第十九話「どれもこれも、この魔術学院に入学することができたからの出来事である」
「ああ、なるほど。星の爆発か――」
若き枢機卿ルードルフは、目の前の光景に合点がいったのか感じ入ったように頷いた。
アストラルの情報が無垢そのものである状態で、それが紡ぎだせる意味はアストラルそのもの。すなわち
ジーニアス・アスタ。アストラルの申し子。名前がすでに、彼を表していたのだ。
古代の信仰では、万象に宿る神秘めいた力を擬人化した精霊をゲニウスと称した。何にでも宿る普遍的な、概念としての存在。
「古典古代の信仰から、やがて神格の至高性を求める神話へと伝承が移り変わって、それは至高性を失った――。それならば、ありとあらゆる人でも再現可能な、普遍の理論そのものを求めるか」
「ねえユースティティア、もしかしたら世界迷宮の最深部に挑む時がきたかもしれないね」
「……じゃろうな」
少年と対照的に、魔女のほうは極めて深刻な表情をしていた。
言葉に迷っていると言ったほうが正しいかもしれない。この世で最も深淵なる最古の魔女は、表現すべき言葉を探し出せずに、どうにも感情を持て余しているように見えた。
八賢者になるとしたら。今はまだ早くとも、もし特級指定魔術として彼の魔術――現代魔術が選ばれたら、おそらくは彼がその座にたどり着く。
どこか寂しそうな表情をした
「予感はあったわい。【災厄級】の迷宮の守護者を、たった三人で討ち取ったと聞いた時から、ある程度は予想しておったことじゃ。……じゃがな、あやつにはなるべく魔術の研究をさせてやりたいんじゃ」
誰が言ったか、supernovaとは超新星爆発のことを指すが、超越する新しさ、とも解釈を与えることができる。
因果なことだ、とルードルフは思った。
いずれにせよ、ジーニアスは
きっと彼の魔術は、浸透するのに時間がかかるであろう。
「案外、彼は冒険したがりかもしれないよ?」
「……知っておる。あやつはそういう性分なのじゃ。どこかにじっとしてられんのじゃ」
今、世界には特級指定魔術の使い手が七人いる。
魔女術。ユースティティア。
陰陽術。篠宮百合。
竜魔術。アネモイ・カッサンドラ・ドラコーン。
王国魔術。アイリーン・ラ・ニーニャ・リーグランドン。
教会魔術。ルードルフ・サロムス・セーフィル。
刻印魔術。ナーシュカ・イナンナ。
精霊魔術。ティターニア・アスタ。
そして、世界最高の魔術師の座は八人とされている。
最後の一つの座は――未だ決まっていない。
「現代魔術は異世界に浸透するか。……いいだろう、見せてもらおうじゃないか」
◇◇
「 お 兄 様 !!!!」
気が付けば病室で寝ていた。そしてターニャが激怒してた。びいびい泣いてる。可愛い顔が台無しであった。
「なんで、なんで、一〇〇日間も勝手に世界迷宮なんかに潜るんですか、勝手に潜って、死んだらどうするんですか、しかも戻ってきたらいつの間にか決闘騒ぎってどういうことですか、その上なんでこんな危険な魔術なんて使うんですかぁ……っ!!!!」
「わ、ちょ、鼻水」
「第一声がそれって最低ですお兄様ぁ……っ!!」
めっちゃ泣いてる。がらがら声。どうすればこんなかわいい妹がこんな状態になるのだろう。
目も腫れぼったいし、顔はくしゃくしゃで、なんだかこんな妹を見たくはなかった。【精霊の森】の巫女を務める自慢の妹なのに。
「でも鼻水は鼻水なんだよ。ほら拭いてやるよ」
「あ、お兄様、手!」
「あ゛あ゛っ!?」
激痛。目から星が飛び出るかと思った。手が痛い。超痛い。
体内のナノ・マナマテリアルを稼働させてμオピオイドペプチド(MOP)受容体とノシセプチン(NOP)受容体に作用させる。
同時に、バソプレシン1b受容体(V1bR)の活性を抑える。バソプレシンを介したアデニル酸シクラーゼ感作を減少させて、鎮痛作用の阻害を抑えるためである。
しかし奇妙である、痛みの緩和は無意識化で制御しているはずなのに――。
「よう、馬鹿野郎。お目覚めはどうだい」
「う、あ、ナーシュカか……ぐっ」
ここにきて、幼馴染がぶっきらぼうに登場してきた。病室のベッドの上で苦しむ従弟の俺を見ても特に心配はないらしく、「せいぜい苦しんでろ、タコめ」となかなかひどい。お見舞い用のフルーツを持ってきてくれたらしいが、何だか顔がにやけている。苦しんでいる俺を見て楽しんでいるのか、もしくは俺は無事帰ってきたことに安堵しているのか……後者であってほしい。
一応、怪我人のことは気遣ってくれるのか、リンゴを剥きはじめたナーシュカはそのまま「でさあ」と会話を続けた。
「お前、ほんと出来事が盛りだくさんだよな。なんだよ、まだ学院入学して十日だぜ。受験から数えたら五〇日いってないぐらいか。
受験しようと思ったら盗賊団に襲われるし、んで今度は貴族のお嬢様に気に入られるし、でそのまま間違って聖教騎士団の受験なんかしてやがんの。
入学したらしたでいきなり入試の解説講師するし、案の定意味わかんねえこと言ってやがるし。
んで、入学初日から勝手にオリエンテーション抜けだすし、生徒会へのお誘いは無視するし、そのまま世界迷宮に無断で入るし、課題は提出しないし。
挙句の果てに聖教騎士と御前試合だぜ? しかもポーションくせえ匂いをぷんぷんさせて、ふらふらの寝不足状態でくるとかよ」
「ナーシュカ、リンゴ、リンゴ」
「あ、やべ」
剥きすぎて半分ぐらいになったリンゴをみて焦ったナーシュカは、そのまま自分の口に運んでいた。いやお前が食うんかい、とちょっと内心突っ込む。俺も大概雑な人間だが、こいつは輪をかけて適当である。
もう一度リンゴを剥きはじめたナーシュカに、俺はふと気になったことを聞いてみた。
「……課題は提出したはずなんだが」
「え? お前課題の提出先バラバラだったみたいだぞ」
「え!?」
「お前さ、また追加で宿題出たらしいから確認しとけよ」
もう一回自分で食おうとしたナーシュカに、「俺だよ俺」と一応突っ込む。
あ、と気が付いたナーシュカはかじりかけのリンゴを今度はそのまま寄越してくる。なんだこいつ。
両手が使えないので一応そのまま食べようとすると妹が「ぎゃあああああ」と絶叫していた。なんだこいつ。
「か、か、間接ッ」
「関節がどうした? どこか痛めたか?」
「お、お、お兄様は間接キスを気になさらないのですか!?」
「あー、まあどうだろ」
指摘されて気付いたがあんまり気にしたことはない。
目視で確認する。微生物学では細菌などの量はCFU:Colony Forming Unitで計算するが、俺のマルチモーダル情報センサによると細菌数の推定値はそんなに悪くない。
正確にはマクファーランド比濁法で求めないといけないが、おそらく地面よりはきれいなはずである。ナーシュカの口に触れているが、リンゴ自体も傷みはないし可食だと思われる。一応匂いも確かめてみる。
「ぎゃあああっ!?」
「うお、あぶね」
瞬間、叩いて来ようとするナーシュカの手をかわした。顔を赤くするのは何故だろうか。とりあえず隙をついてリンゴをかじる。
案の定、味覚センサも"可食"だと判断していた。妹がこの世の終わりみたいな顔をしてたが無視する。
「な、な、なんで匂いを確かめるんだよ、馬鹿かお前は、馬鹿か!?」
「? 食べても大丈夫か清潔さを確認しないと」
「それはそれで失礼だな!?」
ちょっと傷ついたみたいな反応をしたナーシュカと目が合う。
合理的な判断に基づくとこの解にたどり着くはずなのだが。何故だろう。
食べ物は必ず食べる前に可食かどうか判断する、これは基本動作である。
「ていうかもう一つ聞きたかったんだけど、生徒会ってなんだ?」
「え、あ、お前やっぱ気づいてなかったんだ?」
話題を切り替えると、ナーシュカが急に微妙な表情になった。唐変木を見るような目つきだ。察しの悪さを嘆いているのかもしれない。
なんだか居心地が悪い気持ちになってくる。確かに俺は察しが悪い。一般的に言えば、センサ精度は通常の人の何倍も鋭いのだが、どうにも人の機微の推しはかりが苦手なのだ。
にしても、生徒会へのお誘いを無下にする、というのは一体どういうことだろうか。そんなお誘いあっただろうか。
一応
「なんか合図されたんじゃないのか? ウィンクとか。あと昼休みに食堂で周知があったはずだぜ?」
「あー、合図はあったようななかったような。周知はすまん、その日特待生の食堂で飯を食ってたから聞いてないや」
「……最高に間が悪いな、お前やっぱ天才だよ」
会長のあのウィンクから何か気付けというのか、なかなか難しいことを言う。いや普通何の意味もなく女子からウィンクなんて飛んでこないと言われたら、確かにそうなのだが。
でもそこから、何かのメッセージを読み取るのは無理である。
綺麗な人にウィンクされたら可愛いなぁ、で終わる。……あの生徒会長、可愛かったなぁ。
などと、うつつを抜かす俺に、ナーシュカが念押しをした。
「一応伝えとくと、お前、生徒会の一員に誘われてるんだよ。風紀委員でも会計でも何でもいいけど、とりあえず入っとけ」
「え、面倒くさそうなのは嫌なんだけど」
即答。面倒なことは論外である。だが構わずナーシュカは次の果物を剥きながら説明を続けた。
「生徒会に入ると特別寮を使えるぞ。部屋は広くて快適だし、併設されている風呂は綺麗で広いし、風紀委員なら事務的な仕事もあんまりないし、暴れてるやつぶちのめすだけだから最高だぞ」
「入る」
そんなの入るに決まってるじゃん、と俺は急に方針転換した。
寮ある、最高。待遇いい、最高。仕事が楽、最高。俺は思ったより単純で即物的な人間である。
その答えを待っていたのか、ナーシュカは急ににんまりと満面の笑みを浮かべて何かを腰元から取り出してきた。
「よぉし、じゃあ――これやるよ。お前が生徒会に入ってうちの学院に貢献するっていうなら、きっと異論は出ないはずだぜ」
「え? ……入学証書!?」
そう。それはまだ俺が受領していない書類の一つ。そして俺が今まで気をもんでいた問題を解決するもの。
――――――
***入学許可証***
乙女の月 13日
受験番号:314159
氏名:ジーニアス・アスタ
所属:教養学部(新入生)
入学期日:乙女の月 1日
上記のものについて、第342期 入学試験に合格し、所定の入学手続きを完了したことを証明し、本学への入学を許可する。
魔術学院アカデミア
学長代理 ユースティティア
――――――
正式な入学許可証。そして生徒証明手帳である。
「ナーシュカ……! すごい嬉しいよ! でも、その」
言葉にできない感動が胸を打った。
とうとう、長かった、と奇妙な安堵が俺を包んだ。地上では十日だが、俺にとっては一〇〇日越しに努力を認められた気分である。なんだかんだで俺も、"仮"入学に割り切れない感情を抱えていたのかもしれない。今日の入学許可証を見た途端、何かがすっとした。
にかっと笑う幼馴染につられて俺も笑う。嬉しいは嬉しい、のだけど。妹は、喜んでいたが、多分気づいてる。ちょっと俺と目が合った。
感動したけど一点だけ。リンゴを剥いて濡れた手で触ったらだめでしょ。
◇◇
手がじくじくと痛む夜。
相手の極大魔術を殆ど手のひらで受け止めた代償と、俺の極大魔術の反動が、そのまましっかり反映されている。痛覚制御があまり効いていないところを見ると、俺のアストラル体もかなり傷んでいるようだった。端的に言えば魔力枯渇である。
手だけを肉体強化で極端に頑丈にし、障壁魔術は攻撃を一部受け流す形に変換した。結果的に攻撃の一部は手で受け止めざるを得なかった。
イメージは、魔力節約のため穴だらけの構造にした障壁。正面から見たときはハニカム構造のような穴ぼこの作りに。そして侵入する衝撃を迎え入れる導管は、テスラバルブ状に。威力を殺すため、空隙部分はランダムにゼリー状のゲルを充填した仕組みに。
ハニカム構造は、最小限の素材(≒魔力)で障壁の強度を達成するため。
テスラバルブは、侵入する攻撃の勢いを乱流で散らして弱くするため。
乱流が起きる構造はどうしても導管に振動を与えて疲労破壊をおこしうるので、ゲルでその衝撃を和らげることも行った。
光を屈折させるため、マナマテリアルによるスプリットリング共振構造をところどころに作って、屈折率操作を行ったりもしている。
最小の魔力をいかに早く効率的に編むか。
魔力の足りない俺が、相手の極大魔術をどれだけ上手に耐えきれるか。
現代魔術は、魔力の足りなさをカバーして、演算の力と情報量による意味強化を駆使する魔術である。
「ああ――でも今回は本当に色々あったなあ。魔術学院、正直めちゃくちゃ楽しいや」
手の痛みと、妙にさえる頭のせいで眠れない。
おそらく迷宮での生活に慣れ親しんだ時差ぼけもまだ治りきってない。
だから俺は、楽しかったことを思い返した。
世界迷宮に初めて潜ることができた。
一〇〇日にも渡る期間、魔物を狩ったり素材を採集したり、今までにない冒険の日々を送ることができた。
黒猫の魔女という、世界でも有数の特級魔術の使い手から、魔術を直接教わることができた。
どれもこれも、この魔術学院に入学することができたからの出来事である。
兄妹のターニャとは、これからも心配をかけたり注意されたりしつつも、きっと楽しくやっていけるだろう。
従弟のナーシュカとは、これからも憎まれ口を叩かれたり雑に絡まれたりしつつも、きっと楽しくやっていけるだろう。
お姫様のアイリーンとは、これからも気安く会話したり好奇心で色々と質問されたりしつつも、きっと楽しくやっていけるだろう。
伯爵令嬢のアネモイとは、これからも「むぅ」とか言われたり友達が少ない同士でつるんだりしつつも、きっと楽しくやっていけるだろう。
黒猫の魔女のユースティティアなんか、きっとこれから魔術の研究とかでたくさんお世話になるに違いない。
ここに挙げたやつが全員、特級魔術の使い手だなんて笑える話だ。だけどそれが今現実に起きている。
「今はきっと、最高に楽しいに違いない。何度確かめたって、これは、楽しい以外の結論は出ない。俺の感情は本物だ。本物の感情を編んでいる」
まっさらな、何も情報のない魂。人との思い出や感情を学習するための記憶領域。
俺はそこに心があることを信じている。冒険にあこがれる気持ちが"本物"であることを確かめようとしている。悔しさを克服したい感情が"本物"であることを確かめようとしている。
形を変えたチューリングテスト。
意味が魔力を宿す世界、意味を解釈する人々によって呪術が強化される世界、想像する心が魔力に変わる世界。
それならば――大量の情報量が、想像する心を持つことはあるか。
チューリング完全で、計算完備である決定性有限状態機械は、しかし自己言及を含む系の記述を苦手とする。
特定の形式体系Pにおいて決定不能な命題の存在が存在する――ゲーデルの不完全性定理である。
「……明日が早く来ればいいのに」
さえている頭が恨めしい。計算できない手が恨めしい。
早く、ターニャや、ナーシュカや、アイリーンや、アネモイや、ユースティティアに会いたい。
病室の夜は長かった。いまこの世界が、あらゆる天体が、時間が、秒刻みで変化している中、何もできない時間が続くのはどうにも落ち着かなかった。
落ち着かないのは、まあ、多分、あれのせいもあるが。
(滋養強壮剤をたらふく飲みすぎたせいで、今更効果がてきめんで、すごいことになってんだよな)
あまり大っぴらに言うような話ではないが、どうにも体の一部の反応が収まらなかった。頭が妙にさえているのはこれが原因でもある。とてもよく効く薬だ、舌打ちするぐらいによくできてる。
おかげで、話の途中で妹にも幼馴染にも感づかれた。死にたい。
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