現代魔術は異世界をクロールするか:数理科学による魔術の始め方
第四話「渦の発生過程は、最初は外から風を循環させる強制渦だ。だが渦がうまく形成できれば、バーガース渦に近似される。バーガース渦はナビエ・ストークス方程式から導かれる」
第四話「渦の発生過程は、最初は外から風を循環させる強制渦だ。だが渦がうまく形成できれば、バーガース渦に近似される。バーガース渦はナビエ・ストークス方程式から導かれる」
マナ制御。
それは、大気中に漂っているエネルギー体『マナ』を操って、任意の場所に集めることである。マナとはもちろん、魔術の根源である。どんな魔術を使うにしても、マナを操ることが出来なければ、発動することは出来ない。
マナといってもすべてが単一種類のマナではなく、幾つか種類がある。例えば体内を巡っているマナを『プラーナ(生気)』と呼んだり、『オド(体内魔力)』と呼んだりするようだ。
しかし俺からすると、それはどちらもほとんど同じである。
マナとは力の媒質、あるいは量子化された力。マクロの視点に立った時、統計的特徴量こそが重要であって、マナを細かく区別する理由は特にない。というより、無属性のマナしか使えない俺にとっては、マナを区別した理論を練ったところで応用性が乏しいのだ。
もしもマナを区別する理由があるとすれば、それは魔術の統一理論を研究するときの基礎理論。
だから俺は、特に理由がない限りは、マナはマナ、とざっくりひとまとめで考えている。
一つ補足があるとすれば、体内マナと外界マナの関係だ。体内マナを用いることで、外界マナをコントロールし、それを集めてより効率よく大魔術を発動することができる。つまりほとんどの魔術師は、周囲からマナを集めて魔術を発動するのであって、自分の体内のマナだけで魔術を発動しようとする酔狂ものは中々いない、ということだ。
無論、外界マナを一度にどれだけコントロールできるかという量は、体内マナの多さと相関的に増加する。体内マナの量が貧弱であれば、一度に操作できる外界マナの量もそう多くはならないのである。
故に、魔術師たちは自分の体内マナ保有量、『魂の器』を広げようと日々瞑想に励んだり魔物を狩ったりしている。精神を鍛える、あるいは他の生き物の魂を吸収する――そのようにして魔術師は、己の研鑽を試みるのだ。
――ジーニアスの手記より。
◇◇
現代魔術は異世界をクロールするか 第四話
◇◇
魔術師が迷宮の奥に進む理由。
それは己の魂の器を、より強化するため。
アイリーンは冗談半分に、しかし半分真面目にそう説明した。
「私の魔術はね、不完全なんだ。肝心なときにいつ暴走してもおかしくないし、私の魂の器を徐々に蝕んでいるんだ。皆は祝福だって言ってくれるけど、私は呪いだと思ってる。獣人族の血を引いているくせに王国魔術なんて受け継いじゃったから魂を汚染されるんだ、なんて陰口もいっぱい叩かれた」
「……」
「だから、私は強くなりたい。強くなるために迷宮を鎮圧したい」
「……」
彼女の言葉に力がこもる。俺の腕をつかむ彼女の力も、心なしか強くなった気がした。
不思議なものだと俺は思った。王国の魔術師として屈指の実力者であるアイリーンであっても、まだまだ強くなりたいと切望しているなんて。
「……実をいうと、私も同じなのだ。父の名に恥じぬ娘であるために、そして護国の象徴となるために、私は最強でなくてはならない」
「アネモイもか?」
「ああ。強さを求めている。【公国】の守護竜は、我が一族の定め。出来損ないの私が、ここで歴史を絶やしてはならないのだ」
「……そうか」
反対側の腕をつかむアネモイも、真剣に答えた。凛とした態度。あるいは使命に殉じる決意。
アネモイもまた、並ぶもののない竜魔術の使い手であると言われている。それなのにその座に甘んじることなく、自分はまだ足りない、と危機感を抱いている。
(じゃあ、俺たち三人の目的は同じようなものか)
目指すはニザーカンドの迷宮の最深部。求めるのはさらなる力。
奇妙な出会いから始まった即席のメンバーだったが、二人とは仲良くやれそうな気がする。
◇◇
透明になった効果は絶大で、俺たち3人は魔物を面白いように狩ることができた。
匂いを残さないように風魔法で上に空気を散らし、遠くからがれきをぶつけて脳天を砕く。
相手の数が多いときは無理せずに透明化でやり過ごし、はぐれた個体を少しずつ狙う。
通常の冒険者が迷宮を探索するときと比べれば、はるかに安全な進行である。ただでさえ相手はこちらの姿を見つけられないのに、俺の隣には凄腕の魔術師が二人もいる。こんな状態では手こずるほうが難しい。
(フォレストウルフ、アルミラージ、レプス・コルヌトゥス……普通はそれなりに手こずる相手なんだけど)
不意打ちに近い形で急所を一撃。いともたやすいことである。真っ向から戦わなくていいのだから、この上なく楽な作業であった。
狩った魔物は、魔石だけくりぬいて放置するので進行速度もそんなに遅くなっていない。
道中、二人に断って、打ち捨てられた道具や薬草などをいくつか拾い集めておいたが、これも余裕の賜物であろう。
おかげさまで、俺たちは二日とかけずに、迷宮化したニザーカンドの中心部にあと少しのところまでたどり着いたのだった。
「(へえ、透明になるのって便利だね。狩りってこんなに簡単なんだ)」
「(むう。腕がなまってしまいそうだな)」
「(……静かに)」
小声で二人を制する。時計台が見えるぐらいの距離に歩み寄りながら、俺は状況を観察した。
おそらく迷宮の核は、時計台の頂上にあるのだろう。魔物たちが時計台から何匹か出入りする様子も見受けられる。ここが中心部で間違いないだろう。
それに――奥からはなんとも表現しがたい禍々しい魔力を感じる。この時計台には、おそらく極めて強力な魔物が棲みついていると思われた。
「(おそらく、あの時計台が迷宮の守護者の根城だろう。だが、真っすぐ突入するのは馬鹿馬鹿しい。ここは一計を講じるに限る。俺にいい考えがある)」
「(……へえ)」
クローキング領域の内側のアイリーン王女が、好奇心をそそられて目を細めるのが分かった。
怪訝そうな表情のアネモイともども、作戦内容を手短に告げる。作戦に反論はなかった。
◇◇
このとき、不幸なことに魔物たちは警戒を遠くに向けていた。
上空から偵察する鳥の魔物は、外からくる脅威を重点的に見張っていた。
ニザーカンド解放部隊。迷宮化した街ニザーカンドを取り戻すため、人々が即席で作り上げた軍団である。
強力な魔術師――精霊魔術の使い手の少女、刻印から武器を無限に生み出す少女、そして聖書を片手に戦う少年――その姿を観測した鳥の魔物は、外敵こそが脅威であると判断した。
そのため、迫りくる透明の存在は見つけられなかった。
否、魔物たちはある程度の知性を持っていたがゆえに、外からくる部隊のために力を分散させてしまっていたのであった。
魔物が異変に気付くのは、時計台の出入り口をふさぐように木が倒れこんだ時のこと。
そのころにはすでに、時計台に火の手が回って、致命的な遅れとなっていた。
◇◇
火災旋風、という現象がある。
燃え盛る炎に、偶然の気流の乱れが生じ、巨大な旋風となる現象である。
燃焼のプロセスにおいて、火は周囲から次々と空気を取り込んでいる。熱せられた空気は密度の関係で浮上するため、燃焼中は火の付近で局地的な上昇気流が生じる。
この際につむじ風のような気流を与えることで、炎の表面が広がるとともに燃焼の強さが増し、周囲から空気を取り込む力も増えて、結果としてそれが炎を伴った旋風にまで育つ……と考えられる。
ではもし、風魔術の使い手が空気の流れを調整した場合はどのようになるか。言うまでもないだろう。
スギの皮など燃えやすいものを火種として火床を作り、事前に魔術で水分を飛ばしておいた適当な木々を周辺になぎ倒して雑多に組み上げる。
着火を促すために、火属性マナを凝縮させたマナ・マテリアルを周辺に塗布する。一年以上かけて集めた握りこぶし大のマナ・マテリアルだったが、この作戦のために惜しみなく使い切る。
後は着火するのみ。
その後の空気の制御は、俺が演算を補助して実現する。
「……火災旋風は、一度発生してしまえば、有風下でも崩れることなく、その地に定常化することもあるぐらい強力だ。一旦渦のようになって安定してしまえば、フィードバック制御の単純な問題に帰着する」
流れ場における旋回の強さを表す指標Γを循環という。
循環Γは、流れ場の任意閉曲線Cの、接線方向の速度成分を積分して得られる値である。
ただし、この循環Γは、大気の密度ρ、比熱C_p、温度T、火災旋風の直径D、および発熱速度Qによって変化するため、無次元化した無次元循環 Γ^* = (ρ * C_p * T * D / Q) * Γ を指標とする。
過去の検証により、火災旋風の安定化条件は、実験的にΓ^* > 1.1以上、というデータを俺は持っていた。
「渦の発生過程は、最初は外から風を循環させる強制渦だ。だが渦がうまく形成できれば、バーガース渦に近似される。バーガース渦はナビエ・ストークス方程式から導かれる」
粘性による渦度の消散と、渦の引き延ばしによる渦度の増大が釣り合う(≒渦が安定している)状態を仮定して、z方向に一様、x-y平面で軸対称な流れ場としてナビエ・ストークス方程式を解くと、軸対称性を応用して定常解を得ることができる。
これがバーガース渦である。竜巻を大雑把にすれば、z軸方向に一様で、x-y平面で軸対象である、という性質を当てはめられるので、ナビエ・ストークス方程式もかなり大胆に簡略化できるのだ。
バーガース渦は、コア半径cに対し、r<cでは剛体渦、r>cで自由渦となるランキン渦のような性質をもつ。
「バーガース渦の旋回流は、コア領域で擾乱を抑制する傾向がある。これが火災旋風が安定している理屈だ」
剛体渦、すなわち強制渦は角運動量が内側ほど小さい。
つまり何らかの乱れで渦成分が外に出たとしても、周囲の流体より遠心力が小さいのでもう一度内側に戻される安定な構造となっている。
この理屈によりコア領域は安定化しているので、制御はさほど難しい問題ではないのだ。
「……何ということだ」
「うん……」
頑張って解説する俺と裏腹に、アネモイもアイリーンも、反応がいまいち薄い。
燃やせるんだったら有利だよね、程度の同意だったのか、二人は隣で口数をめっきり減らしてしまっていた。
火で魔物を減らしたい。パニックになって逃げだそうとする相手を一方的に狩りたい。
そんな意見だったので、多分、この光景は想像の埒外だったのだろう。
燃やしたら勝てる、と何度も言ったのに。
「火災旋風の内側は、秒速百メートル以上に達する炎の旋風だ。高温のガスや炎を吸い込んだら最後、呼吸器を損傷して窒息死する。旋風の温度は1000度を超えるから、輻射熱の被害も大きい。よく見積もっても、中の魔物は全滅だろう」
「……」「……」
「……あれ?」
火災旋風は燃料表面の熱を劇的に上昇させるため、他の燃焼形態よりもずっと効率的だ。
あとはじっくり待てばいい。
ほらすごいだろう、これぞ数理科学、きっと二人は俺のことを尊敬するだろう、と思っていたのだが、二人の反応はいささか冷ややかであった。何だろう。もうちょっと喜んでくれてもいいのに。
時計台はもう使い物にならないと思うけど、やむをえない犠牲だと思う。
「……ねえ、なんだか遠吠えが聞こえない? ほら、中から」
「? そうか? 炎の轟音で何も聞こえないが」
ふと何かに気付いたように、アイリーンが時計台の方向へ身構えた。
何かいる、ということだろうか。まさか、そんなはずはないだろう。生き物が到底生きていられる環境ではない。脱出できないように出口もふさいでいるのだ。あと一時間もすれば、安全に、すべてが終わるはず。
「……狼かも」
アイリーンがつぶやいたその瞬間。
ずん、と重い音がして、入り口の巨木が震えた。断続的な衝突音。生き物がもがいているような音。
目配せするまでもなく、三人は戦闘態勢に入る。透明化の術式を再度発動するとほぼ同時に、その敵は現れた。
燃えるような赤い目、漆黒の大きな体躯。
死の先触れや死刑の執行者。
別称、ヘルハウンド、あるいはモーザ・ドゥー。
侯爵の名をほしいままにした地獄の犬、その名もマルコシアス。
瀕死の姿でありながらも、なおも強大な魔力を周囲に漂わせて、その魔物は現れた。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます