第二十六話「よっしゃ気持ちにまさるアドバイスはないね!! ファイト!!」


 世界迷宮において、怪我人が出ることは日常茶飯事である。

 冒険者にとって魔物との戦いは日頃のことであり、治癒薬の需要はとても高い。

 作る先からどんどんと箱詰めされて、次々と運び出されていく薬たちをよそに俺は考えた。



(結局、本当に一日中ぶっ通しで治癒薬を作っていたな……)



 ヨハン先生の行動をつぶさに観察していたものの、特に問題は見当たらない。職務はしっかり全うする人なのだろう。

 性格に重大な疵瑕が見られるような人間でもなかった。ごく一般的な男性である。



 本当ならばもっと、休日の過ごし方などプライベートを本格的に調査することで裏を取っていく必要があるのだろうが、それは依頼の範疇からちょっと外れる。

 依頼はあくまでアマンダの恋の成就である。もっと言えば、告白を成功させる確率を高めてあげるだけでいい。

 ヨハン先生の調査を行っているのは、あくまでこちらの善意である。



 結局話は元に戻って、依頼人とヨハン先生をどうやってくっつけるか、というところに行き着くのだ。











「あの、ジーニアスさん、本当に今夜決行でよいでしょうか……?」



「……それなんだが」



 そろそろ夜に差し掛かろうといった段階で、俺とアイリーンはアマンダを教室の外に呼び出した。どのような算段で作戦を実行するか話し合うことが目的である。



「一応念の為に確認するけど、ヨハン先生への告白が確実に成功するとは限らないということ、付き合ってみたけどやっぱりイメージと違うみたいなケースなど、ヨハン先生の人柄については関知しないこと、以上二点についてはよろしく頼む」



「はい、問題ありません。……やっぱりヨハン先生の噂について気にされてますか?」



 なるべく表現はぼかしたが、アマンダは気づいたようで真っ直ぐ質問してきた。女性をもてあそぶというヨハン先生の風聞。

 少なくとも俺にはそんなに好色そうな人物には思えなかったが、一応答える。



「人柄について、いくつか耳に入った話はあるが、最終的に大事なのは依頼人である君本人の気持ちだと思っている」



「……はい、わかりました」



 隣でアイリーンが口笛っぽくない音の口笛を吹いて「へぇ、ジーニアスったらかっこいいね」と茶化していたが無視をする。どうやってその音を出したのだろうか。歯笛だろうか。ケモっぽい口でないと出せない音なのかもしれない。



「それに、俺から少しフォローさせてもらうと、ヨハン先生はそんなに問題のある人じゃないのかもしれない」



「ジーニアスさん……!」



「例えば分子進化学の観点において遺伝距離の近いゴリラは、単雄複雌型、つまり一夫多妻の形で群れを形成している。生物学的に近い特徴を持つ彼らもハーレムを形成するのだからーーもが」



「はーいちょっとストップね」



 そこまで喋ったところでいきなりアイリーンに口をふさがれてしまった。何故だろうか。

 話題を変えようね、と耳打ちされたが何かまずかっただろうか。

 見ればアマンダもいきなりゴリラの話をされてきょとんとしていた。



「ぷはっ……あー、じゃあ学術的知見に基づいたアドバイスにしよう」



「うんうん、いいねいいね。アマンダちゃんのためになるお話をここらで一つね」



「一回目がだめだったからといって諦めちゃだめだ。本当に好きなら、継続的にアプローチすることが大事なんだ」



 隣のアイリーンが(あ、思ったよりいいこと言ってる)みたいな顔をしてるが無視をする。



 そう、一回目がだめだったからといって、そこで終わりではないのだ。



 多くの動物で雌は、雄の求愛アプローチに対して即座には交尾を許さない。求愛を拒否しつつ距離をとって、候補の雄たちを十分比較してから、ようやく交尾を受け入れる。



 ある研究では、ショウジョウバエの雌において、この交尾前の拒否から受容に行動を転換する過程を詳しく調べて、その転換に関わる脳の神経回路を特定し、およびその機能を制御する分子群を明らかにしたという。



 それによると、発見された神経回路と制御分子群ーー交尾判断回路は「拒否ニューロン」と「受容ニューロン」で構成されるが、継続的な求愛を行うことにより、ドーパミンが交尾判断回路全体を活性化し、GABAが拒否ニューロンを抑制するという。



 雌雄が逆だが、話は一緒である。継続的な求愛こそが大事なのだ。



「先行研究によると、継続的に求愛アプローチを行うことで、ショウジョウバエの交尾判断が」



「次のアドバイスが聞きたいな!」



 急に遮られてしまった。何故だろう。

 相変わらずきょとんとしているアマンダのために、もっと実用性の高そうなアドバイスに切り替える。



「じゃあ、アイコンタクトの頻度が高くなることで、親和性が高まるという話をしよう」



「……人間?」



「霊長目ヒト科の話だ。ある研究によると、ボノボは親和性が高い相手にアイコンタクトを取ることで知られており」



「よっしゃ気持ちにまさるアドバイスはないね!! ファイト!!」



 最後まで遮られてしまった。

 ちょっと釈然としない。











 ◇◇











 作戦の概要は、こうである。

 俺が透明化して、こっそりとヨハン先生の部屋に忍び込んで、惚れ薬を盛る。

 その後、アマンダが先生を呼び出して、告白を行う。

 ないとは思うが、途中で魔物が邪魔しないように、俺とアイリーンが周囲を見張る。



 以上が今回の作戦のあらましである。三行にまとめたらとても簡単な話になる。

 アマンダ本人も気合が入っているのか、真珠の首飾りを身に着けて「頑張らなくちゃ」と呟いていた。



 彼女の気持ちに応えるためにも、俺が失敗するわけには行かない。



(何にせよ、俺がうまいことヨハン先生の部屋に忍び込むところから始めないといけないんだよな)



 扉のシリンダー部分にマナマテリアルを流し込む。

 ピンが全てシアラインに揃うまで、これでレーキング(ガチャガチャする行為)してシリンダーを回す。

 本来ならば細いピックを複数本使うとしても少々時間のかかる行為ではあるが、ピンのそばで軽く空気を炸裂させることでピンを跳ね上げて、シアラインを広げる小技をつかえば、簡単に鍵を開けることができる。



 音が鳴らないようにシリンダー部をマナマテリアルで包んで遮音して、扉をゆっくりと開ける。

 クローキング領域に隠れて透明化したまま、俺は静かにヨハン先生の部屋へと忍び込んで――。



(よし、無事に侵入することができたぞ、あとはヨハン先生に薬を接種させるだけ――)











「これはこれは、奇妙なことだ。こんな夜にやってくるとは一体誰かね?」



 瞬間、俺は飛び上がった。

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