現代魔術は異世界をクロールするか:数理科学による魔術の始め方
第九話「さて、ここで伝達関数を見るだけでも安定か不安定かを見ることができます。極零相殺がない限りは、伝達関数の極を見るのが一番楽だと思います」
第九話「さて、ここで伝達関数を見るだけでも安定か不安定かを見ることができます。極零相殺がない限りは、伝達関数の極を見るのが一番楽だと思います」
――あれから一か月。季節は廻り、実りの秋の時期がやってくる。
この時期の魔術学院は、新たな希望を胸に抱いた新入生たちで溢れかえる。毎年恒例の景色。
今年もまた、入学式が始まる。
結論から言うと、俺は"仮入学"となった。すんなりと入学とはならなかったが、しかし不合格ともしない、あいまいな処置。これには訳があるのだが、深くは語るまい。
全ては、学院側の寛大な処置のおかげである。大幅な無断欠席があったにもかかわらず、最終日の筆記試験の結果を最大限汲み取ってくれたのは、きっと様々な配慮があったのだろう。
このことを伝えると、
ちなみに
何がともあれ、である。
「――342期生、新入生総代。アネモイ・カッサンドラ・ドラコーンからの新入生宣言です」
今年の新入生総代は、なんと
まさか、あの時迷宮で知り合った友人が、新入生代表として挨拶を行うなんて。入学式の壇上にあがる彼女を遠くから眺めながら、俺はしみじみと感慨にふけるのだった。
もし俺が普通に入試に間に合っていれば。
そんなどうでもいいことを一瞬考える。もし俺が普通に入試を受けていたら、新入生代表としてあの場に立っていたのは俺だっただろうか。アネモイを祝福する気持ちは当然あるものの、叶うなら本気を出して挑みたかった、というくすぶりは心のどこかに残っている。
「続きまして、341期生総代、341期生学年首席アイリーン・ラ・ニーニャ・リーグランドン王女殿下、ならびに学年次席、ティターニャ・アスタから、お祝いの花の贈呈です」
誇らしいことだ。アイリーンと、ターニャが二人も優等生として活躍している。アイリーンは総代であり学年首席、ターニャが学年次席。
なんだか遠いな、という寂しさと、感無量といった思いが混ざった気持ち。
世界一の魔術師になってみせる、とかつて誓った言葉が脳裏をちらついた。その気持ちはまだ折れていない。
だから、こんなところで距離を開けられてはならない。アイリーンとも、ターニャとも、アネモイとも、俺は肩を並べられる存在になってみせる。
(今は"仮入学"という身分だけど。でも、いつかはあっと驚かせるようなやつになってみせるとも――)
式典が進む中、俺はいよいよ"勝負の時"が近づいているのを感じた。
「――続いて、入学試験の講評を……えっと、本学長の代理として、臨時研究員ならび臨時講師……新入生、ジーニアス・アスタから行います」
ざわめき。
新入生から臨時講師。そして新入生が入試の講評。
耳を疑っている新入生の間を悠々と歩いて、演壇の高台に近づくにつれ、ざわめきは大きくなる。壇上に登った時、とうとう新入生たちは戸惑いを隠せない様子であった。
そう、これこそが
"なに、簡単じゃよ。聞き分けの悪い学生に、きつーいお灸を据えてやってほしいのじゃよ。お主が入試で書いておった魔法陣改良のお話をしてほしいのじゃ。――入学式の講評で、お主を特別に臨時講師として招聘してあるからのう"
アネモイ? アイリーン? ターニャ? 三人ともあっと驚くどころか、目を丸くして絶句しているとも。あっと驚かせるのは案外早かったらしい。
心配性のターニャなんかは座り込んでいた。可哀想に。
◇◇
あの日、黒猫はにやにやと笑いながら俺に無理難題を突きつけてきた。
入試の問題を講評してほしい。できれば、俺の観点で、新入生のためになるような解説を付け加えてほしいと。無茶な話だ。同じ試験を受けた新入生に、新入生が偉そうに講評するなんて。
だが俺はその話を呑む他なかった。俺の入学がかかっているのだから。
壇上からまだざわめきの収まらない周囲を見回しつつ、俺は腹をくくって説明を始めた。
「さて、魔法陣の改良という問題でしたが、もう一度問題を確認しましょう」
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問:以下の魔法陣を改良せよ。
(※魔法陣の図がいくつか列記される)
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「こちらの問題ですが、皆さんの回答を見ました。改良の定義を議論していた人は七割いました。そしてその定義を達成するという方向で解が導かれていました。よいと思います。ただし、その改良の質によって大きく差がついたと思います。よくある例としては、威力を伸ばす代わりに効率や安定性が落ちた人がほとんどでした」
いくつか回答を見て思ったことがある。受験生たちの回答は、皆威力に重きを置きすぎて、魔力効率や安定性をおろそかにしているのだ。改良、と問題は訊いているのに、効率や安定性を犠牲にして威力を上げている、という回答がよく見られて、このあたりに根深い課題があると思われた。
威力こそすべて、効率と安定性は二の次で、術式を操る術者がなんとかするべき問題――そのような意識が透けて見える。
「この問題が訊いていることはそれほど難しいことではなかったはずです。一部の魔法陣は、本来あるべきなのに欠落している部分があった。一部の魔法陣は魔力の流通経路が不整合だった。一部の魔法陣は構成要素が部分的に矛盾している箇所があった。……これらに気付いたでしょうか?」
そのまま俺は、持ち運び式の黒板を壇上に乗せた。気を利かせた教授が一人持ってきてくれたのだ。ありがたい。そのままチョークを使っていくつか数式を記載する。
「欠落や不整合や矛盾。これらを解き明かすために、魔法陣を数式化しましょう」
それぞれの魔法陣の状態変数をxとおく。各魔法陣の状態空間表現を、状態変数xを用いて以下のように表す。(x'はxの時間微分)
x' = Ax + Bu
y = Cx + Du
ここで制御入力uはu∈R_manaマナ空間を満たすマナ量ベクトルであり、任意の値を取るものとする。
また、yは魔術出力を表すものとする。
ここで制御入力uが状態フィードバックゲインFを用いて
u = Fx
と表されるとき、可制御条件、可安定条件はフィードバックゲインFの取りうる安定領域の条件と言い換えることができる。
その条件は、以下である。
可制御条件:
rank[ A AB A^2B …… A^(n-1)B ] = n
可安定条件:
rank[ (λI - A) B ] = n
「魔法陣にマナが込められていない状態と、マナが十分込められた状態では内部状態が異なります。また、マナを注いだとしても注いだ瞬間にすぐ充填完了されるわけではなく、ある程度過渡があります。この魔法陣の状態の変化を状態変数xで表記してます。そして過渡現象を厳密に議論するため、時間微分を使ってダイナミクスを表記しています」
ここで留意することとしては、このABCD行列を使った魔法陣の状態空間表現は、あくまで魔法陣の表記の一種であるということだ。つまり、入力マナ量ベクトルuと、魔術出力ベクトルyを微分方程式で記載したい場合の記載法。
これを直接魔法陣(術式回路)に変換しようとすると困難なので、ラプラス変換で伝達関数に一度変換して簡単にする。
伝達関数は以下で得られる。
G(s) = Y(s) / U(s) = C(sI - A)^-1 B + D
「さて、ここで伝達関数を見るだけでも安定か不安定かを見ることができます。極零相殺がない限りは、伝達関数の極を見るのが一番楽だと思います」
伝達関数の極とは、G(s) = n(s)/d(s) としたとき、分母のd(s) = (s - p1)(s - p2)……(s - p_n)でいうp1,p2,……,p_nのことである。
このpは虚数も含むのだが、実部の符号が負でありさえすれば可安定である。
「実をいうと、ここで問の魔法陣に戻ると、魔法陣の半分以上は可安定条件を満たさないことが分かります。可安定条件を満たさない魔法陣の出力を上げてもほぼ無意味です。ですが皆さんのほとんどは出力を上げる方向に努力していました。もう一度言いますが、可安定条件を満たさないまま出力を上げたところで、大した意味はありません。
なのでそれらの魔法陣はそのまま使うのではなく、フィードバックループを作って不安定な極を安定化させる必要があります」
せっかく伝達関数の表記にしているのであれば、極配置法で解くのがいい。
分母多項式が(s - p1)(s - p2)であるとすれば、
(s - p1)(s - p2) = s^2 + (1 + α0 + β1)s + α0 + β0
となるようなα0、β0、β1を解いて、それを安定化制御器C(s)のパラメタに当てはめる。
C(s) = (β1s + β0)/(s + α0)
たったこれだけで、可安定条件を満たさない魔法陣が安定となり改良される。
「以上、あとは可安定条件を外れないように、魔法陣の出力を上げていけば問題ありません。魔法陣の出力を上げるという皆さんのアプローチは別に間違っていません。ですが全部の出力を上げようとすると、不安定な魔法陣も不安定なまま出力増大となってしまい危険となります。術者が安定化制御器C(s)と同じようにふるまってフィードバック制御を行えば暴走はしませんが、そもそも安定化された魔法陣にすれば問題は解決されるはずです。
まず不安定な魔法陣は安定化してから出力増大を実施しましょう、というのが今回の講評でした」
結論。不安定な魔法陣は安定化させよう、という話。
当たり前すぎて、それができれば苦労はしないと突っ込まれそうである。だが俺は解の導きかたを示した。伝達関数の導出まで行った。安定化の方法はほとんど示したと言っていい。
「私は本番の入試では、システム同定の手法を用いて魔法陣の状態空間モデルABCDを求めてから、それを上記の通り安定化させています。システム同定というのは大雑把に言えば、ホワイトノイズ性の強い入力信号とその応答を計測することでモデルを推定するものですが……ここでは長くなるので省きます」
本来であれば、システム同定にこそ踏み込むべきなのだが、時間があまりにも足りない。
アポロニウスのギャスケット、ディリクレ問題、最大フロー問題の解き方となればなおのことだ。
本番の入試でやったことを説明しきるのであれば、本番の入試と同じだけの時間が欲しい。だがこの場で出来る説明は限られている。要点を絞らないといけない。だから説明を限定した。
魔法陣の欠落や不整合や矛盾を補償する、安定化の理論。
「以上です。もしさらに解説が必要であれば別途行いたいと思います」
ざわめきは、ない。
始まる前のざわめきは、嘘のような静けさに上書きされていた。
◇◇
「……は、はは、想像以上じゃのう。ちーっとも分からんかったわい、参った参った」
空席となっている学長の席のそばで、黒い猫が苦笑いを浮かべていた。
あわよくば解説をさせることで解読のヒントを手に入れようと思ったのだが、ますます煙に巻かれてしまったかのように難解な議論になってしまった。前には進んでいる。進んではいるのだが、知らない知識がまた出てきて、余計にこの回答を解読困難にさせてしまっている。
「……まったく難儀なことじゃなぁ。おぬしに何か一つでも才能があれば、間違いなく歴史に名を残せる大魔術師となっていたじゃろうに」
精霊の加護もなければ、魂に結びついた魔術体系もない。
マナの属性もなく、固有魔術さえも一つも持ち合わせていない。
つまり、彼が使えるのは
一般人が利用可能な魔術のみ。魔術の才能がない人間でも扱える魔術のみ。
天賦の才を全く持たない彼ができることは、残念ながらそう多くはない――はずなのだ。
「ジーニアス・アスタ。面白いとは聞いておったが、ここまで面白いとは思わなんだ。久しぶりにわくわくするのう」
今、世界で有名な魔術は七つある。
魔女術。
陰陽術。
竜魔術。
王国魔術。
教会魔術。
精霊魔術。
刻印魔術。
――そして残るは一つ。
「あやつ、現代魔術とやらを言うておったかのう。全く聞き覚えのない魔術体系じゃが、果たして最後の一つになるじゃろうかの」
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