2.現代魔術師、魔術学院に入学する

第七話「アポロニウスのギャスケットを基本として、小円魔法陣に簡素化された魔術的意味を付与し、大円魔法陣全体の調和をとるために必要最小限の呪文を書き足して補強された、各種の精緻な魔法陣」

 今、世界には特級指定魔術の使い手が七人いる。

 魔女術。

 陰陽術。

 竜魔術。アネモイ・カッサンドラ・ドラコーン。

 王国魔術。アイリーン・ラ・ニーニャ・リーグランドン。

 教会魔術。

 刻印魔術。ナーシュカ・イナンナ。

 精霊魔術。ティターニャ・アスタ。


 世界最高の魔術師の座は八人。

 現在はいずれも空位だが、七つはほとんど決まったようなものである。


 そして、残る一つの座を、俺、ジーニアス・アスタは目指している。






 ◇◇

 現代魔術は異世界をクロールするか 第七話

 ◇◇






 あのニザーカンド迷宮化事件から早2年。

 ついに、俺にとって大きな転機がやってきた。


 ジーニアス・アスタ。十三歳。

 この度、ようやく両親の許しが出て、【魔術学院アカデミア】の受験の機会を手に入れられたのである。


【魔術学院アカデミア】とは、この大陸でもっとも魔術の研究が盛んである学術機関である。【皇国】【王国】【共和国】【公国】【教国】【通商連合】などの国家から独立しており、狭いながらも自治領を有する特殊な学校。

 魔術研究の幅広さと深さは、まさに桁外れ。


 世界最高水準の学術の理論及び応用を研究し、特に基礎学術分野においては、他の学術機関の追随を許さない。取り扱っている研究の長期性、不確実性、予見不可能性、専門性においても他の機関よりも寛容であり、それゆえに様々な学問が花開いている。

 他国の研究機関との合同研究も盛んであり、【魔術学院アカデミア】が関与していない魔術研究のほうが少ないほどである。


 学術は自由。

 俗にいうリベラル・アーツと呼ばれる七科目、三学トリウィウムの文法学、論理学、修辞学と四科クワドリウィウムの幾何学、算術、天文学、音楽の"教養学部"の枠に収まらず、例えば神学部、法学部、医学部などの専門性を要求される学部も有している。


 魔術師として己の知識を研鑽したいのであれば、まさにこの上ない環境なのである。


(やった! これでついに俺もアカデミアの学生だ! 世界各国から優れた魔術師の卵があつまる【魔術学院アカデミア】であれば、きっと俺の研究もたくさんのアイデアを試せるに違いない!)


 馬車に乗りながら、俺は浮つく気持ちを何とか顔に出さないように努めていた。

 まだ受験してもないのだが、気分はすっかり合格後である。【魔術学院アカデミア】への入学。憧れの学生生活。研究三昧の毎日。魔術開発と魔術理論のディスカッション。楽しみがいっぱいである。


 魔術の研究を進めたい。

 俺の頭の中は、今その思いでいっぱいである。


(聞くところによると、ブラコン妹ターニャも、勝気な従姉ナーシュカも、俺の文通友達のケモ王女アイリーンも、全員【魔術学院アカデミア】に在籍しているらしいし、金髪縦ロールアネモイも入学試験を受けるらしい)


 手紙に目を通しながら、俺はついつい頬が緩むのを自覚した。

 俺の知っている人たちが在籍している。学年こそ俺より上だが、知人がいるというのは心強い。

 あの日から2年。

 きっと皆も、あの日から成長して変わっているだろう。

 ブラコン妹ターニャ勝気な従姉ナーシュカとは数か月前にも顔を合わせたが、それでも会うのは久しぶりだし、これから一緒の学生生活を送ることを思うと楽しみである。


 筆記試験。きっと余裕で受かるだろう。知識に関して言えば、歴史にやや不安が残るもののそれ以外に関しては俺は問題ないはずである。

 実技試験。やや不安ではあるが、筆記試験で稼いだ点数と、あとは魔術制御の技術でカバーすれば問題はないだろう。


(さあ、待ってろよ魔術学院。俺が現代魔術で世界をあっと驚かせてやろうじゃないか――!)


 決意を固めた、まさにその瞬間だった。

 なんと、俺の乗っていた馬車一行が盗賊団に襲われたのである。






 ◇◇






「あ、なんじゃこりゃ? ――反省文!? 何してんだあいつ!?」


「お、お、お兄様……」


 届いた手紙の内容に、頭を抱える少女が二人。

 昨年から【精霊の森】から特使として在籍している精霊術師、ターニャ・アスタと、二年前から【通商連合】の名前で留学している刻印術師、ナーシュカ・イナンナは、あの問題児の少年ジーニアスの手紙を前に固まっていた。


 曰く、入学試験に遅刻したとのこと。

 三日間にわたる試験を二日も遅れてしまったという。

 数時間の遅刻程度ではない。丸二日も遅れてしまったのだ。


 理由は、山のように列挙されているが、これがまた誠に荒唐無稽であった。


【共和国】の特設試験会場に向かう途中、乗っていた馬車一行が盗賊団に襲われてしまった。

 盗賊団を撃退したところ、なんとお忍びで馬車に乗っていた【皇国】のお嬢様に感謝されてしまった。

 しかも【皇国】のお嬢様に護衛をお願いされてしまった。

 断り切れないので途中まで一緒に移動していたら、なんと同じ受験生であることが判明したので、一緒に【共和国】の特設試験会場で受験することになった。

 そしたら、一日目の実技試験で例の【皇国】のお嬢様――特待生候補と対戦することになり、しかも辛うじて勝利してしまった。

 しかも一次試験が終了してから、実はこの入試が【魔術学院アカデミア】ではない――"聖教騎士団"の入団試験だと遅れて気づいて、しかも一次試験に合格してしまった。


 などなど。

 言葉も出ないとはこのことである。少女二人は、想像を超える展開に茫然としてしまった。


「お兄様ぁ……」


「あ、……んの、馬鹿野郎ッ!!」


 精霊術師ターニャが力を失ったようにへたり込んだのと、刻印術師ナーシュカが周囲に響き渡るほどの怒号を飛ばしたのは、ほぼ同時のことであった。






 ◇◇






 普通、入学試験に特例措置はない。

 だから、どれだけ嘆願をしようとも、普通はおいそれと許可するようなものではないのだ。


 しかし、最終日の筆記試験で、採点を行う試験官は頭を悩ませることになった。

 採点は模範解答例に沿って行われる。人手はいくらあっても足りないので、アカデミアの学生を借り出して採点を順番に実施する。悩ましい回答は助教授、准教授が回答を評価し、それでも難しい場合は教授が採点を実施する。

 アカデミアの教授でさえ判別不可能な回答は普通はない、とされている。

 しかし今、採点担当の教授が他学科の教授を呼び寄せて議論を行う羽目になっていた。というのも、とある受験生の試験回答が、教授陣の予想を超えていたのだった。


 ----------

 問:以下の魔法陣を改良せよ。

(※魔法陣の図がいくつか列記される)

 ----------

 回答:

 命題における「改良」を、『①同じ出力の得られる簡素な魔法陣とする』『②より効率の良い出力の得られる魔法陣とする』の二つのいずれかと定義する。


 ①の導出は、系統等価関数を求める問題と同値である。

 ■予備試験

 各魔法陣にステップ入力を与えたときのステップ応答波形、遅れ時間Td、立ち上がり時間Tr、最大ピープ値Mpを計測する。

 それぞれの応答波形はfig1に記載。

 ■本試験

 ①-1

 同定用の信号として、M系列疑似ランダムノイズを作成する。

 このとき、同定対象の立ち上がり時間Trよりも短いクロック周期Tcであること、なおかつ最大シフトレジスタnを使って立ち上がり時間Tr < nTc を満たすこと、の二つを満たすM系列疑似ランダムノイズ信号となるようにする。

 同定対象の立ち上がり時間Trよりも短いクロック周期Tcである理由は、立ち上がり途中にオンオフが切り替わることでの過渡応答を推定するためである。

 最大シフトレジスタnを使って立ち上がり時間Tr < nTc を満たすよう設計する理由は、最大立ち上がりの応答を少なくとも一度は観測に含めることで、定常ゲインを推定するためである。

 ①-2

 過渡応答と定常ゲインの入出力値から、離散数理モデルの系統等価関数を推定する。

 出力y、式誤差rとおいたとき

 y = Zθ + r

 を最小化するθを求める問題に置き換えることができる。

(ただし、システムはnステップのダイナミクスを持つと仮定する。Zは1~nステップ前の入力u、出力yで構成されたベクトルであり、θは離散数理モデルのA行列、B行列の各要素である)

 推定法は最小二乗推定を用いた。式誤差の重み付き二乗和は、重みWを用いて

 J = r^T W r = (y-Zθ)^T W(y-Zθ)

 とおくことができるので、これを最小とするθは(Z^T W Z)^-1 ・Z^T W・yで得られる。

 それぞれの計算結果θはlist1に記載。

 ①-3

 θを線形モデルに置き換える。得られた線形モデルをブロック図に置き換えたものが、求める最適化魔法陣(の簡略表現)である。


 ②の導出

 魔法陣を、大円魔法陣の中に小円魔法陣が複数個詰め込まれていると仮定して、問題を分ける。

 ②-1:小円魔法陣の配置最適化(パッキング問題)

 ②-2:小円魔法陣ごとの定常状態のポテンシャルの計算(ディリクレ問題)

 ②-3:小円魔法陣の魔力経路決定(最大フロー問題)


 ②-1:

 アポロニウスのギャスケットにより、解を与える。

 ②-2:

 ディリクレ問題を解くことで、定常状態となったときのポテンシャルを見積もる。この時のポテンシャル総和が魔法円の理論限界を超えているとき、②-1に戻る。

 定常状態までに遷移する過程は、有限状態マルコフ連鎖であると仮定する。

 ②-3:

 最大フロー問題を解くことにより、魔力を注いだ時の魔力経路を決定する。

 ……

 ----------


 など。

 普通であれば、模範解答から大きく逸脱している回答である。


 この問題の趣旨は、主に二つに大別される。

 魔法陣に使われている魔術言語や記号から意味を読み解いて、どの魔術的意味が欠落しているか、もしくはどの箇所が全体と不調和を起こしているかを類推する術式読解力。

 どのような記号・呪文を追加するかをきちんと取捨選択して、全体の調和を乱さないように設計する術式構築力。

 術式読解力も術式構築力も、どちらも魔術師として必要となる素養である。術式センスと言い換えてもいい。


 だが――回答は、アカデミアの教授陣の想像を超えたものであった。


 そもそも、論理の過程が意味不明である。

 おそらく本人にとっては正しい論理展開で論じられているような口調の回答であったが、教授陣たちが知識を持ち寄ってもなお妥当性を検証できない。論理展開を見れば見るほど、行間を読み解くのは困難であった。

 妥当性の検証には、何かしらの前提知識が必要だと思われた。


 しかし、その結果得られた魔法陣は美しい。

 アポロニウスのギャスケットを基本として、小円魔法陣に簡素化された魔術的意味を付与し、大円魔法陣全体の調和をとるために必要最小限の呪文を書き足して補強された、各種の精緻な魔法陣。

 そのいずれもが、魔術学院アカデミアの一般的な学生の"卒業論文"と比較しても遜色ない完成度である。


 この世の魔術師は、たった一つの魔術を研鑽し、最適化のために何年も時間をかけて、その道を究めようと努力する。そして幸運が味方した時、ついに美しく調和した魔法陣の形にたどり着くのだ。

 術式の研鑽とは、そのような険しい道の先にある。


 それを、この少年は、この短い試験時間で、どこまでたどり着いたのだろうか。


 魔術師が心血を注いで作り上げた妄執の成果物――と比べると流石に見劣りはあるが、それは行き過ぎた調和と簡略化によるものである。

 むしろ、ずば抜けて魔術の調和感覚に優れた、異質のセンスのある魔術師が答えをあつらえたような呆気なさがある。提示されてはじめて気づくような、当たり前の回答。だが、最初に与えた課題の魔法陣の形からは到底思いつかない、大胆な回答でもある。


 入試試験が三日間。この少年が受けたのは最後の一日のみ。

 だが、この筆記試験での回答のみで、余りあるほどの才能の証明になっている。


(……彼がもし、この学院に入学したとなれば、その時は)


 教授陣は、公正明大な採点者であるが、同時に魔術の真理にたどり着く願いを持つ"魔術師"でもある。

 彼らの結論は、もはや決まり切っていた。






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