現代魔術は異世界をクロールするか:数理科学による魔術の始め方
第十五話「手法は、分散やχ二乗検定――例えば分散が0に近い変数はほぼ説明力がないと判断して削ぎおとし、おなじくχ二乗統計量が小さい(≒p値が大きい)ものは独立性が薄いとして削ぎおとす」
第十五話「手法は、分散やχ二乗検定――例えば分散が0に近い変数はほぼ説明力がないと判断して削ぎおとし、おなじくχ二乗統計量が小さい(≒p値が大きい)ものは独立性が薄いとして削ぎおとす」
その夜、黒猫のユースティティアは、月夜の下で資料に目を通しながら深く思案に沈んでいた。
そこにあるのはジーニアスが整理した資料の山々。ユースティティアの持ち合わせのガラクタのうち、間違っているものを捨てたり重複しているものをまとめ直したりしたものである。
故人の手記、名もない魔術師の埋没した研究成果、部族の長老だけが知っている口伝の伝承儀式―そういったものがたくさん混ざり合い相互参照しあっているのがユースティティアの魔女術である。混沌魔術に正解も間違いもない以上、かさばる資料をまとめ直して五分の一ほど量を減らしたジーニアスの功績は、数値以上に大きな意味を持っている。
(……恐ろしいことじゃ。全くの門外漢に、
ユースティティアはこみあげる笑いを隠せなかった。
特徴量選択、と彼は言っていた。
消費魔力、類似度、連結強度、その他さまざまなパラメタにより、術式の部分部分を特徴量化させる。
その後、単変量特徴量選択(フィルタ法)により、個々の特徴量がどれだけ結果に寄与するかを統計的手法で評価する。
手法は、分散やχ二乗検定――例えば分散が0に近い変数はほぼ説明力がないと判断して削ぎおとし、おなじくχ二乗統計量が小さい(≒p値が大きい)ものは独立性が薄いとして削ぎおとす。
ドメイン知識があるものは、アドホックな知識をもとにルールを作成する。
特徴量のスケールは標準化を行う。
Lasso回帰により特徴量の係数を一部0として、予測に用いる特徴量の次元を削減する。
サンプルデータの散布図が、パッと見たときに非線形性が強いときは、非線形写像を用いたカーネル法(※)により特徴量空間の基底を張りなおして、改めてLasso回帰を行う。
(※特に、特徴量空間の基底を張りなおす際にはガウス関数で張りなおすことが盛んにおこなわれる。これは、中心極限定理により、独立な多数の因子の和として表される確率変数は正規分布に従うため、任意の特徴量が何かしらピークを持つときは大体ガウス関数で置き換えたほうがよさげであるからである)
ジーニアスの手法は、あまりにも斬新で、汎用的で、再現性の高い手法であった。
決定係数が決して高いとは言えない――と彼は謙遜していたが、ユースティティアほどの魔術師からすれば、己の領分を三割も解き明かされてしまったことのほうが脅威であった。
(……妾の術式の、妾の気づいていなかった矛盾も、こやつは見事につきとめて削ぎおとして見せた。この世界最古の魔女と言われた妾を出し抜いて、じゃ。たとえそれが全体の百分の一にも満たない微細な部分であったとしても、それ自体を指摘できるという事実そのものが異常じゃ)
並みの魔術師からすれば、とんでもない災難であろう。自分がせっかく積み上げてきた秘密の研究を、まったく異なる手法から暴き立てて、誰にでも使えるように整理されてしまったのとほぼ同じである。それも誤謬の指摘までおまけについて。
長きにわたって研鑽を積み重ねてきた魔術師であれば、殺害に踏み切ってもおかしくないほどの凌辱。ユースティティアがそれを甘受しているのは、
この男もまた、自分の手法を惜しみなく公開してくれるのだ。隠匿すればよい知識を、驚くほどあっけなく。
あまりに無邪気で無防備極まりない。己の成長に貪欲で、ただひたすら純粋に研鑽を望んでいる。何かの智慧や奥義を秘匿にすることがちっぽけなことに思えてしまうように、彼はあっけなく秘密を解き明かし、あっけなく知識を共有し、そしてあっさりと次の目的に向けて研究を進めるのだ。
(……全く、阿呆め。これが妾でなければ、どうなっていたことやら)
呑気に寝息を立ててすやすやと眠るジーニアスを見ながら、黒猫の魔女は、物覚えの悪すぎる
◇◇
「入学させるべきか、入学させないべきか―どうやらそろそろ結論を出すときが来たようだな」
魔術学院アカデミアの会議室は、一つの議題について大きく分かれていた。
学院の問題児、ジーニアスの入学を認めるべきか否か。これほど賛否両論に分かれる生徒も珍しい。暫定的に
永らく不在の学長を除くと、アカデミアの最高責任者は学長代理と副学長である。
そして学長代理と副学長の学科長の意見がものの見事に割れている。
教育の機会は最大限与えるべきであり入学に賛成とする学長代理と、不公平な特別待遇は不和を生むため規則は厳格であるべきと入学に反対する副学長。いずれの意見にも一理はあった。
そして、その二派の対立は、学科長と事務官・事務吏員にも波及していた。概ね、学科長たちは異端の理論を提示したジーニアスの入学に肯定的であり、事務官たちは問題行動が多く規律を軽視するジーニアスの入学に否定的であった。
「入学に賛成しているのは、学長代理だけじゃない。諸君らも、彼の入学の議論について、【王国】の姫、【通商連合】の商会の娘、【精霊の森】の特使からも推薦書が届いたことは覚えているだろう。ジーニアスは、どうにも七大魔術師たちにつくづく縁があるらしい」
「だが、彼は無属性です。つまり属性魔術を使うのにマナをいちいち変換しないといけません! しかも、生まれつき魂がつながっている魔術体系がない。つまりどんな魔術も詠唱するか魔法陣を使うかしないと発動できず、念じるだけで発動できる魔術がひとつもないのですよ!」
賛成派が口を開けば、反対派もまた口を挟む。喧々諤々とはこのことである。賛成と反対の意見、どちらも一歩も譲る気配がない。
組織の政治力学―その影響が無いわけではなかったが、それよりももっと厄介な話がひとつ絡んでいる。
聖教騎士団。そのとある騎士候補生が、決闘を申し込んでいるのだ。
「生徒会活動に貢献して、学院のために働いてくれるならまだしもだ。彼は生徒会にも入らず、問題児行動を繰り返すばかりではないか。こんな学生追放してよかろう!」
「しかし、この少年は、我が学院の入試の解説を見事やり遂げた実績がある。それをもって入学を認めるという話だったはずだ」
「認めたのは
「わが校のモットーは、学びの機会の最大化である。彼には申し分ない実力がある。実力を示したものには、学びの門戸を開くべきだ。違うかね?」
「では―」
循環する話題を、とうとう一人の声が打ち破った。謎の金髪の少年。彼には奇妙な風格があった。
「ジーニアス君によって聖教騎士団が被った迷惑について、どのように対処するのか、話そうじゃないか」
その指摘は、この議論のまさに中核を突いていた。
学生が一人増えようが減ろうが、学院の経営の観点から見ればそれは些事である。つまり、反対派の事務官たちにとって学生が一人増えようがそれは大したことではない。反対派の人間が本当に反対している理由は―あまりにも爆弾が多いからである。聖教騎士団の件はその一つである。
「新米の聖教騎士の少女が、このジーニアス君にリベンジをしたいと申し出ているそうだ」
「それは、どういうことだ」
「確かにわが校のモットーは、学びの機会の最大化だ。実力を示したものには、学びの門戸を開くべきだ。だがジーニアス君は、優れた入試の講評によって勉学の実力は示したが、
「しかし……!」
にわかに湧き立つ会議室の面々を見回しながら、金髪の少年はただ静かにもう一度口を開いた。
「【皇国】出身の聖教騎士。ジーニアス君の遅刻の原因を作った貴族令嬢で、ジーニアス君に一度負けてしまった天才少女。アテーマ・カマセーヌと戦ってもらって、もし勝利すれば、ジーニアス君の入学を正式に認めてあげようじゃないか」
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