第十七話「生きている魂だったら、先祖代々刻み込まれた魂の情報があるはずなのに、彼にはその情報がない。脈々と受け継がれてきたものが何もないんだ。これなら、魔術の才能がないと言われている理由もわかるよ」

 

 爆発する歓声を受けながら、俺はふらふらと闘技場の舞台中央に足を進める。体調不良でくらくらするせいで騒音がやけに頭に響いて聞こえる。


 胃もたれ。寝不足。吐き気。

 真剣勝負には最悪のコンディションで、俺はこの場に立っている。






(あー……ほんと昨日はひどい日だった)


 思い返す。

 貴族食堂で調子に乗ってたくさん料理を注文した俺は、アネモイと一緒に二時間近くかけてゆっくりと食事をとった。フルコースに一品料理をあれこれ追加したのでかなりの量と言っていい。二人で食べるにしても男の俺がちょっと頑張らないとだめかな、と気を張って食べ過ぎたのがよくなかった。終わるころには歩くのもしんどいぐらいになっていた。

 入学取り消しになるやならないや、の話で気を取られていたのもよくなかった。胃のことをあんまり考えずに食べていた。

 アネモイが健啖家なのもよくなかったかもしれない。あの女、見た目以上によく食べるのだ。本当に竜じゃないのか? と思うぐらい元気に食事するので、つられて俺も食べ過ぎた。


 胃もたれ。

 しかも、アネモイから食事中に「そういえば貴公が休んでいるうちに提出課題が出たぞ」という嫌な言葉を聞いてしまった。

 一週間分授業をさぼってしまっていた俺は、当然提出課題も全く手を付けていない。どの科目に提出課題が出たのか、どんな内容なのか、ということを聞き出すと、それが結構な量であった。


 胃もたれを抱えた状態での、徹夜の課題取り組み。


(俺、寮の部屋がないからアネモイに無理を言って女子寮に入れてもらったしな)


 宿題を解くための部屋がないんだ、というと大笑いされてしまった。

 そんな間抜けな話があるか、とずばっと言われてしまったが、事実なので仕方がない。迷宮で過ごした理由の一つでもある。帰る寮がないのでどこかで過ごすしかないのだ。

 なのでアネモイに何とか無理をいって、頼れる友達がいないんだ、と何度も頼み込んで女子寮に入ったのである。


(本当に他意はないだろうな? と何度もうるさく言われたけど、他意なんてあるものか)


 光学クローキング魔術で透明化して、年のために女装までして女子寮に忍び込み、そして一睡もせずに課題解答に明け暮れる……といったハードなスケジュールをこなしたのがついしがたのこと。

 胃もたれなのに、眠らないために滋養強壮剤を大量に飲んだので殊更気分が悪い。迷宮との時差ぼけなのか眠気も抜けきっていない。


 胃もたれ。寝不足。吐き気。生理学観点で言えば、極めてパフォーマンスの悪い状態である。






「――はあああああ……」


「は、はあ!? なんですの!? あなた、わたくしと戦う前にため息って! ため息って!?」


 なぜか半泣きになる対戦相手、アテーマを視界の隅に収めつつ、俺は重い身体を動かして身構える。

 知っている。彼女は油断できない。

 聖教騎士団の入団試験で一度手合わせした時、彼女だけは魔術と剣術で何とか俺に対抗してきた。それでもなお終始俺が翻弄して勝利を収めたものの、こんな体調が悪い状態で高をくくっていい相手ではない。


 試合開始のラッパが鳴る。


「!」


 同時に俺は光学クローキング領域を展開し、後ろに跳び退った。直後鼻先に走る模造剣の一閃。

 こちらが透明になることを読み切って・・・・・、いきなり一歩踏み込んで切り込んできた――鋭いアテーマの攻撃を辛うじてかわしながら、俺は寝ぼけていた頭を強制的に覚ました。


(やばい、さすがに強い――!)


 返す刃を防壁魔術で弾きつつ、横っ飛びで逃げながら自分の居場所を攪乱させる。

 あちこちにわざとらしく魔法陣を展開する。四方八方から魔術を放って、自分が今どこから魔術を・・・・・・・放っているか・・・・・・を誤魔化す。

 飛び交う魔術と踊る剣閃。一瞬の隙が命取りとなる緊密な差し合い。


(さすがに透明になっているこちらの居場所は分かるはずが……ッ!?)


 たあん、と破砕音。

 同時に土煙が周囲を包む。


 光学処理が追い付かず、土煙の揺らぎが周囲とずれている・・・・・・・・空間こそが、俺のいるクローキング領域である。


(っ、しまった)


 そこですわ――と無数の魔術の雨が空間を襲う。直後、剣が逃げ場を刈り取るような軌道で空を薙いだ。






 ◇◇






 観覧席は困惑の渦中にある。対戦選手の少年が急に透明化したからである。

 そこからは、騎士の少女はあたかも一人で踊るように戦い、魔術と剣術で見えない敵と奮闘するという奇妙な試合になった。

 時々展開される障壁魔術を見ると、おそらく騎士の少女が透明の少年を的確に追い詰めている。だが、普通の試合にしてはあまりにも異端すぎる。


「さすがに二度も透明化魔術は通用しない。とはいえ透明化魔術を解除したところで有利になるわけでもない。どうなることやら」


 映像水晶の映し出す戦闘風景を眺めながら、金髪の少年は興味深そうに勝負の趨勢を見極めようとしていた。

 あふれ出る風格は、まるで王を思わせるほどに力強い。『貴公子』とだけでなく『魔道王』と呼ばれる所以でもある。

 特級指定・教会魔術の使い手。【教国】の若き枢機卿カーディナル

 彼の名はルードルフ・サロムス・セーフィルである。


「――のう、ルードルフや。お主、こんなことまでして一体何をしたいんじゃ?」


「やあ。化け猫じゃないか。くたばりそこなっているらしいね」


 観覧席で、黒猫の魔女ユースティティア若き枢機卿ルードルフが穏やかでないやりとりを交わす。


 亡霊。

 亡者。

 始祖の血統。

 国祖の末裔。

 古代の王。

 古代兵器。

 転生者。

 転移者。


 ルードルフの指輪に刻まれた文字が怪しくきらめく。日輪と月輪を表す宝石は、不気味な色をたたえている。


「面白いね。一見して、彼には才能がないね。生きている魂だったら、先祖代々刻み込まれた魂の情報があるはずなのに、彼にはその情報がない。脈々と受け継がれてきたものが何もないんだ。これなら、魔術の才能がないと言われている理由もわかるよ」


「真実は目に見えるものだけではないのじゃ。受け継いできた情報がなくとも、意味性はこれから自分で編み出すことができようぞ」


 やんわりと答えるユースティティアに対して、ルードルフはまるで、正気かい? と問いかけるようなそぶりで返事をした。

 意味性が途絶えているという事は、呪術的文脈が途絶えていることと同義である。意味のないものが世界に意味を与えられるはずがない。


「この世界の常識は知っているだろう? 呪力は意味ミームに宿る。彼はその意味の連続性が、途絶えている。世界の事象を編む上で、世界との繋がりがない人間は、文脈を上手に編み込めないよ。魔術師として致命的だ」


「関係性が文脈を作る。これからじゃ」


 それを聞いて、金髪の少年のほうが口元を持ち上げた。これから・・・・

 この世界にこれからがあるというのだろうか。

 不謹慎な冗談を聞いたような気分になったが、これでも黒猫の魔女は大真面目らしい。余程入れ込んでいるようだな、とルードルフは考えた。


「いずれにせよ、この私も一目置いてはいるさ。現代魔術とやらにね。カバラの数秘術とはまた異質の魔術理論だ」


「妾の魔女術ともめっきり異なる。あれ・・は思うたより深淵・・じゃぞ」


「へえ。混沌魔術の使い手の君がそんなことを言うなんてね」


 突如、観客が大いに沸いた。

 地形が大きく割れて乱れ、戦いは急激に様相を変えているようだった。

 互いに魔術を放って互いに逃げあう勝負。

 状況は依然として少年が不利。


「透明だから圧倒的に有利であるはずなのに、全然そんなことなさそうだね」


「じゃの。じゃが、これぐらいは乗り越えてもらわねば、弟子の資格はないわの」


 仮にも魔術師が、魔術戦で騎士に劣ることなどあってはならない。

 ましてや透明化して相手の視界を攪乱して、更に騎士の得意分野の近距離戦である剣の勝負から逃げ続けておいて、である。

 これで負けては、ジーニアスの実力には疑問が残るだろう。

 透明になって不意打ちをしないと彼女に勝てなかった、ということになってしまう。


 飛び交う呪文の量が増えて、魔術戦はどんどん華やかになっていく。見るものが熱狂する中、勝負の展開はさらに加速していった。


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