第十話「入寮申請書を紛失した? じゃあ君、うちの学校の正規の学生寮には入れないよ。野宿でもするか、もしくは学校非正規の寮に入るしかないね」

(本音を言うと、こうなるとは思っていなかったんだよな)


 しん、と水を打ったように鎮まる入学式会場の端に移動しながら、俺は内心でぼやいた。解説はした。我ながら悪くない解説だった。術式の状態空間表現に慣れ親しんだ人であれば、俺の操作が単なるラプラス変換と極配置だと気づいただろう。内容は至ってシンプル。そこまで難解な議論に踏み込んだという思いはない。

 状態空間表現。物理的システムを、入力と出力と状態変数を使った一階連立微分方程式で表した数学的モデル。今回は特に、時不変のモデルを仮定しているので非線形システムの安定性の調査という困難な議論を回避できている。


 そう、難解ではないはずなのだが。もうちょっと拍手があってもいいと思う。


(そもそも、入試に遅刻したのがおかしいんだよな。あんな盗賊団に襲われるなんて、運が悪すぎる。俺の想定ではもっとこう、違う感じだったんだけど)


 静かだなあとぼんやり思いながら、俺はもっとこうありたかったという想像を膨らませた。

 普通に入試を受ける。実技試験で、周囲に圧倒的な差を見せつける。何といえばいいだろう、ほら、よくある圧倒的に頑丈な物体とかを破壊するやつだ。今のは上級魔術じゃない、初級魔術、火の矢/ignis sagittaだ、みたいな感じで。

 子供のころから迷宮にこっそり潜って魔物を狩っていたおかげで魔力は平均よりまあまあ多いほうなので、いい結果は出せたと思う。多分かなり硬い剛体でも派手に破壊できただろう。


 いやあ、どうしてそうならなかったのだろう。一度でよかったからやってみたかった。実技試験で圧倒的な実力を見せつけてしまうやつ。そしたら、同級生からも尊敬されていたはずだと思うのだが。


(……まあ、前代未聞の大幅な遅刻をしたのになんとか仮入学できるようになったんだし、贅沢は言ったらだめだよな)


 入学式はまだ静かに続いていた。式典は粛々と、生徒会長(なんと和服を着た銀髪エルフだった)による新入生オリエンテーションの説明へと移行しており、俺はいよいよ入学したのだなという実感を噛みしめていた。






 ◇◇

 現代魔術は異世界をクロールするか 第十話

 ◇◇






 魔術学院アカデミアは、全員がいったん教養学部として入学し、後期課程でそれぞれの専攻したい研究科へと進路振り分けを行う前期・後期課程制度を導入している。入学したときは法律に興味があっても、入学後に音楽に興味があればそちらに専攻課程を切り替えてもよい。

 世間一般的な上級学部とされている医学部・法学部・神学部(※アカデミアでは医学科、法学科、神学科)に進む人間は、医者や法律家や聖職者といった専門職に就くために、国家試験に備えた特別な教育を受けることになる。それに加えて、この魔術学院アカデミアでは上級学部として、複合領域を引き続き学ぶことができる。複合領域にはいわゆる一般的な単科大学である、経済科、芸術・音楽科、工学科、魔術科、などの進路も含まれている。


 あえて言うなれば、総合大学と、さまざまな単科大学と、その両方が合わさった大学なのである。それはつまり総合大学なのだが、単科大学の課程を取り入れている総合大学がほかにないため、分野横断的な広い研究科を持つのは魔術学院アカデミアのみと言っていい。総合大学よりも総合的な大学。

 雑に言えば、ここに入れば大体なんだって勉強できる、ということになる。


 当然、一番人気なのは魔術科である。進学する学生数も、他研究科と比べても別格に多い。他の研究科に在籍しても、第二専攻として魔術科を専攻して学士(Bachelor of Magics)を取得するものがほとんどである。

 実質ほぼすべての学生は魔術科に入ると考えてよく、第一専攻、第二専攻の違いがある程度だ。


 例によってあの和服の銀髪エルフの生徒会長による履修課程の説明を受けながら、俺は別のことに思いをはせていた。


(……履修課程とは別に、"学生寮"が重要になってくるな)


 学生寮。俺が専ら気にしていることである。

 履修課程とは異なって、学生寮は成績順で決定されると思ってよい。

 無料で利用できる、綺麗で広い特待生寮。一般的な学生の所属する正規の学生寮。そして、費用が安い代わりに施設がぼろぼろの非正規の学生寮。


 当然、特待生寮が一番いいに決まっている。どうせなら広くてきれいな寮がいい。

 名前順に呼び出され、手渡しで各種手続き書類を配布されるわけだが、その書類の中にある入寮申請書に割り当てが記載されている。俺はそれを半分祈りながら薄目を開いて眺めた。


「……ん?」


 入寮申請書がない。


(……入寮、できない?)


 呆気にとられた俺は、思わず生徒会長の方を見てしまった。目が合った生徒会長は意味深にウインクしていた。可愛い。






 ◇◇






「お兄様!」「やっほー」


 昼ご飯を食べる時間になり、俺はブラコン妹ターニャケモ王女アイリーンと一緒に食堂に向かっていた。しかも特待生寮の食堂である。完全におこぼれだ。俺の妹とアイリーンはどちらも成績が極めて優秀であり、特待生扱いになっている。食事も特待生寮のほうがおいしい、というので、さっそく二人を利用させてもらったわけである。

 しかし姫、こんなに気安いとは思っていなかった。声掛けたらついてきてくれる姫ってどんな姫だ。


「ね、ね、ね、あの伝達関数ってやつ! あれ詳しく教えてほしいんだけど! ね、いいでしょ? ね、ね?」


 と目を輝かせながら食いついてくるあたり、このお姫さまを釣るのは存外ちょろいのかもしれない。

 学生たちでごった返している一般食堂とは違って、比較的すいている特待生寮の食堂を進みながら、俺は二人に話しかけた。


「いやあ、新入生オリエンテーションってなかなか疲れるな。履修課程の説明もだけど、入寮手続きとか科目申請とかいろいろ詰め込んでくるから覚えることが多くてかなわん」


「そうだねー、ジーニアスって迷宮のことしか考えてなさそうだからね」


 食事を食べつつ、あれやこれやと話に花を咲かせる。迷宮のことしか考えていない、と言われると結構耳がいたい。正直な話をすると、魔術学院アカデミアに入学希望した理由として、迷宮のことが結構大きな要素であった。


 世界迷宮。魔術学院アカデミアからも"扉"がつながっている、世界最大の迷宮である。

 俺の目標は、その世界迷宮を踏破することなのだ。


「迷宮のことはオリエンテーションでは触れられていなかったな。もしかしたら午後の説明で触れられるかもしれない」


「あれは後日説明じゃないかなあ」


 できることなら世界迷宮にさっさと潜りたい。新入生オリエンテーションなんかは冊子や配布資料に書いてあることを読み込めばいいだけなので、俺の関心はすでに魔術研究か迷宮かに移ってしまっている。午後のオリエンテーションはあんまり気乗りしないなあ、と思いながら俺は食事を口に運んだ。


「でも、アイリーンもターニャも既に世界迷宮には潜っているんだろ? 今度一緒に潜ろうぜ」


「! 是非とも一緒に潜りましょうね、お兄様!」


「いいよー。今度は裸を覗くの禁止だよ?」


 釘を刺されてしまった。何故。思わず肉をラグーソースに落としてしまってちょっとだけ服に付いてしまった。

 裸を覗いたつもりはない。特にアイリーンの場合、結構毛がもふもふと生えているので裸だという意識が薄かった。

 それは困ったな、と適当に答えつつ俺は服についたソースをハンカチで拭き取る。


(……今度世界迷宮に潜るときは、アネモイとかナーシュカも誘ってやろうかな)


 あいつらも一緒に潜れば、きっとにぎやかで楽しいことだろう。


「そういえばさ」


 と、急に思い出したようにアイリーンが別の話題を切り出した。


「一般食堂のほうで誰か生徒会長に呼び出しされてたみたいだね。何かあったのかな?」


「まあ、入学式の日なのに、生徒会長沙汰になるなんて怖い話ですね。お兄様も気を付けてくださいね」


 生徒会長からの呼び出し、とはまた珍しい話である。今日は入学式の日なので、多分新入生絡みだろう。新入生が問題行為でもやらかしたのか、もしくは部活動が新入生を強引に勧誘したか、などが考えられる。

 いずれにせよトラブルにはあまり関わりたくない。


「優等生の妹と優等生の友達がいるんだぜ? 俺もそうそう問題を起こせないって」


 本当だろうか、という疑わしげな目線を感じたが、気にしないことにした。






 ◇◇






「入寮申請書を紛失した? じゃあ君、うちの学校の正規の学生寮には入れないよ。野宿でもするか、もしくは学校非正規の寮に入るしかないね」


 午後のオリエンテーションが始まる前にこっそり抜け出して、事務のおじさんに相談してみると、結構ややこしそうな話になっていた。

 入寮申請書がない人は寮に入れない。門番のガーゴイルの石像は、寮生証明手帳なしに侵入しようとすると、大声でわめくのだという。誰か引率してくれる人がいて共連れ入室させてくれるのであれば別だが、それでも昼間に限った話で、夜は共連れ行為さえも禁止されているそうだ。


 こいつはまずいな、と俺は顔をしかめた。


「すまないけど、最近は防犯意識が高まっているからね。寮内での盗難行為が問題視されているんだよ。だから部外者は入れちゃだめなんだ。君は見たところ部外者というわけじゃないとは思うが、念のためね」


 やむを得まい。少々残念ではあったが、入寮申請書が手元にない以上、今日一日は野宿をするしかなさそうである。

 ありがとうございました、と頭を下げて学生課担当の人にお礼を言って立ち去る。粘ったところでどうにもならない話だ。正規の学生寮には入れなさそうだ。


(事務の人が言うんだったら間違いないだろう。入寮できないって言うんだから入寮できないに違いない。まあ、一応生徒会あたりに相談してみるのはありかもしれないけど。何かの手違いで手続き書類一式の中に入っていなかった、とかもあり得るだろうし)


 これが何かの間違いで、本当は特待生寮だったら嬉しいのだが。うちの妹からの手紙によれば、たしか特待生寮の風呂はかなり広いし露天風呂になっているとのことだ。料理も特待生寮のほうがおいしいし、できれば特待生寮に入りたい。


 今のところ、俺は自分の扱いが分かっていない。

 仮入学、臨時講師、こんなへんてこな扱いだと、特待生扱いでもおかしくはないし、逆に正式入学じゃないので入寮できませんよという話であってもおかしくはない。もしかしたら学生寮は学生の寮なので、講師は別の寮を使用してください、という話なのかもしれない。


(……かといって今からオリエンテーションに戻るの、面倒くさいなあ。学院敷地内で昼寝でもするか?)


 オリエンテーションの資料は全部読んでしまった。学院の事務への相談はもう終わってしまった。

 生徒会への相談は、そもそも望み薄だが、相談するにしても放課後だろう。

 幸い天気はいいので、昼寝にはうってつけだろう。あるいは図書館で時間を潰すのもいい。学内をぶらぶらと散策するのも悪くないだろう。


(……よし決めた。適当に歩いて、適当に昼寝しよう)






 ◇◇






「……なぁにしとんじゃ」


「……ん、ぁ、えっと……寝て……る……?」


「寝ぼけすぎじゃ。まあええわい、無理に起きんでええ。ちょうど妾も昼寝しようと思うとったところじゃ」


「……そ、か」


「ほれ、虫よけの結界と安眠のおまじないじゃ。……ふぁあ」


「……ありが、と」


「よいよい。妾のほうが世話になった。講評もしっかり受け持ってもろうたしの。お疲れ様じゃ。よう寝るとええ……」






 ◇◇






 目が覚めたら夜だった。

 隣で猫が寝てた。

 やっべえやらかしたかも、と思ったが後の祭りである。早い話が野宿確定であった。


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