第十二話「ジーニアス君を生徒会に勧誘するつもりだったのですが、まさか無視されるとは思いませんでした。……う、ウインクまでしたのに」
入学二日目も、ジーニアス・アスタはオリエンテーションを無断欠席した。前代未聞の出来事である。
生徒会長の篠宮百合は、まさかの事態に頭を抱えるほかなかった。
「昨日の昼、私は一般学生向けに周知をしたはずでした。入寮申請書を持っていない人は午後のオリエンテーションが終わり次第、生徒会室に来なさいと」
ところが現実はどうであろうか。
昨日の昼、おそらくジーニアスは一般学生の利用する食堂にいるだろうとあたりをつけて、食堂内の全員に聞こえるように周知を行った。午後のオリエンテーションでも念のため「入寮申請書を持っていない人はオリエンテーション後に生徒会室に来るように」と再周知を行っている。
しかし、あの少年は生徒会室に来なかったのである。
「ジーニアス君を生徒会に勧誘するつもりだったのですが、まさか無視されるとは思いませんでした。……う、ウインクまでしたのに」
思わぬ仕打ちに、篠宮はほぞを噛んだ。
生徒会役員は寮を持たない。学校の生徒会室が実質的な寮となっているからである。学校に各種生活設備が備えついており、生徒会役員はそれを自由に使用してよい権利を持っている。なので、入寮申請書を持っていない人の呼び出しというのは、実質的に言えば生徒会役員への打診と言い換えてよい。
「あいつ、すんげー馬鹿だから会長のウインクの意味わかってない可能性あるぞ。長年ライバルやってきたからわかるけど、あいつは本当に察しが悪い、天下一の鈍さだ」
「ナーシュカさんはジーニアス君の足取りが分かりますか?」
「いや、全然」
生徒会室には現在二人いる。生徒会長の篠宮百合と、風紀委員長にして"番長"を務めるナーシュカ・イナンナ。
会長の篠宮の問いかけに、ナーシュカはぞんざいに答えて肩をすくめた。幼馴染でも分からないものは分からない、と言わんばかりの態度であった。
「まじであいつ突飛なことするからな。足取りなんか分かったもんじゃない。迷宮に突然飛び込むとかやっててもおかしくねえ」
「そんな馬鹿な事」
「するんだよ、あいつは」
もはやある種の信頼の裏返しといってもいいような断定口調で、ナーシュカは言い切った。
「あいつは、魔術の才能がからっきしなんだ。なのにここまできた。魔術にかける執念に関して言えば、あいつはとち狂ってやがる。それこそ魔術の探究の近道だというのなら、世界迷宮だろうが何だろうが喜んで飛び込むようなやつなんだよ」
◇◇
「授業はさぼってええんかの?」
「どうせ今日もオリエンテーションの説明だからな。授業が始まるのは三日目から。しかも一週間は履修科目の仮申請期間で、出席してもしなくても成績には関係ないから、実質的には十日目から出席を気にすればいい」
世界迷宮の第一階層を闊歩しながら、俺と
初めての世界迷宮入り。感慨がないといえば嘘になる。今俺は、世界で最も深遠で広大な迷宮に踏み込んでいるのだ。
世界迷宮の階層は、一つの層状の世界である。その層には自然があり、生態系があり、空がある。探索は冒険なのだ。いろんな世界を渡る旅。そして俺は今まさに、そんな世界迷宮を冒険している。
「不良学生じゃのう」
「効率主義者と言ってくれ」
つまらない座学には興味がない。俺の知らない知識を教えてくれる授業であれば喜んで出席するのだが、シラバスとカリキュラムを見ると、しばらくは迷宮探索に費やしたほうが有意義だと思えるような授業内容であった。
文法学、論理学、修辞学なんて、一回生が履修する範囲はあくびがでるような簡単な内容である。幾何学、算術、天文学、音楽に至っても同様だ。唯一音楽だけは苦手なので受けてもいいかもしれないが、妹に教わったほうが早いかもしれない。
それよりも、迷宮で薬草を採集したり、魔物を狩るほうがよっぽどいい。
魔物を狩れるだけ狩るのは、『魂の器』を成長させる早道である。
両親が魔法使いだったのに平均の半分以下の『魂の器』しかなかった俺は、それでも小さなころから魔物を狩り続けて、今や平均成人男性の倍近くの『魂の器』の大きさに成長している。
この学院の同級生と比較してもまあまあ多いほう、上位三割ぐらいには入っているだろう。だが――。
(俺が目指すのは最高の魔術師。そんなぐらいで満足しているようじゃ、まだまだ足りない)
「座学よりも魔物狩り、か。理屈倒れの小僧かと思っておったが、意外と根っこはわんぱく少年じゃな」
「俺の魔術研鑽に役立つ座学だったら喜んで受けてるよ。第一に魔術、第二に魔術さ」
魔物を遠くから狙撃しながら、そんな軽口を叩きあう。
ここでも透明化魔術が大活躍していた。
アルミラージやらゴブリンやら、手ごろな魔物を見つけたらこっそりと魔術で射貫いて仕留める。向こうは透明化したこちらを目測できない。何が起こっているかも分からないまま、俺たちに一方的に狩られるのを待つのみ。やはり透明化は正義である。隣でユースティティアが隠形魔術とやらを展開していたが、まさに鬼に金棒とはこのことだ。もう二十体以上狩っているのに、全く気付かれないのだ。
「この分じゃったら、素材はすぐに集まりそうじゃの」
「どうせならいっぱい集めようぜ。うんとストックを溜め込んでもいいし、この際余った素材を換金してお金儲けしてもいい。あ、余った屑魔石は俺にくれると嬉しい、マナマテリアルに変換するからさ」
「……となると、探索者ギルドに行くかのう」
探索者ギルド。
そういえば存在をすっかり忘れていた。まだ探索者登録をしていない俺にとっては願ったり叶ったりの展開なので、俺は笑みがこぼれるのを止められなかった。
◇◇
探索者ギルドへの登録手続きは、登録料の支払いと誓約書への署名で終わる。さほど難しい手続きでない。
新米探索者はそこから更に、探索者講習を受けるかどうかを選べる。よっぽど自分の腕に自信がない限りは普通は探検者講習を受けるものだが、俺はパスさせてもらった。
おかげでギルドの受付嬢に「……受けないんですか?」とかなり怪訝な表情をされてしまったが、そんな顔をされたところで結論が変わるわけでもない。頑として断る。だいぶ生意気な新米、みたいになってしまったが仕方がない。
「お待たせ。ようやく探索者タグをもらえたよ。これで俺もE級探索者だ」
「よかったのう。こっちは素材の換金の査定待ちじゃ。しばし待て」
「……へえ」
査定窓口で立っているユースティティアのそばまでいって、俺はふとあることに気付いてしまった。
「(なあ、査定って棹秤で重さをはかるんだな)」
「(そうじゃが? 何か面白いことにでも気づいたのかえ?)」
棹秤に乗せられる素材を見て、俺はちょっとだけいたずら心に駆られた。
査定を行う職員はさも不正はないとばかりに、棹を左右逆にして測りなおしたり、何も載せていない棹が真ん中で釣り合うことを見せびらかしている。不正はなさそうである。なさそうであるが、俺は
どうして、棹秤の棹を金属で作っているのだろうかと。
職員の目を盗んで分銅をもぎ取る。そのまま2:1に棹の吊り下げ点をもっていって、分銅を1:2に乗せようとして――。
「失礼、次の査定があるので分銅は回収しますね」
ギルド職員の焦ったような制止の声。俺はそれで確信した。
棹秤は、
簡単な仕掛けだ。棹秤は、回転モーメントの釣り合いを使って素材の重さをはかる道具だが、棹が重いと必ず長い腕のほうに回転モーメントが加算されるのだ。
「ねえ、相場より1割高く買い取ってもらえるなら黙るけど」
「……」
初歩的な物理を知っている人間なら気づくことができる簡単な細工だが、探索者をやっている人間はあんまり気づかないだろうと高をくくっていたのだろう。
俺の意味深な囁きに、ギルド職員は苦虫を嚙み潰したような顔になっていた。
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