたガラス器具が割れて中身を飛び散らして、帯を触媒として地面や壁と魔術反応を引き起こし、簡単なゴーレムを作り出していた。



 実に見事な魔術の連続。

 錬金術師でありながら、これほどの早業を実現するのは並大抵ではない。



 金糸を織り込んだ帯を刃のように振るいながら、ヨハン先生は吠えた。



「全くもって最悪の偶然だな。我輩が悪魔と契約した魔術師だと知られるとは思ってもなかった……!」



(くっ、俺がいる場所をなんでこんなに的確に狙えるんだ!?)



 夜闇に散る火花。

 障壁魔術と帯の刃が衝突する。



 ヨハン先生のあの目は、光ではなく魔力の残滓を見ているのかもしれない。魔眼のような異様なぎらつきを秘めた目が俺をまっすぐ射抜いた。



 ちびゴーレムたちが投げる泥団子がまた厄介であった。クローキング領域にへばりついたら目印になってしまい透明化の意味がなくなる。

 しかも爆発の術式が編み込まれているのか、油断していると足元から衝撃が襲いかかってくる。



 異様に戦いなれているヨハン先生を警戒しながら、俺は慎重に距離を取った。



「先生、待ってくれ! 状況がわからない、俺は別に先生とは!」



「問答無用である! 我輩の秘密、知ったからにはただでは済まさぬ!」



 地面がぼう、と光ったかと思うと上下から無数の杭が吹き出た。

 顎と膝に衝撃。だが相手の帯を数本纏めてむりやり杭に絡めることに成功する。

 そのまま帯伝いに魔術を流し込み、刹那、ヨハン先生の胸元が大きく爆ぜた。



「先生、俺は別にあなたと戦うつもりは!」



「話なら戦いが終わってからじっくり聞いてやる! 透明になって部屋に忍び込んで、一体貴様が何を考えていたのか、じっくりその身体に聞いてやるとも!」



 即座に治癒魔術を編んだ帯を胸に巻きつけて、ヨハン先生は一瞬も怯まずにこちらを襲ってきた。

 錬金術士とは思えない身のこなしである。油断していると蹴り技なども飛んでくるので、とても戦いにくい。



 身体強化魔術を使っているこちらと互角の身のこなしをされては、俺の立つ瀬がない。



 初級魔術の弾幕が空中で飽和する。互いの攻撃がぶつかり合い、一瞬の牽制の時間が生まれた。



「怪しい生徒がいることは知っていた! 我輩の研究室から勝手に薬を盗み出した不届き者がいたことも調査済みだ! とうとう尻尾を捕まえたぞ、ネズミめ!」



「え、待て待て何だその新情報!?」



 弾幕に紛れながら帯の刃がこちらに襲いかかってくる。

 障壁魔術と手でいなして弾くと、帯に染み込ませてあった薬品が俺の手を強く灼いた。

 激痛に悶えつつも、俺はナイフを投擲して相手に牽制をかける。夜の闇が、戦いの読み合いを困難にしていた。



「はん、笑わせるものだな、誘惑の悪魔め! この我輩を誘惑しようとしてもそうはいくか! 幻術と妖術を駆使して、あの手この手でかどわそうとしたところで、そうはいくか!」



「え? 悪魔!? え、悪魔と契約してるのはヨハン先生じゃ」



 衝撃。視界の外から杭が俺の胸を突いた。

 ばきり、と小瓶が割れる音。媚薬が染み出して服が汚れる。苦し紛れに服を脱ぎ捨ててヨハン先生に投げつける。



 咄嗟に逃げようとする彼の足元から、雷撃魔術を発動する。投げナイフを起点にした遠隔魔術。さらにダメ押しとばかりに初級魔術の雨を叩き込む。



「ぐっ……貴様っ、貴様ぁっ……」



(が、は、息が詰まる……っ、だがっ)



 透明化されたクローキング領域を四つ同時に作成する。

 途端にヨハン先生は俺を見失って動揺した。本物の俺の場所がわからない内に呼吸を一瞬整える。



 瞬間、帯が空間をぐわんと薙ぎ払った。クローキング領域を四つまとめてぶった切る早業一閃。

 だがいずれも俺を掠らない。本物の俺はーー。





(どれも外れさ、天井に張り付いていたのさ!)





 マナマテリアルを加工した吸着デバイス。タコの吸盤を模して、普通の吸盤構造に微細なミクロの毛を追加して、壁の表面の微妙な凹凸にもぴったりとフィットする生体模倣技術バイオミメティクスの真骨頂。より微細な隙間は、液体化マナマテリアルで埋めることで、吸盤の吸着力をより強固にできる。



 天井からのかかと落とし。視界の外から意識を刈り取る一撃。





 ふらついたヨハン先生に、さらに仕込みナイフからの遠隔魔術と、手で絡め取った帯伝いに流し込んだ魔術を重ね合わせる。相手の苦し紛れのカウンターの蹴りは肩で受け止めて防御する。



(ーーようやく捕まえたぞ!)



 強烈な雷撃が、ヨハン先生を一瞬痙攣させた。

 同時に、腰元のロープにマナマテリアルを流し込んで操り、相手を雁字搦めに拘束する。

 立ち上がれないように先生の胸を踏みつける。瞬間、先生は跳ねた。



「ぐっ、あっ……貴様、この我輩をもてあそぶとは、どこまで卑怯なのだ……っ」



 身体の自由をまるきり奪われてしまったヨハン先生の顔は、羞恥に歪んでいる。歯ぎしりの音さえも聞こえてきそうな屈辱の様相であった。





(あ、れ……? え、待て、まさか)



 瞬間、俺はいろんなことに気づいてしまった。



 透明になった俺は、先生の部屋に押し入った。

 先生はそれを警戒して俺を迎え討った。誘惑の悪魔だとかなんとか言って俺を敵視していた。



 ーー我輩の秘密、知ったからにはただでは済まさぬ。

 ーー透明になって部屋に忍び込んで、一体貴様が何を考えていたのか、じっくりその身体に聞いてやるとも。



 早とちりして誤解していたが、よく考えてみれば、悪魔との契約の話ではないようにも聞こえる。



 俺謹製の強烈な媚薬を思い切り吸ってしまったヨハン先生は、顔を見る見る朱に染めて唸っていた。ロープの拘束から逃れようと身を悶えさせて苦しんでいる。



(そういえば胸元で爆発が起きたとき、治癒魔術の帯を咄嗟に胸に巻きつけて肌を隠していたかも。というか、ヨハン先生の独特の声の理由って、無理やり魔術で変声してるんだとすれば)



 女をもてあそぶ男、という噂を思い出した。

 告白してきた女の人たちを無下に断っている理由が、それ・・なのだとしたら。



「卑怯者め、卑怯者め、卑怯者め……っ、透明になって部屋に忍び込む行為も、媚薬を吾輩に吸わせる行為も、服をずたずたに破く行為も、縄で緊縛する行為も、そのすべてが呪われてあれ……っ」



 一思いにどうとでもしろ、とヨハン先生が吐き捨てた。

 ケダモノを見るような瞳。今からきっととんでもない襲われ方をするのだ、と想像をあれこれ張り巡らせたような思い詰めた表情。



 どうやら俺は、とんでもないことをしてしまっているらしかった。



 窓から差す薄明かりが、ヨハン先生のずたずたに破けた服と帯を照らしていた。胸から足をどけると、それは、男ではなく女であるようにも見えた。



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