第三話「いいだろう。スプリットリング共振構造によって、透磁率、誘電率のきわめて低いクローキング領域を実現する、透明化技術について説明しようじゃないか」

 魔術の法則は実に雑多で多様である。体系として整理整頓はなされておらず、どういう法則性なのかという研究も殆ど進んでいない。

 魔導書『アカデミア魔術体系』によると、魔術は一般に五つに分類される。



 一つ目、【伝承】。儀式魔術、精霊魔術がこれに該当する。

 一定の儀式的な行為、あるいは精霊との契約によって、直接魔術をこの世に降ろす。他の魔術と異なって、直接神秘をこの世界に投影するという意味で、他を逸して最も位の高い魔術である。

 使われる魔術は、その殆どが隠匿されており、そしてその殆どが神秘に匹敵する。

 カバラのセフィロトの樹の四世界でいう第一世界、アツィルト界(流出界/一つの大いなる物が生まれる世界)に対応する。大いなる物に直接アクセスすることを目指した、神降ろしの魔術とも言われている。



 二つ目、【音律】。詠唱魔術、音楽魔術、などがこれに該当する。

 魔力を言葉に乗せて、魔術的に意味のある事象を音に紡ぎ、この世の現象を操作する魔術。詠唱する言葉はルーン文字であったり世界語であったり、あるいは言葉などなくても音だけでもいい、など特に指定はない。魔力を込めて紡がれる音色、律動、意味が、声の精霊リピカを共鳴させて世界を塗り替えるとされる。

 カバラのセフィロトの樹の四世界でいう第二世界、ブリアー界(創造界/一つの大いなる物が分裂して個になる世界)に対応する。一つの大いなる旋律を紡ぐことで魔術たらしめんとするものである。



 三つ目、【象徴】。魔法陣魔術、舞踊魔術、などがこれに該当する。

 魔法陣魔術では、魔力を込めて刻まれた魔法陣や刻印に魔力を流すことで、指定された通りに魔術が発動する。刻まれる図形やモチーフには意味があり、それらの組み合わせでどのような魔法になるかが決定する。ある意味では最もダイレクトに世界を『描き換えて』いる魔術。

 舞踊魔術の場合は、どのように肉体で踊るのか、という形とで魔術が紡がれる。踊りの一つ一つにも意味が内在しており、それらの組み合わせで魔術が発動する。

 どちらも『形』に意味があり、その『形』の意味から魔術が発動する仕組みとなっている。

 カバラのセフィロトの樹の四世界でいう第三世界、イェツィラー界(形成界/個々が意味を付与されて形を身に纏う世界)に対応する。個々の意味に更に意味を重ね掛ける、かなり重厚な魔術だとされる。



 四つ目、【物質】。錬金術、魔道具、などがこれに該当する。

 魔術触媒を介在させることで、魔術により物質を操作する技術。他の三つと異なり、意味による魔術操作がなされない。

 どちらかというと化学や工学に寄っているこの技術は、魔術の中でも最もグレードが低く卑しい存在であり、そして同時に魔術の中で最も便利なものでもある。

 カバラのセフィロトの樹の四世界でいう第四世界、アッシャー界(物質界/形を身に纏った物がひしめく我々の世界)に対応する。物質の性質を利用して神秘を模倣する、魔術から最も遠い魔術である。



 五つ目、【異質】。上記の体系に入らない魔術がここに該当する。

 例えば使い魔を用いる契約魔術、遙か古代に生み出された古代魔術、などなど。

 これらは体系を異にする魔術としてこの五番目に放り込まれているだけなので、かなり雑多な魔術となっており、他四つと異なり体系として成立はしていない。



 ――ジーニアスの手記より。






 ◇◇

 現代魔術は異世界をクロールするか 第三話

 ◇◇






「申し遅れた。私はアネモイ・カッサンドラ・ドラコーン。人からは『暴風』とも呼ばれているが、【公国】の誇る公国竜騎士団の一員だ。よろしく頼む」


「え」


 朝食の席での一言。金髪縦ロールの少女は、実に堂々と名乗っていた。

 それはあんまり自然な自己紹介だったから、俺は驚くタイミングを逃してしまった。


 アネモイ。

 世界最高の魔術師の候補の一人。

 特級指定・竜魔術の使い手。


 アネモイ、という名前からうっすらと予想はしていた。公国出身というのも、偶然の一致で片づけるのはできすぎている。だが、こんなにあっさり名乗られるのも拍子抜けであった。


 この金髪縦ロール、どうやら極めて率直な性格らしい。しかも物怖じも遠慮もなさそうな様子である。好印象ではあるのだが、お嬢様然とした高貴な雰囲気も相まって、大物っぽい印象を受ける。

 隣にいるアイリーン姫よりも、よっぽど王族らしいふるまいである。別にアイリーンのカリスマが欠けているというわけではないのだが。


「そう驚かなくてもいい。私とてお前のことは知っている。同世代の少年で、摩訶不思議の魔術を操るとあらば心当たりは一つだ」


「え」


 アネモイの台詞に俺はまた言葉を失った。

 二度目の衝撃。俺のことを知っている、とはどういうことか。


 隣で「え、知ってるの!?」と驚くアイリーンと気持ちが重なる。


 いや、知られていてもおかしくはない。俺の妹のターニャは確かに、【精霊の森】の代表の精霊魔術師だし、従姉のナーシュカも【通商連合】の代表の刻印術師だ。

 高名な魔術師が二人もそろって俺の血縁者なのだから、俺の話がどこかで広がっていても不自然ではない。


 いやあ、参ったなあ、と面映ゆい気持ちが頭をもたげた。

 まさか世界的な魔術師であるアネモイに知られているとは、どうやら俺も隅に置けないようだ。


「カバラ数秘術による高速詠唱を得意とし、その手の内はほとんど秘密に包まれている天才。【教国】の若き枢機卿、またの名を指輪の魔道王。『貴公子』の異名を持つ、ルードルフ卿であろう?」


「……」


 全然違った。びっくりした。ていうか一回名乗ったのに。

 もしかしてこいつ、人の話を全く聞いてないタイプの人間かもしれない。






 ◇◇






「だから、俺は平凡な少年なんだって。ルードルフでもないし、あとターニャでもない。ちゃんとジーニアス・アスタって名乗っただろ?」


「ふむ? そうだったか?」


 アネモイの豪快なすっとぼけ方に、俺は思わず脱力した。精緻な魔法陣を組み上げている手元がくるってしまいそうだ。

 今作っているのは、透明化するための術式。マナ・マテリアルによりクローキング領域を作成して、対象を光学的に隠ぺいする魔術である。俺の分ではない。アネモイとアイリーンの二人を隠すためのものだ。

 なのであまり気を散らせてほしくないのだが。


「だとすれば、ますますおかしい。普通の少年なのだろう? だとすれば、わざわざ危険な迷宮に潜ってくるなんて、命知らずもいいところだ。帰ったほうがいいのではないか?」


 正論だった。

 ぐうの音も出ない。こればかりは彼女のほうが正しかった。

 果たしてどうやって説明したものか。

 自分の研究のためには迷宮核が必要だ、なんて理解してもらえるだろうか。


(だけど、この機会をみすみす逃したら、迷宮の核を手に入れることができなくなってしまう。普通に迷宮の核を手に入れようと思ったら、何年も何年も迷宮探索者として迷宮に入って、命がけで最深部までたどり着いて、そうやってようやく手に入るんだ。それも国家や法人から保護されていない未登録迷宮だけ。人の手による整備がされていない危険な未登録迷宮からのみ、迷宮核を取り出していいことになっている)


 迷宮核は、迷宮の存続のために必要である。そして迷宮から得られる鉱物、薬草、魔物素材などの様々な資源は、人々の生活に有益である。

 だから国家やギルドは、危険度の低い迷宮を保護することがある。資源産出のための有益な場所として。


 もし迷宮核を手に入れようと思ったら、危険度が高く保護対象となっていない未登録迷宮に挑戦して、その最深部にたどり着かないといけないのだ。


 そのような未登録迷宮は、放置すれば放置するだけ魔力が蓄積されて、より構造が複雑化し、魔物もたくさん増えて危険度が増す一方となる。とてもじゃないが、俺のような弱い魔術師では太刀打ちすることはできない。


 だがもし、できたばかりの迷宮ならば。

 この街ニザーカンドに生まれたばかりの迷宮であれば、比較的危険度も低く・・・・・・、迷宮の核も勝手に奪い取って問題ない。


(今なんだよ。今こそが迷宮核を手に入れる、人生最大の好機なんだよ。こんなこと滅多にあるものか。この機会を逃したら俺は……)


 魔法陣を描く手に力が入る。意識せず図形が歪んでしまい、慌てて修正を試みる。

 気が逸っているのはわかるのだが、それでもこの喜びはなかなか抑えられるものではない。


「まあまあ、アネモイ。いいじゃん、案外私たちと一緒かもよ? 迷宮鎮圧による魂の器の強化。ジーニアス君ももしかしたら、私たちと同じく、迷宮の鎮圧を目指しているのかもね」


 砕けた口調でアイリーンが間に入ってくれる。こちらは打って変わってフランクなお姫様である。獣っぽい愛らしい外見も相まって、付き合いやすそうな人柄がにじみ出ている。

 まあ、助け船の発言の割には、目は獲物を見つけたようにらんらんと輝いていたが。


「ん? え、ああ。そうだな」


「ね? 別に普通の少年でも諦めなくていいんだよね?」


「……ああ」


 何だろう。昨日のやり取りで、もしかしたら何か興味を持たれてしまったのかもしれない。

 単刀直入なアネモイの言葉も苦手だが、含みのあるアイリーンの言葉もちょっと苦手かも、と俺は思った。


「ね、ね、ね、ところでこの魔法陣は何? これが君の秘密?」


「……ああ、そういえば昨日説明してなかったな」


 いい具合に話題がそれた、と俺は思った。

 ちょうどクローキング魔術の魔法陣があらかた書き終わったところだ。透明化の魔術の解説も必要だろう。


「いいだろう。スプリットリング共振構造によって、透磁率、誘電率のきわめて低いクローキング領域を実現する、透明化技術について説明しようじゃないか」






 ◇◇






「クローキング領域というのは、光を迂回させることで、外から中身を全く見ることができなくなる領域のことだ。光の迂回、これこそが透明化技術の最も重要な部分だ」


https://img1.mitemin.net/me/j2/8zm1485t8yislqfk2i2e1f3ugzbx_z2w_zk_k0_2jz7.jpg


 クローキング領域というのは、図における矢印の通っているフィールドである。図のように光が迂回するため、外側から内側をのぞき込むことができない。


 このクローキング領域に、微小な割れ目のあるリング型透明アンテナをマナマテリアルにより作成する。このアンテナ(というよりは円盤)の僅かな間隙は、キャパシタンスを持つため、透過する電磁波に寄与して共振を起こすのだ。


 この構造――スプリットリングレゾネータによる共振周波数は、比較的任意に与えられる。

 即ち、空間の透磁率μ、誘電率εを比較的自由にパラメタ操作することができるということだ。


 これにより、特定周波数の光波にのみ限定されるが、光はクローキング領域を迂回して反対側に通過してしまうのだ。


「だがここで、クローキング領域の取り扱う光の周波数にダイナミズムを持たせることで、複数の周波数レンジであっても光を迂回させることが可能だ。いわゆる多重モード伝搬、つまりフューモード・フィールド技術だ」


「むう」「多重モード伝搬……? どういうこと? つまり光には周波数があるってことだよね? ね?」


「ただ、入射光が強い場合、その入射部位で光が反射してしまう誘導ブリルアン散乱現象が起きてしまう。そこでスミスチャートなどで表面のインピーダンス差がゼロになるようにパラメタ分布を調節する必要があるわけだ。まあ、端的に言うとレーザー攻撃に弱い」


「むう」「誘導ブリルアン散乱? スミスチャート? ……分からないけど、反射を起こさないように制御が必要ってことかな? ね、どう?」


 クローキング技術の説明の反応はきっぱりと別れた。つまり、困惑するものと、食いつくものだ。

 困惑するのは予想できたが、まさか獣人のお姫様の食いつきがいいのは予想外だった。

 一応解説すると、誘導ブリルアン散乱とは、媒質に強い光が当たることで音響振動を生じて、光の振動数がわずかにずれて散乱される現象のことだ。インピーダンスは抵抗。スミスチャートは伝送路のインピーダンス整合を設計する際に使うツールで、回路が誘導性リアクタンス成分をもつのか、容量性キャパシタンス成分を持つのかを図示することができる便利な複素グラフである。


「ね、ね、あのさ。多分だけど、光の波長によって屈折が変わるから、特定波長の光にしか意味がないよね?」


「! 流石は【王国】のお姫様。その通りだ。だからこそ、クローキング領域にダイナミズムを持たせるんだ」


「! ね、ね、どうやってやるの!」


「端的に言うと、時空カオス制御だな。興奮性媒体でスプリットリングレゾネータを作って、外界刺激入射光に応じた共振周波数を与えるんだ」


「むう」「おおお、なんか凄そう!」


「まあ、本来なら限界はあるんだが、可視光程度の限られた周波数帯においてならば可能だろうな。寧ろ、単一カオス空間の制御問題に置き換えることができるからこっちの方が楽でさえある」


「むう」「おおお、なんか色々あって頭がくらくらしてきた……!」


 まあ難しいだろう。分からないのも無理はない。

 実は俺も、チューリングの反応拡散方程式を演算領域に解かせているだけなので、自分では上手く分からなかったりするのだが。

 時空カオスの制御は、離散時間状態フィードバックか遅延フィードバック制御の問題に置き換えられる。対象の情報を必要とする離散時間状態フィードバック制御、ロバスト性の保証に課題が残る遅延フィードバック制御。どちらを選ぶかは、その時の計算リソースや運用方法による。光学迷彩の場合は、演算リソースを省力化するために後者を使うことが多い。


「ね、ね、でもすごいよね、透明化。これがあったらほとんどの魔物の不意を突くこともできるし、迷宮に潜るのも簡単になるね。実践向きだし」


 ははん、と顎をさするアイリーン。彼女はすっかり興味津々といった様子だった。

 これはいい、と俺は思った。

 今まで俺の周りにいた連中は、俺の理論を理解しようとしなかった手合いがほとんどだ。この獣娘のように真摯に聞いてくれるような子はいなかったと言っていい。……いや、全肯定妹ターニャは何でも聞いてくれたが、あれはちょっと違う気がする。

 俺は、アイリーンのような数理的・工学的アプローチに理解を示してくれる仲間が欲しかったのかもしれない。


 だが、ここでアネモイが口を開いた。


「たしかに素晴らしい――だが、制御できればの話だ」


 と、現実に引き戻すような言葉。それは極めて重要な指摘だった。


「おそらくこの術式は、術者による高度な制御が必要だと見受ける。術式の記法もかなり独特で難解だ。魔法陣を惜しげもなく教えてくれたのはありがたいのだが、貴公のように使いこなせるとは到底思えない」


 その通りだった。

 この魔術はフィードバック制御が必要だ。たとえ低次元オブザーバを用いたフィードバック制御であったとしても、まず行列式A+BKが可安定になるKの適切な設定を行わなくてはならないし、何よりもオブザーバの状態量を保存して逐次更新する演算操作が必要になる。


 アネモイはこう言ってるのだ。どうやってこの魔法陣を使いこなすのかと。

 だから俺は答えた。


「俺が制御すればいい。二人には俺の領域に密着してもらう」


 そう、それが最適解。

 なので自信満々に答えたのだが、しかし二人の反応はちょっと微妙であった。

 何故か胸を隠される。何故。

 その反応は、いろいろと納得がいかない。






 ◇◇






 時計台の上で、魔物は地面を見下ろしてつぶやく。


「באתי כי תגובת הקסם הייתה טובה, אבל אין מספיק קוסמים」


 生贄の数が足りていない、と魔物は考えた。

 魔力が必要である。魂が必要である。器が必要である。


 全ては人々が地上で、無為に増えすぎた弊害である。

 感情の揺らぎこそが魔力の源であれば、垂れ流されるそれを魔物が摘み取ることに何の罪があるだろう。




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