第二話「マナが空間のエネルギーをゲージ変換したものなのであれば、それは変換の問題だ。無属性の俺が、各属性魔術を行使することが苦手なのだとしても、不可能ではないんだ」



 世界で最も偉大な魔術師になる。

 そのために必要なことは、魔術理論の研鑽である。



 生まれつき精霊や神々からの加護がなくとも、術式を研究すれば、加護を授かっているかのように身体能力を向上できる。

 生まれつき親和性のある魔術体系がなくとも、術式を研究すれば、様々な魔術を部分的に行使できる。

 生まれつきマナの属性が欠落していようとも、術式を研究すれば、マナの属性を変換して術式を運用できる。

 生まれつき固有魔術を引き継いでいなくとも、術式を研究すれば、普通の魔術でも、固有魔術に近い域まで昇華させることができる。



 そして、この世のありとあらゆる魔術の数式表現が完了すれば、その時こそが自分の魔術理論の正しさの証明となる。



(迷宮の核、逃がすものか! 迷宮の核さえあれば、俺の夢に大きく近づくことができる!)



 だから俺は、己の魔術の研鑽のためであれば、進んで命を懸けられる。

 貴重な迷宮の核が手に入るかもしれない機会ともなれば、迷うことなく奥に進む。



 生まれつきの才能が何もなかったとしても、魔術理論さえ研鑽すれば、必ず偉大なる魔術師に至ることができると信じているからである。











 ◇◇

 現代魔術は異世界をクロールするか 第二話

 ◇◇











 夜に差し掛かるころ。

 迷宮化したニザーカンドを駆けながら、俺は感嘆の言葉を隠せなかった。

 おそらく迷宮化する前と比較して、ニザーカンドは広くなっている。現に、まだ半日と経っていないのに、街の地図には存在しない道が出来上がっている。この様子では、今手元にある地図に頼り切るのも危ないだろう。

 迷宮の地図は時間経過によって使い物にならなくなるという話があるが、それも納得できる。



(木々も不自然なほど生い茂っている。おそらくさっきまでそんなものはなかったはずなのに。少なくとも、ニザーカンドの地図には載っていない)



 謎のツタが建物や地面にはびこっている。

 木の根が育ちすぎたのか、地表に亀裂を生んで露出している。

 目視できる限りでは、おそらくこのツタや根っこをたどっていくと、迷宮中央につながっているだろうと思われた。



 方角は、時計台を示している。おそらく時計台が迷宮核のありかで間違いない。



(……建物で一晩過ごすか。扉に何か立てかけておけば、魔物も容易には侵入できないだろうし)



 腰元のランタン(廃棄された雑貨屋から失敬してきたもの)を使っているが、さすがに視界が悪くなってきた。しかも悪いことに、空は曇り気味である。こんなに暗い中、夜目も鼻も利く魔物を相手にするつもりはない。

 一応、俺の光学迷彩・・・・を信じれば、夜目の利く魔物とは互角以上に戦うことができるかもしれないが、匂いはごまかせないので結論は同じだ。



 なるべく安全そうな建物を見繕って、迷宮で一晩過ごす。

 心身の英気を養う意味でも、それがよいと思われた。



(二階建ての窓がある部屋がいい。階段に罠を仕掛けて、鳴子を鳴らすようにすれば魔物の侵入にも気づくことができるし。窓は後で適当な板で防いだら問題ないはず)



 安全な部屋を見繕うといっても、すっぱり見つかるものではなかった。

 ツタが侵入している部屋は何となく敬遠したい。大きなひびが入っている建物も、魔物に襲われた拍子に崩れないか心配である。血の匂いがする建物は論外だ、魔物を引き付けてしまう。



 建物の隙間を三角飛びの要領で跳び上って、屋上に向かう。

 窓からいくつかの部屋を覗いては、次の部屋、次の建物へと飛び移る。曲芸めいた動きだが、迷宮で木登りの練習は何度もしてきたし、肉体強化魔術の補助もあるのでそこまで難しいことではなかった。



(……この部屋がよさそうだな。幸いベッドもある)



 ようやく発見したのは、二階建ての宿屋の部屋である。

 一階の食堂に行けば食料も手に入るし、水を引っ張る井戸も近くにある。ベッドがあるのも何気にありがたかった。ここなら快適に一夜を過ごせるに違いない。



 念のため、他の部屋に魔物がいないかを確かめて安全を確認する。

 部屋が荒らされた痕跡も、魔物の痕跡もない。これなら大丈夫そうだ、と安心したそのときだった。



(あっ)



「む!?」「え!?」



 金髪縦ロールの女の子と獣人族の女の子、二人が着替えている場面に出くわしてしまったのだった。











 ◇◇











 えらい目に遭った。

 そこからはもう、蜂の巣をつついたような大騒ぎである。



 開口一番、強烈な風魔法で吹き飛ばされそうになった俺は、途中で魔術を術式分解ディスパージョンして弁明を試みた。

 "透明化"を解除するから安心してほしい、敵でも魔物でもない、俺は人間だ、など。



 それが余計によくなかった。

 発動中の魔術を途中で妨害するという特殊な技を無詠唱で使ったせいで、こいつは只者ではない、と相手の警戒度はうなぎのぼりになったわけである。

 それだけでなく、俺が男だとばれたのが事態の悪化に拍車をかけた。



「貴様! どこの国の手のものか所属を言え! 魔術を破棄する技術といい、姿をくらます幻術といい、どこかの軍の暗殺部隊だと見受ける! このアネモイが公国竜騎士団長の娘だと知っての狼藉か!」



「ひゃああ、じゃなくて、裸、あの! 不躾! 不躾だから! 目をそらしてってば!」



「俺はジーニアス、一般人だ。敵対心はないし軍属じゃない。展開している魔法陣を解除してくれ、戦いたくない。それに裸は夜だからよく見えない」



 ぎゃあぎゃあと小声で騒ぐ。

 全員、外の魔物を警戒して、大声で騒ぐことはできない。言い争いは泥沼と化した。



「戯言を! 普通の少年が透明になったり魔術破棄するものか、混乱に乗じてやってきた暗殺者と考えたほうがまだ自然だ!」



「なんでアネモイは裸で堂々としているの!?」



「透明化の魔術は特殊じゃない、一般的な技術だ。スプリットリング共振構造を用いた、空間の透磁率μ、誘電率εの操作だ。微小な割れ目のあるリング型透明アンテナをマナマテリアルにより作成すると、そのキャパシタンスが寄与して、透過する電磁波に寄与して共振を起こす。見かけ上真空よりも光が早く伝搬する空間ができるから、クローキング領域を迂回するんだ」



 図を使って説明してやろうと思った刹那、『――王国図書館マジカルブック』という声が聞こえ、同時に俺は束縛されてしまった。

 何だよ、人がせっかく親切に原理を説明しようとしたのに。

 というよりも、魔術の中身の解析が追いつかなかった。半自動でディスパージョンを行う俺の魔術アプリケーションを凌駕するとは、一体この獣娘は何者だろうか。

 油断があったことは否めない。攻撃するのはどうせ金髪縦ロールの方、とそっちに警戒を割いていたせいで反応が遅れてしまった。だがそれにしても術式が高度すぎるし発動が早すぎた。

 胸元を隠しながら、獣娘は言った。



「あんまり急だからびっくりしちゃった。英雄譚の中の英雄『鎖のイース・ファナ・ディール』で束縛させてもらったよ。ねえ、君って簡単な魔術は妨害できても、強力な魔術は妨害できないみたいだね」



「イース・ファナ・ディール……!? 英雄を召喚できるのか!?」



「ふうん、透明化の魔術に不思議な理論を使っているみたいだね。興味深いけど、お姫様の裸を覗こうなんて狼藉、死罪ものだよ」



 お姫様。

 その単語を聞いた瞬間、俺は衝撃を隠せなかった。



「! まさか、【王国】の――!」



 目の眩むような閃光。電撃だと気づいた時にはもう遅く、俺は意識を手放した。











 ◇◇











 夢を見た。小さい頃の記憶だ。

 マナに属性がない、無属性だと言われてしまった俺は、マナそのものの研究に執心した。



(属性を持つマナが非可換だって誰が決めたんだ?)



 この世におけるマナとは、空間のエネルギーに他ならない。空間は時間的に揺らいでおり、絶えず正のエネルギーと負のエネルギーを産んでは対消滅させる。

『場の量子論』という考えにのっとると、空間のゆがみ(=力場)はゲージ粒子のプール、という解釈を当てはめることができる。

 クライン・ゴルドン場(=スカラー場)、ディラック場(=スピノル場)などの場を、波動方程式で表記し、その波動方程式の解である波を波長ごとに分解する。

 すると、各波長に分解することが、対応する各粒子に分解することと見なせる。



 この前提において、「マナ」という名の空間のエネルギーは二つの理解に従って解釈される。



 一つは、マナは空間の量子量であるというもの。空間の持つエネルギーを、ゲージ変換することによってゲージ粒子として解釈し、それらを魔術師は操るのだ。

 ゲージ粒子というのは、この世の力・形を司る媒体粒子のことであり、この世の力は全て「重力、電力、弱い力、強い力」の四つに還元される(力の伝搬はボース粒子の交換で表される)。

 魔術師たちがどのようにしてこの世界に力を働きかけているのかというと、このゲージ粒子を元にした現象変換に他ならない。



 そしてもう一つは、マナの働く属性。

 空間のエネルギーはどのように分割して考えられるのか、というのがマナ属性に対応する。

 この世界で最も主流とされるエレメンタル理論曰く、この世のマナは六属性で成り立つ。火、水、地、風の理の四元素と光、闇の特殊二元素だ。その六属性で全てのマナが成立しているのだというのが、この魔術理論だ。

 つまり、エレメンタルの考えでは、六つの代表的なゲージ粒子群に対応させてマナを考えていることになる。この考えを推し進めると、量子色力学におけるカラーチャージの属性が六属性分割(赤、青、緑、反赤、反青、反緑)されていることに、対応を取ることが可能だと想定される。もしくは超弦理論で扱う10次元の内、コンパクト化された余剰次元6次元に対応しているのかもしれない。

 いずれにせよ、エレメンタル理論では六属性モデル、即ち六つのパラメタで空間のエネルギーを記述できると考えられている。



(だが、マナの属性については様々な魔術理論体系で解釈が分かれている。

 例えばエレメントではなく、"色"の解釈になると、極彩色は「赤、青、黄、紫、緑、橙、白、黒」の八色となる。これはカラーチャージを受けたグルーオンが8重項あること、つまりゲージ群 SU(3) の基本表現3と、補色の反三重項3‾の積9から無色となる1(≒カラーチャージが相殺される1)を取り除いた表現と対応する……と思われる。

 陰陽五行系の解釈では「木・火・土・金・水」の5つ。四性の「熱・冷・乾・湿」になってくると4つだ)



 マナの属性。

 マナが複数の属性をもち、かつ空間のエネルギーの量子量であることは疑いようのない事実だ。

 しかし、その力を働かせるゲージ粒子の解釈が、各種の魔術理論体系によって多岐に分かれていると思われた。



(だけど、俺は発見した。マナが空間のエネルギーをゲージ変換したものなのであれば、それは変換の問題だ。無属性の俺が、各属性魔術を行使することが苦手なのだとしても、不可能ではないんだ)



 マナの属性を持っていない俺でも、エレメント理論における属性魔術を行使することはできる。無色マナにカラーチャージを与えることで属性マナに変換する操作を行えばよいのだ。



 当然、変換は非効率的である。変換損失は伴うし、最初から属性を帯びたマナを行使できるみんなと比べると、どうしても処理に一手間かかってしまう。

 マクスウェルの悪魔の思考実験と同じことだ。真空のエネルギーの揺らぎから、エネルギーを分離して分類しようとしたところで、その観測と分離にエネルギーが必要となるのだ。

 だから、もし魔術を思う存分に行使したいのであれば、あらかじめ属性マナを用意しておいて、マナ・マテリアルとして保管しておかないといけない。



 しかし、それは不可能という意味ではない。不可能と困難はまた別の問題である。

 魔術の行使に、幾分かのハンデを負っただけである。



(そう、だから俺は、現代魔術を極めたい。エレメント理論やほかの理論で魔術をあきらめている人間であっても、魔術を自由に操ることができる可能性を実証したい。魔術理論の統一理論が実証されたら、どの魔術であっても、どんな人間であっても、魔術の行使が可能となるはず――)











「それって本当?」



 肩をゆすられて目が覚める。眼前には、驚いた顔の少女が一人。

 獣人族の姫――先ほど、俺を謎の魔術で束縛した彼女がいた。

 今さら気づいたが、俺は拘束を解除されていたらしい。武装はすべて解除されていたが、手足は自由に動く。というかほぼ半裸だ。

 外を見ればすっかり朝になっており、どうやら気絶したままずっと俺は寝ていたらしい。

 今俺が動けないのは、前のめりに乗りかかっている、この獣娘のせいである。



「ねえ、魔術をあきらめている人間でも、魔術を使えるようになるって本当?」



「……え? えっと」



 答えて、とばかりに食いつく彼女に、俺は思わず息を呑んだ。

 夢の内容を口走っていただろうか。何か変なことをしゃべってないだろうな、と内心で冷や汗をかきつつも、とりあえず戸惑い半分で首肯する。



「ああ。できる。現に俺は、無属性しかマナを持っていないのに、魔術を使うことができている。この世において、知識と想像力イマジネーションさえあれば出来ないことはない」



「……!」



「知識と想像力イマジネーションの前にあれば、人は誰しもが平等だとも。俺はそう信じてる」



「――――――」



「……え、泣いてる?」



 聞かなければよかったかもしれない。

 感激してますか、と言えばまだよかったかもしれない。「嘘だ」とつぶやく彼女の口元は、少し震えていた。



 長年の呪いから解かれたら、人はこんな表情になるのかもしれない。あるいは諦めていたことに可能性を見せてあげたとき。

 よく分からないが、俺の言葉は、彼女の心に刺さってしまったらしい。泣かせるつもりはなかったのだが。

 もしかしたら、彼女は魔術をあきらめていたのだろうか。

 謝るのも変な話だし、理論を詳しく説明するのもはばかられる空気だ。じゃあ慰める? 何を? 残念ながら、俺の乏しい人生経験では、この状況をうまく切り抜ける方法を思いつかなかった。



「……俺、ジーニアス・アスタっていうんだ。よろしく」



 ここで相手の目元を拭ってあげたら格好良かったかもしれないが、やめておいた。

 泣いてる目に触ると変な感染症を移してしまうかもしれない。だから握手の手を差し出すだけ。



「……アイリーン」



「……あ」



 そういえば、と気絶させられる前のことを思い出した。【王国】。獣。姫。特殊な魔術。すべての仮説がひらめきのように脳裏でつながった。

 多分、今目の前にいるこの獣娘は。



「アイリーン・ラ・ニーニャ・リーグランド。王家の姫。王国魔術の継承者。……よろしくね、透明くん」



 アイリーン。

 世界最高の魔術師の候補の一人。

 特級指定・王国魔術の使い手。



 姫の肌を見た代価は高くつくよ、なんて不穏な言葉が聞こえた。

 身に余る光栄だ。だが、せめて分割払いできないだろうか。











「……何してるんだ二人とも? というか、朝っぱらからどういう状況だ?」



 そんな剣呑な声に現実に引き戻された俺は、そういえばもう一人いたじゃないか、と金髪縦ロールの令嬢を思い出したのだった。











 ◇◇











「まったく、言葉に困ったぞ。姫が半裸の貴公にまたがっていて、しかも貴公は姫の胸をまさぐろうと片手を伸ばしていたじゃないか。しかも姫は泣いているし、どんな迫り方をしたというのだ」



「違う違う違う、俺は寝てただけだ」



「姫と寝たのか?」



「違う違う違う、その"寝た"じゃない」



 とんでもない誤解を受けている気がする。優雅な朝食とはいかなかった。握手しようと思っただけなのに、とばっちりすぎる。

 卓上の塩を取ろうとした際に、金髪縦ロールに「むぅ」と胸を隠されたとき、ちょっとだけ悲しい気持ちになったのは秘密である。



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