第十三話「俺がやることは、今まで読んできた本から作り上げたセマンティック検索情報およびナレッジグラフをもとに、演算リソースの限り深層学習を行うのみさ」

「儲かったな!」


「儲かったのう!」


 あれから。

 探索者ギルドで相場より上乗せして(なんと二割上乗せしてもらった)素材を買い取ってもらった俺たちは、そのまま迷宮内都市の露天商に向かって同じようなことを繰り返していた。すなわち、棹秤の不正を指摘して、相場より大幅にまけてもらったり口止め料をせしめたりしたのである。

 例えば、小指で水平になるように押さえていないかとか、ひもを捩じって固くした状態で棒を押してないか、とかそういった不正はざらにある。そんな不正を行っている商人をあえて見つけて脅すのだ。


 迷宮内都市は、文字通り迷宮内にできた都市である。世界迷宮は世界の各地につながっているので、この迷宮内都市には各国の交易品や名産品が粒ぞろいであった。そして行商人もまた様々な手合いがいる。不正を働こうとする行商人を探すのは、さほど苦労しなかった。


「いやあ、ジーニアスや! お主は目がいいのう! おかげで予定の倍近く儲かってしもうた!」


「なんの、これぐらいお茶の子さいさいってな! マルチモーダル情報処理には自信があるんだ! 所詮はあぶく銭、ぱーっと景気よく使おうじゃないか!」


「あー……そのことなんじゃがな」


 やや切り出しづらそうに黒猫の魔女が口を開いたのは、四人目の行商人から金目のものを毟り取った直後のことだった。


「お主の分け前は払うから、妾の分は、有り金を全額孤児院に寄付したいのじゃ……すまんが、ぱーっと遊ぶのは付き合えんのじゃ……」


「……なるほど」


 やんわりと。

 ちょっと名残惜しそうに断った黒猫の魔女ユースティティアは、それでもやはり寄付する意志を変えなかった。きっと大事なことなのだろう。彼女の心の中にある大切にしたい何か。

 正直なところ、無銭飲食まがいのこと(本人は頑なに正当な賭けだと言ってるが)をしたり、学院に野宿したりする彼女からは今ひとつ想像できないが、寄付金を差し出すような清廉な行いもまたユースティティアの一つの側面なのだ。

 俺がそれを否定するはずもない。


「いいと思うぞ」


「うむ、すまんの」


「何なら俺からも一部寄付させてくれよ。今日は大儲けしすぎたからな」


「! ジーニアス……」


 金は天下の回りもの、宝は国の渡りものだ。孤児院に寄付、結構なことである。悪徳行商人からせしめたお金で、孤児たちが少しでも救われるというのなら、それはいいことだ。

 黒猫の魔女ユースティティアの顔がぱあっと明るくなったのを見て、俺も少しばかり嬉しい気持ちになった。


「あ、でも一つだけ相談があるんだが」


「何じゃ? 何でも言うてみるがよい。妾も出来るかぎりのことを尽くそうぞ」


 ここで、かねてより気になっていたことを黒猫に告げた。予感は何となく漂っていた。一人目の行商人から金品を毟り取ったあたりから気配はあった。


「(……俺たち、冒険者の追手を差し向けられてるよな?)」


「(……逃げるかの)」


 どうやら金品を毟り取りすぎたようだ。恨みを買うには十分だったかもしれない。ひとつ路地裏に入った瞬間、俺と黒猫は透明化魔術を発動して一気に駆け出した。






 ◇◇






 世界最高の魔術師の座は八人。


 もし俺がその一角に登りつめようとするならば、足りないのは精神体アストラル体の最大容量――つまり『魂の器』である。

 たとえ俺の魔力量が成人男性の倍程度あるとはいえど、それは世界最高峰の魔術師と比較すれば大したことはない。具体的に言えば、俺の魔力量は、ブラコン妹ターニャの二十分の一程度である。

 世界最高峰の座に並び立とうとするのであれば、魂の器の大きさが圧倒的に足りていない。


 実際は空気中に漂う魔力を操作して魔術を発動するので、発動できる魔術の規模などは二十倍も差はつかない。

 だが、周囲の魔力に働きかけるアストラル体の干渉力が二十倍もあれば、事象変化に寄与する力の差は極めて大きくなる。干渉力が弱い俺は、術式の損失を減らすような最適解を選び続けてもなお、妹に大きく水を開けられている。


 才能の差は半ば諦めている。

 生まれつき全属性のマナを持ってるやつとかは、無属性の俺と違って、マナの変換損失を気にしなくてもいい。

 生まれつき無意識に使いこなせる魔術を持っているやつは、いちいち術式を編み込む必要がある俺と違って、発動までのタイムラグとか発動損失を気にしなくてもいい。

 それらの差を、悔しいと思わないわけではない。


 だが、それらは全て捻じ伏せることができる。

 地道に魔物を狩り続けて魂の器を広げて、魔術理論をより深く研究し続けることで、きっとその差は些末なものに帰するはずなのだ。






 追手の冒険者は四人。しかし俺との戦闘で二人が気絶していた。


 いずれも俺より、体格と『魂の器』が大きい。もしかしたら、それなりに腕に覚えのある冒険者なのかもしれない。

 だが、透明化魔術と身体強化魔術を併用して戦う俺にとっては、与し易い相手であった。


 薄いシール状に変化させたマナ・マテリアルを手のひらに展開する。書き込む術式は麻痺。これにより4mA程度の電流を帯びた掌底を打ち込める。今地面に寝転がっている二人をやっつけたのもこの電撃だ。


 相手の見当外れの斬撃を回避する。狙うはがら空きの懐。だが間一髪で後ろに飛び退かれる。


(なるほど、戦い慣れてはいるみたいだ。気配か何かを察知したか、本能的に距離を取ったか)


 ならばと追加で魔術を発動する。初級魔術、火の矢の連発。顔面狙いの奇襲だが、とっさに顔をかばって苦しそうに受けるのは流石の反射神経といったところ。だが胴体ががら空きである。


 鳩尾へのナイフ投擲。


 同時に交差する剣閃。なるほど火魔術の発動場所に俺がいると読んだみたいだがーー狙いがずれている。


(魔法陣を空中に設置しておけば、遠隔で魔術を発動できるのさ!)


 バランスを崩しながらもなおも飛び退こうとする相手に、俺は足払いをかける。そのままナイフに魔力共振をかける。電撃一閃。


 投げナイフに貼り付けたシール状マナ・マテリアルの魔法陣から稲妻が爆ぜて、とうとう冒険者一人の意識を刈り取った。


(あと残り一人)


 咄嗟に振り向く。

 ずにゅ、と不思議な音がしたかと思うと、男が一人地面に沈んでいた。可哀想なことに股間を抑えている。そばには藁人形と、股間への釘一本。その一瞬だけですべてを理解した。


 ああ、なるほど。そういえば黒猫の魔女は呪術師だった。


「なぁに、死にはせんぞ。熱湯で煮込んだような痛みだけが一日続くだけじゃ。痛覚だけじゃから後遺症も残らん」


 地獄のようなことを言ってた。

 けたけた笑う黒猫の魔女を前に、俺は何となく太腿を締めて警戒を強くするのだった。






 ◇◇






「世界最高峰の魔術師になるため、稽古をつけてほしいとな?」


「ああ。せっかく世界迷宮の中にいるんだ。時間の密度が異なるここでなら、地上と比べてたっぷりと稽古ができる」


 俺たちを襲った冒険者から剥ぎ取った金品を元手に、ちょっと豪勢な宿の部屋を取った俺は、ユースティティアにそのまま率直に頭を下げた。

 いい宿の部屋を取ったのは他人に話を聞かれたくないため。そして連泊が可能で、部屋の荷物を盗難されるおそれが少ないからである。


 俺の願いは、誰よりも偉大な魔術師になること。そして目の前にいる魔女は世界屈指の魔術師である。であれば、教えを請うことに躊躇いはない。


「……お主のいうとおり迷宮内は時間の進みが歪んでおる。じゃがな、妾の魔術は、ちとお主には相性が悪いと思うぞ」


 迷宮内は瘴気によって空間が歪んでいる。あのニザーカンドが迷宮化されて引き伸ばされたのと同じように、時間の流れもまた引き伸ばされる。魔力ポテンシャルが高い魔力場では、時間の進みと空間が一様でないのだ。

 世界迷宮ほどの規模になれば、一階層深くなるにつれて、時間の密度が十倍になる。つまり第一階層で一ヶ月過ごしても地上で三日ほどしか経過していないことになる。


 まさに稽古にはうってつけ。だが、ユースティティアの表情は芳しくない。


「魔女術は、土着の信仰が絡み合った複雑な魔術じゃ。人々の文化や価値観に根ざした呪術じゃから、時間と共に変化する。時の流れとともに人の考えも変わるから、祈り・願い・儀式の形に答えがないのじゃ。お主のそれとは水と油じゃよ」


「俺のそれ……?」


「現代魔術とやらじゃよ。お主の繰り出す、答えを演算して紐解く数理的なあの術式じゃ」


 それは神秘とはあまりにも程遠い、と古の魔女は答えた。


「矛盾も遥かに多く、一見して答えのない混沌の魔術体系じゃ。理路整然と答えを導くような術理とは果てしなく程遠い。それでもお主は学ぶと言い切るかの?」


「……余裕だとも」


「よう言うた」


 どろり、と空間が溶けたかと思うと、ユースティティアは形を失って無貌の影となっていた。見通すことのできない黒き魔女。概念のような曖昧なそれは、ぽっかり空いた虚無の孔を三日月のように歪めて、はっきりと笑っていた。


数式ごっこ・・・・・で解き明かせると思い上がっておるなら、深淵を呑み干してみよ。その呪術体系に道しるべは一つもない。弱音を吐くでないぞ」


「上等だ。未知の術式の意味解析は、概ね記号接地問題だと相場が決まっている。俺がやることは、今まで読んできた本から作り上げたセマンティック検索情報およびナレッジグラフをもとに、演算リソースの限り深層学習を行うのみさ」


 無謀ともとれる俺の挑発に、無貌の影は、笑みをさらに深く歪めた。

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