第六話「……はぁー。魂の器が増えたのと、迷宮核の欠片からマナ・マテリアルがたくさん手に入ったことで良しとするかぁ」

 マルコシアス戦での負傷を癒やすため、しばらく木の陰で休憩を取っていると、あまり時間を空けずに彼らはやってきた。


 大勢の人の歩く音。金属音。そして俺たちを心配する声。

 見なくてもわかる。外から俺たちを助けにきた援軍である。

 何だ遅かったな、ちょうどさっき戦いは終わったぜ、ぐらいの言葉を格好つけて言おうか迷ったが、やめておいた。


「お兄様!」


 よく通る高い声。

 がば、と音がしそうな勢いで俺の胸元に飛び込んできたのは、我が妹、ターニャである。双子の妹。才能を認められた精霊術師。【精霊の森】で一人ずっと修行を積んでいる彼女が、この前実家に帰省したのが半年前だ。長らく顔を合わせていない。

 そんな我が妹は、痛いほど額を胸板に擦り付けて暴れていた。痛い。


「お兄様! ターニャは心配したのですよ!? 半年前に別れたっきり一度も【精霊の森】に足を運んでくれることもなく手紙もろくに書いて寄越さないお兄様とようやく逢えると思ったら突然魔物が現れてこの街が魔物に乗っ取られて迷宮化してこの騒動でもしもお兄様が魔物に襲われていたらと思うともうターニャは心配でたまらなかったというのにお兄様ときたら全く私と合流しようとさえせずにそれどころか勝手に迷宮に潜って奥に向かおうとするなんて本当お兄様は」


「ターニャ、落ち着いて、重い」


 色々と重い。


「お兄様ときたらきちんとすれば頭脳明晰なのにいつも自分勝手で常識知らずなものですから今日みたいに簡単にターニャのことを裏切ってしまうのです普通はこんな大騒動になったら妹と真っ先に合流してお互いの身の安全を確認するはずなのにどうせお兄様のことだから迷宮の奥に貴重な資源があるからとかなんとかでターニャのことなんかすっかり頭の中から放り出して迷宮の中心に向かっていたのでしょうええ私には分かりますともお兄様なんていつも」


「ターニャ、誤解だ、安心して、ターニャのことを忘れたことなんて片時もない」


「お兄様はなんでこんな無茶をするんですか! 迷宮の守護者ですよ!? 迷宮の守護者といえばベテランの探索者でも十人以上のパーティで相手にするのが普通ですし場合によっては精鋭の騎士団が派遣されるほど強いのですよそれをお兄様ったら冒険者鞄も鎖帷子も何も装備せずにこんな軽装でしかもよく分からないちんちくりんの小娘二人を抱えて」


「ターニャ!」


 ブラコン妹ターニャの勢いを何とか遮る。

 先ほどからずっと暴走気味の彼女であったが、今の発言はまずい。兄への心配で勢い余っているのはわかるが、俺の隣にいるのはちんちくりんではない。王女と伯爵令嬢だ。

 やんごとない高貴な方で、優れた魔術師で、さらに言えば俺の命の恩人なのである。見た目も可愛いし。


「! だからお兄様、鼻息が荒かったのですか!? まあ!」


「ちょ」


 後ろの方で、兵士らしい姿の男がすごい形相で睨んでいた。ちがう。やめてほしい。何だか誤解が広がってる気がする。

 呼吸が荒いのはマルコシアスとの戦いのせいである。下心では断じてない。






 ◇◇

 現代魔術は異世界をクロールするか 第六話

 ◇◇






 針のむしろという言葉がある。

 ターニャの暴走のおかげで、俺はすっかり要注意人物に成り下がってしまった。


 迷宮の中心にただの少年がいるなんておかしい。

『暴風』アネモイ殿と『獣姫』アイリーン殿が疲労困憊なのに、この少年は比較的元気そうだ。

 女性二人に挟まれて、鼻息を荒げるのはいかがなものか。

 顔つきが何だか女たらしっぽい。

 などなど。


 みんな好き勝手なことを言うものだ。

 もはや最後の方は言いがかりである。色々と反論したい。そもそも鼻息が荒いのではなく、口呼吸を抑えて息を整えようとして鼻呼吸になっているだけだ。


 だがここで悪ノリに加担する姫がいるので質が悪い。アイリーンだ。にんまりと口元を釣り上げた彼女はあろうことか爆弾をぶっこんだ。


「この人ね、昨日私の裸を見たの。着替えてる途中に窓からじっくり。上から下までぜーんぶ。どう責任取ってもらおうかなぁ」


「見てない! 下は見てない!」


「!? 見てんじゃん!」


 真理の探究者の端くれとして、誤謬は正さねばならない。事実は正しく伝えなくてはならない。おかげで墓穴を掘ったが、仕方がない。

 見た。確かに見た。だが暗かったからあんまり覚えてない。残念だが本当のことだ。


 だがここで金髪縦ロールアネモイがまた余計なことを口にした。


「認めろ、ジーニアス殿。貴公はあの夜、すけすけ魔術だったか? 透明化魔術とやらで私たちの裸を見たではないか」


「やめろ、まるで俺が透明化魔術をお前たちに使ったみたいな言い方するんじゃねえ」


 すけすけ魔術って。どこぞの卑猥な小説みたいな表現をするんじゃない。しかも発言のタイミングが最悪すぎる。まるで俺が二人の服を透明化させたみたいじゃないか。空気がどんどん冷えていくのを感じる。


「? 使ったではないか?」


「使ったけどそうじゃねえんだよ」


 閑話休題。


 王女と伯爵令嬢の裸を見た助平小僧、みたいになっていた俺だが、迷宮の守護者だった強敵、マルコシアスに話題が移って、ようやく徐々に扱いが変わっていった。

 本拠地に火を放ってマルコシアスを大やけどさせて、幻術(透明魔術をあまりばらしたくなかったので幻術ということにした)と罠を駆使して奴をかく乱し、さらに毒矢で弱らせた――という八面六臂の大活躍。攻撃はアネモイの竜魔術、守備はアイリーンの召喚した大楯の英雄、と三人で協力して戦ったというあらましをかいつまんで伝えたのだ。

 大活躍といって過言ではないだろう。高位魔術師である二人の足を引っ張るどころか戦闘のアシストまでこなしたのだ。普通の少年で考えたら大金星だ。


 もうちょっと自慢してもよかったが、あまりべらべらしゃべっても現実味がない。自分の手の内を喜んで明かすつもりもない。

 そんなことより、俺は例のアレに気が逸って仕方がなかった。


 迷宮の核である。


(迷宮の核。恐ろしいほどの魔力が詰まった、純度の高い魔石。そして未だ解析が進んでいないとされる幾層もの複雑怪奇な術式。――ああ、どれほどのマナ・マテリアルが取り出せるだろうか!)


 心が弾むのを止められない俺は、先ほどから気もそぞろになってしまっていた。

 早く迷宮の核に触りたい。この手で確かめたい。解析もしたいし、マナ・マテリアルの採集も行いたい。

 今か今か、と待ちわびていると、ニザーカンド解放部隊のお偉いさんが一人歩み出てきて、ケモ王女アイリーンに何やらを耳打ちした。多分迷宮核だ。間違いない。真剣な表情なのと、俺のほうをちらちらと見ているのとで内容に想像はつく。


「お兄様ったら……」


 くすくす、と妹が笑っているがどうでもいい。欲しい玩具を前にはしゃぐ子供を見つめるような、そんな妹の生暖かい視線を感じるが、そんなのは些細なことである。俺は迷宮の核が欲しいのだ。

 演算能力が強化出来たら何をしようか。やはり機械学習だろうか。それとも画像解析だろうか。俺のアストラル体を純粋に拡張するのにつかってもいい――などと色々考えて夢を膨らませる。


 だから気づかなかった。

 幼馴染の我が従姉、ナーシュカが、不機嫌そうに迷宮の核を持ってきたのを。


「……よォ、久しぶりだな」


「おおおお、迷宮の核! 素晴らしい大きさだ! 魔力も想像以上、これなら――え、あ、ナーシュカ?」


「……かつてのライバルに、随分なご挨拶じゃねーか。こいつに夢中で気づかなかったってか? え?」


 燃えるような赤髪。何かあるごとにいちいち俺と勝負したがる好戦的な性格。

 持ち前の三白眼が、今日はさらに鋭く吊り上がっている。不機嫌そうな様子を微塵も隠そうとせず、我が幼馴染はずいずいと近寄ってきた。怖い。威圧感がすごい。例えるなら何だろう。熊だろうか。

 先ほどの戦いの"竜の息吹"を放つアネモイにも圧倒的な気迫があったが、目の前のナーシュカにも似たような気迫を感じる。


「……お前、後で覚えとけよ。絶対に一日や二日じゃ済まさねえから」


 何されるんだろう。

 多分どっちが別荘の草刈りがたくさんできるか勝負、みたいなことさせられるんだろうな。

 というかそういう平和な方向であってほしい。

 などと関係ないことを考える俺の目の前で、ナーシュカは不意に体から剣を取り出した。


 見事な剣だ。ヴォーパルソード。たしか『ジャバウォックの詩』に出てくる鋭い剣だったはずだ。ナーシュカの身体に無数に刻まれている刻印は、このように伝承の武器に変身する能力をもつ。――剣?


 迷宮の核がひょいと投げられる。一体何事、と思う間もなく。

 剣一閃。

 破砕音。


「ふぁ」


 間抜けな声が口から出る。

 俺の中で時が止まる。え。何だろう。現実だろうか。


 迷宮の核、斬られたんだけど。






 ◇◇






「ふぁ、あ、あ」


「……んだよ、そんなに落ち込むこたぁねえだろ。もともと迷宮の核は独り占めできねーんだよ。皆で山分けする、っていうところが落としどころだったんだよ」


 帰り道。さながら死体のようにとぼとぼ歩く俺は、ばつの悪そうな幼馴染にずっと慰められていた。

 ずっと妹が頭を撫でてくれているが、この傷心からはすぐには立ち直れなさそうだ。生きた迷宮核は貴重なサンプルだったのに。


「あのアイリーンって姫様も、アネモイってお嬢様も、ニザーカンドの迷宮を解放するため、という大義名分で迷宮の奥を目指していたんだよ。迷宮の核の一部ぐらい、証跡として持って帰らないと、国の人とかに名目が立たないだろ?」


「ふぁ……」


「それに、あの二人の真の目的は魂の器レベルを強くすることって言ってたじゃねえか。そりゃ、迷宮の守護者を討ち取ったことで、マルコシアスの魂を吸収した分強くなっただろうけどよ、迷宮の核の魔力も吸収できるなら吸収したいに決まってるじゃねーか」


「……」


「それに、あの分け前は妥当だと思うぞ。お前、姫様、お嬢様で一割ずつ、後から来た解放部隊に報酬として二割、残った五割は迷宮資源の持ち主の【共和国】に奉納という形で、ニザーカンドに甚大な被害を受けたからその復興用資源に充てる。各方面が丸く収まっているじゃないか。だから十割全部手に入っていたら、みたいな顔すんじゃねーよ」


「……」


「……それとも、まさかお前、迷宮の核が生きている状態で持ち帰ろうとしたんじゃねーだろうな?」


「……」


 うるせえ。

 こればかりは俺の落胆もやむないと思うのだが。

 死んだ迷宮の核をもらったとしても、それは生きた迷宮の核のサンプルと比較したら希少性はがくっと落ちるのだ。


 俺は失意の中、重い足取りを前に進めた。

 生きた迷宮の核を手に入れたら、迷宮を自作して・・・・・・・魔術演算回路に・・・・・・・応用・・できたかもしれないのに。

 迷宮をうまく育てられたら、マナ・マテリアルの産出も無尽蔵にできたかもしれないのに。


 なのに、あと一歩のところで。


「……はぁー。魂の器が増えたのと、迷宮核の欠片からマナ・マテリアルがたくさん手に入ったことで良しとするかぁ」




 何が不満なんだよ、と舌打ちする幼馴染と。

 全くお兄様ったら、とくすくす笑う妹と。


 迷宮の中で知り合った、好奇心旺盛な獣人のお姫様と、妙に堂々とした伯爵令嬢と。

 そして、人知れずしょんぼりと帰路につく、現代魔術師の俺と。


 現代魔術は異世界をクロールするか。

 どうやらまだまだ、研究の道のりは遠いらしかった。

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